初恋の幼馴染が幽霊になっていたんだけど
初恋とは叶わないもの。誰が言ったのかは知らないけれど、そうなんだろうな、と納得はした。
「なあおひいさん。ボクの事見えてます?」
「………………は?」
その男の幽霊と再会するまでは。
▷▷
『ぼくが人間じゃなくなっても、またあそんでくれる?』
その男の子は可愛らしい顔立ちをしていた。
『もちろん!ずっとずうっとともだちだよ!』
指切りをした茜色の空。目に痛いほどの紅葉が印象的だった。
その記憶は、あくまで過去の事で、綺麗な思い出になっていたのだ。
私にとっては。
「ボクやボク。あーちゃんやで」
「いやアンタみたいな不審者知りません、ていうか幽霊…?は?わけわかんない」
「わっ、ひどーい」
「あーちゃん」こと、あきらくん。彼は私の幼馴染で、私が幼い頃死んだ人間だ。
「なんであんたがここにいんの…!?って言うかホントに!?ホンモノのあーちゃん!?」
「あーちゃんやで、ミツくん」
懐かしい。私のことをそんな男みたいなあだ名で呼ぶのは後にも先にもあーちゃんただ一人だった。
「信じてくれた?」
「…ま、まあ、信じなくはないかな…」
尻すぼみな返答にあーちゃんはニカッと笑ってふわふわと私の横にただよう。
私、明野光希は平凡な高校生だ。暗い茶色のセミロングの髪の毛と、顔の大きさに合わない大きなメガネで目を隠している、どこにでもいるモッサリした、陰キャぼっちだ。
「ミツくん雰囲気変わったなあ…なんか今は…」
「暗く見える?」
「うん」
そういうあーちゃんはお変わりないようで。皮肉を込めて返したらあーちゃんはげたげた腹を抱えて笑った。幽霊らしく、私の周りにふよふよとまとわりつきながら。
「ボクな、ひとりぼっちやってん」
「ふーん」
「成仏できへんし、幽霊にともだちもおらんし。そもそも他の幽霊に会わんのや」
「そう」
「生きてる人間にはボクのこと見えてへんようやし」
「良かったね」
「ミツくん!?ボクの話ちゃんと聞いてや!」
「あんたさあ…」
幸い今は道に人がいないからいいが、今は西日も強くなる夕暮れ時。そんな時間に女子高生が一人で喋っていたら通報モノだろう。そんなことも分からないのかこの阿呆は。
「なあなあ!ミツくん!昔のよしみで頼む!ボクの成仏の手伝い…」
「嫌です」
「なんで!?」
「その一、面倒事に関わりたくない。その二、私を置いて逝っちゃった幼馴染なんてもう知らない。その三、その態度がムカつく。その四…」
「わー!もういい!もういいから!ごめんて!でも手伝ってや…!一生のお願い!」
「アンタ死んでるわ」
「せやったなあ」
「阿呆のあーちゃん…」
「そう言ってたのはミツくんだけやで!」
「外面だけはいいんだから…」
あーちゃんと話していると、口角がニヤニヤと上がってしまう。ああ、懐かしい。幼馴染はこんな口論ができる唯一の存在だった。変わらない、本当に変わらない。憎まれ口を叩くが、私だって幽霊だとしても、数年ぶりに再会できた幼馴染と話せて嬉しいのだ。
「ミツくん、変わらんなあ」
「は?」
「嬉しいことがあると饒舌になって、ニヤニヤ顔を隠すために俯く癖」
「……」
流石幼馴染。私が彼のことを知り尽くしているように、彼も私のことを知り尽くしている。その距離感がどうしようもなく心地好い。
「ミツくん。手伝ってくれへん?ボクが早う成仏できるように」
「……まあ、別に。暇だし。…いいよ」
そっぽを向いて可愛げなく言うとあーちゃんは私の頭を撫でた。
何にも触れない幽霊のくせに、生意気。
▷▷
両親は共働きで帰っても誰もいない家はどこか冷たい。玄関をまたいで電気をつけて。
あーちゃんは靴を脱ぐという行為が要らないのでそのままただよって私のあとをついてくる。
「わあ…ミツくんのお家や」
「昔何度も来てるでしょ」
「高校生になってから入るんは初めてや」
「アンタ高校生じゃないじゃん」
「心はピッチピチの男子高校生やで!」
鬱陶しく親指を立ててあーちゃんは笑う。私は呆れながら自室に向かった。部屋の前であーちゃんを入って来ないでよ、と睨みつけて。
カバンを机の上に置いて窮屈な制服を脱ぐ。女子高校生らしくないモノトーンな部屋は心を落ち着かせてくれる私のお気に入りだ。
「んん…」
伸びをして肩のコリを解す。簡単なルームウェアに着替えると私はあーちゃんを部屋に招き入れた。
「作戦会議?」
「そう。あーちゃんが今どんな状態で、何をしてきて、何が出来なかったのか。そこから仮説を立てて成仏できない原因を探りたい」
「つまりボクの赤裸々な生活を覗きたいと…!」
「違うわ」
「恥ずかしがらんでもええのに」
「塩まくぞアホ幽霊」
そんなこんなであーちゃんから話を聞き出すこと十五分。
「なっんで私以外の事を全く覚えてないのアンタは…!?」
「ミツくんへの愛やで♡」
「そういうのほんっといらない」
あーちゃんはなんと、記憶喪失だったのだ。
「幽霊が記憶喪失ってどいういうことよ…」
「んー?だから困ってんねんボク」
「先に言え」
「あははーごめんな」
ガックリと項垂れてしまう。しかし、ここで引いたら女が廃る。私のプライドが投げ出したら許さないと闘志を燃やす。はあ、と息をついてこぶしを握る。
「あーちゃんが成仏できるように頑張るわ!」
「おー!パチパチパチ!」
「何他人事みたいに拍手してんの?アンタが体張るのよ」
「幽霊なのに体をはらなあかんの?」
「うっさい!いいからやる!」
「相変わらず短気やなぁ」
握ったこぶしをあーちゃんに振りかざす。ヒョイッと避けられた。
「幽霊やから実体ないのに殴るん!?」
「実体無いなら避けるんじゃない!」
「痛みは感じないけど嫌や!」
そんな感じで、私はあーちゃんのために協力することとなった。
▷▷
「なんっでどれもこれもハズレなの…!?」
「見事に玉砕やな」
あれからどうにか成仏させようと1ヶ月。何も成果が出ないまま季節は春の終わりになった。桜の木がもう青くなってきている。それを自室の窓から眺めながらあーちゃんと何回目かの作戦会議をしていた。
「もうこうなったら塩をまくべきでは?」
「それ悪霊退散や」
「悪霊と変わらないので…」
「酷いこと言ってる自覚ある?幽霊でも心はあるんやで?」
「ていうかさあ」
あーちゃんにビッ、と指を指す。
「記憶が戻れば何とかなるんじゃないの?」
「あー…せやなあ…」
あーちゃんは申し訳なさそうに笑った。それはあーちゃんの癖だ。目を伏せ眉をちょっと下げて、すまんなあ、と言う時の顔で笑う。
そんな、彼の表情が好きだったのだ。
「んー…じゃあ、明日あーちゃんが幽霊として目覚めた時にいたところに行こうか」
「?」
「無くし物した時とか無くした時何をしてたか思い出すでしょ?それと同じ」
「あー…そやな。……………ありがとうな、ミツくん」
「なんの」
その時は、ただ純粋にあーちゃんが記憶を取り戻して成仏してくれれば、と思っていた。
初恋の彼。人生で一番最初に好きになった男の子。
「ミツくん!見ててや!」
「あーちゃん!ダメだよ!危ないことしちゃダメだよ!」
「大丈夫や!ミツくんにお月さんあげるからな!」
「で、でも…そっち行っちゃダメだってお父さんが…」
「そんなのお月さんをボクらに渡さないためや!」
山奥にずんずんと進んでいくあーちゃんの後を心配しながら手を引かれてついて行く。その山は大人から行ってはいけないと散々言われてきた山だ。昼間なのに薄暗くて、ジメジメしてて。とにかく不気味だった。
「も、もう帰ろうよあーちゃん」
「ここで帰っても怒られるだけや!どうせならおつきさん捕まえて帰ろ!」
「あ、あーちゃん…」
私はべそをかいていた。目の前が滲んで喉がひりついたように痛くなる。嗚咽を漏らしながらあーちゃんの背中を見て歩く。
木々が密集してるはずの道で、不自然に開けた空間がいきなり現れた。
そこだけ太陽の光が差し込んでいて明るくて。木の切り株がぽつんと一つあるスペース。私はほっとしてここで休んだら帰ろう、とあーちゃんに伝えた。
「えーもう帰るん?」
不満そうなあーちゃんだったけど、もう夕方になると言えばあーちゃんは渋々了解してくれた。そのまま帰れる、はずだった。
びゅおっと強い風が吹いて、目を閉じる。繋いだあーちゃんの手の温度が、無くなった気がした。
▷▷
「く……くん…ツくん、ミツくん!」
「っうわ!?」
フワフワと部屋に浮かぶ体と掛け布団。シーツの上で眠っていたはずなのに起きたら空中だった。
「わわわわ!!?」
ポルターガイストで起こされた。
まさかの普通に生きていればまず体験しない起こされ方に頭が真っ白になる。感じるのは不安定な状態による恐怖。
「あ、あーちゃん!あーちゃんっ!」
「ミツくんようやっと起きた」
あーちゃんに助けを求めるとあーちゃんは優しく私をベッドに下ろした。
「何すんのこのアホ!」
「起きないミツくんが悪いんやろ」
「そんなわけあるか!」
「ほら、もう朝やで。山に行くんやろ?支度せな」
彼はほらほら、と触れない手で私の額をぺちぺちと急かすように叩く。それに返事をして着替えるためにあーちゃんを部屋から追い出した。
「天狗の山、だっけ」
「懐かしいなあ」
「子供の頃は大人たちに行くなって言われてたよね」
軽装に着替えて小さなバッグを肩にかけると私はスニーカーを履く。そのままあーちゃんとこれから行く所のことを話しながら家を出た。
「なんで行くなって言われてたのか、今でもわかんないんだよね」
「そうやなあ」
「あの山、なんか色んないわく付きっぽいし…あーちゃん?どうしたの?」
いつもうるさいくらいベラベラ喋るあーちゃんが口をつぐんだ。どこかつらそうに見えるのは気にしすぎだろうか。
「あーちゃん?」
「…あ、うん。…いや、なんでも、ない」
どこか傷ついたような、痛そうな、何かを耐えるような顔をしていたあーちゃん。不安になってその手に触れようとして、感触がなくて、手を引っこめる。私はこういう時、どうしたらいいのか分からない。陰キャぼっちなので、人と話すことがないのだ。だから、他人への返答の最適解が分からない。
「まあ、はやく行こや!」
「う、うん」
▷▷
天狗の山に着いて探索をして、結局何も分からなかったまま一日が終わった。今日は日曜日なので自由に動けるようになるには学校が終わった来週の土曜日になってしまう。
時間ばかりがすぎていくことに僅かな焦りを覚えつつもあーちゃんと帰路に着く。たわいも無い世間話をするのは楽しかった。
あーちゃんの様子がおかしくなるまでは。
「なあ、ミツくん」
「ん、なに?」
「ボクが人間じゃなくなっても、またあそんでくれる?」
「え?」
家の近くの小さな公園。その入口であーちゃんは中に入って少し休憩しよう、と言ったのだ。それに頷いてベンチに二人並んで腰掛けた。
あーちゃんは、いきなりそんなことを言い出した。
「どうしたの?あーちゃん」
「……ボクが、これから言うこと、信じてくれる?」
「?うん。あーちゃんが変な嘘つかないこと分かってるし」
「そか」
あーちゃんは手を組んで、俯いていた。そして、ポツリポツリと言葉を探すように話し出す。
「ボク、人間じゃないやろ」
「うん」
「…あんな。幽霊でも、ないんや。ボク」
「……え?」
「普通の幽霊じゃなくて、天狗様の生贄。成仏することも出来ずに、天狗様に囚われて魂の持つ力が無くなるまで生気を吸われ続ける」
「……あーちゃん?」
「だから、生まれ変わることも、人として生きることも、もうできない存在なんや。……いや、生まれ変わることは、もしかしたら出来るかもしれへん言われたな」
たんたんと話すあーちゃんはふざけているとも思えない。つらそうに、痛そうにあーちゃんは震える声を紡ぐ。
「だから、多分最後に天狗様がボクの願いを叶えてくれたんや。人として生きることがもう出来ないであろうボクの、最後の願い」
「……」
「ミツくんに、伝えたかった。……好きや、って」
頭を殴られたような衝撃だった。どこかで、あーちゃんの好意には気付いていたのに、知らないフリをして、あーちゃんと過ごせればそれでいい、と蓋をしていた。
「あー、ちゃ…」
「ミツくん…ボクな、ミツくんのこと、ほんとに本っ当に好きやってん。この片思いが、ボクの未練やった。最後に伝えられて嬉しいわ」
あーちゃんは恐る恐る私の方を向いて、その透けた手を私の頬に伸ばす。触れられない、感触も温度もないあーちゃんの大きな手が私の頬を撫でる。伝う涙を掬おうとして、出来なかった。
「好き。ミツくん。好きや」
「…そ、んなの…わたし、だって!」
噛み付くように応えるとあーちゃんはすまなそうに笑う。いつもの、クセ。
「ああほら、泣かないの。…でもなミツくん。ボク思うんや。幽霊が、……死んだ人間が生きてる人を縛るのはダメやって」
「あー、ちゃ…」
「ミツくん。さようならや」
あーちゃんが、透ける。
「待って!」
あーちゃんは、微笑む。手のひらの先、指からどんどん、見えなくなっていく。
「またな?ミツくんと過ごせて楽しかったわ。ボク、転生できるかわからんけど、もし生まれ変われたらミツくんと一緒になりたい」
「いか、ないで…」
息が苦しくて、涙が熱い。
あーちゃんを捕まえていたくて、手を伸ばす。
両手で、透明になっていくあーちゃんの体を抱きしめようとして、失敗する。
触れない。
どうしても、どうやっても。
あーちゃんと私が、前のように触れることが出来ない。
それが、生者と死者の線引き。
「バイバイ、光希ちゃん」
「あきらくん!!待って、や…いや、お願い!まって!!」
あーちゃんは、私のおでこに唇を掠めて、夕焼けと共に消えた。
時間というものは残酷で、どれだけ悲しくても朝は来る。
私は泣き腫らした目を隠すため俯きがちに学校へ向かう。
誰もいない、一番乗りの教室。
ぼんやりと、昨日いなくなってしまった初恋の彼のことを考える。
「……明野さん」
あーちゃんのことを考えていて、反応が遅れた。
「……えっ?」
声がした、後ろを振り向く。
「私、明野さんと、話してみたかったの」
そこには、同じクラスの女の子が私に笑いかけていた。
「最近、明野さん、明るくなって。それで、話しかけてみたんだけど……あの、良ければ友達にならない?」
『がんばれ!ミツくん!』
彼の、声が聞こえた気がした。