ノイズ
10
その後、岡崎の許可をもらってスハラさんの事を四人で話し合った。
「あたしはやっぱり納得できないわ、関係がないんだもの」
「なぜそこまでこだわるのだろう」
「そのスハラって先輩に会って話を聞くのも手よ」
「さらに詮索する気なのか」
「これでは終われないだろう」
四人とも、うっすらこれが彼の最後の心がかりだと分かっていた。
「大工屋はもういいんじゃないか。彼をフォローしてくれ」
予備校に通っている彼はこれ以上自由に動き回るのは難しい。岡崎の家をしばしば訪ねて慰めたり、話を聞いてあげたりするのが限界なのだろう。
「俺はちょっと難しいかな。そこまで行くのなら」
「うん。大工屋には謙介のカミングアウトを助けてあげてほしい」
「難しいな。それってのも」
「だから親友であるあなたに頼みたいの」
真剣な表情を向けられた彼は固まった。
「そこは大工屋が一番力を発揮できるんじゃないか」
僕の発言を受けて彼はしばらく考えて、
「上手く行くか分からないけど、やってみるよ」
「ダメだ。それじゃダメだ。彼には失敗する余裕がもうないんだ」
僕の後を追う人が居ずに、四人は再び黙り込んでしまった。
「大工屋も緊張しないで、自分のできる所から少しずつやってみたらどう」
「怖いんだよ。彼をうまくサポートできるかどうか」
今まで榊は黙ったままである。
「怖いのならば予備校でお勉強してきね」
突然の一言で大工屋が頭の向きを変えた。目には力が入っている。
「誰だって答えは分からないの。誰だって怖いの。でも、それで助けてやらなくていいの?そう思うならば予備校でしっかり勉強をすることじゃないの?時間の無駄だよ」
彼女は打って変わって真剣な話をし出した。
「んなことは分かってる!」
きまり悪くなったのか切れだした。彼の事だから無視したいわけが無い。
「落ち着いて、とにかく、大工屋はやってみる気はあるの?」
「このまま見放す気はない。だけど、」
「だったら、自分にできる事は何か、自分なりのやり方を考えてみることから始まるんじゃない?」
関が静かに問いかけた。
「榊、スハラ先輩のことはどうするつもり?」
今の彼女になら話は通じるかも知れない。
「二人でコンタクトをとってみるしかとりあえずやり方はないんじゃない?」
冷静に考えていたようだ。
「岡崎から連絡先はもらったけど、会社の連絡先だけだった」
「じゃそこに行ってみないと分からないじゃないの?」
「いきなり行くのか?」
僕の発言はどうもとんちんかんだったみたい。誰もが呆れた顔を見せてきた。思わず頭を下げた。
「そうだな。いつにするか」
「早ければ早い方がいいから、明日はどう?」
「明日?それこそ向こうは大人だから約束しておかないと」
「それは今すればいい」
「そんな簡単にって、おい」
と僕がためらっている間に、彼女はもうスマホを取り出して番号を入れている。
「もしもし、スハラさんをお願いできませんか。知り合いの同級生で伺いたいことがあります」
誰のと聞かれたのか、
「岡崎と言います」
「すみませんが、お願いします」
まさかの行動に三人は黙って注目するしかなかった。そこまで突拍子な性格じゃなかったのに。
「スハラさんですか?突然で申し訳ありません。高校の理科部の後輩で岡崎の同級生の榊と申します」
「岡崎から少し気になるお話を聞きまして、何かお力になれることがあればと思って詳しく伺いたく突然電話しました」
「直接の方がいいかと思いまして」
「できれば近い内に伺いたいのですが」
「今週末にですか?」
三人を見回してきた。三人は共に頷いた。
「ええ、お手数をおかけします。よろしくお願いいたします」
「彼は、」
答えに困った様子だ。岡崎には断っていなかった。
関が手を振って、眉を寄せながら頭を横に振った。
「彼は元気ですが、話を聞いて気になったもので、」
「ええ。分かりました。伝えておきます。ありがとうございます。失礼します」
完璧な対応じゃないか。初めてすごいと思った。
ただそれで上手くごまかせたのかどうかが微妙ではあった。
「ありがとう。連絡してくれて」
礼を言った。自分ならできそうにもない。
「岡崎の近況を聞かれてギクッとなった。どうすればいいかと思ってさ」
「やっぱり彼に直接伝えてもらった方が良いんじゃない。思いもあると思うし」
「そうだね、ありがとうあやちゃん、助かったよ」
「こちらこそありがとう。これでやっと事が進むわね」
四人はその週の週末に会社近くのファミレスで話を聞くことにした。岡崎に知らせようか迷ったが、言った所で外出できる体調ではない。エネルギーをためておいて欲しかった。
週末の約束の時間より三十分も早く四人はファミレスに集まった。喫茶店の時とは違って、服装は皆控えめなチョイスで、女性陣が香水を微かにつけただけだった。
しかしいくら待っても、スハラさんは現れなかった。
「どういう事?場所はここでいいんだよな」
「ここだよ。間違いないわ」
「もう一回電話したら」
「うん」
榊は電話を掛けたが、電源は切れたままだった。
「電源が切られてた」
「おっかしいな」
「どうする?」
「このまま待っても仕方無い。だって連絡がつかないんだろう?」
「そうだな。今日はもう無理だろうな」
そう判断して四人はまた家に戻った。家路に向かいながら疑問に思った。明らかにスハラさんを助けようとする四人との約束を自ら破る理由が思いつかなかった。何かがあったとしか考えられない。嫌な胸騒ぎがした。ベッドに入る時にはその考えも甘いと切り捨てたけど。
11
ノイズが少し入っていたが、今日も無事に通信できそうだ。じっとテーブルの前に座って腕時計の針が動くのを無心に見ている。この場所が都合よすぎた。
「ではー、定例会議を始めたいと思います。よろしくお願いします」
始まった。一気に自分の集中力を総動員する。ノートに文字が現れ始めた。今日も教頭か。
「八月の行事予定なんですが、」
八月の行事予定。あ、夏休み前の成績の確認があったな。学期ごとの成績を確認して、単位の見通しを立てる。上学期は夏休み前にもらう一枚の成績表で期末のテストの対策を練る人もいる。まあ、極力そんな事にはなりたくない。普通に勉強していれば余裕で合格ラインを通過する。後は通知表の点数の問題になる。この学校に私学推薦を狙っている人も多く、高校三年生に上がると途端に通知表の点数が話題になりだす。部活には三年生になりたてで、一学期の間だけ部活動へふらっと顔を出して、心配の種しかを植えて帰らなかった先輩がいたので事情は分かっていた。
ノイズが再び入った。今日の信号は良くない。ふとドアに目を向けた。外に物音はない。胸をなで下ろして続きを書き止めて。
「締め切りは八月の二週間目の土曜日までとします。先生方はそれまでにパソコンで入力を済ませるようお願いしておきます」
「部活動の事に関してですが、」
一番気になる事が耳に入ってきた。文化祭も控えて時期が近い。
「今年も各部活動を中心に文化祭を盛り上げていただきたいのですが、部活動の総括の先生は垣本先生と宇名原先生にお願いしています。ほかの部活動の先生方は設営と活動の計画書をお早めにご提出いただきますようお願いします」
「お願いします」
宇名原先生の声だ。今年の文化祭は派手な事ができなさそうだ。失望しながら名前だけ殴り書きで紙に記す。
はぁー疲れた。今日も運悪く当番の日に会議が入ってしまって、まともにプログラミングができない。大会が近いのに。あー。頭を抱えて部屋の天井を見つめた。うす暗いオレンジ色の照明だけが視界の中心にある。
12
夜になり、親は二人とも寝てしまった。ネットで好きな動画を見ながら時間をつぶしていた。
今宵も眠れない。そう思って処方された睡眠薬を一錠飲んでみた。
好きな動画も終わりがあるもんだ。眠れないでベッドの上を左に向いては右に向き、エアコンの温度をいじってみてはライトをつけたり消したり。
スマホを取り出して誰かに胸の内を話そうと思ったが、お相手は寝てしまったみたい。SNSは動かないまま二時間前で止まっていた。
ナイフを手に当てた時の感触を思い出した。楽しかった。
シャワーを浴びたら自分も眠れるだろうと思った。ナイフで正しく動脈血管さえ見つけられればそのあとは夢の中。
何度もそう思ってきかなかった。抗不安薬を処方の十倍飲んでみた。五倍じゃもう利かないだろう。睡眠薬も勝手にもう二錠追加してみた。ダメだと分かっている。そんなことは。ただ早く逃れたかった。じれったい心から、深い夜から、怖い願望から。
最後は親の絶望した顔も浮かんできた。朝。浴室で安らかに赤く染まった自分を見た時の顔。一瞬だけ心が痛くなった。そんな親不孝な。
それで辛うじて再び思いとどめた。ただ、お薬の効き目がまだ来ない。時間がかかることは調べて分かっていた。あと少しだけの辛抱だ。この量じゃ明日の夕方まで何も知らないだろう。
再びスマホを触り、今度は何をすればいいのか分からなくなった。好きな動画主の今日のアップは全て見終えた。今あの本を読もうかと悩んだ。
ある日の病院帰りに寄った本屋さんでBLの漫画を初めて買ってみた。書評アプリで高評価だったのが気になりマークしていた。たまたま見つかって買ってみた。
今から開いたって途中で寝落ちをしてしまう。やっぱりやめよう。
シャワーでも浴びてぽかぽかにしてみよう。温かさで血の周りが速くなるかも知れない。矛盾した考えが脳裏を駆け巡る。
シャワールームから出てきた時に初めてあくびをしてみた。効き始めたのかと心底から喜んだ。効き目の遅い睡眠薬だと分かった時からずっと不満だったのだ。
病院に行ってこよう。もっと強いお薬がないと危ないかも知れない。そう思いながらその晩はやっと目を閉じる事ができた。
13
地元に戻ってから仕事のまとめを進めつつ、稲葉の事がずっと気になっていた。何度か現状を聞こうとしたがやめた。聞いた所で自分は手を出せない。村上に相談してみることにした。何か良い方法がないだろうか。
村上と今日このレストランで簡単な食事をする約束をした。誘う時は怪訝そうな顔を向けてきたが、お世話になったお礼ですと言ってとりあえずごまかした。彼も納得していない様子だった。
食事の日、席に着くや、
「お礼などはあの日で言ったじゃないか」
確かに規模の大きな祝賀会は済んでいる。
「お礼に重ねて折り入ってご相談が、」
「そんな簡単な誘いだとは思わなかったよ」
単刀直入して良い空気だった。とりあえず人の事よりも、
「これからも続けていけそうですか」
「何が?モデルケースがか」
「はい」
彼女との距離感も意外と良かった。
「こればかりは上からのご指名を待つしかない。今の仕事の仕上げがあと一か月ほどかかるから、それからだな」
「何か聞いてませんか」
「いや、何も」
隠しているようには聞こえなかった。きっぱりと言われた。
「今の仕事に最善を尽くすまでじゃないか?俺はそうするつもりだけど」
「それはごもっともなんですが、」
「そのうち打診が来るだろう。教えてやるよ」
その言葉が欲しかった。
「ありがとうございます」
頭を下げて礼を言った。
「それだけ?自分の身の振り方だけで俺を呼び出したのか」
村上も複雑な人だった。それでことが済むとは思っていないようだった。
「さらに折り入ってご相談がありまして、」
今度は包みに包んで口に出してみた。このような相談をして良いのか分からなかったからだ。
「何かあれば言え、時間がもったいない」
そんな性格を知っておきながらあえて前置きをしておいた。
「知り合いの会社で大変な事が起きて、それが、」
事の一部始終をかいつまんで支障のない範囲で話した。村上の顔がどんどん暗くなる。手の前の料理にはもう手を伸ばさなくなってしまった。
「断ったのだろう?そんな簡単な事じゃないって判断がついて」
もちろん自分の判断が支持された。あえて他人の畑に足を踏み入れることはない。
「でも、友人で何かしてやれることはないかと思って、」
「俺らが食ってる飯は数字とドルマークだ。そんな簡単に助けてもらったり、助けたりできる業じゃない」
言いたい事はそれに尽きるだろう。
「先輩としてせめての事も思いつきませんか」
「いや、無いね。君からの話は口外せん、できる事はそれだけだ」
それができなければ自分が危ない立ち位置になる。
「今回の件は騒がれすぎた。挽回の余地なんかこれっぽっちも無い。ニュースにまで行かなければやりようはまだあるのだがね」
「やっぱりそうですかね」
二人して嘆き始めた。彼の境遇と彼の会社を。
その後も男二人して夕方のレストランで黙り込んでしまった。