部活の騒動
1
「つまらないね。毎日」
「仕方ない。受かってればな」
「気晴らしにどこか行きたいわ」
「高校に行ってみる?部活の後輩元気にやってるかな」
「え?高校?ただでさえ勉強から離れたいのに?」
「いいじゃん、後輩ちゃんに厳しい世界を教えてあげるのも先輩の親切ってやつだ」
「お前本気でそう思ってる?」
「悪い手本も時には必要」
「正気じゃないな」
高校を卒業してから二年が経ち、二人は未だ大学に入れず、一人は予備校で浪人、もう一人は自宅で勉強したりしなかったり。たまにはSNSでやり取りをして時には問題を送り合い、時には愚痴をまき散らしていた。どうも今回は気晴らしにどこかへ出かけたいようだ。
「宇名原先生元気にしてるかな」
「きっと熱気を帯びて仕事に更けてるよ」
二人の高校時代の担任宇名原先生である。学年では士気を上げ、モチベーションを保たそうという立場の先生役。どうも各学年で厳しい先生と優しい先生がバランスよくまとめられているらしい。クラスの大半の人からは暑苦しく思われていて、すごいことに本人もが認めて集会やらクラス会やらで公言している。
「お休み返上で学校大好きだもんな」
先生が休息をとる調整日にも大体職員室にいた。仕事大好き人間としても生徒に言われている。
「結局どうするんだ」
「他にあれと言った場所もないし、行くか」
二人は電車で高校に向かうことにした。慣れ親しんだ通学の景色が次々と目の前から流れていく。四月だからまだ冬の足跡が見え、しかし着実に春の息吹が吹き込まれている。通学路の両脇にある桜の木はもうすぐ薄紅色の顔をのぞかせようとしている。新入生の行事が終わりそうな時頃に二人は校門をくぐり、来訪者の名簿に名前を書いた。
「こんにちは」
とりあえず職員室で宇名原先生と久しぶりの挨拶。立ち話も何なので、腰を下ろそうと隣にある小さな応接室に通された。
「それで元気か?」
「はい」
「去年も残念だったな。感触としてはどうよ」
大学入試の開示結果は一か月先に分かることになっている。
「教科の偏りがひどくって英語とかは壊滅状態でしたね」
「現役の時さんざん英語をやれって言ったじゃないか」
現役の時のクラスの模試の平均点では英語が一番低く、英語に対する意欲が一番低かった。
「はい。今年こそ」
「今年も予備校?」
今度は隣で座っている大工屋に問いかけた。大工屋蒼汰、現役の時には趣味に没頭してしまい、高校三年生の時に基礎がすでに間に合わず、一年補ってみたものの、三年間の内容を底上げするのはそう甘くない。
「はい。自分だけで勉強するのは不安ですから」
「でも要領は分かってきただろう」
「なんとなくですけど」
「今日は気晴らしに来てくれたわけ?」
「はい。ほかに遊ぶ場所もないですし」
「あれだ、今理科部がすごいぞ。一回顔を出してみ」
理科部。もう一人の連れ、下林健が所属していた部活動だ。大工屋は三年間何も気の合いそうな部活動が見つからず、自分でグループを立ち上げたりしていたみたいだ。
「そうなんですか。あの理科部がですか?」
そういうのもおかしくない。一回OB会でエピソードを聞いて、それから自分の三年間の活動を思い返してみたら、ロクなことが起きそうにない。ただしロボット班は特例だ。
「そう。今学校中で大騒ぎしてるぞ。何かすごい大会に出るからとか言って」
「すごい大会ですか?現役の時にそんな規模のものは聞かなかったんですけどね」
「まあ行ってみたら」
「はい。ではこれで失礼します」
「二人とも頑張れよ。応援してるぞ、また顔出しに来い」
「はい」
二人は軽く頭を下げ、応接室から出てきた。
「行ってみるか?」
「行くも何もここまで来たし」
二人は話ながら部活の部屋に向かって行く。実際大工屋はあまり行ったことがなかった。人を探しに顔を覗かせることがあっても、どの部活動にも深く関わっていなかった。歩く足にためらいが見えた。
「大丈夫、ロクな所ではないけど、みんなフレンドリーだ」
「大騒ぎって何だろうな」
「さあ、一番規模の大きい大会と言ったらロボット班の試合と理科研究班の発表くらいで、ほかは地域交流と科学啓発のイベントだ」
「もしかして理科研究班の研究の実験で大騒ぎしているとか?」
「どんな実験だよそりゃ」
「爆発系とか?」
一回化学の授業でルビジウムをプールに投げ入れて大爆発を起こさせた映像を見て化学がすごいと思ったことがある。
「こんな場所でさせるわけないだろ」
「グラウンドとかでできそうじゃないか」
「部活の顧問がそういう事をしないって方針だよ」
「つまらないな」
「怪我でもしたら誰が責任を取るんだ」
二人は言いながら化学実験室に到着した。ドアのガラスから中を覗くといつになくみんなが慌ただしい。真剣な空気に穴をあけるのには勇気が要った。ここは慎重にこっそりとドアを開けて、一番近くにいる顔見知りに声をかけた。
「久しぶり」
「あ、下林先輩、お久しぶりです」
「今日はどうしたの、いつもはもっとのんびりじゃないか」
「また知らないんですね」
「何か大騒ぎしているらしいけど、詳しいことは」
「アメリカ研修ですよ先輩。すごいじゃありません」
「アメリカ?」
「そうです、アメリカで現地の学生と交流して、プレゼンテーションもして、今度はこちらがホストになります」
「こりゃ大騒ぎだな」
「ただアメリカに行って英語をがんばってしゃべってくるだけじゃないの?」
隣で先ほどの期待感を失って冷めていた大工屋が口を挟んできた。
「国外にクラブが行くのは俺が聞く限り今回が初めてだ」
「でも学校中をかき混ぜることはないよ」
「もっと詳しく教えてくれ」
「リーダーは石田先輩ですから聞いたらどうですか?」
「分かった、ありがとうね」
石田俊樹、三つ下の後輩だ。入って来た時から熱心に活動していて、みんなから頼られるようになり、文化祭の展示などは彼が中心に準備していた。ただ今年は高三になるはずで、この時期にアメリカに行くというのか。
「石田。元気か」
「下林先輩!ちょうど良かったです。これを見ていただけません?」
手渡されたのは厚みのある書類だった。ちょっと勉強を避けようとここに来たのにこんな物を読まされるのはどうもいい気がしなかった。でも、後輩の頼みだ、騒ぎ事に関係するかもしれない。気が乗らないままページを手繰っていく。
『アメリカでの発表素案 ロボット分野の研究テーマ バイオエタノール抽出実験の進展 プログラミング研修のシステム』
「お前これ日本語じゃないか」
「これから誰かに頼んで英訳をしてもらわないといけないんです。ここにはこんなレベルの英語を書ける人が」
「おいおい、これから行くんだろう?これくらい書けないと困るんじゃないのか」
「だから大騒ぎをしているんですよ」
「だから?」
「理科部の連中、学校にいる間は英語で会話するとか言い出したんです」
「ふーん。うまくいくはずもないのにな」
どうも大工屋はすでにこの件に対して全ての興味を失っていた。
「ところが、英語科の先生に太鼓判を押されて、毎週火曜日は全校英語で話すことになってしまったんですよ」
「はぁ?」
思わず叫んでしまった。周りから集まる視線を感じて少し頭をペコリと下げて会話を続けた。
「授業が成り立たないだろう」
「それが都合のいいことに、授業中だけは日本語が認められて、授業以外の休み時間はすべて英語がベースになってしまったんです」
「都合がよすぎるだろう」
大工屋が少し蔑むような目線を向けて来た。
「ですよね。最初のうちはみんな新鮮感を面白がって適当に話して楽しんでましたけど、今じゃ口は禍の元になってます」
「そりゃそうなるわけだよ。高校レベルの授業の英語だけで英会話とかに対応できるのは英語を話してきた人間くらいだ」
「それで学校中に翻訳ができる人を探しつつ、理科部がその火消しに忙殺されています」
「翻訳は先生に頼めば済むじゃないか」
「英語科の先生にすべて断られてしまって、自分たちが言い出したことだから自分たちで頑張りなさいと」
「いいように使われたって感じね」
どこかのドラマで聞き覚えのある口調だった。
「そうなんです」
「そういえば、岡崎が英文科に進学したんだったよな」
「岡崎先輩ですか」
「そう。あいつならきっと大学の暇つぶしにやってくれるよ」
「知らないんですか」
「また何を」
「岡崎先輩は今家でふさぎ込んで重病説ですよ」
「岡崎が病気だと」
大工屋の口調がいきなり強く、真剣になった。高校時代によく遊びに出かけていた。
「結構噂で回ってます」
「いや、大学三回生だぞあいつ、噂が回るって」
岡崎謙介、高校の時から成績が優秀で、かつこの部活動の部長を二年間勤めていた。高校在学中に各種資格も取って、進路も文句なしの第一志望。誰から見てもバラ色の高校時代だった。あの岡崎が重病で家でふさぎ込むとはあまりにも信じたくなかった。
「先輩みたいに結構いらっしゃるんです」
「いつからの話だ」
「半年前から言われてましたよ。榊先輩と一緒にいらしたセキ?先輩から聞きました」
関綾香、同級生で部活動には所属していなかったけど榊と仲が良く、ちょくちょくここで長話をしていた。
「関が何って言ってたか」
「榊先輩といつものように長話をしてたら岡崎部長の話になって、今は家で外に出られなくって大変らしいって二人で心配してました」
「誰からもその話聞かなかったんだけどな」
同学年の部長が倒れ込んだことくらいどこかから耳に入っても全くおかしくないのに。
「それで英語の訳にも困っているわけ」
「そうですよ」
「こんなことになるくらいならやめておけば良かったのにね」
話題が戻るとすぐに冷めた口調に戻ってしまった。
「もう手遅れですよ。先方にはすべて手配が整ったって連絡が昨日入りました」
「あららかわいそうに」
もう完全に他人事になってしまった。彼をここに連れて来たことを少し後悔している。後輩にもうちょっと優しく当たれないものか。
「期日はいつ」
「お前、絡む気?」
自分の出る幕ではないのに、こういう状況を見ると心がくすぐったくなって騒ぎに混ざりたくなってしまう。今回は影武者でもいいだろう。大工屋の言葉を無視して、
「いつまでに英語関係の準備を終わらせておかなければならないの」
「あと二週間くらいは余裕がありますけど、校内の抗議の声に対応する分全く進まないんです。ほら、また来ましたよ」
廊下から高三の連中が集まっていた。
「迷惑なんだよ、こっちは受験で英会話なんぞ要らないのに」
「英語部が言い出すならわかるけど、お前らに言う筋合いはねぇんだよ」
「早く先生を説得しろよこら」
言葉がどんどんエスカレートしていき、空気が一瞬に変わってしまった。
部員が急いでドアに向かって鍵を内からかけて離れていった。
「いつもこうしてるの?」
「そうなんです。誰も反応しないとわかってから五分くらいでとっとと退散してしまいますけど、根本的な解決にはならないんですよね」
諦めている顔を見て担任の顔を思い出した。なんだかこの騒ぎを楽しんでいるのではないだろうか。
「顧問に頼めばほかの先生とも交渉してもらえるんじゃない」
「肝心の顧問は捕まらなくなってしまったんですよ」
「捕まらない?」
「会議やら早退やら出張で、この一週間捕まってません」
「ここまで来ると笑えてくるね」
また冷やかす大工屋を睨みつけて黙らせた。ただ口元は上がったままだった。
「どうすればいいのかみんな手詰まりなんです」
「英語の件はとりあえず分かった。手伝えるならまた連絡する。それよりも岡崎の件が気になるんだよ。もっと何か聞いていないか」
「あ、あと一回引っ越しをしたみたいで、現在の住所を知ってるのはセキさんくらいかと思いますよ」
「どうして」
「自慢げに話してました。今彼が頼られるのは私くらいだから嬉しいだと」
「関がそんな話をしてたのか」
大工屋がまた不思議そうに口を挟んできた。確かにただの同級生としては変な発言のように思える。
「確かにそう聞こえましたよ、でももっと詳しい話はさすがに分かりませんが」
「そうか。ありがとう」
疑問を心に押し込めてとりあえずその後も企画書と睨めっこして一時間が経った。
「そろそろ出ないか。これ以上はどうしようもないだろう」
一時間の間は文言の修正や内容の訂正をして、日本語の原稿としてはほぼ完成に近づけられた。
「そうだな。しばらくまた大変だろうけど、頑張れよ」
「はい。ありがとうございます。助かりました」
「また何か手伝えることがあったら顔を出すから、応援してるぞ」
「本当にありがとうございました」
あえて部員には自分の現状を告げなかった。みんな自分のことを抱えながら他者と関わっているから大変なのはお互い様のように思えて、現状報告の意義を見失ったから。
ふと思い付いてあることを聞いてみた。
「ところで今の部長は誰になったのか」
先ほどの感謝の表情から一変し、石田の顔が固くなった。
「部長ですか」
「そりゃお前か」
「いえ、今部長は不在ってことになってます」
「部長がフザイ」
「そうです。やりたがる人もいないし、選びたがる人もいないので、話題に上らずに今はいないことになってます」
「それでうまく回るのか」
「御覧の通りですよ。各部門でリーダーは昔からのようにいますのでそれぞれの区画で頑張ってます」
「それなら必ずしも部長は絶対にとは言わないけど、今まであったのになぜ今はないの」
返事の声が心なしか少しずつ小さくなっていく。
「部長会があるからですよ」
「ブチョウカイ」
ここでチャームが鳴りだした。最終下校時刻の十分前で、各部活動、各自習室で下校準備に入る決まりになっている。
「あ、その話はまた今度でいいわ。片付けを早くしてくれ。ここの部活は今も目がつけられているだろ」
石田が苦笑いをして、
「ご存じのとおりでそこも変わりません」
そう言いながら急いで機材や資料を片付け始めた。ここの部活動は活動の範囲が広く、その割には部員がマイペースでゆったりと活動をしているので、計画性がないわけではないがいつも定刻に終わることはない。酷い時には最終下校の三十分後に下校することもしばしばあった。教師巡回の時によく叱られていたことから校内の部活動生の中でちょっとした話のネタになっていた。
学校を出て、二人は駅に向かいながら自然と岡崎の話をし始めた。
「関がなぜ岡崎の事なんか知ってるんだろう」
「二人が付き合ってた噂知らないの?」
「あの二人が、付き合う?」
「高校二年の時の文化祭で共同作業しているうちに付き合うようになったみたい」
「はぁ?親友なんだから一言くらい言ってくれよ」
「実際詳しく知っている人はあまりいないみたいだ」
「あいつなら隠すことないのに」
「確かにないね。文句も小言も言われないだろう」
「んで、とりあえずどうするんだ」
「関に連絡を取って話を聞いてみるか」
「連絡ってどうやって」
「友達の友達ってやつだ」
「ツテがいるのか」
「聞いてみなきゃわからないじゃない」
「じゃ頼んだ」
「え、全部俺が捜すのか」
「言い出しっぺがお前なんだからそうに決まってるじゃない」
「お前も興味津々なくせに」
確かに岡崎に関しては下林よりも大工屋の方がよっぽど興味津々だった。トークのトーンが先ほどと明らかに違う。
二人はツテが見つかった時にまた会う約束をして駅で別れた。
駅でしばらく待っていたら制服を着た石田らがやってきた。駅の時計を見ると、チャイムから三十分過ぎていた。
『やっぱり』