盟約の四翼
アグラン=ヴェノール。彼は、先々代ネスティア王国宰相ベスティナ=ジェム=ヴェノールの子として産まれた。
ネスティア王国きっての貴族、クチシア侯爵として、代々宰相の役職についていたこの家の息子として生まれたアグランに求められていたのは、政治技術だけではなかった。
軍事、経営、社交、政治。ありとあらゆる能力を求められ、罪に問われない賄賂の加減を学ぶ頃には、彼は宰相に就くには十分な才覚を顕わしていた。
当時、アグランは13歳。ネスティア王国内では指折りの天才児だった。
時の宰相ベスティナは、それがゆえに欲をかく。アグランに魔法を学ばせよう。武道に関しては心得のない侯爵家だからこそ、理論だけわかっていれば扱えそうに見える魔法というものを学ばせるのに、何の躊躇いもなかった。
そこで彼が目につけたのは、一つの役職に特化した魔法使い達。アリュート=ギド=メアとペネホイ=テスターという、『拷問官』と『葬儀屋』だった。
彼らと彼らの連れてきた二人の身内。その絆の形は、貴族の家で生まれ、厳しい訓練を得てきたアグランには、とても魅力的に映った。
それがゆえに、彼は彼らに憧れ、彼らに近づこうと彼らの魔法を模倣した。
アグラン=ヴェノールには魔法の才覚はない。それは、四人全員が共通認識として持っていることだった。
「そもそも、政治家は魔法使いには向いていないんです。」
フィナは何度、彼の父に直談判したかわからない。それでも魔法を教えることを止めなかったのは、教える代わりとしてもらう料金が高かったのだけではなく、彼らを憧れの目で見るアグランが可愛かったからだ。
その感情が、フィナ達にアグランの魔法教育を投げ出すという結論には至らず、いつまでも面倒を見続けさせることになった。
政治家は、現実を見て、現実をどう維持し、どう変えていくかを、常人的な視点で見る技術を基礎とする。それに対して、魔法使いは異なる。
魔法使いは、現実を通して理想を描き、どう実現するかを、超人的な視点で選び取ることを理念にする。政治家が保守を基本としなければならないのに対して、魔法使いは革新を基礎としなければならない。
その基礎的にして致命的な差異は、アグランをひどく苦しめた。アグランはどう頑張っても炎が宙に浮くということを思い描くことが出来なかった。水が質量を大きく変えることも、目に見えない風が鉄を切り裂くことも、全く予想が出来なかった。
アグランは今、魔法が使えるわけではない。ありのままに見たものをありのままに再現しているだけだ。
フィナが湖を圧縮するのを何度も見て、それを再現してみせている。ペネホイが炎で人を焼くのを見て、それを再現してのけている。
彼は、無いものを思い描くことはできなかったが、見たものは鮮明に思い描けた。
彼は、ケイ=アルスタンという男が魔法を習っているのを知っていた。軍人は堅実をモットーとする政治家と違い、革新的な思想をこそ求められる。
勝つという目標、そして勝つために受けられる被害まで決められておきながら、そこに至るまでの過程は丸投げされている。その点で、軍人は政治家よりも理想的な思想が求められているのだ。
幼馴染の二人は、どうすればアグランが魔法を使えるようになるか、二人で必死に検証した。その幼い頭を限界まで振り絞り、だからこそアグランは、見たままに真似をするということを覚えた。
限定的ではあるものの、魔法を使える政治家。その価値は計り知れない。
衛兵をたくさん置かなくても、国王の隣にいやすい役職を与えるだけで立派な護衛として機能できる。
しかもそれが、もともと次期国王の幼馴染で、元帥の家に生まれたものとも仲が良く、まだ若く、そして国内きっての優秀な四人の魔法使いの教え子である。
当時の宰相との敵対勢力であれども、アグランに対して期待をしていた。まだ仕官していない彼が、それでも背負っているものは重すぎた。
アグランは次第に、彼のことを最もよく知る六人に甘えるようになった。王太子フェドム、幼馴染ケイ。アリュート、フィナ、ルドー、ペネホイ。彼らに甘えている間は、彼も背負わせられた重責から目を背けることが出来ていたのである。
フェドムが国王になった時、アグランはフェドムにもたれかかるのを止めた。彼が背負ったものがどれほど重いか、幼馴染として近くにいた彼はそのプレッシャーにようやく気付いたためである。
それからは、アグランも自分で地に足をつけて歩き始めた。彼はもともと優秀で、仕事に関しては手を抜くこともなかったため、宰相にまで持ちあげられるのも早かった。
アグラン=ヴェノール30歳の頃のことである。
「アグランよ。そなたは結婚せぬのか?」
ケイに自分の妹フィーレ=ヴェノールを嫁がせたその翌日、彼は国王にそう問われた。クチシア侯爵家ほど家格の高い家にもなると、30代までに結婚していないなどありえない。実際、彼の弟二コラはすでに結婚し、一子をもうけていた。
「ええ。私はどうやら……飽きやすいようですので。」
花街などは付き合いで行ったことは何度もある。しかし、彼は同じ人間を指名したことは一度もない。
貴族の権限を使って農民を凌辱したこともあるし、商人との交渉で賄賂の代わりに女性を味見したことも何度もある。
それでも、彼は特定の誰かに気を持っていかれたことはない。おそらく、常に重圧にさらされた人生とその期待に対して、すでに甘える人がいたからであろう、とアグランは思っている。
『歯止めなき暴虐事件』にケイが出兵要請を受けたとき、アグランは声高に「彼だけを行かせるわけにはいかない」と声高に主張した。
その時すでにケイは中位の龍を討伐していたから、彼の実力は折り紙付きだったものの、アグランは何か不安だったのだ。
具体的には、出兵要請者のリスト。ケイだけに出兵要請されているならアグランは気にならなかっただろうが、実態は全然違う。ケイに匹敵するような猛者、そうでなくともアリュートと戦えるような強者たち皆に出兵要請させられていたのだから。
当時宰相にまで駆けあがっていたアグランは、元帥まで出世したケイの後ろで彼を支えるものという意味を込めて“盟約の四翼”と呼ばれていた。それは、アグランが自称した名称である。元の意味は違う。アグランを支える四人の翼。そういう意味が込められた言葉が“盟約の四翼”である。
結果としてアグランは、己が『歯止めなき暴虐事件』に参加してよかったと、そう感じていた。自分がついていかなかったら、ケイは結局自分で民間人を殺す判断が出来ず、民間人に殺されていただろうと。
あの戦場に、正義などなかった。だが、正義という大義名分がなければ戦えないケイに対して、そんなことは言えない。そうこうしている間に、ケイとアグランの間に、埋められない溝ができ始めていた。
しかし、そんな溝も、簡単に目に入らなくなる、そんな出来事が事件後にあった。
アグランの妹、フィーレの出産である。生まれた娘は、テナと名付けられた。
アグランは、この娘を自分の娘のように溺愛した。それこそ、“四翼”に向けている依存性をすべて彼女に向けるかのように、溺愛した。
彼の愛は、若干暴走していたといえる。いや、暴走していたというより、極端であったのだ。
彼は、彼女を愛するからこそ、自らの求められた水準の能力を与えたいと思った。彼は、自分の娘ではない3歳の少女に、色々な習い事を押し付け始めた。
「ねえ、おじさん。テナ、魔法が習いたい。」
彼女が彼に対してそう言ったのは、テナが五歳の時。しかし、すっかり父親気分になっていたアグランは「ダメだ」と言った。
「どうして?」
「立派な政治家はね、魔法が使えないんだよ。私も魔法が使えないから。」
政治家になるとは一言も言っていなかったテナに対する押し付けは、テナの心を遠ざけた。アグランに対する不満と、それをどうともしない両親への不満。
そんな中、テナは七歳になって家の隠し通路を見つける。
「そうだ!テナ、冒険者組合員になる!」
父、母、叔父。そんな彼らに囲まれて、テナは相当参っていた。だから、彼女はそんなことを口走り、そのために行動し……。
父と叔父を殺すために行動している冒険者組合員、シーヌ=ヒンメル=ブラウと出会った。
ケイの希望は打ち砕かれ、彼の人生は否定された。それによってケイがシーヌに討たれる未来は確定的で、それを阻むためにはアグランが頑張らなければと心を奮い立たせる。
ケイは、ずっと使っていなかった杖を支えに立ち上がった。どうやってでも、何としてでもケイを助け出し生き残らなければと心を奮い立たせる。
アグランは、一度見た魔法なら再現できる。だからこそ、さっきティキが見せた魔法を再現しようと集中をはじめて。
ティキはまだこちらに気付いていなかった。だから、湖の水の支配権は完全に手放されていて、今ならつかみ取れると思っていて。
左手に、炎がぶつけられた。それは服に燃え移り、どんどん体が炎に包まれる。
反射的にアグランは誰がやったのかとそちらを振り返って。
「なん、だと?」
そこにあったのは、小さな炎と、その後ろに立つ小さな姿。
「お姉ちゃん!」
ティキが、その声に反応してアグランを振り返った。そして、燃えた炎がどんどん燃え盛るよう、イメージを作り上げる。
テナはその手助けになれば、と火を次々と作り出してはアグランの方に放っていた。
「国王陛下!」
ティキは、彼女に最も近い者に、彼女の行動を止めさせるように訴える。
テナはまだ七歳の少女だ。人殺しを覚えさせるのも、現場を見せるのも、どう考えても早すぎる。
ティキの訴えを聞いて、フェドムはすぐさま行動に移した。
とはいえ、出来ることは少ない。フェドムがやったのはただ一つ。テナに覆いかぶさって、その視界を己の肉体で覆い隠したのみ。
「な、ぜ、だ!!!」
アグランは、己が愛する少女に殺されるというその理由を理解できぬままに、守るべきケイをおいて、死んだ。
最後にティキの補助こそあったものの、アグランはテナの火に覆われて、勝手に燃え尽きてしまった。彼が、絶望しなかった、そんなわけがないだろう。
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