葬儀の紅翼
“葬儀の紅翼”、ペネホイ=テスター。“悪夢の暗翼”アリュート=ギド=メアの親友にして、“伝達の黄翼”ルドー=ゲシュレイ=アトルの補助要員、そして“湖上の白翼”フィナ=ギド=アトルの最大の理解者。
逃げるワデシャ=クロイサを追いながら、ペネホイは思う。人を燃やし続けるのが人生だった。人を灰にし続けるのが人生だった。
だからこそ、親しい友人を、相棒を、灰にしてしまうのではないかと恐れてきた。
超高熱の空気の塊がワデシャの頭上を掠め、それでも微妙に当たらない。そんなことなど気にも止めず、次々と炎と熱を生み出しながら、ペネホイは過去を思い返し続ける。
アリュートが自分を気に入ってくれたおかげで、とても楽しい人生だった。ペネホイは、自分達がシーヌたちに勝てるとは思っていない。
せいぜいセーゲル勢を討ち滅ぼすくらいが精一杯で、冒険者組合員を、6人も相手取って勝てる道理はないと弁えている。
目の前で自分から逃げ続けている男、ワデシャ=クロイサ。“溶解の弓矢”ガレット=ヒルデナ=アリリードに比肩する弟子。
“必中”と“竜殺し”の三念を持ち、遠隔攻撃に特化した半魔法使い。彼も、決して弱いと侮ることはできない。
そもそもにして、ガレット自身がルドーやフィナと同格の強さを誇っていたのだ。自分達より若かった彼が、今自分達より弱いわけがない。
広範囲に渡って高密度の熱風を発生させる。触れただけで皮膚が爛れ、全身を焼き付くして悶えるはずの、圧倒的な熱量。しかし、ワデシャは何かに護られたかのように涼しげに、ペネホイに向けて矢を放ってきた。
アフィータの“三念”。“庇護”による強制防御。アフィータは、“庇護”による防御をすべてワデシャに割いて、兵たちには“奇跡”による補助を与えている。
ペネホイはそれでも気にせずに、炎を叩きつける。燃やせば勝ちで、燃やせなければ負け。それだけがわかっているなら、ペネホイには他はどうでもいいことだ。
過去に後悔はあまりない。ペネホイはそう思いながら、飛んでくる矢を燃やし、反撃の炎を投げる。
意識は遠く、過去の情景ばかりが浮かんでは消えていく。これはきっと、死ぬ前の走馬灯だろう。
それが、死ぬよりも10分以上前に訪れただけだろう。
「フィナ……。」
死にまみれていた。四翼の中で、最も血にまみれていた。
ただの諜報担当だったルドーでも、ただの記録者兼解析者だったフィナでもない。
拷問官だったアリュート以上に、ペネホイは、人の死と身近に歩いていた。
地面に降りて、走る。ワデシャとの距離は徐々に近づき、その分狙いをつけやすくなった弓兵による狙撃が続く。
小さな、小指の先ほどの棺を投げた。葬儀屋であるペネホイは、棺に人を納めることもプロであり、魔法で再現までしてのける。
死体のあったルドーの亡骸は、自分が焼いた。遺体のなかったアリュートは、遺品を焼いた。
遺品のなかにあった、ペネホイ宛の一通の手紙。
『フィナを妻にする気はないか?』
そう。一度確かに渡されて、一度確かに突き返したその手紙。
あれだけが、フィナという唯一自分と話した女を妻としなかったことだけが、ペネホイの中で後悔として残っている。
「40年近く前の、後悔ではあるが!」
60を超えた。もうそう長い寿命ではない。
それだけ。それだけが後悔として残っていて、だからこそペネホイのその想いが教え子には窮屈に見えたのだろう。
気に入った女は全て権力の力を使ってもらい受ける。教え子は、とんでもない好色家に成り果ててしまったが、影響を与えなかったとは言い難い。
ペネホイは既に、ワデシャの目の前まで迫っていた。拳を握りしめて、熱を纏わせながら真っ直ぐに突き出す。
ペネホイは、格闘術の心得はそれほどはなかった。せいぜい、一般兵士基準だ。
だが、遠距離戦闘では本職であるワデシャにわずかに分があるため、接近戦を、それこそ過去を思い返す前から狙っていた。
「……なに?」
回想から帰ってきたペネホイは、目を見開く。体が、制御を離れて宙に浮いていた。予想外どころか、全くいつ何をされたのか、理解が追い付かない。
しかし、考えればわかることだ。ワデシャ=クロイサと言う人間が、ガレット=ヒルデナ=アリリードの弟子である彼が、いくら本職ではないとはいえ、近接戦闘を行えないわけがないのだから。
呆けてる暇はなかった。投げ終えた姿勢から矢を手に握りこんだワデシャは、そのままペネホイの心臓めがけて、真っ直ぐに貫きにかかってきたのだから。
あわてて翼で飛翔を制御し、その場を離れる。ペネホイが空中へ逃げるとともにワデシャはすかさず地面から投げだした弓を拾い上げて、矢をつがえ、放つ。
ペネホイは、過去の回想のなかでは戦えないこと、敗北が必至であることを悟った。同時に、高熱を自分の周りに纏わりつかせて結界にする。
ペネホイは、足掻きの想いを必死に込めて、戦う。死と近すぎたがゆえに、想い人を幸せにできる未来が思い浮かばなかったペネホイにとって、目の前のワデシャは眩しい。
彼は、血と裏切りと借金にまみれてなお、恋人と隣で戦い、果ては結婚するのだ。
ペネホイが得られなかった幸せを、ペネホイが得られなかった開き直りを、ワデシャは完全に克服している。それが、ペネホイには羨ましかった。
妬み。それは、ペネホイがルドーにすら抱かなかったもの。アリュートにフィナとの結婚話を持ってこられた後、一年後にフィナは婚約し、その半年後に結婚した。
ルドーはネスティア王都で国王の耳に入るほど有能な諜報官で、しかも見たものを自力で必ず持って帰るという点で、情報の信憑性の高さから信頼される男だった。
全ての情報を記録していく記録官たるフィナとは、さぞ相性のよかったことだろう。子供も生まれた。いいことだ。
初恋にして最後の恋の相手を取られたというのに、ペネホイの心は微塵も揺らがなかった。それは、それまでの割りきりもあったし、もう十分だという思いもあったからだが、……ペネホイは、心に蓋をするのが上手すぎたのかもしれない。
ルドーを燃やして、フィナが泣いた。あのときはじめて、フィナを泣かされたことへの怒りが沸いた。
そう。まだ、彼は初恋に蓋をしただけで、終わってはいなかった。
だからというでもないが、今は負けられない。フィナがアフィータに勝つことは可能だとペネホイは信じている。だが、そのためには、この男がセーゲル軍に戻らないことが必要条件だった。
「強いな、ワデシャ=クロイサ。」
ポツリと呟く。聞き取れるほどの大きさだったのだろう。ワデシャの方が、手を止めてこちらを見上げてきた。
「私は自分の分を弁えましたよ。」
若いのに。そう言葉にしかけて、ワデシャはグッと飲み込んだ。
若かろうが老いていようが関係ない。魔法とは、意思の強さが強さの基準だ。今、分を弁えてしまったということは、色々諦めたと、そういうことなのだろう。
遠くで轟音が響いた。セーゲル軍と王都軍は、なぜか拮抗している。
アフィータの奇跡が、数の差程度なら押し返してしまっているのだろう。そもそもルックワーツの超兵によって鍛え上げられた、凄腕の兵士たちである。いくら王都の精鋭とはいえども、腐っても『セーゲルの精鋭』と呼ばれた彼ら、簡単に破れたりはしない。
他の王都の精鋭は、善戦していた。もう戦闘開始から10分近く経っているのに、まだ千名ほどしか減らされていない。
冒険者組合員を、4人も相手してその被害なら、善戦どころか、かなり粘っている方であった。
カラフルな四枚の翼。主、アグランとその相手、ティキ。彼らの戦いは、持ち合わせる手練手管を全く使わず、ただただ火力のごり押しで戦っている。
両者優れた魔法使いであるがゆえに、大味な展開になっているのだろう。
ケイ元帥とシーヌ=アニャーラ……今はシーヌ=ヒンメルだったか?は、その盾と剣を、その双剣を打ち合わせ、空中で二度三度とぶつかり合う。やはり、どこも。戦いは苛烈で、そして現実的ではない。
「確かにあれを見たら、自分の分も弁えるか。」
思った以上に話している自分がいて、ペネホイは戸惑う。アリュートやフィナであっても、二言以上会話を続けることはもう稀だ。
しかし、どうやらその稀によって、ペネホイは時間稼ぎという目的が果たされそうになっていた。
たまに思い出したかのように矢が飛んできて、思い出したかのように炎を投げながら、ペネホイはワデシャを観察していた。
「どうして、お前は戦う?」
「勅命ですからね。宰相と、元帥を討てと。」
弓が、放たれる。それはペネホイの結界のスレスレを狙って放たれていたが、途中で燃え尽きて後方にすら飛んでいかない。
おそらく、熱の結界の限界を調べているのだろう。何度も何度も溜めて放たれる矢は、不屈の闘志に満ちていた。
ペネホイの魔法は、アフィータの“庇護”によって完全に防がれている。ペネホイも時折炎を投げて崩れないかを試しているし、1度ごとに威力を上げていっているが、全く破れる気配がない。
ワデシャとペネホイの戦いは、静かに、しかし時を負うごとにより危険に、エスカレートしていっていた。
その戦闘は、五分と五分。傍目から見ても、当人たちもそう思っていただろう。どちらが勝つかわからない、と。
しかし、フィナは、そのとき既にその勝負の行方を理解していた。勝ち負けは、その勝敗は、完全に自分にかかっていることを。
ペネホイは、一人で守りと攻撃をやっている。しかし、ワデシャは違う。守りは完全にアフィータに任せ、攻撃だけを行っている。
ワデシャとアフィータは、その命を任せ合うことが可能なくらい信頼している。それがゆえに、アフィータの護りはワデシャの護りであり、ワデシャの攻撃はアフィータの攻撃であった。
そう、それを指し示す惨状は、すでに王都の精鋭たちを襲っている。
ワデシャは、自ら手を引かずとも、弓を作り出し、矢をつがえて放つという、シーヌに与えられた課題を、成し遂げられるようになっていたのだから。
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