護りの聖女
アフィータ=クシャータ。セーゲルにあって、『彼女は外に出るから、自身に疑問を持つ』と言われた女。
彼女はそもそもにして、セーゲル聖人会の聖女と呼ぶにはふさわしくない、一つの、そして最大の傷を持っている。
何のことかは言うまでもない。ワデシャ=クロイサとの婚約、それに伴う結婚だ。
しかし、セーゲルから出たことのない彼女がワデシャと結婚することを、街のあらゆるしがらみを無視してそこに至ることを、彼女が自分に許せたことにも、理由はある。
彼女の幼少期。小競り合いが始まるよりも以前。セーゲル、ルックワーツともに滅びの危機に瀕したことがある。事件の名を、『竜の大地消滅事変』。これによって、アフィータの人生は大きく一変したと言ってもいい。
アフィータの父は、聖人会の書記官だった男である。バグーリダ追放のおり、彼の監視役として抜擢されその職に転職した彼は、アフィータを残して、妻もろともに死んだ。
アフィータ、実に4歳。両親の記憶は、すでにない。
バグーリダ=フェディア=セーゲル。彼が冒険者組合員である以上、たとえ隠居しても、争いごとは絶えない。
その争いに、クシャータ夫妻は巻き込まれて、死んだのだ。その責任は、当然の摂理を理解できなかった聖人会に向けられた。
アフィータは、聖人会の共有財産として育てられた。
ある意味、ワデシャと同じ環境で生きてきた少女の転機が、そう、『竜の大地消滅事変』である。
この事件は、竜の里と呼ばれていた一帯……、『竜の谷』『竜の大地』『竜の泉』『竜の砂漠』を統治していた中位の龍が、少し散歩に出ている間に起こった事件だ。
主がしばらく帰ってこないと思った竜たちが、主の意向を無視して暴れだす一派がいた。『竜の大地』に住む十数体の上位の竜とその配下の数百体の中位の竜たちである。
竜、あるいはその上位の存在である龍というのは、いわゆる食物連鎖の最上位種である。それがゆえに、彼らの思考は常に傲慢なものである。
要は暴走の理由は、ただの不満。人間たちかま地上を跋扈し、自分達があくまで竜の里から出ないことに業を煮やした竜たちの、反乱劇。
セーゲルは、最もその竜の大地に近いところにあった。隣接しているルックワーツも、同様だ。
クトリスにまつわる全ての騒動も、その立地あってのものであった。竜とは、その気まぐれさも含めて人間の災厄である。
竜の大地に住まう竜たちの、暴走。それはセーゲルを、滅びの危機にまで瀕させた。当時の“要塞の聖人”は竜のブレスまで防げるほど強力な護りは使えなかったし、エスティナ、キャッツ、バグーリダといえども複数の上位の竜を相手どることは、背後に守るべき者がいてはできなかったのだ。
そのとき、彼らの窮地を救ってくれた碧い髪の女性。バグーリダを追ってセーゲルまで来た、海を思わせるような底のしれない魔法使い。
「幻想展開・白銀世界」
彼女が使った、竜の大地を一掃してしまった、恐るべき魔法。氷の槍があらゆるところで竜に襲いかかり、意思を持つかのように敵を追い続け、氷柱の雨が降る。
雪の一粒一粒は竜の体温を大きく奪い、舞い踊る風は少し吹くだけで竜の鱗を傷つけて……。
そう、アフィータは、私は、それを目の前で見ていたのだ。強すぎて、強すぎて、決して真似できないように思ったけれど……私は、聞いた。
「どうしたらお姉さんみたいになれるの?」
セーゲルに滞在していたとき、初めて夜に布団から抜け出して、お姉さんに聞いた。
お姉さんはじっと私を見つめて、こういったのを覚えている。
「あなたを強く思い浮かべて。憧れでも、夢でも、希望でもいい。それがあなたの中でしっかり形になったとき……あなたは、きっと私みたいに強くなれるわ。」
あれから、ずっとずっと、問いかけてきた。私とは一体何なのか。26を越えた今でも、問いかけ続けている。私は一体、何なのか、と。
私は“護りの聖女”。三念は、“庇護”。でも、ティキさんを見て、シーヌさんを見て、王都にすむ貴族達を見て、思う。
庇護とは、自分より弱いものを守るために使う言葉だ。なら、私は?私は本当に、セーゲルにいる兵士たちよりも、愛するワデシャよりも、強いのか?と。
答えは、否。私は、“庇護”の三念を使う資格など、ない。
アグラン宰相に倒されたときに思ったのだ。私は弱い。兵士たちを見て、兵士たちとともに戦って、一緒になって肩を寄せあって、はじめて威張り散らせる井の中の蛙だということを。
思えば、私がはじめて自分の無力を感じたのは、18歳の頃だったと思う。好敵手だと勝手に思っていたワデシャが、セーゲルに降伏してきて2年が経った頃。
ガレットが私を射た矢を、彼が身を呈して庇ってくれたとき。私は人生で初めて私を護ってくれた、ワデシャ=クロイサに恋をした。そう。初めて、護ってくれたから。
『竜の大地消滅事変』では、規模があまりに違いすぎて、無力を感じる暇もなかったのだ。あの頃の私は、幼かった。
私を庇ってくれた彼に、私はなぜ?と思った。今ならわかる。
セーゲル聖人会において、私だけが唯一、『私とはなんぞや』ということを問いかけ続けていたメンバーだ。エスティナ様やキャッツ様はもうご自身を確立させていたし、放っておけば死ぬような高齢であられた。
ミニアは、自分の確立はできていない。今の立ち位置に満足している。セーゲル聖人会とも、冒険者組合とも違う、ただ一人の人間としての在り方に十分に満足していた。
そうだ。私は、今はもう、私に満足していない。決して自分に満足できないと、私は今知っている。
私たちを待ち受ける、罠へと一歩一歩近づいていく。私たちと共に歩く兵士たちは、不満と恐怖で身を竦めさせながら行進している。
私は、しっかりと手を握った。ギュッと、強く強く。
セーゲルのため。私の住んだ、これから生きる、街のため。
ティキを見る。あの人にとてもよく似た顔立ちの、雰囲気のあまり似てない女の子。
「大人に、ならないとね、私も。」
ワデシャ。あなたと一緒になれてよかったと、心底から思う。きっと、彼は、私の変化に驚くだろう。
歓迎してほしい。今だからこそ、アフィータはそう思った。
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