夫婦の恋情
ティキが目を覚ましたとき、シーヌはまだ眠っていた。
その穏やかな寝顔を見て、シーヌも本当は年相応の少年なんだ、と思う。
人生で二度目の、魔法の平行使用による脳の過負荷で気絶した。昔気絶してしまった入学式の日よりも、たくさんの魔法を使ったから、当たり前と言えば当たり前だ。
シーヌは、今のところ三つ以上の魔法の平行使用はしていない。それが彼の限界なのだろう。
私は、5つ。自分の身体の痛みを押し潰し、フィナを凍らせ、アリュートを叩き上げ、ペネホイを突き落とし、アグランに剣を射出した。
それは例えるなら、両手両足にそれぞれ羽ペンを持って、別々の書類を書くようなもので。
簡単には、できない。いいや、普通は、できない。そう、私は学校で習った。
魔法だから。実際に手を動かすという作業がないから、5つもの現象を同時に想像できる。でも、私はそれが限界だった。
「気を失っちゃったのに……。」
シーヌは私に、アグランと戦ってくれと言った。シーヌにとっても重要な役割であるところを、私に代わりにやってほしいと言ったのだ。
「期待には、答えないと。」
シーヌの手を両手で包む。アフィータから聞いた、『歯止めなき暴虐事件』を思い出してくる。
「この手で何人、取りこぼしてきたのかな……。」
命を、友を、家族を、仲間を。シーヌは取りこぼしてきたのだろう。その度に、無念を噛み締めてきたのかもしれない。
シーヌの想いはわからない。私の人生とかけ離れた苦しみだと思うから。でも、私も失うことへの苦しみや悲しみは知っているつもりだ。
「シーヌのことが、大切だから。」
失うということが、どう思わせるのか、私はよく理解している。私は、シーヌを失うことが怖いのだ。
だから、失わないためにも、シーヌの期待に答えよう、と思う。シーヌはきっと、ここ1ヶ月の連戦で疲れているから、そろそろ限界が来るかもしれない、とティキはわかっていた。
シーヌが微かに、身じろぎした。あ、もうすぐ起きるんだ。私はそうわかって身構える。
シトライアに辿り着くまでの約二週間で、私はシーヌの起きるときの予兆を読み取れるようになっていた。
「んっ、ん~!」
目を開けず、布団の中で強ばった身体をグイッと伸ばす。シーヌの頭が冴えきる前に、右手をそっとシーヌの左頬に伸ばした。
触れても拒絶する気配がない。よかった、と思いながら、シーヌが目を開けるのをじっと待つ。
アオカミに乗って旅していたとき、彼らが寝ているシーヌに噛みつこうとしたときがあった。
主である私とともに行動しているのが気にくわなかったのだろうけど、それはアオカミにとって悪い結果をもたらした。
生きてはいたけど、ボロボロだった。シーヌは寝ていても、自分以外には過敏に反応するらしい。
「私はシーヌの一部になれたんだよね。」
もちろん、手を繋ぐくらいしかしていないから、そこまで自信があるわけでもないけれど。
それでも、シーヌの人生に、欠かせない人物になれたんだと、そう思った。
「おはよ、ティキ。」
シーヌが目をうっすらと開ける。兄と違って、シーヌの目はとても優しい光を帯びていて、とっても心地がいい。
「おはよう、シーヌ!」
頬に唇を寄せた。キス、というやつだ。
驚いたようにシーヌは私をじっと見つめて、「ありがとう」と私の頬にキスを返す。
最初は、本当に都合の良さから結婚したけど。私たちは、きっといい関係を築いているのだろう。
布団から出て、冒険者組合のダイニングにでる。グレゴリー曰く「朝は燃えた家の被害とか色々あるから、見ない顔は出ないでくれ」らしく、用意された朝ごはんをポツポツと食べる。
シーヌは自分の隣から決して離れようとしないティキに苦笑を漏らし、「甘いな」と呟きながらスープをすする。
どうもティキは、ただ数日の別行動がお気に召さなかったようだった。
突き放すことを考えながらも、今のティキを「悪くない」と思ってしまっているシーヌは、もう彼女を突き放せないのかもしれなかった。
「シーヌ、先手を打たれたぞ。」
グレゴリーは、支部に入ってくるなりそう告げた。そこで、目の前に広がる光景に絶句する。
自分の弟分たちがギリギリと歯を食い縛りながら、恨みのこもった目で一点を見つめていて、そこにはティキを膝枕しているシーヌがいた。
ティキは心地良さそうに熟睡し、シーヌは少し困ったようにティキを見ている。なんともまあ、復讐鬼に似合わない光景だ、と彼は思う。
「……このまま聞いていい?」
アグランと戦ったときとは別人のような口調で、シーヌが言った。その困惑顔に、グレゴリーは何か毒気を抜かれるような思いを味わう。
思えばこの青年は、常に口調や態度が変わっている。復讐に生きている青年と、日常を生きている青年は、まるで別人のように見えて、ちぐはぐだ。
そのちぐはぐさに、シーヌ=ヒンメルという少年の壮絶な人生が窺えた。6の頃に親やその代わりを失うことの影響が見えかくれしている。
(ティキは、彼の成長を助けるのだろうか?)
これまた訳ありそうな少女を見ながら、その営みを見つめる。
「まあ、いい。話そうか。ティキはさておき青年、お前は3日はここから出るな。」
どんな反発があるか身構えながら、グレゴリーは平然とそれを口にした。
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