悪夢の暗翼
シーヌは、『跳んだ』。魔法で飛んだ感覚はわかっていても、まだ再現することはできなかった。
それでも、飛翔と呼びたくなるような速さ、高さ、そして滞空時間を得て……彼はアリュートの喉元に剣を突きだす。
驚愕を顔に張り付けながらも、アリュートはギリギリのところで翼を羽ばたかせて後方に跳び退いた。それを見て、シーヌは一つの仮説を立てる。
「お前ら、まさか……その翼は、飾りか?」
よくよく考えると、ルドーも翼を着けていても『飛んでいる』とはお世辞にも言えなかったのだ。“四翼”が名前負けな、と思わなくもないが、今までの戦闘を見る限りその予想は正しい。
アリュートは何も答えなかった。もしシーヌの予想が当たっていた場合それは恥でしかなく、同時に手の内がバレたと伝えるようなものだ。
外れていた場合はそのまま飛べばいいだけだが……アリュートが、翼をはためかせながらも地面を駆けてシーヌに手を伸ばしてきたので、図星だと言っているようなものだった。
飛翔がない。地面の上だけでしか戦えない。それは、シーヌと全く同じ舞台から、相手が降りられないということ。
そうとわかれば、とシーヌは短剣に強く想いを込める。この剣は、長い。この剣は、神代の現象を映し出せる。
そう、強く、強く、あの日の恨みのありったけを込めて。
『ブンッ!』
っと、振り下ろした剣が音を立てる。それは、理性なき暴走状態の再現。アグラン=ヴェノールに向けられていた超火力を、アリュート=ギド=メアに向けて放った瞬間。
道路が抉れる。真ん中から綺麗に地面が割れる。
その、わずかに先。傷ついた地面が切れたところで、アリュートは蹲って震えていた。
クロウの天才が短剣を振り上げたその瞬間に、俺は回れ右して全力で駆け始めた。
あの現象は、あの魔法は。あの攻撃に秘められたシーヌ=アニャーラの恨みの念は。
「限定最強、か!」
相手はおそらく、彼が恨みを抱くもの。復讐の念を抱く者。
アグラン様では、厳しかった。むしろ、今の彼相手ならケイ卿の方が彼と戦い得れたと思う。
ケイ卿の限定最強の方が、今のシーヌにとっては優位性があるだろう。うなじの辺りをギリギリで魔法が通りすぎたのを感じながら、俺は思った。
「フィナ。先立つ兄を、許せ。」
呟く。恐怖で膝が弱音を上げて蹲る。
圧倒的な個の暴力を前にして、それでも私は、自分で決めた『殿軍』の役割を果たそうと、振り返る。
アリュートが過去、“悪夢の暗翼”と呼ばれた、闇を行使し、人の意識に苦痛を与える魔法。
そして。
「幻想、展開。」
それは、シーヌの行った『凍土』や『溶岩』とは別の技術。シーヌは一度見てきた『過去』を展開したが、アリュートは正真正銘の『幻想』を展開する。
「“闇夢”!」
途端、シーヌの身体が闇に覆われた。何も見えず、何も聞こえず、何も感じない。
そこはヒトの行きつく終着点。死というものを、アリュートなりの解釈で指し示したもの。
シーヌは背中に激痛を感じて、今目の前にあるその闇に飲み込まれる。
ガレットにより与えられた、シーヌを殺したあの一矢の痛みをまざまざと思いだし、シーヌは激痛に膝をついた。
アリュート=ギド=メア。“盟約の四翼”の一翼にして、“悪夢の暗翼”。
彼の半生は、無名の役人の一人、である。
彼は強かった。確かに強く、世に出れば有名人になれるであろうとは言われていたが、ルックワーツ内に骨を埋めた悲しき戦士である。
そんな彼は、先代ネスティア国王に仕えた。罪に見合う罰を与える。それが、彼の役割であった。
その役に着いた理由が、彼の持つ魔法の適正だ。
一つは、罰を与えるべき罪人の夢に現れ、その夢を苦しみにまみれさせること。
拷問。死刑。懲役刑。一週間の断食から身体の一部の切除まで、なんでも夢で描き出す。
それは、罪人にとって最大の苦痛であった。自分の想像できる、罰の苦しみ。それを、時の概念のない夢の中で延々見せさせられる。
処刑人がアリュートになる、ということは、死ぬ方がいいような地獄を見ることになる、という宣告で、だからこそ、彼は、決して表舞台に姿を表したりはしなかった。
アリュート=ギド=メア。“罪罰の王”。その真価は、悪夢の魔法ともう一つ。
魔法概念“恐怖”。冠された名は、“死の想い”。彼が作り上げたのは、死という概念を頭に叩きつける三念。
それは。人に死を与え、人の死を感じとってきたからこそ、開眼した三念だったのだろう。
人間の意識に、強烈な『死のイメージ』を植え付ければ、人は自分が死んだと思い込み、死ぬ。
端的に言えば彼の用いる魔法はそういうもので、だからこそ彼は何も感じられない闇の世界を描き出すことが多い。
彼にとって、死後の世界は存在せず、ただ暗く、自己との境が曖昧になる、というイメージがあるからだ。
ゆえに、シーヌに向けて死後の世界を意識した幻想を展開した。彼個人に、極めて狭い範囲で魔法を放つのは得策ではないと考えたアリュートは、もはや萎えそうになっている戦意を奮い立たせて、自分の考える死という名の幻想を展開した。
それは、アリュートが決して勝てない敵に対してのみ使おうと決意していた奥義。死を超越したもの以外には絶対有効な一打。
「ああアァぁぁぁ!」
だが、だがしかし。アリュートは知らなかったのだ。すでに、シーヌが死から蘇った男であるということを、アリュートは全く知らなかった。
シーヌは形のない刃を振り撒きつつ、立ち上がる。全く狙いもなく、ただただ痛みに悶えながら放たれた刃は、アリュートの幻想をいとも容易く破壊して。
「一度死んだものに、お前の死の想いは効かない。」
低い声で、そう告げた。
「なぜなら、お前の作る死は、本物の死より、軽いからだ!」
そう。アリュートの死は、観察の結果作り上げた幻想だ。現実以上に現実的な幻想などなく、アリュートの『死の想い』も同様。
ゆえに、アリュート=ギド=メアは、シーヌを殺すことは、できなかった。
「はっ、勝てない、か……よ。」
もはや戦う気も起きない。死んで生き返った人間など、アリュートは知らない。
「向こう側に依った人間なら、何人か観たことがある、が……本当に、死んだことがあるやつは、お前がはじめて、だ。」
シーヌが頭上に立っている。それを見て、微かに笑った。
笑うしかなかった。人間が最も恐れる死というものを、頭上の男は超越してきた。他の誰よりも、彼の復讐の意志は大きい。
「お前の、奇跡は……。」
最後の力を振り絞りながら、呟く。奇跡。あぁ、奇跡。
弱者がそれを知ることは叶わず、強者がそこに至ることも少ない、圧倒的な魔法技術。
「どこまで、先を見据えているのだろうなぁ。」
“犠牲の聖女”キャッツ=ネメシア=セーゲル。彼女がシーヌを生き返らせたとするなら、彼を殺したのはガレット=ヒルデナ=アリリードだ。
そして、シーヌが、“復讐”のために“未来”をねじ曲げ、自分の元に勝利を呼び込むような奇跡を用いるなら、シーヌは『死ぬように導かれ』『生き返るように導かれた』ことになる。
そこまで、アリュートは考えた。何の、ためか。アリュートは、こう考える。
シーヌの復讐を、望みを、完遂させるためだ、と。死は、アリュートを倒すためだけに導かれた、シーヌの勝利のための必須条件だ、と。
身体に激痛が走る。刺されたわけでも、蹴られたわけでもない。シーヌはその位置から全く動いてはいない。
魔法概念“苦痛”。シーヌが持つ、“憎悪”“有用複製”以外の“三念”。
込めた恨み、憎しみの分だけ魔法威力を増大させ、現象の害意を増幅させ、シーヌの魔法技術を一段階上の物へと昇華させる、“憎悪”。
復讐仇を相手に、その場で一番有効な、今まで見てきた三念を複製してのける“有用複製”。
そして、最後に。今までシーヌが得てきた、苦しみと痛み。それを相手の心に直接植え付ける、“苦痛”。
アリュート=ギド=メアは、今まで自分が囚人相手にやって来た、脳へのダイレクトな痛みという攻撃を与えられて。
「いたいいたいいたいいたい!!!!」
転げ回った。泣き叫んだ。そこには、彼が今まで見てきた囚人たちと同じ苦しみがあった。
いや、同じではない。それ以上の絶望が、悲しみが、心の中の激痛があった。
この瞬間、アリュートは明らかに死を幻視した。シーヌがガレットに射られた、あの現実以上の幻の死を見た。
死は、救済だ。現実ほど逃げ場も救いもない場所は少ない。そう、本気で信じてしまうような悪夢。
ならば、自分が今まで見せてきた苦しみは何だったのか。中身のない、薄っぺらい苦しみだったのか。自分は、今まで何をしてきたのか。
「あ。」
気づけば。気づけば彼は、心の中で、自分の死を思い描いていて。自分でそれを受け入れてしまっていて。
「あぁ……。」
彼は、自分の魔法を、いや、魔法というものを、知っていた。魔法が何かということを、シーヌやティキ以上に、知っていた。
“悪夢の暗翼”アリュート=ギド=メア。享年67。
彼は、偶然ではあるが、自らの手で、自らの心を破壊した。事実上の、死である。
シーヌは反応を失ったアリュートの躯を見下ろした。いや、正確には死んではいない。心が死んだだけで、身体は決して死んではいない。
“仇に絶望と死を”。絶望はもう達成した。あとは、肉体的に死を与えるだけで、全てが終わる。
ペネホイ=テスター。フィナ=ギド=アトル。アグラン=ヴェノール。ケイ=アルスタン=ネモン。彼らの繋がりは、絶望をもたらすための大きな一助となることを、シーヌは気づいていて。
このまま放置してもいいようなアリュートを、放置せずに、大々的に、殺す。シーヌにとって大切なのは、復讐を、必ず叶えるということだけ。
「じゃあ。……悪いね、使わせてもらう。」
必要だと、奇跡が告げた。いや、本当に声がしたわけではないけれど、必要だと、身体が直感していた。
光の柱を立てる。礎は、アリュートの亡骸。今度は、躯など欠片も残さず、きれいさっぱりと。
光の柱が消えたとき。シーヌはすでにティキを抱えてその場を離れ、アグランたちは城の屋根で泣き腫らしていた。
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