国内対立
「承知、いたしました。」
ほんの一瞬の懊悩の末、簡単に承知したワデシャの返事に、フェドムは軽く目を見張った。
もちろん、国王の命令であることも含めて断れるような状況ではないのだが、それでも予想以上に早い返答に驚きを抱いてしまった。
「返事が早いな?」
「私がやらなくても、おそらく陛下の命は達成できますので。」
ワデシャの返答に、フェドムは首を傾げる。自分の命令が達成されるような状況が、簡単に起こるわけがないというのが本音だ。
しかし、ワデシャは本気で言っている。なぜなら、彼はシーヌを知っているから。
長年募らせた復讐の念は、ドラッドとガレットを討ち滅ぼした。彼らとケイでは次元が違うが、シーヌの執念ならば勝てるのでは?とワデシャは思ったのだ。
「私は戦わなくても、あの二人がなんとか出来ます。……しかし、なぜ元帥と宰相を?」
シーヌのことを話していいという許可は、ティキから下りてはいない。だから、ワデシャは話を逸らすためにそもそもの原因について尋ねた。
「元帥閣下や宰相閣下と陛下の仲は、幼い頃からある非常に強固なものであると伺っておりますが……。」
それゆえに、ワデシャはフェドムが下した命令についてよく理解できていないでいた。
それが彼の本心であると、ワデシャは理解したくなかった。そもそも自分では勝てない相手に挑みたくないという想いも、当然ある。
「余は、王である。考えなければならぬのは、友情よりも国益だ。」
国王たるもの個人の感情をあまり多くは優先できない。それでも、かなり公私混同した結果が、元帥と宰相への抜擢らしい。
公私混同した結果殺害命令とはまた皮肉な、などとキャッツ様辺りなら言ったかな?と思いながら、ワデシャは内心ため息をついた。
名君にも暴君にもなりうる器を持っていたかもしれないこの王は、今更になってその才を開花させたのか、と呆れたのだ。
「そうですか、失礼いたしました。では、元帥閣下と宰相閣下の討伐命令、しかと聞き入れましょう。」
その台詞を最後に聞いて、フェドムは立ち上がり、無言でその場を去る。ワデシャは緊張で固まった心を解きもせずに、後方の扉を睨み付けた。
「主に報告しますか、“湖上の白翼”フィナ=ギド=アトル?」
「もうアグラン様は気づいておられる。知らぬのはケイ様のみだし、あの方には言わなくてもいいだろう。」
彼女は扉から中に入ると、尊大にいい放った。 「私は見逃していただけるので?」
「まさか。主に歯向かうものを“盟約の四翼”が無視するとでも?」
そうでしょうね。喉元まで出かかった言葉をグッと飲み込む。そして、袖口から細い矢を抜き取った。
アオカミを殺すために作った一本を、こんなところで使うことになるとは。あくまで護身用に服の袖を伸ばす支柱として忍ばせていたことが功を奏したらしい。
ワデシャは足元が不安定になりつつあることに気がつきながらも、ただでは屈しないと虚勢を張る。
フィナ=ギド=アトル。得意な魔法は、戦場の水地化と水流操作。弓使いのワデシャには、相性が悪い。
しかも、世に公表されている、誰もが知っている魔法がこれなのだ。他にも隠し持っているのかもしれなかった。
「取引の余地はある。」
フィナは、面倒なことになると気がついたのか、ワデシャの足場の水地化を止めて言葉を重ねた。
ここで喧嘩し、余計な片付けの手間と国王の計画を知っていると気付かれるリスクを考えると、生かした方がよい気がしたからだ。
「……どんな情報をお望みですか?」
ワデシャの側でもそれを察した。足場に作られた水地が普通の地面に戻るのを見て、安堵の息を付く。
「まずは矢を。」
足元に落とす。落としたときに矢は床に突き刺さった。簡単には抜けないだろう上、しゃがまなければ取れない位置であるから、フィナとしては動きを読む必要がなくて楽だった。
「手渡していただきたかったのですが……まあいいでしょう。」
手渡すなら近づかれるのを許容する必要があったし、投げられるのは余計にダメだったから、ずっと武器を視界に入れておけるのならこれ以上望むべくもない。
フィナは矢とワデシャが同時に視界に移るように部屋の中を少しだけ移動してから、言った。
「クロウの生き残りの名は?」
「言えません。セーゲルの民が人質に取られていますので。」
「その男はケイ様かアグラン様が殺します。人質を殺しにいく猶予はない。」
「そうなれば、ティキ様がセーゲルを滅ぼすでしょう。彼女でも時間を掛ければそれくらいならできる。」
「ほう、ティキ様が「彼」と組んでいるのは認めるのですか?」
「組んでいる、というより依存している、でしょう。生きるために、彼女は「彼」と共にいなければならない。」
情報を小出しに。ワデシャは少しでも出す情報を少なくしようとしていた。それでも、シーヌとティキについて話すのは止められない。
時間稼ぎのためにのらりくらりとやり過ごしたいものの、そうすればワデシャの命に保証がなくなる。
だから、出す情報を選りすぐって、削って、フィナに小さな範囲で深く質問させようとしていた。
「生きるために、か?なら我が国で重用する保証をすれば問題ないな。」
「不可能でしょう。彼女は心底から彼に依存している。彼を失うことは、彼女の恨みを買うことと同じです。」
「……待て、「彼」とティキ様はどういう関係だ?」
「言えません。今彼女に関する情報は言えない。」
「それはなぜだ?」
「アフィータ=クシャータという私の弱点を、彼女が握っていますから。」
この場から解放されるために、ワデシャはアフィータとの婚約関係を出汁に使った。
婚約者を殺すような真似が出来ないのは、ワデシャじゃなくても当然のこと。フィナは深々とため息を吐く。
「有用な情報を渡せ。」
「では一つ。ケイ元帥やアグラン宰相では、「彼」に勝つことは出来ません。昔聞いた言葉の中にこんなのがありましたね。“限定最強”ですよ、彼は。」
敬愛する主とその友人を罵られて、フィナは激怒した。実際は罵られたわけではないが、主では勝てない、というのは彼女にとって許しがたい断定だ。
さらに、彼が言った情報は、フィナにとって、いやフィナたちにとって有用ではなかった。
「“限定最強”?安心しろ、私達の主の盟友も“限定最強”だ。」
怒りを声に滲ませ、頭に血が上って視野を狭めながらもワデシャに水の砲撃を放つ。
しかしワデシャは、すでにその場にいなかった。いや、すでにその部屋にはいなかった。
「……どこへ行った!キャ!。」
怒り狂って部屋を探し回り、足を滑らせて穴に落とす。
「……穴?……まさか、あの矢。」
ワデシャは弓兵である。彼にとって魔法とは、弓矢を扱うときに発動するものだ。
だが、逆に言うと彼は弓矢を介せば意思を魔法に変換させられる。それを、ワデシャは利用した。
矢を落とし、その矢がじりじりと地面を溶かすところを想像した。先端が床の下であるから、表面まで溶けるのには時間がかかった。
床が溶けきり、ワデシャが階下に落ちるまで。それまで彼は時間を稼ぐために、ずっと話を続けていたのだ。
豪華な城の床を駆けながら、ワデシャは思う。それは、何の皮肉だろうか。
フィナは国王の元帥と宰相を殺したいという意向を、元帥には伝えないという。であれば、ワデシャが逃げたからといってワデシャを指名手配することができない。
彼を指名手配するということは、ケイに国王の意向を、ケイを殺したいという意向を伝えることになるからだ。
(さてさて、シーヌさんたちのお陰で面倒ごとにばかり巻き込まれますね。)
それも、セーゲルに帰るまでの間である。ワデシャは無事セーゲルに帰るために、シーヌへの協力をティキに伝えなければならなかった。
ティキは歓喜した。すでに外法の者である冒険者組合員は、国の法律など気にしないでいい。
だが、気にしないでもいいことが気に病まないわけでもなかった。
「国の支援がわずかでも得られるなら、だいぶと楽になります。もしかしたらもしかしますか?」
できたら1ヶ月程度ですべてを終わらせたいティキとしては、朗報以外の何者でもない。
明日の夜は冒険者組合の支部にシーヌに会いに行きましょう。そう、彼女はうきうきとしながら言った。
アフィータは渋い顔をしながらも、受けた命令に文句をいうようなことはなく、ティキの方を向いて言った。
「シーヌさんからは、何か私たちに言ってきたことってありますか?」
「ええ。手紙がありますよ。」
ティキはペガサスの鞍に取り付けた荷物の一つをとって、アフィータとワデシャにそれぞれ与えた。
笑いながら、それを指差して彼女は言う。
「あなたたちの魔法を、どうすればもっと上手く使えるか、シーヌはあなたたちに残しました。」
戦え。そう伝えるための手紙であることは容易に想像できた。
(私たちを情報収集のために使うつもりですか……)
アフィータはそんなことを、手紙を見つめながら思った。
そんなことは決してない。シーヌは至って真面目に、アフィータたちに戦ってもらって数減らしをしよう、などと考え始めている。
ドラッドはティキが殺した。クトリスはワデシャが討った。今さら一人で全員殺すことを考えなくても、絶望さえしてくれたらそれでいい。ついに、シーヌはそこまで妥協していたのだ。
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