三人の決断
「敵は、ルドーを討った男は、クロウの、『歯止めなき暴虐事件』の生き残りだ。」
アグランの言葉に、ティキは驚かなかった。彼女が驚いたのは、三人の横顔に浮かんだ表情の違いだ。
宰相は面白そうににやつきながら、ティキの方を見た。その笑みに嫌なものを感じて、ティキは身を震わせる。
元帥は思い出したくなかったと言うように首を振った後に、何かを吹っ切ったかのようにアグランと共に喜色を浮かべた。
これは歪んだ原因か、などと第一印象と見比べて思う。最初の一瞬は彼の素直な気持ちが出ているように思えた。
国王に至っては、苦虫を噛み潰したような表情を隠そうともしなかった。それだけ彼にとっては、『歯止めなき暴虐事件』は不愉快だったようだ。
それに気がついたのか、ケイとアグランは笑顔をおさめ、無表情に変わり……そして、ルドーの死骸を見た。
「ペネホイ。アリュート。フィナ。友を、棺へ。」
アグランの言葉にサッと駆け寄った三人の目には、涙が浮いていた。友の死は、彼らにとってそれだけの衝撃だったのだろう。
「アグラン様。……どうして、ルドーは。」
死ななければならなかったのか。声にならなかった言葉は、声に出さずとも誰でもわかった。
シーヌが見たら内心跳び跳ねて喜ぶだろうな、と思う。シーヌは赤の他人の不幸ごとなら感情移入をして悲しむだろうが、復讐相手となればむしろ喜ぶだろう。彼は、それを望んでいる節すらあるのだから。
「復讐されたのだ。ただの私怨でな。」
ケイが口を開く。心底忌々しそうに、まるでシーヌが悪いかのように。
「クロウは悪だ。生き残った者がいるのならば、そいつも悪であるのは間違いない。」
ケイは断言した。怒りでティキの体が無意識で浮きかける。
アグランの視線を感じていなければ、ティキはケイ相手に怒鳴り散らしていたかもしれない。
国王は何も言わなかったが、自国の重鎮が感情を露にしたのを不味いと思ったのだろう。元帥、宰相とその配下ともに、下がるように伝えた。
アグランは、そういうわけには……と少しだけ躊躇したあと、自分に元帥や配下の荒れ具合をおさめられる未来を想像したのか、「かしこましました」と言って後ろに下がるように、王以外を急かす。
しかし、自分は別室に行く前に王の方を振り返った。
「王はこのあと、どうなさいますか?」
この場に位置づけるな、という無言の圧力だった。それは、彼が正しい。
アフィータはさておき、ティキやワデシャの前で王と護衛数名と言うのは、殺してくれと言っているようなものだ。
アグランがやめておけと言うのは当然だし……忠義をしっかり尽くしていると言っても、過言ではない。
しかし、ティキはその裏に何か別の意図を感じた。というより、ティキたちに遠回しに出ていけと言っているようなものだった。
ティキは、その望みを叶えてやろうと判断した。ティキが王に影響を与えることを、アグランは避けたがっているようだった。
「でしたら、私たちは退室致します。よろしいですか、国王陛下?」
「いいや、ワデシャ=クロイサは残れ。それ以外は退室しても構わない。」
それならば、とアグランは頷いた。おそらく、自分達が出ていくのを確認するつもりね、とティキは判断する。
ティキはアフィータを立たせ、左肩に右手を添えて頭を下げさせる。彼女自身も国王の目を見ながら軽く一礼した。
そのまま回れ右し、謁見の間からでる。相変わらず広く明るい廊下にでて一つ目の角を曲がると、アフィータは膝から崩れ落ちた。
「き、緊張で死ぬかと思いました……。」
やはり、今の彼女では老獪な政治家相手に立ち回るのは絶対無理だと、ティキは思った。
アグランが控えの間に入ったとき、ルドーの亡骸はすでに豪華な棺に入れられ、あとは葬儀だけになっていた。
フィナが机に向かってペンを走らせ、アリュートはストレッチをし、ペネホイは葬儀のために準備を進めていた。
“葬儀の朱翼”ペネホイ=テスター。“伝達の黄翼”ルドー=ゲシュレイ=アトル。“悪夢の暗翼”アリュート=ギド=メア。“湖上の白翼”フィナ=ギド=アトル。アグランの友にして、配下たちのうち、一人が欠けた。
「ケイ。気づいたか?」
「何にだ。」
アグランとケイの会話は、ほとんど言葉なく進む。だが、たまに伝わっていないことも多い。
「ティキという冒険者組合員。」
「気づかなかった。」
だが、ズレていたりしてもどこでズレたのかは、長年の経験で二人ともわかる。何が伝わらなかったのか、聞くまでもなくアグランはわかっていた。
「おそらく、敵だ。」
「クロウの生き残りの仲間か。」
それは好都合、とケイは笑った。人質にでもするつもりだろうな、と遺された三翼は思う。
「フィナ。試験の話を。」
アグランと共に行動することが多く、ルドーの妻として報告の役割も兼ねていたフィナは、その二人の会話に一段深い理解をできる女だ。
今のアグランの数言で、何を報告させたいのかを理解した。
「ケイ元帥。今期の冒険者組合の試験、誰が担当したか聞きましたか?」
「ドラッド=ファーベ=アレイだと聞いた。それがどうした。」
「試験中に殺されております。」
サッと部屋の空気が変わった。フィナがした今の報告は、それなりに驚かれるような内容である。
「もし下手人がガレット=ヒルデナ=アリリードを殺したものと同じであれば、その男は相当な腕と意思を持っているようでございます。」
「……だろうな。十年近く復讐の炎を燃やし尽くさなかったということだ。並大抵のことではない。」
言いながらも、彼は右上の方をじっと睨み付ける。クロウの生き残りの思った以上の強さに、フィナたちは少しばかり恐怖を覚えた。
「冒険者組合員であるのは確実だな。」
「ああ。ティキも協力者で間違いない。」
ドラッドを殺せるような男を、冒険者組合が組織に組み入れないはずがない。である以上、その彼にネスティア王国の法は通じない。
「シトライアの支部だな。」
潜伏先のことを言っているのだと気がつくのに、しばらくかかった。その「彼」が既に冒険者組合の中にいるのであれば、国として手をだしようがない。
ドラッド=ファーベ=アレイを殺せる男。フィナは背筋が凍る思いがしていた。あのとき、皆殺しに出来ていなかったことを悔いてしまうほどに。
ドラッドは強かったが、ケイより弱かった。ケイと戦えば、その“無傷”を30分以上維持し続けたし、気絶するまで一時間、戦い続けた猛者でもあった。
ドラッド=ファーベ=アレイを殺したということは、ケイと一時間以上戦えるということとほぼ同義だ。それは、もう老い始めたケイにとって体力の限界でもあった。
生き残ったクロウの者が、シーヌ=ヒンメルであるとは彼らはまだ知らない。だが、彼に対する評価は強いというただその1つだけは、その場にいる皆が共有した。
「ルドーは……負けて、当然でした。私やペネホイでも、時間稼ぎがいいところでしょう。兄さんなら、四割で勝てるかもしれません。」
確実に勝つにはケイかアグランの出陣、あるいは同時攻撃が必須。フィナは冷静に自分達の戦力を把握して、言い切った。
「各個撃破されてはならない、か……では、「彼」を呼び寄せる罠がいるな。」
ペネホイが言ったことは、当たり前のことのようで悩ましいことだ。何しろ、「彼」の人となりがわからない。「彼」の名前すらもわからない。
そんな状況で、彼を誘き寄せる罠など、作りようもなかった。
「セーゲルの代表団は?」
「ダメだ。あれは「彼」にとって都合のいい駒だし、それだけの価値を置かないだろう。」
こちらに取られるのは想定済みだと思え、とアグランは告げる。
そうだろう。クロウの者が『復讐』を選ぶ以上、取られやすい駒に重きを置くはずがない。
「ティキという女は?」
「冒険者組合員だぞ?仲間意識などあるものか。」
「いえ!あり得るかもしれません!」
即刻切り捨てたケイの台詞に割り込むように、フィナは叫んだ。その剣幕に、一瞬他の全員がフィナを見る。
「女の勘か?」
「いえ、それもあるのですが……」
フィナの勘は当たる。それがこの場にいる全員の共通理解で、だからこそフィナの話を聞こうと皆が身を乗り出した。
「ケイ元帥が「彼」を罵っていたとき、ティキ様が怒りを隠そうとできていませんでした。あれは、恋する乙女の顔だと思います!」
確信を持っているかのように彼女は断言する。そこにいるのは男ばかりであり、女性の感情を類推することはできない。
だが、ティキが何かしらの反応をしていたのは気づいていたのだろう。かのしのその根拠は一考に足るものだと判断された。
「あとは……そうですね。「彼」も冒険者組合所属試験を受けて合格したのであれば、ティキ様と「彼」は同期になります。」
同期。同じ試験を受けた仲間。
それが、対人関係において毒にも蜜にもなることは、長く生きた彼らはよく知っている。
少しの沈黙は、全員が全員、「彼」とティキの関係の利用を熟考している証拠。
しかし、方向性を与えられ、根拠も示された状況では、彼らの思考はほぼほぼ一つに纏まった。
「ティキ=アツーアを誘拐し、冒険者組合に脅迫状を出そう。彼女の命が惜しければ出てこい、と。」
「もしも応じなければ?」
ペネホイがこの前提が間違っていた場合のことを聞いてくる。アグランはチラリと私の方をみやり、おかげで全員がアグランが何をしようとしているのかを理解した。
ハァ、という溜め息をフィナは吐く。
「60過ぎて、何を盛っているのですか……。」
彼の趣味を知っている以上、フィナは何度もそれを黙認してきた。ルドーが巻き込まれないなら、という条件付きで。
その彼は、もういない。「彼」によって殺されたし、ティキによって見殺しにされた。
あぁ、そうだ。これは正当な権利だろう。フィナはそう思って、復讐を正義にそれを認めた。
アグラン=ヴェノール。とんでもない好色家である彼だ。ティキと「彼」の精神を、建て直せないほどズタぼろにしてくれるだろう。
彼女はそう思って頷き、男たちはみな喜び笑んだ。
それが、ティキの奇跡“恋物語の主人公”とシーヌの奇跡“仇に絶望と死を”に導かれた決断であることは、ティキとシーヌですらも知らない。
別室に通されたワデシャは、監獄に閉じ込められた囚人のような気分で王を見ていた。
これから話される内容で、ワデシャの未来が決まる。その理由は、彼が一番よくわかっている。
「借金の返す当てはできたか?」
「……師を打ち倒した。これでは足りませぬか?」
「足りぬ。そのための出資であろう。余は7年も待たされたのだ。」
額から伝う汗が、冷たかった。ワデシャが背負ったのは、ガレットを殺すための資金。担保は彼の命と腕。
これから国王の沙汰次第では、ワデシャは残りの一生を国王のために費やさねばならない。
「一つだけ、帳消しにしてやる方法を言おうか?」
聞けば、後戻りはできない。ワデシャは直感的にそう悟った。そして、それを悟ってしまうと、アフィータの顔を思い浮かべて、逡巡して、言った。
「聞きましょう。」
もう後戻りはできない。この道を取れば、平穏とはほど遠い道を歩む。
ワデシャはそう思いつつ。
「我が友、“黒鉄の天使”ケイ=アルスタン=ネモン元帥と“盟約の四翼”アグラン=ヴェノール宰相を、殺せ。」
とんでもない、命令が投げられた。
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