守らされるもののために
髪に絡まってほどけないただの小石を、ゆっくりと髪から取り除いた。シーヌは感慨にふけるように、その場から動かない。
たった30分の戦闘だった。でも、30分の戦闘だった。
私たちが勝てたのは、時間と数の利でしかない、とわかっていた。
シーヌは違うのだろうけれど。彼は一人なら一人なら一人の戦いをしたのだろうけど。
彼の、ルドー=ゲシュレイ=アトルの魔法の使い方は、巧妙の一言で語り尽くせないくらいに巧妙だった。
私やシーヌみたいな、大味な事象を起こしていたわけではない。
想像力にものを言わせた、圧倒的な火力を展開していたわけではない。
ただ小さな事象を連続展開していただけ。でも、その小さな事象で、冒険者組合員二人に30分の戦いを演じ続けた彼を、私は尊敬せずにはいられない。
シーヌは復讐を終えた感慨に耽ったままで、同時に何かがスッキリしたような、穏やかな表情も浮かべていて。
さっきまでの鬼のような形相が、鬼と形容できる苛烈さが、その狂気がなりを潜めてしまっていて。
優しくその髪を撫で付ける。私はどのくらい、彼の中にいるのだろうか。彼の苛烈なその激情は、私に何かあったときも発揮されるのだろうか。
彼と共に旅をして、ルドーのような人と戦って、私もシーヌも強くなっていっている。それは、実感として持っている。
それでも、いつか。私たちがどうしようもなく負ける日が来たらどうしようか、などと思う。
そうなる前にシーヌを止めることは、私にはできない。私が彼に会ったときには、彼はすでにこうだったのだから。
チェガさんでも、どうにもならないだろう。アフィータさんがこの間私にした話を考えると、シーヌはこのまま突き進むだろう。
愛おしい。その感情を隠さず、彼の頭を撫でる手は休めずに。
それでも私は、こう思わずにはいられない。たとえ、彼がそれを望んでいなくても。
彼の復讐が、終わらなければいいのに、と。
ようやくもう一人。残りの大物は20人。ネスティア王国シトライアに行けば、5人は減る。
シーヌは感慨にふけり、達成感を感じ、何かが失われる感覚をその身で受け止めながら……これからの復讐に、すでに想いを馳せていた。
シーヌのとって、このネスティア王国が一番の山場である。この国が一番、復讐相手の規模が大きい。
なにせ、相手は『元帥』。ネスティア王国の軍事を統べる、国王、宰相に次ぐ権力者だ。
そして、一所に留まっている大物としても最大人数。このルドーを、ここで殺せたことは僥倖だとすら、シーヌは思っていた。
「どうしますか、ルドー殿の……」
ワデシャが焦れきったかのように、というか焦れきってシーヌに声をかけた。
ただ、死体、とも亡骸、とも言えず、言い淀む。
シーヌはその声で復讐の感慨から抜け出した。そして、ティキが頭を撫でているのに気がついて、心地よさからつい頭をその手に押しつける。
ティキはシーヌが甘えた(シーヌにそのつもりはないが)ことが嬉しいようで、幸せそうに顔を綻ばせた。
「ティキ、ルドーは彼を迎えに寄越したって言ったけど……一緒に同行してなかったら、どうすると思う?」
「疑惑の目はセーゲルに向けるよ。ネスティア王国の国王がどんな人かはわからないけど……」
そこでいったん、何かを思案するように手を止めた。彼女の頭の中では、持ち前の政治の才能とこれまでの知識から、国王の行動を予測しようとしている。
「“黒鉄の天使”って、強いんだよね?」
「“盟約の四翼”も。強いよ、冒険者組合にならいつでも入れる。」
ガレットやドラッドでは、実力だけ見ても直接声をかけられるほどてはなかったが、その二人は違う。
片や冒険者組合員になっても上の下くらいには入れる実力者。片やその友として、数多の戦場を駆け抜けた戦士。
「二人とネスティア王国、どっちが強い?」
「二人に呼応する兵士の数によるけど……王国が勝つよ。国としての体裁が整っているかは別問題だけどさ。」
そこまで言うと、ティキの質問の意図が読めなかったのだろう。ワデシャが介入した。
「待ってください。どうしてその情報が必要立ったのです?」
「……ワデシャさん、本当に商人ですか?」
それに対する彼女の返事は、とてつもなく辛辣だった。
政治が専門分野ではないとしても、経済にも商機にも関わってくるほどの情報を、その重大さを理解していなかったのだから。
ワデシャは俯く。そう、彼は知っていた。自分が商人としてはありえないくらいにバカであることを、彼は知っていた。
「………………………………」
言いたいことを、ぐっと堪えた。そのあとに、ポツリと言った。
「セーゲルが、安定したので。私は商人はやめますよ。」
その決断は前々から決めていたもののようで、それでも、隠しきれない悔しさも滲んでいて。
アフィータが彼の手をそっと握って、キッとティキを睨みすえた。
「いいから、続きを話してください。」
想い人を傷つけられても、彼女は話を投げ出したりはしなかった。
しかし、険悪になった雰囲気は戻らず……ともいかなかった。
ティキは呆気からんとしたように、はっきりと言った。
「彼を殺した相手がセーゲル陣営だって知ったら、国はセーゲルに軍を向けるよ。」
その言葉にアフィータは目を剥き、ワデシャは崩れ落ちかける。
兵士たちもどよめいて……兵士の一人が叫んだ。
「事情は?そこのそいつに脅迫されたって言えば、」
「ダメだよ。国がセーゲルを滅ぼしたいんじゃないから。“盟約の四翼”がセーゲルを滅ぼしたくて、“黒鉄の天使”が同調するの。」
シーヌには、この上なく納得できる理由だった。
「国は彼らを敵にしたくないんだね。」
「そう。彼らを敵に回すなら、セーゲルを敵にする方が圧倒的に楽でしょう?」
ワデシャは絶句し、アフィータは己の無力感に歯噛みし、兵士たちは絶望感に頭を眩ませる。
「セーゲルが救われる方法は?」
ただし、シーヌは違った。ティキが救済を考え出した上で話をしていると予想していた。
その彼の信頼を、ティキという少女は決して裏切らない。
「もちろん。まず、シーヌは別行動。そして、シーヌのことをあなたたちが話すこと。」
え?という風に、全員がティキを見る。微笑んで、ティキはそのまま話を続けた。
「あなたたちが言ってはならないことは一つ、私とシーヌが夫婦だと、それだけです。」
ティキの考えに、その提案に、そこにいたシーヌ以外の全員が絶句する。
「シーヌの名前、セーゲルでの活躍を売ります。もちろん、前提として、この遺体を国に返すことが必要ですが。」
そう言うと、彼女はルドーの亡骸を氷付けにした。氷の棺の中で保存して、腐らせずに送り届けること。それが彼女にとっては大事なことらしい。
ティキの離しは半信半疑のまま、代表団は再び旅路を歩み始めた。
シトライアまで、あと5日。シーヌはその最後尾を歩みながら、思う。
シーヌを売る。その発言が、セーゲルの代表団からあっさりと出てきた。その扱いの、その不満の高さに、軽く溜め息をつく。
「三日以内に、シーヌは責められるよ。」
ティキが寄ってきて言った。わかっている。というように、重々しくシーヌは頷く。
「予定通りにワデシャさんと戦って、シーヌはこの隊列から離れてもらう。それはもう、修正のできない道になっちゃった。」
後悔するかのように、彼女はシーヌの頭を撫でる。
「どの道、代表団は巻き込めなかった。でも、いいの?」
シーヌのいいの?は、ティキが代表団に残ることへの心配だ。それをわかっているから、ティキも安心して頷きを返す。
どうせ彼らはシーヌに恨みを言えても、ティキを切り捨てることはできないのだ。だから、安心していいよ、とティキは言う。
「じゃあ、兵士たちがティキを売ったら?」
「私を売るときはセーゲルを売るときだから。ちゃんとそう説明しておく。」
「……シトライアに入ったら……」
「冒険者組合の支部に手紙を置いておいてよ。」
急激に甘くなったなぁ。そうティキは言いたくなった。
今まで知り合ってすぐの友人同士程度の距離を保っていたのに、最近は離れていたくないかのような言葉を吐いている。
シーヌは、どこまで自分の言葉に気づいているんだろう。そう思いながら、ティキはシトライアでの出来事に思いを馳せた。
シーヌはいったい、どのような戦いを演じるのだろう。敵はいったい、どんな戦いをしてくるのだろう、と。
そして。兵士がシーヌに、痺れを切らすときがやってきた。
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