懺悔なき後悔
自分を認識した。自分が誰かを理解した。シーヌはルドーが自分を覚えていたことに、驚く。
「一度きりの邂逅だったのに、よく覚えていたな。」
「当たり前だ。あんなに後味の悪い『正しさ』はあれ以来なかった。」
手を休めた両者が言葉を交わす。シーヌの頭に血が登りかけた。
「やはり、ケイ元帥はあれを『正しいこと』だと?」
「ええ。“奇跡”を行使なされているので、間違いなく。」
あの虐殺が、自分以外生き残れなかったあの地獄が、“黒鉄の天使”ケイ=アルスタンにとっては正義だった。
怒りに飲まれそうな心を必死に宥め、その間違いを正そうとしない目の前の男への憎しみを沸々と沸き立たせ。
再び不意打ちのごとく始まった戦闘は、ルドーが開いた。
シーヌの持つ杖をN極と仮定。それに向けて、S極と仮定された雷の槍を投げる。
同時に、自分の足をS極と仮定。逃がすまいと作られた箱の中の一つの石をN極と仮定し体を石に引き寄せる。
自分の体と雷の槍は互いにS極であるため、反発して離れあう。ゆえに、雷の槍は初速から雷らしい速さで飛んでいった。
シーヌは杖に魔法がかけられたと気づいた時点で、地面に突き刺して手を離す。地面に突き刺すのは、もしも杖を飲み込んで自分に攻撃が回ってきたときのための、対処の余裕を残すためだ。
それが、シーヌを救った。飛んで来た雷の槍は杖に当たって、そのまま地面に伝って落ちる。
間に合ったが間に合わなかった。シーヌの手に電流はあまり流れていない。しかし、すべて避けきるほどの速さもまた、なかった。
シーヌは痺れが走った右手を捨てて、左手に握った短剣で斬り込もうとする。
一歩、二歩。三歩目を踏み出す前に、バランスを崩した。地面に流れた電気が、多少シーヌの足にも流れていたことに気がつかなかったのだ。
ルドーが燃え盛る炎を打ち出そうとしている。それを見て、地面に転がってしまったシーヌは慌てて逃走をイメージした。
大地から生える巨岩が、シーヌを巻き込んで宙を浮く。その直前に発射された炎は真っ直ぐに巨岩の根本にぶつかって、爆散した。
直撃したら、などと余計なことをシーヌは考えない。いや、考える余裕がなかった。
吹き飛ばされた岩とともにシーヌも吹き飛ばされ、それから離れるために自分の体だけを風で吹き飛ばす。
普段の生活でティキのことを器用だ器用だと言い続けているシーヌだが、戦闘になると彼も大概な器用さだった。
攻めに転じられない。シーヌは痺れの取れはじめた右手を振りながら左手でルドーの放ってきたいくつもの石を払い落とす。
払い落としきれなかった一つが、大した勢いもなくシーヌの空色の髪に一つだけ絡まったが、それ以外はすべて払い落としたので、シーヌは実質無傷だった。
攻撃が止んだ隙に地面に降り立つ。そしてそのままルドーが口を開くのを、黙って待った。
待たれている、とはルドーは思わない。地面に降り立たずに直接蹴りでも入れに来ることの方が正しい選択だったが、そんなことには気付かない。
「ワデシャ=クロイサ!アフィータ=クシャータ!ネスティア王国の臣民であるならば、私を助けよ!」
ティキがシーヌの味方であると判断した時点でその考えは常にルドーに付きまとっていた。これまで助けを要請しなかったのは、ひとえに“伝達の黄翼”としてのプライドからに他ならない。
しかし、決定打にかける、ということはもうわかりきっている。彼は、自他共に認める、“四天翼”最も弱い翼であり“四天翼”最も有用な翼である。
本職でない戦闘で他人の手を借りることに、屈辱は覚えても躊躇いは覚えなかった。
彼の誤算はただ一つ。シーヌが復讐のためとはいえ、セーゲルとともに戦ったことを知らないという、そのただ一点。
不意打ちのごとく始まった戦闘、ゆっくり考える余裕のないギリギリの駆け引き、そして逃走が出来ない条件。
彼が状況をすべて俯瞰して、生存方法が残っていないということを理解するには、彼にはいささか条件が悪すぎたのだ。
ワデシャは悩むように弓に弦をかけた。アフィータも同様に、躊躇いを顔に浮かべたまま旗を握る。
このままルドーに矢を向けると、旗を振ると、反逆者だ。しかし、シーヌたちにそれらを向けるわけにはいかない。
ガセアルートなら、ティキに刃を向けながらシーヌの身体能力をあげる“授与”を施しただろう。バグーリダなら悩む必要もなくルドーに弓をひいたし、エスティナなら兵士を無駄死にさせたくないので、ときっぱり断っただろう。
しかし、経験不足の彼らには。政治屋ではない彼と世間知らずの彼女では、その割りきりをするには役不足が過ぎた。
結果として。ルドーに味方できず、ルドーと敵対もできない、武器を構えた二人の案山子が完成した。
その状況を知っていたシーヌが、イライラしながら叫ぼうとしたルドーを遮って言葉をあげた。
「俺たちを敵にするか、ワデシャ=クロイサ!ティキの剣に沈みたいか!」
その叫びは、あの模擬戦闘を思い出させるには十分だった。ティキとワデシャでは、ワデシャが負けるということも。
ティキとワデシャは相性が悪い。悪すぎる。そもそも魔法を使うために弓矢を介しないと使えないワデシャに対して、ティキは何もなくても魔法が使える。
イメージの問題だ。ワデシャは自分のことを、商人あるいは弓兵だと認識しているのだから、その範囲でしか活動できないのは当たり前だ。
しかし、ティキは魔法使いである。弓から一直線の攻撃以上の攻撃手段を持っているティキの方が、圧倒的に強い。
ナミサがここに加わっていれば話は別だった。ナミサとアフィータが揃っているときの防御力は尋常ではなく、その中からならワデシャも安心して、十二分な攻撃ができる。ほんの一時間くらいなら互角の均衡を保てただろう。
後ろの兵士をちらりと見やったのち、破れかぶれにワデシャは叫んだ。
「反逆者としてセーゲルを滅ぼされないようにしてくださいよ!」
弓を引いた先にはルドーの姿。専門が違うワデシャでは、腹芸をするにしても要求されるものを用意できなかったのだ。
だから、言い訳をシーヌが用意した。ティキを前にして、その脅威にさらされたなら裏切るしかないだろう?という脅迫を押し付けた。
ワデシャとアフィータは、自分の部下を守るためにルドーに弓をひく。
ツゥっとルドーの額から流れた汗が、そのまま顎を伝って地面に落ち……シーヌは再び、ルドーに向けて駆け始める。
途中に立っている杖を引き抜き、先端から円を描くように8つの光の弾を展開、“必中”と“貫通”を“複製”、“憎悪”を込めた、普段のシーヌの魔法より三段階ほど上の威力の上がった魔法を放つ。
ルドーはそれを回避しなかった。“報告者”の三念でそれが間違いなくルドーに当たると悟った彼は、狙う対象を強引に切り替えさせた。
放たれた魔法をS極と仮定。シーヌの髪に絡んだ石をN極と仮定。ルドーめがけて飛ぶそれが、吸い寄せられるかのようにシーヌを目指す。
同時にルドーは再びさっきの焼き直しを狙った。シーヌの杖をN極と仮定。生成した雷の槍をS極と仮定。
互いの干渉が被らないよう、魔法で性質を多少変換。杖と槍、石と魔法だけが互いに引き寄せあうように設定。
シーヌだけが相手なら、それで十分だった。正しい選択で、シーヌはルドーにさらに苦戦を強いられただろう。
ルドーが見たのは、シーヌの魔法が次々と矢で相殺されていく様。シーヌの魔法一つを、五発の矢で打ち消す。
7つ落としたところで迫った最後の一つは、アフィータの“比護”によって護られる。
雷の槍は杖を投げ捨てることによって防がれた。ご丁寧にも、何発かの光里の弾を放つ仮定で。
つまり、彼が雷の槍を放ったその瞬間には、シーヌは次の攻撃も終え、防御体制も万全で、かつ数の上でも有利だった。
「シーヌゥ!アニャーラァ!」
迫り来た光の弾を、今度は地面に散らした石と反応させて引き離す。
地面の下から必死に石を手繰り寄せて地表に持ってきて、シーヌの魔法が打ち消した部分を埋めるように設置する。
ルドーが魔法を展開出来る限り、ルドーが傷つくことはない。今この瞬間、ルドーは力尽きるまで限られた場所で逃げ続け、反撃し続けるという苦行を要求された。
ワデシャの放った矢が視界に映って、左側縦三列目横二列目の石と左足の裏を反応させる。回避した先をめがけて飛んで来たシーヌ=アニャーラの光弾を彼の髪をめがけて飛ばさせる。
ずっとこの繰り返しで、意識が朦朧とし始めていた。
普通に考えて、彼とティキ様が手を組んでいるなんてありえないはずだった。
冒険者組合は、傭兵組織ではない。金で買えないのが彼らなのだ。
お前は。どうして。
言えなかった。無意識のうちに、悪いのは自分であるとわかっていた。
彼には復讐する権利があった。彼らの無念を、俺たちに伝える義務もあった。
避けきれない攻撃が飛んできて、脇腹を掠めて傷がつく。あぁ、結局、逃げることもできなかった。
痛みに膝をついた。昔であれば。この程度の戦闘で疲れることなどなかっただろう。
今でなければ。ここまで追い詰められていなければ、この程度の傷で膝を折るなどということはなかっただろう。
心が折れるということは、戦意がなくなるということだ。
戦意がなくなると言うことは、魔法が使えなくなるということだ。
おれはもうたたかえない。意識すらも怪しい、朦朧とした頭でそう思った。
あるじに、てきをつたえなければ。シーヌが。あのときのあのしょうねんが。
さいごのまほう。“報告者”の真髄。その執念だけを使ったあと、自分を殺すものを見ようと、陰った頭上を見上げ。
「冒険者組合第58回試験合格者、シーヌ=ヒンメル=ブラウだ。お前の同僚と、主と、その盟友は。」
必ず、殺す。憎悪に沈み、苦痛に歪められた目を見た。
ティキ様と彼は、同期の冒険者組合員。それを理解すると、自分がいかに滑稽かと思え始める。
少年は復讐を正当化するために冒険者となり、少女がその理解者として隣に立つ。
夫婦が、彼らの旅路が、決して楽にも幸せにも、豊かにもなれない。そう、その目を見て微かに思った。
『歯止めなき暴虐事件』を最後に思い出す。
あぁ、自分達がただしいと思ったあの行為は。人を、ここまで、歪めてしまったのか。
彼の最後の意識は、自分の過ちを認めてしまった、その過ちへの後悔と絶望だった。
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