伝達の黄翼
目覚めと柔らかい感触は、シーヌには同時に訪れる。ティキの想いの丈をぶつけられて、色々と諦めがついてしまった彼にとって、妻と添い寝すること自体は苦痛ではない、のだが……
ティキのあどけない寝顔は、朝からシーヌに強制的な目覚めを促す。
いまだに童貞である彼には、ティキが同じ布団で寝ているというのは非常に刺激が強かった。
(これから毎日かぁ……)
理性が持つだろうか、などという贅沢な悩みを抱えつつも、ゆっくりと体を持ち上げる。
いつもの通りに硬いパンを水に浸し、今日は干し葡萄もつけようとペガサスの鞍から引っ張りだす。
「おはよう、シーヌ!」
ティキが目を覚まして、隣に座って朝食を待つ。かといって何もしていないわけではなく、獣の皮で作られた寝具はきちんと畳まれ、ペガサスの鞍に結ばれていた。
「ほんと、器用だよね。」
遠隔でそれをやってのけるティキの魔法技術の高さに、シーヌは感心する。彼女の技量は、いつ見ても恐ろしいくらいに芸が細かい。
自分には真似のできない芸当だ、と思いながら鍋に溜めた水を煮沸する。
細菌は熱さえ通せば殺せるから、泥だけ魔法で取り去る作業とこの煮沸作業は飲料水のためのは欠かせない。
ティキに言わせると、水から泥を抜く作業の方が難しいらしい。これは知識の問題かな、とシーヌはその言葉を思い出して軽く笑った。
朝食を終えて、シーヌたちは代表団の最後尾についた。これからあと5日。代表団は、必要最低限度しか休みがない。
いつまで持つかなと思いながら、ペガサスの里の出口……左右を竹林に囲まれたその道を、一歩一歩着実に歩んでいく。
ゾクッと、背筋に悪寒が走った。ガレット並みの悪寒。脅威。ピタリ、と騎乗するペガサスの足も止まる。
ペガサスは賢い。シーヌが脅威と恐怖を感じたことを察した。だけではなく、それがこの先に実在することも、すでに察している。
「シー、」
「先に行って、ティキ。」
ティキの言葉を遮って、ペガサスから降りる。
手綱を彼女に預けてペガサスの首を軽く叩いた。彼女に服従しているペガサスなら、彼女を振り落とすような真似はしないだろう。
つかつかと歩き去っていくペガサスたちと代表団を眺めながら、ぎゅっと手に握った杖を握り直した。
「こうなることは、予想はできていなかった。」
しかし、都合もいい。状況と復讐の念を利用している自分に気付き、その可笑しさに自嘲しながら、全身に意思を漲らせて彼らの後を追った。
そこにいたのは、右側に黄色い翼を生やした壮年の男性だった。細身で軽装。服装は白いローブで、髪も黄色。趣味が悪いな、とそこにいる全員は思った。
アフィータが彼ら全員の前に出る。彼女の役割は、この場を丸く納めることだ。
どんなに趣味が悪くとも、彼が相当な使い手であることはわかる。
シーヌやティキと戦い、ワデシャを知り、カレスに鍛えられた彼女は、強者が強者であると見抜く目は自然に鍛えられていた。
「はじめまして。我々はセーゲル街の代表団、王都に向かう最中です。私は指揮官のアフィータ=クシャータです。」
「これはどうもご丁寧に。私は“黒鉄の天使”の盟友“盟約の四翼”アグラン=ヴェノール配下の“四天翼”が一枚にございます。」
名前は名乗らなかった。アフィータと違い、彼の名はよく知られている。そこまで言えばわかるだろう、という無言の圧力だった。
「“伝達の黄翼”ルドー=ゲシュレイ=アトル……。」
呆然とその名を呟いた後、すぐさま彼女は冷静さを取り返した。
「世にも名高いルドー様が、一体どういったご用でございましょう?」
「国王陛下より、あなた方を王都まで無事に案内せよ、と仰せつかっております。」
「そうですか。感謝いたします。」
社交辞令が延々と続く。ルドーがアフィータや隣にいるワデシャを観察しているのはよくわかっていた。
本当にガレットを倒したのかどうか、見定めているのだろう。
「アフィータ殿、あなたの隣にいる方と後方にいる方を紹介していただいてもよろしいですか?」
「はい。隣にいるのは我が婚約者にしてかつて“英雄に比肩する弟子”と呼びれた男、ワデシャ=クロイサという者です。」
「ワデシャ=クロイサと申します。はじめまして。“伝達の黄翼”様と出会えたことに感謝を。」
丁寧に。そして他人行儀に彼は挨拶した。
ルドーが後ろにいる人間を『後ろにいる方々』と呼ばなかった時点で、彼はもう一人が何をしようとしているかを察した。
もう始まっていて、今からでは止められないことをも、彼は理解してしまっている。
その『後方にいる方』はペガサスに乗って悠々と自信ありげにアフィータの隣に並んだ。それは、相手に舐められないためのお手本のような自信の表しかただ。
「はじめまして、ルドー=ゲシュレイ=アトル殿。」
相手のことを、殿呼びした。
アフィータとワデシャは彼のことを様と呼び、ティキは殿と呼んだ。これは、ティキにとってルドーがあくまで同格以上ではないということを示している。
その態度にルドーは眉をひそめかけた。セーゲル所蔵、つまり一地方の役人ごときが彼に敬意を払わないなど、あってはならないことだからだ。
しかし、その彼の不機嫌も、次の台詞で一気に吹き飛んだ。
「私は冒険者組合第58回試験合格者、ティキ=アツーア=ブラウといいます。今回は政治顧問として同行しています。」
冒険者組合員。個人技において最強と目される自由人たちの集合組織。
世界の勢力を、全国家同盟に対して二分するほんの一握りの怪物たち。
目の前にいる若く美しい少女がその一人であるということが、ルドーの体を緊張させた。
「……お初にお目にかかります。私の名は“伝達の黄翼”ルドー=ゲシュレイ=アトル。馬で三昼夜駆けてたどり着く場所に半日で着けることから、ネスティア王国で伝令の役目を背負っているものです。」
結果。彼は自らを彼女より格下のものとして扱った。彼にとっては、ここで冒険者組合員に会うのは完全に予想外だったのだろう。
冒険者組合員という肩書きが彼に与えた衝撃は、言葉では示せない。ただわかるのは、その肩書きがなければ、彼はティキの格下にはならなかっただろう。
あくまで、戦力的な比較では、有利不利の差こそあれどティキとルドーは互角である。
そして、ティキは彼とのこの会話で、彼を動揺させたことでその役目を果たし終えていた。
理由は言うまでもない。彼の目の前にはすでに、復讐鬼の仮面をつけたシーヌ=ヒンメル=ブラウという悪魔が迫っていたのだから。
ルドーは壮年の男である。そして、ネスティア王国王都シトライアの将でもある。
何が言いたいのか。それは、ガレットを越えるほどの圧倒的な戦闘経験を持つということだ。
命の危険が迫ったと、彼は感じた。その勘は外れがない。
ザッと避けた先に、人は見当たらなかった。襲撃者の姿が見つからないまま、勘に従って次々と避ける。
それが“第三の魔法概念”を使っていると察した彼は、自身も自身の概念を発動させた。
魔法概念“信念”。冠された名は“報告者”。情報を収集し主に報告し続けた彼の、敵を知る魔法概念だ。
それによって。シーヌの姿をようやくルドーは捉えた。それを使わねばわからないほど、シーヌはルドーから姿を隠せていた。
今日この瞬間まで、復讐の度に使い続けた“有用複製”による“不感知”の概念。それを、何度も何度も使うことによって、シーヌは理解しつつあった。
シーヌは自分の刃が難なく避けられるようになったため、自分の姿を捉えられたと判断した。
その目が自分の動きを追っている。そう確信した瞬間、シーヌは自分にかけている“不感知”を打ち切る。
今度は手元に大量のナイフ以下の刃を作り出して、ガレットの“必中”を“複製”して打ち出した。
杖をルドーに向けて構えることで、刃の生成と射出をその先端から行うイメージを固める。
魔法使いにとって、杖はイメージを固めるためにとても都合がいい道具だ。
杖でなくてもいい。何か手に持つものがあれば、それは魔法の発動を手伝う道具となる。
自分の手から直接剣が産み出されるイメージというのは、存外難しい。体から剣が生えてくるようなものだし、それは気持ち悪い。
しかし、間に自分ではない無機物を挟むとその気持ち悪さはある程度緩和されるのだ。
それに、シーヌにとって今の杖は、弓矢でいうところの弓、鉄砲でいうところの銃身の役割を果たしていた。
ノンストップで刃を射出する、そのバレルの役目を、十分に果たしていた。
ルドーは不意打ちで始められた戦闘を切り抜ける方法を必死になって探していた。あの刃を避けることができないのは、右の肩甲骨に突き刺さった刃が証明している。
「まずいですね……」
得意の縮地のような移動術は、謎の透明な壁……行かせないという意思によって阻まれている。
これを展開しているのはティキの方だ、とルドーは確信していた。目の前の少年は、自分を殺すことに躍起になりすぎていた。
「誰ですか、あなたは!」
一応礼儀をもって彼は問いかけた。不意打ちとはいえ、自分をここまで追い詰めている。それそのものに、敬意を払ってしかるべき。そういうふうに、ルドーは判断した。
大きな石を作り出して、投げる。ルドーの方へ飛んできていた何十のも刃が、それに吸い寄せられるかのように集まった後にルドーの方へ向かってくる。
時間差で攻撃されたら対処できないようなものも、一度に迫ってくると対処することは簡単だ。
向かってきたそれを、炎を広げて燃やしつくし、再び巨大な石を生み出して同じことを繰り返す。
彼が扱う魔法は、磁石だ。正式には、磁石の原理を利用した引き寄せと反発の魔法だ。
彼に向かってくる害意ある攻撃を石に引き寄せ、それを纏めて自身が消し去る。
特定の一点と彼自身の体を引き付けあう一対の道具として既定し、そちらに向けて自分が呼ばれる。
彼の魔法の特徴は、彼自身が小道具を用意するのにそこに彼自身の意思は大きく介在しないこと。
ゆえに、敵の意思で雁字搦めに縛られる前に逃げるために、圧倒的な速度を必要とした。
今回、逃走は容易には成功しない。そう判断したルドーは、逃げるための隙を作ろうと必死になっていた。
「目的はなんだ!」
叫びながら苛烈になっていく攻撃の手に対処すべく、地面に石を撒いたときだった。彼が破れかぶれにその言葉を叫んだのは。
返事を求めていた訳ではない。しかし、返事が帰ってきて、攻撃の手が止まったとき、彼もまた逃げる算段を止めた。
「復讐。」
復讐されるようなこと、したことはない!その叫びは彼の心の中でだけ響き渡り、しかしその目はシーヌのもつ特徴的な髪色に引き寄せられた。
「シーヌ=アニャーラ……。」
呆然と呟かれたそれは、ルドーにとって、望まない結末の幕開けだった。
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