ペガサスの騎乗者
ペガサスに乗って地上へ降りたシーヌは、散り散りになっていくペガサスたちを少し呆れたというように見送った。
「ティキはちょっと加減した方がいいよ。」
三頭のペガサスに手綱をかけていくティキを見ながら、シーヌはため息半分に言う。
シーヌもペガサスに鞍を乗せ、その脇にいくつかの食料を下げる。そのあと、手綱を引っ張って柵の内側に連れ込んだ。
ティキのペガサスの一頭が言葉を話せると聞いて、シーヌは彼に向けて口を開いた。
「僕が君たちに乗ろうとしたら、僕は君たちを屈服させないといけないのかい?」
「もちろんだ。主の番だとしても、それだけで我らが膝を屈することなどあり得ん。」
さらりと言われたその一言を聞いて、後ろに立っていた、シーヌに負けたペガサスがふるふると首を振る。さながら、やめろと言うかのように。
結果として。シーヌは残り三頭のペガサスをティキよりも理不尽な方法で屈服させた。
ティキはあくまで全てのペガサスと一対一を意識して戦っていたが、シーヌは最初から一対多を意識して戦った。
これは、互いが互いの戦闘スタイルの得手不得手を考えた結果だ。シーヌは一対一にめっぽう強く、ティキは一対多にめっぽう強い。逆ができない、ということはないが、専門分野ほどではない。
ティキは蔓の拘束魔法で魔法の精度を鍛えた。では、シーヌは?
吹き付ける風が、吹き抜けずに大地にとどまる。シーヌは空気操作が得意がゆえに、範囲攻撃も空気操作を選んだ。
空気という純粋な自然現象が、操られてペガサスたちの体を押し潰そうとする。
五秒と持たずに両ひざをついた。十秒と経たずに頭を垂れた。
まるで主を崇める臣下のような姿勢で、五秒、十秒と時を過ごす。
シーヌは言葉を話すことを許可しなかった。敗北を語ることを許可せずに三分、地面に接吻させ続け。
「敗北を認めるよね?」
解放してから言った。不意打ちの警戒もせずに、あっけからんと。
ペガサスたちはコクコクと頷き、シーヌの配下のペガサスと並んだ。
ちなみに、最初にシーヌと戦ったペガサスは、最初からティキに頭を垂れていた。ペガサス全滅を為せる相手に勝てるとは思わなかったようだ。
シーヌとティキはペガサスを四頭、後ろに引き連れて歩く。もう日はそこそこに上っていて、時間的には八時と言ったところだろう。
シーヌはテントを張っていたところまで近づいて、中の荷物を外に出し始めていた。
「ワデシャさん、頼みがあるのですが。」
その間にティキはティキで、自分達に必要なものを得るために彼らのもとへ行っていた。
ワデシャは朝からバタバタと、何人かに指示を出している。
「何かあったのですか?」
「五人ほど脱走兵が出まして。」
百人に満たない代表団で、五人の脱走は致命的だ。
「あぁ、それなら気にしなくてもいいと思いますよ?」
バッサリと彼の悩みを切り捨てた。
「……どういう」
「そんなことより、予備の馬の鞍、残り二つほどいただけませんか?」
相手の意見は無視をして、丁寧かつ穏やかに、猫を被って話を進めるティキに、ワデシャは早々に諦めたらしい。
「わかりました。売りましょう。4つ合わせて翠石七百個が相場ですが……。」
「迷惑量込で黄石一つ。それがこちらの妥協点です。」
帰りにシーヌに言われていた台詞をそのまま言う。それを譲る気がないのを見て取ったのか、倍ふっかけるつもりだったワデシャはまた諦めた。
もとより彼が最終的に要求する料金は、そのくらい
商人としては失格である。失格であるが、今の自分は商人ではないと彼は自身を慰めた。
代表団として、金銭問題なんていうくだらないことで余計な争いを生む訳にもいかない。ワデシャの考えは、ワデシャの中では実に合理的だった。
もちろん、この会話の展開すらもシーヌたちの思惑は入っている。シーヌたちの、というよりティキの思惑だ。
代表団の他の兵士たちが、自分達を排斥しようとする動きを減らす。それがティキの目的だ。
具体的にティキが取ったのは、ワデシャが要求する金額を呈示させないこと。彼が要求したであろう、黄石一個と翠石五百個という数値を口にさせないこと。
彼は商人として、シーヌに自分を認めさせることを考えたはずだ。
人間としてのワデシャ=クロイサではなく商人としての彼をシーヌに認めさせる方法はただ一つ。
商人としての交渉の腕と広い度量を見せつけることだ。
しかし、交渉をさせるわけにはいかない。最初の彼の台詞に対して一言でも拒絶を見せれば、兵士たちは「こちらに対する配慮はないのか」という意見になる。
結果、それまでかけられていたストレスとこれからへの不安と相まって、シーヌ排斥になるだろう。
ちなみに、この排斥にティキは加えられていない。シーヌ排斥のなかには、ティキと結婚しているという、ただの嫉妬も混じっているからだ。
ワデシャが兵士に命じて馬の鞍を二つ、持ってこさせる。商品がティキの手に渡り、ワデシャの手には黄石が1つ握られた。
同時にティキの背後でどよめきが起こる。
ティキはそれを聞いて、少し笑った。何かが誇らしいような、喜ばしいような、そんな気持ちが伝わってくる、自信に満ち溢れた力強い笑みだった。
荷物を畳んでペガサスの鞍にくくりつけて、もう一頭に鞍をかけてティキのもとへ向かった。
鞍しか乗っていないペガサスはシーヌが最初に戦った一頭だ。その上に、シーヌはひらりと飛び乗る。
天馬の上は、やはり高い分見える光景が違った。見える範囲が広い。
(これで飛んだらもっと違う風景なんだろうな。)
そんなどうでもいいことを思いながら、ティキのもとへと少し急ぐ。
シーヌが歩けば、兵士たちは道を開けた。兵士たちの瞳に写るのは、畏怖。あるいは、恐怖。
これまで見てきたのは、厄介者の視線と憧れの視線。ゆえに、その露骨な視線の変化には呆れる以外にない。
わかっていたのだ。彼らがシーヌ=ヒンメルに憧憬していられたのは、彼というものがわからないから。
ガレット=ヒルデナ=アリリードを殺した英雄として崇拝できたのは、その強さが想像できなかったから。
シーヌは何度もカレス将軍と戦って負けていた。それが、シーヌという人間を見誤らせる一因だった。
しかし、ペガサス四頭を従えるシーヌ、うち一頭は言葉を話す、といえば話は変わる。
竜殺しは、あくまで一般兵士には縁がない。ワデシャやカレスほどの実力なら存在は認識できても雲を掴むような話だろう。
しかし、それがペガサスとなれば話は変わる。ペガサスといえば、魔法を持たない凡人が一人で倒せる極致だ。ルックワーツの超兵と同格なのだ。
それを、四頭。同時に率いる、十六才の少年。
畏怖するなという方が無理な話だ。恐れるなという方が、無理な話だ。
それは台風を前にしたようなもの。地震に飲まれたようなもの。火山に身を投じるようなもの。
代表団は今はじめて、シーヌ=ヒンメル=ブラウという脅威を知った。今はじめてその隣に立てるティキ=アツーア=ブラウというものを知った。
今はじめて、冒険者組合というものを、想像した。
シーヌの歩みは止まらない。ティキの真後ろまでくると、ペガサスから下りて鞍を受けとる。
それを乗せている最中に……次の騒ぎは起きた。
「お、おい!離せ、離せよこの畜生!」
「な、なんでこいつらが……」
「見張ってたのか?せっかくの逃げる算段が……」
ワデシャははっとしてそちらを見る。それは、脱走した兵士たちの声。
何かによって彼らが連れ帰られたのだとわかり、安堵の息を吐いて……
目の前に出てきた人の脚を見てぎょっとした。それが三人分だったことにさらに驚き、それらを地面に降ろした何かの毛の色を見て仰天した。
碧。空よりも、海よりも濃い、碧。その毛を持つ生物、アオカミ二頭が、五人の兵士たちを連れ帰っていた。
ドサリと無造作に投げ捨てられた彼らを、ワデシャはとりあえず柵の中にいれた。
アオカミの大きさに、彼は自分の目を疑っている。
と、アオカミたちが二メートル近い高さから半分の高さまで、急激に縮みはじめた。え?と驚いたようにそれを見る。
二頭のアオカミは、まるで言うなよ、とでもいうかのようにウインクを1つワデシャに送ったあと、そのままそこに蹲った。
軽いめまいを覚えながらも柵の中に戻り、ティキを呼ぶ。彼らの飼い主は彼女だから、彼女を待っているのだろう。
彼女を呼び止め、柵の外に出し、脱走未遂の兵士を絞めにいく。
(どうしてハイエナが魔法を使うのですか)
という悩みは、心のすみに追いやって蓋をすることにした。
日が高く上りきった頃に、代表団は行動を再開した。今日からの食事は、水で溶いた小麦粉を焼いたパンになる。
ペガサスの里の出口付近には数匹の鶏がいるようなので、明日からは卵も混ざるようになる……というのが、アフィータの台詞だ。
それを聞いてティキは
「やめておいた方がいいですよ。100人分も用意できませんから」
といってさっさと切り捨てていたものの、水で溶いたパンケーキよりかはマシだろうな、などとシーヌは思った。
ペガサスが代表団と共に歩く。その姿を端から見ると、ものすごく気品に溢れているように見えるのだ。
だからだろうか、代表団の士気は目に見えて向上した。
ワデシャは「アオカミがいなくなりましたから。恐ろしいハイエナ二頭と美しいペガサスが四頭。その差なら考えるまでもないでしょう?」と言ったが。
まあ、兵士たちの雰囲気を見るにその通りなのだろう、と思う。
だから、シーヌへ向けられる視線への抗議は、無視しようと心に決めた。
「我慢ならないよ。」
夜にティキが言った台詞は、シーヌへの排斥の視線への抗議だろう。
わざわざ夜になってからシーヌへ直接いう辺り、ティキは代表団の状況をよく見ているのだろうが。
「今文句を言っても仕方ないだろう。代表団解散間際になってからにしなさい、文句を言うのは。」
言うなとは言わなかった。シーヌ自身が不愉快なのと、決して止まらないと割りきったのと。
ティキの頭をポンポンと撫でつつ、同じ毛皮の中にくるまる。目を瞑って、横になって。
明日は、ペガサスの里を出る。
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