急転は唐突に
四章、忘恩の商人編、開幕です。
城壁から見えたのは、煌々と輝く紅い光。それが、ルックワーツが燃える、その炎の輝きだと気がつくまでには、さしたる時間はかからない。
シーヌが言っていた。ガレットが何を領民に命じたのか。「街に火をかけて自害せよ」という命令に、素直に領民は従ったのだろう。
「セーゲルの代表代理、ガセアルート=ペディヴィット=アネイトといいます。どなたが王都からの使者であられますか?」
動揺を全く見せずに、彼はシトライアの兵士たちに向けて言った。動揺も焦りも恐怖もあるが、それを隠しきってこそ街の代表たる資格を得るから。
ザッ、ザッと門の前に並んでいた兵士たちの列が割れた。規則正しい地面を踏む音が、兵士たちの練度を表している。
「我が使者である。セーゲルの者共に国王陛下からの言を伝える。拝聴せよ。」
威厳ある言葉と声だった。それがどれほど厳選された人選なのかがなんとなくわかる、というほどの。
「ものすごく、国王の力というのを感じるね。」
「それくらいしないと、威厳が保てなくなれば国は終わりだから。」
シーヌとティキは兵士たちから見えない場所で、魔法を使ってその応答を聞いていた。
ガセアルートが使者に対して膝を折る。王の代理が、王の言葉を語るのだ。ネスティア王国の国土に住まうものとして、頭を下げるのは当たり前のことだった。
「セーゲルよ、国土を荒らし、お前たちの生活を荒らしたルックワーツは今滅びた。ゆえに余は、汝らに臣下としての務めを果たすことを望む。」
要は、さっさとセーゲルを代表する使者を寄越して挨拶しろ。そう言ってきていた。
「返答、如何に?」
使者が返事を促す。そこで初めて、ガセアルートは口を開いた。
「お言葉、承りました。セーゲル街の要人を2名、他護衛を数名、王都にお送りします。到着までしばし、お待ちください。」
ここで一旦、口を休める。長口上ではないが、一言一言がセーゲルの未来を変えるほどの重みを持つのだ。緊張を押し隠すことはできても、消すことはできない。
「そう、お伝え願えますでしょうか?」
言いきった。その安堵が彼の頭を支配する。
「承ろう。その言葉、必ず陛下にお伝えする。」
使者はそういうと、一歩だけ後ろに下がった。これは、早く戻れという合図。国王の使者が、一介の街の代表ごときに先に背を向けるわけにはいかないからだ。
ガセアルートはその意を受け取ると、スッと立ち上がって、一礼してから背を向けた。これで、この場は乗りきれたのだという安堵を、顔中に滲ませて。
結論として。シーヌとティキの結婚式は延期された。この街で優先すべき、アフィータとワデシャの結婚が延期された影響を受けてだ。
このことにシーヌは非常に安堵した。露骨に息を吐き、壁に背を預け、体を脱力させた。
(名だけでいい。僕に、結婚したという実は不相応にすぎる。)
復讐にいきる人間が、幸せを享受するなと許されない。
それがシーヌの考えであり、結婚式を拒絶する理由であり……たとえ、シーヌ自身が好きなのだとしても、ティキに一度も好きだと伝えていない理由。
彼女はいつか一人立ちしてもらわないといけないのだ。シーヌが守らなくてもよくて、シーヌに守られなくてもよくて……一人で生きていける女性になってもらわないといけないのだ。
無責任にもティキを放り投げなければならない。紅石ならまだ持たせることができるが、それ以上のこと……贅沢は、あまりさせられないのだ。
「……さて、そうなると、シトライアには一人で行く方がいいかな?」
ティキはセーゲルに多少馴染んだだろう。それに、聖人会はシーヌとは合わないがティキには合うだろうと思う。
「ダメ。絶対着いていくよ。」
扉の外からティキの声が聞こえたかと思えば、すぐさま彼女はシーヌのところまで飛び込んできた。遠慮なく胸に飛び込み、その体を抱き締める。
「夫婦だからね。絶対、絶対離さない。」
十人いたら八人は振り返りそうな、その顔をシーヌに向けて、目を離さずに宣言する。
シーヌはその目を必死に逸らそうと左右に振り、それができないとなるとすぐさま目をつぶって視線を合わせまいとする。
ティキの目を見ることが怖かった。あの時ティキを助ける方法がそれ以外に存在しなかったとはいえ、この結婚を後悔していないわけではない。
あの時、あの瞬間。ドラッドがティキの父親を出した時点で、ティキの未来は定まっていた。シーヌがいくら復讐を果たそうが関係ない。
ドラッドじゃなくても、デリアなり、アゲーティルなりがティキをアレイティア公爵邸へと連れていったはずだ。
だから、復讐以外を優先してでもティキを救った。ティキと結婚するという手段を取った。そこに迷いはなかった、はずだ。
「…………」
肩にティキの手が触れる。シーヌは頑なさを示すように、その顔を左に向ける。
ティキの一生を、シーヌは世話できない。その資格を彼は持っていないと信じているし、彼自身の命の保証すら、もはやない。
いくら“奇跡”を持っていても、死ぬときは死ぬのだ。
頑なにティキの目、ティキの言葉を受け入れまいと粘るシーヌの左頬に、ティキの手が添えられる。
正面へとシーヌの顔が向けられてなお、シーヌはティキを受け入れまいと目を堅く瞑っていて。
ティキは一瞬、目に悲しみを浮かべた。その後ぎゅっと目を瞑って、何かを覚悟するように数秒間深呼吸する。
シーヌは立ち上がることも、振り払うことも出来なかった。目を堅く閉ざしているからという理由も当然ある。だが、それだけではない。
ティキから放たれる無言のプレッシャーが、シーヌにとっては重かったのだ。ティキの中で何かが変わったことは気がついていても、それがここまでのプレッシャーになるとは予想できなかった。
(……どう、すればい、?!?)
気がついた時、自分の唇に何かが触れていた。柔らかくて、とても甘くて。
シーヌは衝撃でついつい目を開けた。そのにあったのは、目を瞑ったティキの顔。
(……え、嘘。)
キスを、シーヌはされていた。頭が真っ白になる。直前まで何を考えていたのか、少し飛ぶ。
その間にティキはシーヌの唇から自分のそれを離していた。目を見開いたまま固まっているシーヌの目を、じっと見つめる。
「着いていくよ、シーヌ。絶対に。だって、私はシーヌの妻だから。」
シーヌに立てなおる暇さえ与えず、しっかり目を見て意思を伝える。勝手に行ったら追いかけると、無言で視線で訴えかける。
一度目を見てしまえば、シーヌはそれから逃れることができなかった。覚悟の重さ、想いの強さを、その目から受け取ってしまった。
「わかった、わかったよ。諦めればいいんでしょ!」
やけくそだった。シーヌは思考が立てなおる前に、プレッシャーに負けて叫んでしまっていた。
ティキは満足すると、じゃ、式は次の機会でもいいですね、とか言いながら外へ出ていく。その足音が聞こえなくなると……
シーヌはへたりこんだ。いや、すでに座り込んではいたのだが、それにさらに脱力が加わった。
「……ティキから来るのかぁ……」
頭に上ったのは、まず、それ。後悔でもシーヌに与えられたレールの中でしか生きていないと思っていた女の子が、自分から動いたということへの、驚き。
(温かかった、なぁ……)
次に考えたのは、それ。柔らかかったし、甘かった。それも合わせて、温かかった。
もう一度、と思いかけた頭を振って、熱くなった顔を冷まそうとする。戦場では得られないような興奮は、シーヌの意に反して簡単には冷めてくれない。
「これが、幸せ、か。」
ほんの一時しか得られなかったそれを、もう得ないように望まないように、意識の外へと追いやる。
シーヌは冷めやらぬ頭を無視して立ち上がった。
ティキは何を言っても、どうやってもついてくる。それは十分にシーヌに伝わったからだ。
「仕方ない。式はあげてもらおう。」
再びここに立ち寄ろう。シーヌはそう決めてガセアルートに話すことにした。
「……何があったのです?」
ガセアルートはシーヌの心変わりに驚嘆しながら、それでもその台詞を搾り出した。
「何でもない。」
ぶっきらぼうにシーヌが言うが、その顔はほんの少し赤くなっていて。
「ティキに負けたのですね。」
その変化を、ガセアルートは見逃しはしなかった。シーヌはばつが悪そうに頬をかく。
あれほど徹底的に逃げようとしたのに、女一人で心変わりする自分に嫌気がさしたのだろう。
「しかし、帰ってきたらというのはどういうことですか?」
「僕も王都に、シトライアに、行きます。」
「……君、まさか。」
ガセアルートは驚いたように目を見開いた。そして、断ろうと口を開きかけ
「同行するとは言ってません。ですが、同行させた方が身のためだと思いますよ。」
ティキが、シーヌの後ろから言った。ティキはシーヌの後をつけて来ていたのだ。
「身のため、ですか?」
ガセアルートは怪訝そうに繰り返す。確かに、その言い方だと何も伝わらないだろう。
ティキもそれはわかっている。説明をするために、結果から先に話したのだから。
「セーゲル陣営の中で、誰が“赤竜殺しの英雄”を殺し、誰がクトリスを破ったのか……シーヌを連れていかずに、証明の方法がありますか?」
「ちょっ、ティキ!」
彼女の台詞に、シーヌが驚いて叫んだ。それはダメだ。冒険者組合は、決して傭兵ではなく。
それゆえに、シーヌがセーゲルの味方をした、と宣伝するわけにはいかない。これが、ガラフ傭兵団などのように、先に傭兵団としての名声があるならともかくだ。
「冒険者組合と敵対はできない!ティキ、まだ早い!」
焦りに焦って止めにかかる。ガレットごときにすら三度負けた。本物の冒険者組合と戦うには、シーヌは力不足だ。
「王都に行くんでしょ?」
「でもダメだよ。一人で動かないといけない。ワデシャたちは僕のことを話さずにはいられない。クロウの出だということも含めてだ。」
それがどうしたの?というかのようにティキが首を傾げる。シーヌは少し息を吐いて、言った。
「次の復讐相手は“黒鉄の天使”。ネスティア王国の元帥だ。」
復讐するには、真っ正面から戦えば戦う前に死ぬ、とシーヌは言った。
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