授与の聖人
ガセアルートは焦っていた。自身が受け持つ戦場は、膠着して動かない。もちろん、命は散り続けているのだ。が、どちらにも圧倒的な差が開かない。
もはやただの消耗戦と化していた。シーヌやワデシャたちが、敵側の主力と交戦しているにもかかわらず、その他大勢は未だにどちらも勝敗を決するだけの有効打を与えられていない。
「アスレイに伝令!後方で待機している300人を南門で交戦しているエスティナの元へ送れ!そのままアスレイはエーデロイセの部隊を敵後方へと転移、挟撃を開始する!」
手近にいた兵士に伝令を伝えた後、目の前に躍り出てきた愚かな兵士の頭蓋を剣でたたく。
鈍い音がして倒れ伏した兵士には見向きもせずに、数歩馬を前進させる。
「第二、第四部隊!後方へ下がれ!第三、第七部隊も中陣まで下がれ!第五、第六部隊、前線へ出ろ!」
挟撃の時に全力で突撃するためにも、若い数字の兵士たちはほんの少しでも休ませておこう、と指示を出す。老練の兵の方が、攻め込むときに指示がよく行き渡るだろうと、そう考えて。
エーデロイセの方は逆に、数字の若い部隊、もとい老練な部隊を先に出したようだ。若い兵士の方が突撃に向いているとでも判断したのだろう。
目の前に斬りこんできた一人の超兵を、部隊の三人が相手している。竜並みの怪力と耐久力を持った超兵といえども、所詮は人の肉体だ。一度に相手できる人数は限られている。
“授与の聖人”としての本領を発揮した。部隊にいる兵士たちの、基本的な身体能力を底上げさせる。これさえあれば、数さえいればルックワーツの超兵とでも、セーゲルの兵は戦えるのだ。
「今までいじめられた恨みだ、思い知りやがれ!」
叫びながら、恨みのこもった一閃が放たれる。恨み、憎しみ、絶望。あるいは、喜び、楽しみ、希望。感情が強ければ強いほど、人間は強くなる。
その兵士が放ったその一閃は、超兵を二歩も後退させる結果になった。その威力の誤算が超兵の首を少しずつ絞めていくことになり……。
一分ほどの交戦ののち、その兵士は脳天に剣撃を喰らって気絶した。頭は裂け、血が流れている。放置しても出血多量で死ぬような、そんな怪我だったが……
「死ね、死ね!」
セーゲルの兵士たちはまるで遊ぶかのように超兵の体をいたぶった。そうしなければ、本当に死ぬ保証はないからだ。
セーゲルの、いや世界中の剣で、本当に人を斬れるような剣は一万本に一本、あるかないかだ。セーゲルに唯一ある一振りは、将軍カレスが握っている。
剣は刺すものでも斬るものでもない。叩くものである。その重量と使用者の腕力によって、相手を気絶させ、戦いの乱戦の中で勝手に死んでいくのを放置する。それが正しい戦争の在り方である。
馬に踏みつぶされるかもしれない。味方に踏みつぶされるかもしれない。当然、敵が踏み荒らしていくかもしれないし、散乱する骸に埋もれて押しつぶされるかもしれない。
そんなことが何も起きずに、見事に生き延びる兵士はほんの一握りだけで、戦場では、争いの果てに死ぬものよりも、ただ幸運ではなかったがゆえに死ぬ兵が多いのだ。
(ルックワーツの超兵は一人として生かすわけにはいかん、が、ここまで兵が敵をいたぶるとは)
ガセアルートは兵に今まで我慢を強いてきていたことに気がついて、素直に恥じた。開戦時の雄叫びでも思ったが、兵たちは思った以上に、守り続けることに苛立っていたらしい。
北の門から鳴り響いていた、大気を振るわせるような轟音は消えた。続いて、北の少し西門側に見えていた赤竜クトリスの巨大な、恐ろしささえ感じるその姿が、巨大な光の柱に飲み込まれた。
戦場に、沈黙が訪れた。上位の竜という、普通の人間では勝てないと思わせるような、絶対的な王者の姿が、光の中に飲み込まれている。
静寂は、長かった。いや、長いと感じていただけかもしれない。光の柱が消えたとき、そこにクトリスはいなかった。“聖人会”の皆が恐れていた、圧倒的強者の介入は、圧倒的強者によって阻まれた。
「アスレイ、出来るな?」
「ああ、出来る。……クソ、本当にやられたんなら、文句は言っていられねぇじゃねぇか。」
この攻撃そのものに不満を持っていたアスレイは、興奮したかのように自分の権能を使う用意を始める。
「セーゲルのものよ、聞け!ルックワーツの自信の元、赤竜クトリスは、我ら聖人会の同盟者、ワデシャ=クロイサと冒険者組合ティキ=アツーア=ブラウが討ち取った!」
自分も、少し興奮しているらしいな、と思う。人が竜を討つ。それは、古今東西、英雄と呼ばれる者たちが成し遂げうる偉業だ。たとえそれが、いつでも起こりうるものであろうとも。
「世界に名を轟かす英雄は、それだけの力を持つ実力者は、ルックワーツにしかいないわけではない!」
聖人会は、英雄に名を連ねることが出来ないけれど。それほどの実力者はエスティナ以外にはいないけれど。
「我に続け!英雄たちに、無様な負け姿を目に入れさせるな!……勝つぞ!」
「おおおぉぉぉぉぉ!」
ワデシャは実にいいところでクトリスを仕留めてくれた、と、兵士たちの士気を見て感謝した。
「アスレイ!エーデロイセ!やれ!」
「アスレイ第1~第6部隊、突撃!エーデロイセの指示を聞き洩らすな!第7~第9部隊はガセアルートの指揮に従え!」
「エーデロイセ第1、第2部隊はガセアの指揮下に入れ!残り全部隊、何があっても足を止めるな、突撃だぁ!」
わぁぁぁ、という雄叫びと、興奮した様子で兵士たちが前に突っ切っていく。その正面に現れた巨大な円が突撃していく兵士たちを呑み込んでいく。
「ガセア、ルート。あとは、任せた。」
アスレイが汗を大量に額に浮かべながら、そう言った。今までにない規模で、彼は自身の権能を使ったのだ。もう気力が限界なのだろう。
「ええ、任せなさい。ここまでして、我々はもう負けられませんよ。」
指揮官としてではなくガセアルートという個人としてアスレイに返事して、再び叫ぶ。
「残った兵たちよ!動けるものは我に続け!……突撃ぃぃ!」
全軍が、突撃した。どんな怪力も、どんな頑丈さも。兵士の数の前では塵芥に等しい。それが、ただの兵士でないならばなおさらだ。
「セーゲルの兵よ!セーゲルの精鋭と呼ばれる、その老練さを今こそ示せ!」
ここで、負けるわけにはいかないのだ。ルックワーツさえいなければ、セーゲルはもっと発展することが出来たのだから。
ルックワーツとセーゲルの抗争は、お互いの力を疲弊させ、お互いの発展を阻み続けてきたのだ。それに。
「竜の力に頼って、その血を飲んで、人間の身から抜け出して!そういう反則で得た力を、聖人会は否定する!人間は、人間の力の優劣は、そんなことで決められるものではないのだから!」
結局。セーゲルにとって、あるいは“聖人会”にとって、この戦いは主義と主義のぶつかり合いで。
どこにでもありふれた、二人っきりの喧嘩と変わらない、くだらない戦争で。
「くだらなくても、構わないのです。」
ポツリと、そう呟いた。
「自分の、主義主張の押し付け合いでも、利権争いでも、何でもいいのです。」
ガセアルートにしか聞こえないような小声で。何度も言い聞かせるように。
「私たちは、人間だから。人間だから、戦争をするのですから。」
先代“攪乱の聖女”が言っていたセリフだっただろうか。人間は、人間である以上争いをやめることはできないと。
「力づくで、押し通らせてもらう。セーゲルの礎となれ、ルックワーツ!」
ガセアルートは、興奮のままに叫んだ。叫びながら、突撃の圧力と兵士たちにかける能力の底上げの魔法を強める。
「僕にもその魔法、かけてもらっていい?」
いつの間にか、隣に大きなハイエナに乗ったシーヌがいた。
「ええ。力を与えます。存分に戦いなさい。」
そのハイエナともども、“授与”の権能を行使する。その力が、どういうわけか、少しだけ性能が上がっているように感じた。
「ルックワーツの兵よ!お前たちの主、ガレット=ヒルデナ=アリリードは俺、シーヌ=ヒンメル=ブラウが討ち取った!」
ざわめきが、動揺が、極右減に達したと思った。どうしてかルックワーツの兵たちはすでに十分すぎるほど動揺していて、その動揺をガセアルートは見逃さずに攻撃していた。
ガレットの死は、ルックワーツにとって最後の一押しだったに違いない。なぜなら、完全にルックワーツの兵士たちが潰走を始めたからだ。
「一兵たりとも逃すな!」
ガセアルートの指示が飛ぶ。俺はそれを完全に無視して、“復讐”の魔法が反応する超兵を片っ端から斬り飛ばした。
「“授与の聖人”!」
シーヌはそれを終えると彼の元へと走ってきて言った。
「ここが一番、実力としては不足だろう。」
唐突な戦力不足発言に、ガセアルートは盛大に顔をひきつらせた。
事実だとわかってはいても、言われることに不快感と、それを上回る納得いかなさを隠せなかった。
南はエスティナがいる。東はカレス将軍とミニアがいる。攻撃の実力なら間違いなくセーゲルが誇る攻撃力だ。そんな、攻撃に特化した存在が、この西門には誰もいない。
「いや、罵っているわけではないですよ。思った以上に、攻め込んでいますから。」
きっと何かの殻を破ったのでしょう。そう独り言ちる彼の目を、じっと見た。
「何が言いたいのですか、シーヌ=ヒンメル=ブラウ?」
「最後の一押しですからからね。これをあげます。」
シーヌはハイエナから降りて、それをそのまま私に押し付けてくる。この大きなハイエナの速さは見たし、こんなものに乗って先陣を駆ければ、目立つこと間違いないだろう。
「それだけじゃあありませんよ。鞍を見てください。」
言われたとおりに鞍を見て、そこにあるものに絶句した。首だ。
「ガレット=ヒルデナ=アリリードの、首?」
そう、ルックワーツにとって神に等しいであろう、英雄。
「いいのか?」
「殺したらただの首だ。だが、意味はあるだろう。」
彼が、不安定なのがわかった。1つの大きな復讐を終え、それでもあふれかえる仇と、戦争の熱気にあてられているのだろう。
復讐鬼としての顔と、それを前面に出さないときの顔、その二つの間で揺れている。我々、いや私は、そんな未成熟な青年に、この戦争を左右するような役割を、与えてしまったのだ。
「大人失格だな……。」
呟いて、その独語を無視した少年の差し出した首を見る。
敵は動揺して、戦意を失った。挟撃で、戦術面でも優位に立っている。
あとは、超兵を一人残らず討ち果たせばいいのだ。
「感謝する、青年。」
そのハイエナに乗り込む。
「ガセアルートの第1、第2、第3部隊、集合せよ……私を守ってくれ。」
シーヌはその声を聴いて安心でもしたのだろうか。すぐに回れ右をした。
「私の馬を貸してやる。持っていけ、少年。」
「……借りていこう。」
そう言うと、シーヌはそのまま馬に乗って門の中に入っていった。向かうのは、南か、西か。
「これを見よ!お前たちの主の首はここにある!」
私の声は、戦場に朗々と響き渡った。そして、その首を高々と掲げると、渾身の力で殴りつける。
「死ねば、こうなる!敵兵よ、こうなりたいか!」
敵兵の戦意を削ぐことは、目的ではない。怒りを誘発することが目的だ。
事実、超兵たちから、ガレットに忠誠心の高いものから、怒り狂って周りも見ずにこちらに特攻してくる。実に、背後から襲いやすい。
超兵たちが全滅するのは時間の問題だろう。冷静さを欠いた兵士など、ただの的でしかないのだから。
この10分後。門を開け放って、一時間後。ルックワーツ=セーゲル間における抗争は、ルックワーツの全滅、セーゲルの千人の戦死という結果をもって、終了した。
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