弓兵と執事
老執事は少し焦っていた。彼はもう身の衰えを自覚している。彼の主の最終目的に追従した日から、執事は自分がその目的を話された理由をよく理解していた。
もう先が長くないからである。邪魔になったら、ちょっと追いかけっこすれば撒くことが可能で、かつ彼のイエスマンであり、今この瞬間手の届かないところを手助けする有能な者が必要だからである。
それがどうしたことか、城壁にいるバグーリダから弓の洗礼を受けて早数分、一方的に攻撃を受けているだけなのだから、執事は無能と呼ばれても仕方がなかった。
バグーリダとの縁はもう50年も前に遡る。自分は20代後半、バグーリダは30に乗ろうかとしていた頃だ。バグーリダはそのころすでに“空墜の弓兵”と呼ばれていて、二つほどの戦争に参加して悪名を轟かせてた後だった。
自身はと言えばルックワーツにあって弓兵として、そして執事として、優秀な成績を収め、ルックワーツの暫定的な将軍としての扱いを受けていた。セーゲルで言うワデシャの位置に、彼はいた。
最初に会ったのはルックワーツの隣にセーゲルを建てようとした時だ。王都に近いわけでもないこんな片田舎で、隣接した都市を建てようとしたバグーリダたち一行に、皆が激高して彼らを糾弾し、攻めたてた。
兵を送り込んで脅迫し、屈しなければ攻撃を加えて捕縛して追い払おう。そう考えて出兵した。
結果、圧倒的実力差を思い知らされるだけだった。冒険者組合に所属している化け物に、その従者。聖人会における“肉体の管理者”に加えて、“守りの聖女”。他にも何人かいた。
バグーリダがセーゲルを建てたのは、キャッツと聖人会の影響が及ばないところで結婚し、穏やかに暮らしたかったからだ。その目論見は見事に失敗し、勢力圏を増やしたがっていた聖人会に目を付けられ、政権を完全に乗っ取られたあげくに外へと追い出された。それがバグーリダという男だ。
最初は興味本位だった。バグーリダたちに圧力をかけに行ったときに出陣していなかったベスディナは、バグーリダに興味を持って一騎打ちを所望した。得物は弓。しかし、それだけで勝てないと噂を聞いて気付いていた彼は、いくつもの暗器を持って出た。
暗器をすべて使い果たして、魔法でそれらを作り出してまでして、ベスディナはバグーリダと互角に争い得た。“空を墜とす重力矢”すらをも、彼は対応してのけた。
初めて、自分の実力が世界に通用することを実感できた瞬間かもしれなかった。だからこそ彼はその時、バグーリダを越えたい、とそう思い。
以後50年。一度も相まみえることなく、政権から追われて行方を知らずに。
「まさか、今まみえるとは。」
飛んでくる矢の一本一本が死をもたらすだけの力を秘めていた。まるで流れ星が振ってきたかのように、回避した矢はクレーターを作る。
袖から小さな針を数本引き出し、投げる。“直撃”の意思を込める。彼は魔法をそう多くは使えない。使い慣れた道具、触り続けた道具の再現だけだ。
三念は、魔法を使えなくても使える。それは冒険者組合も知っていながら、どういうわけか公表しない事実だ。それは、ただの思念。意志、願望。
どうして概念魔法ではなく魔法概念なのか。その理由がここにあった。ちゃんと魔法を学習しなくても、三念は使えるのだ。むしろ、魔法技術に固執していない者の方が三念をよく使える。
当てる、という意志。越えたいという目標。ベスディナはこの瞬間、ガレットへの忠義を捨てかけた。どうでもいいと斬り捨てかけた。三方から迫ってくるルックワーツの兵士を見なければ、ベスディナはこのままバグーリダとの戦いに身を投じ続けただろう。
報告は、門が開いて戦場になっているということだった。ガレットにとっては都合のいいことこの上なかった。超兵をすべて殺すこと。それがガレットの目的なのだから。
しかし、あまりいい報告でもなかった。セーゲル側が有利なのだという。証拠隠滅を図らなければならない以上、セーゲルの人間にも全滅してもらわないと困るのだ。
最悪、聖人会とバグーリダは死んでもらわないといけなかった。あれらに生き残られると、いくらベスディナとガレット、クトリスと雖も、セーゲル全滅は時間がかかる。
だからこそ、クトリスを走らせようと決意した。竜をパシリに使うのは、これが初めてというわけではない。夜闇に紛れて何度か外へと乗り出したことがある。だからこそ、殺戮兵器として使われるのならまだ本望だろうと思ったのだ。
走った。飛んでくる矢を矢で撃ち返しつつ、クトリスの元へと走る。途中で自分の主に報告しようかと思ったが、元居た場所に見つからなかった。
「今すぐに東門へ行け!行って軍を支援せよ!」
クトリスのそばまで追いついて叫んだ。本当は皆殺しにせよと叫びたかったが、物事には順序というものがある。
クトリスの代わりに伝令にきた超兵に冒険者組合の女と逃げ出した愚か者の処分を命じる。クトリスが戦場に着くまでの時間稼ぎでもなればいいだろう。そう思いつつ、バグーリダとの距離を間に挟んだ一騎打ちに戻る。
“流星矢”を暗殺にしか使えないようなナイフで逸らす。飛んでくる光の矢を矢で相殺する。一本一本にとんでもない神経をすり減らす、綿密な調整が必要になる。
“直撃”と“貫通”を込めた針を合間に投げる。距離が距離だけに、お互いが攻撃をかけようとすれば結構なタイムラグが生じていた。
何の変哲もない矢が降ってくる。バグーリダがそんな無駄な攻撃を放ってくるはずもないと、油断はせずに空中で相殺する。
お互いがお互いに姿を見ないままに鎬を削る。ベスティナは楽しくて楽しくて仕方がなかった。この戦いは、ベスティナが若干有利だと彼は思っている。高所の利がある分バグーリダが勝っているように見えるが、見えるだけだ。実際はそんなことはない。すでにバグーリダは“空を墜とした重力矢”を使った。最大の攻撃力を誇る技はしばらく撃てない。
左手で矢筒から大量の矢を引き出した。右手で暗器を握って飛来する矢を迎撃し、対処しきった直後にすべての矢を一直線に放つ。
それはさながら空を飛ぶ龍のように。綺麗に一列に並んだそれは、綺麗だからこそベスティナの技量を顕わすものであり。
「なんと。」
たった一本の矢でそのすべてを同時に消し去られたあげくに、勢いやまずに迫ってくる矢を見て慌てて回避をした。
回避をしながら、思う。今まで、50年前から今日という日に至るまで、バグーリダが手を抜いている可能性があったのではないか、と。
あの光弾はどう考えても往年の彼が簡単に対処できる矢ではない。重力矢ですら、入念な準備の末、その間合いから外れることで、逃げることで対処したのだ。
「近づくか。」
あっさりとその決断をした。
遠間で勝てないのなら近づくしかない。彼自身もかれこれニ十分近い戦いと老いで集中力を欠いていたのだ。逃げるという選択を、ベスティナはしなかった。
走る。その行く先を読んで放たれた矢を、すべて暗器で斬り捨てた。二キロ近い距離。超兵ではないベスティナが走り抜けると、五分以上かかる距離。
続いて飛んできた光の砲弾と呼ぶべき一矢を足を止めて手数で相殺し、駆けだそうとした瞬間にはもう視界に入っていた炎の矢を数で撃ち落とす。
全く前進できない状況に歯噛みした。諦めて矢の対処にのみ専念する。北門にとりついた超兵たちがバグーリダを討ち果たしてくれる……そんな妄想に似た何かに、一縷の希望を託した。
「しぶといのう。」
零れたセリフは、いまだに攻撃に対処できなくならないベスティナに対して放ったものだ。とっくに倒れ伏していてもおかしくはないのに、狂気にすら感じる何かでバグーリダの攻撃をさばき続けている。
「あれがルックワーツにその人ありと謳われたベスティナですか?」
矢を射る手を休めないバグーリダに、ナミサが問いかけた。彼がセーゲルとの交戦に出てきたことはない。とっくに死んだものだと思っていた。
「そうじゃな。昔から、そこそこの強者ではあった男じゃ。」
手は休めずに言った。バグーリダは矢を三本番えると、光の矢を再び想像し、時差をつけて放つ。
「しかし、そろそろ終わらせたいところじゃの。」
そんなことを淡々と呟きながら、すぐさま再び三本の矢を番えて、集中するかのように目を瞑ると、今度は二本を雷の矢として、一本を空色の矢として放つ。
放ち終えたらすぐに五本の矢を番えて、別々の砲弾と保護色をした見えないやとして一つを放った。
「そろそろ対応できまい?」
呟きながら油断なく次の矢を用意した。もうナミサはそこから離れ、兵の指揮に戻っている。
防衛線において、“要塞の聖女”の右に出るものはいない。彼女がいるところ、それがすなわち、難攻不落の要塞になるのだから。
だからこそ、バグーリダは安心して矢を放ち続ける。重力矢を撃つのはもうつらいものがあるし、敵味方関係なく動きを制限することになるので容易には放てない。
しかし、彼の矢は流星に匹敵する威力を誇る。ベスティナが相殺する選択肢を選んでいなかったら、彼の周りはもうすでに穴だらけだっただろう。
バグーリダの目には硬直するベスティナの姿が映っている。おそらく砲弾のような矢は全て対処できたのに空色の矢は対処できなかったのだろう。
「一度手合わせしただけだったが……もう少し、楽しみたかったぞ、ベスティナ。今言っても遅いのだろうが。」
あの執事服を着た、一騎打ちを所望した青年の姿を思い出す。彼よりも弱いとはいえ弓でバグーリダと戦えるものは少なかった。競い合えるとまではいかなくとも、いい刺激になるかもなどとは思っていた。
念のため二矢、三矢と放つ。全てが刺さったのを確認すると、バグーリダは矢をおさめた。
あとは、軍勢を蹴散らすだけか。そう思ったときに、巨大な光の柱が、竜を飲み込む姿が目に映った。
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