赤竜と弟子
地に付した竜に、十数匹から成るアオカミの群れが襲いかかる。彼らは名もなきハイエナから、中位の竜の血を啜って生まれ変わったものだ。竜の血の貴重さ、そしてその重要さは本能で理解している。
ワデシャの矢が次々と飛んできて、クトリスの体を地に叩きつけ続けている。衝撃波はアオカミたちの足元まで届き、気を抜くと吹き飛ばされそうでもあった。しかし、そんなことで彼らの足は止まりやしない。上等な肉と自分を強化する血を前にして、獣に諦めろという方が酷であろう。
ティキは遠目にそれを眺めながら、魔法で創りあげた剣を投げる。その投げ方はあまりに不格好で、誰かに見せられるような投げ方ではないものの、真っすぐにクトリスの額をめがけて飛んで行った。
魔法はイメージである。投げるという動作が、軌道を制御するのにちょうどいい補助となってまっすぐにクトリスの元まで進んでいく。剣が脳髄を貫く寸前に、クトリスに気付かれ這って逃げられたあと、ティキはポツリと呟いた。
「正しい投げ方くらい教えてもらった方がいいかな?」
彼女の投げ方があまりに不格好だったことについては、自覚があるようだった。
クトリスはギリギリで回避した剣が真横に突き刺さって、すぐに消えていくのを目の当たりにした。純粋な想念で形作られた剣だったが、威力はクトリスにごまかせないような傷を負わせるのに十分なものだった。
今まで数で攻撃をし、クトリスに攻撃をかける余裕をある程度与えながら戦っていたのだ。しかも、クトリスの攻撃はほとんど全てが、おそらくセーゲルの聖女に阻まれていた。
千日手になるかもしれない、どっちかが疲れ切るまで続くのなら、人間ではない自分が勝つだろう。クトリスは上位の竜としての誇りも相まって、そんなことを思っていたのだが。
右脚に噛みついてきた変異種のハイエナが、熱で口を焼かれて転げまわる。もうそれは何かを食べることもできなくなるだろう。それくらい悲惨な火傷だ。
もう数匹が同じことを挑んで、二度とモノが食べられない口にされた。リーダーと思しき巨犬が、全員に攻撃を止めさせる。
クトリスは右の翼だけをはばたかせて、左へと体を飛ばした。元居た場所には一本の矢が飛んできていて、近くにあった草を数本、凍らせてしまう。もう一本正面から飛んできた矢を、熱のブレスで打ち消した。魔法使いの女の氷の矢は、跳躍して躱そうとする。
ドン、という音が真後ろからして、背中に軽い衝撃が走った。後ろに跳ぼうとした体が前につんのめり、氷の矢が目前に迫る。
はばたいて、体を後ろにそらした。はばたいた時に漏れた熱が氷の矢を溶かしたが、体はそのまま後ろへと倒れこみ、何かを潰す感触とともに無褒美に腹をさらした。
続けざまの攻撃を恐れて体を起こす。転がることによって翼に見過ごせないほどのダメージが入ったが、使えないほどではない。はばたけば激痛が走る程度だ。
「ティキさん!」
ワデシャが魔法使いに目くばせをして、高速で矢を放ってきた。弾幕を貼っているつもりなのだろう。あの弓兵の速射が、大した傷にならないのはよくわかっていたから、気にもせずに上空にはばたいた。全ての矢が竜を追いかける。その様はあたかも羽の生えた蛇が竜を追いかける様だ。
足の裏にすべての攻撃が入った。しかし、それよりも眼前に矢が追いかけてきてる方がクトリスにとっては問題で、足の裏に当たった攻撃が大したものでないことからも完全に無視して正面にブレスを吐いてしまった。
「ヤァァァァ!」
魔法使いの女が後ろから気勢を上げて攻撃してくる。今の今まで彼女が引接戦闘をしてくることがなかったから、クトリスはその可能性は排除して考えていた。
しかし、魔法使いの近接戦を恐れる理由は特にない。彼女のような遠距離での攻撃が可能な魔法使いは、遠距離の攻撃をこそ恐れるのであって近距離攻撃など恐れるに足りない。
なまじ魔法使いが、遠距離攻撃専門であるというイメージがしているからこその一般的な見方だが……クトリスは、さらに上空へと飛んで逃げた。ルックワーツの兵士はその強弓で有名だが、だからと言って近接戦闘が出来ないわけではない。
思い出した瞬間に、逃げの一手を打った。思い出すのが遅かったのが、彼にとっての不幸だろう。すでにニ十分を超える、休む間のない戦闘が、彼の集中力の大半を削いでいた。
「ッ。」
尻尾がその中腹あたりから、真っ二つに裂かれていた。トカゲのしっぽ切りでも出来たらいいが、竜にその機能はない。
せめて横に斬り捨ててくれたら熱による止血が可能だったのに、とクトリスは苛立った。血が落ちる。それを獣たちが舐めとり、さらにその身を変化させていく様子を彼はただ見ているしかできない。
いや、見ていることもできなかった。ティキの氷の槍、ワデシャの弓が次々と彼の後を追う。今のしっぽの傷に当たれば激痛が走る。それをわかっているから、決してクトリスは当たるわけにはいかず、蛇行するようにすべての槍と矢を回避する。
クトリスは、東門へ行けという命令を、この二人を殺さなければ達成できないと、今ようやく腹をくくった。
ティキさんがクトリスへと飛ばした槍はことごとく宙をきる。ここまですべて避けられてしまってはたまったものではないのだが、彼は知ったことかという様に避け続けている。
ティキさんと二人で戦うならば、全力を出して戦うつもりはなかった。冒険者組合員である以上、彼女も強いだろうし、アフィータの“庇護”と自分の弾幕さえあれば勝てるだろうと踏んでいた。
結果はこうだ。ニ十分経ってもティキさんは勝てそうにない。というより、役割が違ったのかもしれない、と思う。彼女は城で、兵たちを相手に戦っておくべきだったのだ。魔法は想像力に左右されるし、ティキさんの想像力はかなり豊かな方だろう。
しかし、大味すぎるのだ。いや、大規模すぎるというべきか。だからこそ、彼女は警戒を強めたクトリスに一撃たりとも当てられていない。
「アフィータ。ティキさんは護らなくてもかまいません。遠く離れて、私を守ってください。」
言って、弓に矢を番えた。魔法で作った矢も何本か用意する。ティキさんは槍を放つのをやめて、小さな冷気の弾を投げて軌道を操作することに専念している。
放った魔法を操作するのは、実はとても難しい。まっすぐに飛んでいく様を想像して放つと、それに足るだけの想いを込めておけば勝手に飛んでいくが、操作をするならずっとその魔法操作に意識を裂き続けなければならない。
(シーヌ君は魔法を撃つということより操作することに重点を置いていた気がしますが。)
ティキさんにはまだそこまで要求していないのかもしれません。そう思って、矢を放った。
魔法概念“願望”。冠された名は“必中”。そこに、当たれば大きな衝撃が走るという想像を込めて放つ。必中である以上、躱すことはできない。躱そうとしても、必ず後を追っていくのだ。
当たった。飛んでいる赤竜が、その衝撃で体制を崩す。飛んでいるときの姿勢制御を崩すというのはそれだけで大きな危険を伴うもので。
シーヌさんと何度も模擬戦をしていたティキさんが、それを逃すことはない。彼女はクトリスの背に捕まった。ああなれば、ティキさんが勝つのは時間の問題かもしれない、とも思う。
油断はせずに次の一矢を用意した。込めるのは“絶望”。冠された名は“竜殺し”。英雄に憧れ、ガレットに憧れて、それに裏切られた、その時のあの怒り。憎悪。失望、絶望。それをすべて矢に込めて元凶たる赤竜に狙いを定める。
上空で姿勢を立て直し、ターンしてきた竜がこちらへ急降下してくる。その腹からは血が噴き出していて、ティキさんが背から貫通させるような魔法を撃ったに違いない。
「やはり、クトリスは私の方を脅威と認識しましたか。」
放たれた渾身の炎の弾を、アフィータの“庇護”が相殺した。絶対に守り抜く。そういう意志がありありと見える障壁だ。
(これは、“庇護”は魔法と呼べない謎の光でしたが、魔法に見えます。)
きっとアフィータは、ワデシャ=クロイサを守りたくて、その望みを一心に願ったのだろう。もう、彼女の“庇護”は“庇護”ではなく、“信念”は“信念”ではないだろう。
「あなたが頑張ったなら、私もやって見せなくてはいけませんね。」
そう言いつつ、ワデシャは熱と障壁がぶつかることで立った煙が晴れるのを待つ。
「終わらせましょう、クトリス。」
ガレットに彼と対面させられた時、足が震えて逃げ出した。あの赤竜は、それだけ強大な存在に映っていた。
「今の私は、あなたを殺せる!」
あの恐怖を克服して、あの絶望を乗り越える。
「死ね、赤竜!」
眼前に迫った竜のブレスと、“竜殺し”が乗った、光に覆われた矢が衝突した。ここからは我慢比べだ。勝とうという意志、倒そうという望みが大きい方が、勝つ。
クトリスの背からティキが離れたことは、ワデシャの視界には映らなかった。もうすでに、ワデシャは赤竜を殺すことしか考えていなかった。
何秒の時が流れたのか。秒で済む時間だったのか、分だったのか。ワデシャは感覚が薄れていた。
時間の感覚などあるだけ邪魔だと、斬り捨てた。とにかく倒すことだけを、彼は考えていた。少しずつ押し始めた感覚が、弓の先から感じる。気は緩めずにひたすら倒れるように念じた。
竜の額に触れた。頭蓋のすべてを飲み込んだ。その瞬間、すべての抵抗が消えた。
光の矢が通り過ぎたあとにも、念のためさらに光だけは放ち続ける。
彼が起こそうとしたのは、歴史の再現。いや、民間で語られた伝説を本物にしようという意志。
――ガレット=ヒルデナ=アリリードは、暴走した赤竜クトリスとたった百人で戦闘し、99人の兵士を犠牲にするも、骨も残さず討伐させた――
その伝承通りに、赤竜クトリスは、ガレット=ヒルデナ=アリリードの一番最初の弟子、ワデシャ=クロイサの手によって、骨も残らずに消し飛ばされた。
終わった。ガレットの胸に去来した想いは、ただそれだけだ。あとは師の骸を見れば彼の願いは終わる。
「ティキさん!アフィータ!戦場へ向かいます、超兵だけは生かしません!」
シーヌの手はず通りに動けば、ガレットかシーヌ、どちらかの亡骸は見られるはずだった。だからこそ彼は、ガレットの後始末に走ることになった。
つまり、クトリスの血の抹消。だから、彼は戦場へと走る。
「アオカミ、乗せなさい!」
ティキは命じながら、自身もその背に乗った。ルックワーツの超兵はシーヌにとっても復讐相手が混じっているのだ。
ティキは、彼が出来ない分をやろうと思って走る。さっきまで立っていた光の柱は、ワデシャはもう消していた。
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