調教
“調教の聖女”。名を、ミニア=クジャック=アリエステン。兵士の身体的成長を促す魔法使いである。
彼女は聖人会に対して、全くもって忠誠心を抱いていない聖女だ。魔法概念“信念”。冠された名を“配下成長”。それがゆえに“調教の聖女“は純粋な戦闘技術を求められる。
配下を増やすには、この街のシステムに助けられるだけでは足りない。倒して、上司として認められなければならない。
カレス=セーゲル=アリエステンとは幼馴染みだった。今では夫。つまり、“調教”は……私は、
バグーリダ義父さんとカレスの常識を、心の内に宿している。
「そろそろ聖人会には出ていってもらいたくての。」
シーヌ君が独走した直後に、お義父さんはそう言った。彼ら聖人会、バグーリダお義父さんに言わせれば「民衆の奴隷」は、セーゲルのこれ以上の発展を妨げる。彼は私にそう言ったのだ。
「私は自分で決めさせていただけますか、義父さん。」
それを聞いて、私は当然のように尋ねた。ここにいるのが当たり前だとも、彼らに守ってもらうのが当たり前だとも思わなかった。
「うむ、合格じゃな、自分で決めよ。」
もうそろそろ30になるだろう、自分の義理の娘に対して、試す。彼は知っているのだ、とわかっているから、私は黙ってそれを受け入れる。
「父上よ、そこまでしなくても良いと思うのだが。」
カレスが私を庇う。しかし、庇ってくれるのはとても嬉しいが、私は試されて当たり前なのだ。
「ミニアは聖女じゃぞ?半分は人間でも、半分は道具じゃぞ?少しでも判断をわしらがしてみろ、すぐに完全な道具になるわ!」
「すぐではない、と思うのだが。」
「すぐではなかろうが、進めと号令するようなものじゃ。」
つまり、道具街道まっしぐら、と言いたいわけだ。
「そうですね。そう思います。」
私はクスリと笑う。笑いつつも、少しその立場を受け入れている私に憤慨するカレスを見る。
あぁ、彼は本当に優しいな、と思った。齢40を数えている彼は、私との結婚の約束も守ってくれた。
彼のためなら絶対に人間にしがみついてやる、と覚悟を新たにしつつ、カレスに問う。
「シーヌ君の剣はどうするの?」
「やるとも。そのためも兼ねた、『到着して3日』発言だと思っているからな。」
勝手に彼の台詞は解釈されていた。まあ、カレスのような脳筋には、そういう考えがとても似合う。
「というより、始めている。けっこう筋がいいぞ。道ではなく術で戦う辺り、実戦一筋であることは隠せはせんがな。」
「復讐を目指しているのじゃ、それでよかろうよ。どうじゃ、カレスと打ち合って、どれくらい持つ?」
お義父さんはシーヌ君に興味津々らしい。彼がそこまでの逸材だとは、あまり私には見えなかった。むしろティキさんの方が、才能があるだろう。
「身体強化ありの魔法なしで、5分。両方なしで、2分だ、父上。」
ほう、と感心したようにお義父さんが嘆息し、私も驚いて固まった。
「彼、素人だったんじゃあないの?」
「素人だった。しかし、死線をくぐり抜けても来たのだ。」
そして一度はくぐり損なって命を落とした。
「死を知っておる以上、あまりおかしなことでもない。死に敏感だからこそ、生き残れるのじゃろう。」
「そんな感じだ。どうも相討ちには躊躇いがなさそうではあるが、それ以外ならしっかりと生き残るな、少年は。」
彼の歩んだ道を、その険しさを、ひしひしと感じさせる一言だった。その重みは私の胸の内を少し、冷やす。
「それが、恐れじゃよ、ミニア。冒険者組合員は皆、似たり寄ったりではあるがの。」
これが、恐れ。ずっと彼に対して私が、というより私も含めた聖人会が抱いていたものがようやく言葉にされた気がした。
そうだ。シーヌ君という人間を1つ知る度に、恐れも1つ、大きくなる。彼と聖人会は確かに相性が悪いが、それ以前の内心問題だったようだ。
「……似たり寄ったりですか?どういうことですか?」
理解できずに頭をひねる。シーヌ君に抱く恐れ。ティキさんに抱く、彼とは質の違う、恐れ。そんなのがゴロゴロと転がっていると、いうことだろうか?
「魔法とは、価値観ではない。意志じゃ。ただの身体強化1つとっても、意志の強さで強化度合いは変わるのじゃ。」
言われて、頷く。一応ではあるが、それくらいならよく知っているつもりだった。
「……つまりだ、ミニア。最強組織の一員、というレッテルを貼られる冒険者組合員が、弱い意志なわけがないだろう?」
頷いた。シーヌ君が殺したというドラッド=ファーベ=アレイ。彼一人でもよくわかる。
“無傷”という概念を、長時間行使し続け、一瞬たりとも気を緩めずに相手の消耗を待つ戦いを得手とした彼。それをし続けられた意志は尋常のものではなく……
「まさか。いえ、まさか!」
その意味を悟る。というより、気付かなかった私がおかしかった。
「そう、その通りじゃ。」
バグーリダを見る。彼は現役時代、組合の中ではほぼ中位の冒険者組合員だったらしい。つまり、それに見合うだけの意志力を持っていたらしい。
彼はどういう人生を歩み、どういう戦いを描いてきたのか……私は気になった。それはもう、喉元までその質問がでかかった。
止めた。彼は先日、その人生においてとても重大な役割を果たしてきた妻を、失ったばかりだ。聞くのは、その痛みを更に抉ることになりかねない。
もうそろそろ、ルックワーツの兵士たちはここへ来る。シーヌ君たちとの会議で、城壁に拠って防衛するという基本だけは守られた。
この街に造られた砦はネスティア王国を守る最初の壁であるため、その壁は高く、厚く、堅い。
居住区ではセーゲルの街五万人の人間をしっかりと守り、城の周りには精鋭一万が控えている。五日交代で、二千人ずつが守りにつき、戦いの日だけ半数の五千人が戦いにでる。
(毎日二千人くらいは、叩き潰せるか)
訓練で誰かを叩く。セーゲルに染み込んだ団体戦闘の基本を、私の方でもなんとかしてみよう、と思った。
シーヌ君は必死になってカレスと打ち合っている。会議の翌日、カレスは彼の家に押し掛けて、剣の稽古をつけてやる!と叫んだ。
彼にとっても、益のある話だったのだろう。渋々ながらその申し出を受け、今必死に生き延びている。
隣ではティキさんも剣を握り、素人らしく型の稽古を受けていた。動きは遅いし、ぎこちない。しかし真摯に、真剣にその動きを反復している。
(足手まといになりたくないのか、それとも置いていかれるのを恐れているのか)
後者だ。ティキさんはシーヌ君に置いていかれたくない一心で、彼の隣で生き方を覚えている。
皮肉なことに、それはシーヌ君がティキさんを「一人でも大丈夫」と判断する期間を短くしているのだが、彼女はそうなることも予想しているらしい。
「だったら、彼が離れても大丈夫と判断したころには、私が彼に追いつけるようになっていたらいいの!」
とは彼女の弁だ。それをシーヌ君の前でみせるというのはどうか、と思うのだけど、それはそれ、彼女の問題だろう。
彼らの隣で、私は兵士を黙ってしごく。カレスほど強くはないが、聖人会の中で一番近接戦闘に強い私は、よく戦闘指南にされている。
それまでの過去を使って、私は聖人会に要請したのだ。兵士たちを、より使えるようにさせてくれ、と。
シーヌの首筋に刃が添えられた。カレスがようやく、シーヌ君をいたぶるのを止めたらしい。
カレスはシーヌ君に決してとどめをささず、ひたすらにどこが悪かったのかを示し続けたらしい。……峰で打つことで。
峰打ちでアザだらけのシーヌ君が、スッと立ち上がって体のアザを薄れさせ始めた。どうやってかはわからないが、彼はそういった芸当ができるようだ。
右手に持った鞭がうねり、兵士たちを吹き飛ばした。立ち上がれ!と叫ぶ。倒れている暇はないぞ!と、動かない兵士に鞭を入れる。
シーヌ君たちはそれを見て何かを察したらしい。逃げようとする兵士に、逃げられないように魔法の壁を展開していた。
「今回の戦い、なんとしても生き残れ!そのための術を、必死になって身に付けろ!」
飛び回り、しなる鞭が兵士たちの背や腕を打つ。
必死になって生き延びようと……逃げのびようとするその姿勢に、ミニアは頭が痛くなるのを感じた。
逃げ延びた先に、誰もいなければ、彼らはどうするのだろうか?
「ふぬけるな!これまでは常に我ら聖人がお前たちを守ってきた!しかし、今回の戦いはそうてはないのだ!」
聖人会と兵士が力を合わせれば、小さな被害でルックワーツを追い返せる。そんな幻想は、そろそろ捨て去るべきときだ。
……もう、手遅れかもしれないという、懸念はある。そもそもにして勝てば問題ないという、これをしない正当な理由もある。
しかし、ミニアは彼らの強化と、自力で生き抜く意志の育成を敢行する決意をしていた。理由は2つ。
シーヌ君にティキさんという、二つの超戦力には頼れないこと。ワデシャとアフィータもいないこと。“犠牲の聖女”の死。つまりは単に、戦力不足。
もう1つは、負けた時への保険。負けたとき、それは聖人会のセーゲル支部の崩壊を意味する。
一般市民は守られるだろうが、兵士は違う。守るものがいない彼らは、自力で生き抜かなければならない。
シーヌ君なら手遅れだと嗤うだろうか、と思った。これは私の自己満足でしかない。
聖人会で叩き込まれた「誰かのために自分を捨てる」と、バグーリダたちに叩き込まれた「自分のためだけに生きる」。そこから導き出された自己満足が、「兵士に自力で生きてもらう」だった。
……結局、私は誰かのために戦っているのかもしれない。ついつい、そういう風に思ってしまった。
「口に出てるよ、“調教の聖女”ミニアさん。」
訓練が終わった後の訓練施設で、横になってそんなことを考えていた私に、ティキさんが言った。
「誰もいないと思いましたから……流石ですね。」
言いながらも、どうやって隠れたのか、どうして気付けなかったのかと首をかしげる。
しかし、今はどうでもいいこと、と頭から振り払って、ティキさんの方へと向き直った。
「……聞いていらしたのでしたら、教えてください。どう、思いましたか?」
「どうしたらいいのかではなく、ですか?」
ティキさんが驚いたように声を出す。確かに彼女は驚いただろう。私が道を迷ったこと自体が、彼女にとっては驚くべきもののはずだからだ。
「ええ。この道自体は決意をしています。これが、聖人会の思考なのか、人間の思考なのか、わからないのです。」
だから悩むのだ、と、私はひとりごちた。
「いいと思いますよ。」
ティキは笑った。彼女の笑みは、悩んでいる私の心のもやを吹き飛ばすように明るかった。
「あなたは、セーゲルで生まれたのですよね?」
バグーリダさんに聞きました、とティキは言う。
どういう話に発展するのか読めなくて、私は軽く、頷いた。
「だったら簡単。あなたはセーゲルの指南役としてでも、聖人会の聖女としてでもなく、セーゲルの街を愛する一市民として、その決断をしたの。」
セーゲルを愛する一市民として。何故だか心に響いた。
そうだ。ここに住む住人も、一万人の兵士たちも、みんな、この街の人間だ。この街で生まれ育ったものたちだ。
「彼らを愛するからこそ、彼らを突き放す。あなたのやり方は、きっと母のそれだと思うわ。」
あぁ、ようやく、私が、わかったかもしれなかった。
「彼らを、守らないと。」
命を。尊厳を。そう決意して。
彼らを一人前の大人にするべく、これからも訓練で兵士たちの尻を叩き、生存本能を刺激してみよう、と、私は思った。




