会議
部屋の中は、とても暗い空気だった。バクーリダがこの部屋に来てから、そう時間は経っていないはずだ。つまり、それ以前からこれだけ空気が暗いのか。
シーヌはツカツカと遠慮なく部屋に入った。バグーリダの隣、ワデシャとアフィータの正面に二席、空いているのを見かけてそこへと歩む。
「ここで合っていますか、バグーリダ?」
敬意を払う相手は間違ってはならない。そう弁えていたがゆえに、シーヌは彼に確認をとった。
「あぁ、正しいとも、そこに座りたまえ。」
了承を取って隣に腰を下ろす。それに続くように、ティキが頭を下げて腰を降ろした。
「さて、メンバーが揃いました。再び情報共有をしたいと思いますが、よろしいですか、“空墜の弓兵”?」
司会役……“授与の聖人”ガセアルート=ペディヴィット=アネイトが老兵に確認をとる。“犠牲の聖女”亡き今、バグーリダは権力を奪われていたとはいえ、最も古参の一人として敬うべき人物だった。
「あぁ、構わない。ワデシャ=クロイサ。はなしなさい。」
その彼が指名したのは、かつてガレットの弟子だった弓兵にして現在の商人。
そういえば居たな、とシーヌは思った。一週間にわたる護衛依頼で一緒にいたにも関わらず、存在そのものを忘れていた。
その商人……ワデシャは少し深呼吸をすると、口を開いた。……シーヌに対して。
「シーヌさん。……何をしに行って、何を知っていましたか?何を新たに知って、何を為して命を落としましたか?」
シーヌはその質問の意図を、すぐさま読み取った。戦力、編成、秘匿した何か。シーヌにそのいずれかの情報を獲得できたかが知りたいのだ、彼らは。
ただ形式だけ整えられているだけ。出来レースだということは、嫌でもシーヌにわかる。
しかもだ。ワデシャ=クロイサがガレットの弟子だった以上、そもそも彼の方でもルックワーツの闇は知っているのだ。シーヌが話すことなど何もないと言ってもいい。
投げ出しそうになったところでらワデシャの表情が目に入った。必死そうにシーヌを見てみる。
(……これは、僕に対する信用の確認か)
ほんの一時でも協力するつもりがあるよならば、手を貸せ。彼らはシーヌにそう告げている。
「暗殺です。ガレット=ヒルデナ=アリリードの暗殺。僕はそれを為しに、一般人としてルックワーツに潜入しました。」
シーヌは今はただの冒険者組合員だ。最強組織の一員ではあれど、ティキとバグーリダという二人の構成員がいる以上、シーヌが偉そうにするわけにもいかない。
「僕の持つ魔法“三念”の一つによって、ガレットたち指揮官が軍議を開く場所に身を潜めました。」
それを聞いて、聖人たちが少し動揺した。そして、聖人たちが並んでいる第六席目……“自由の聖人”が発言許可を求めてきた。
「構いません、何か疑問点がありますか?」
シーヌは聞き返す。堂々としたその態度に少し気圧されつつも、その男は疑問を言った。
「今のシーヌさんの発言は、“三念”を複数使える。そういう意味に捉えられるのですが、そういう解釈で合っていますか?」
それを聞かれたことに驚いた。シーヌは確かに、復讐を果たしたいときにのみ現れる“三念”として“有用複製”を所持している。しかし、それ以外にも“苦痛”と“憎悪”を使っているのだ。“三念”くらいなら誰でも複数所持できるものだと思っていた。
「シーヌ、わしが代わろう。お前よりは多く情報を持っているからな。」
バグーリダが選手交替を申し出て、救われたというようにシーヌが頭を下げる。
感謝の意を受けて、バグーリダが言った。
「まず言うが、“三念”の複数所持は可能だ。冒険者組合員なら、戦闘員の8割は一つは必ず持っているし、そのうちの半数は“三念”の複数所持者だ。」
初めて聞いたその情報に、シーヌとティキが顔を見合わせるシーヌは先ほどの通り“苦痛”、“憎悪”、そして“有用複製”を持っているし、ティキはティキで“見栄”と“信念”の限定三念を持っている。
ということは、シーヌとティキは経験に裏打ちされた実力さえ伴えば、冒険者組合員の上位半数には入れるかもしれない、ということ。
「まぁ、先日シーヌが殺したドラッドの“無傷”のように、正真正銘一つあれば十分なケースもあるし、“三念”の所持量が多ければよいというものではない。……それでも10を越そうかというほど所持しておるものもおるがな。」
聖人会の七人がざわめいた。ワデシャは動揺がない。彼は複数の“三念”所持者を知っている。
シーヌはその後“奇跡”の話に移られる前に、強引に話を戻そう、と決意した。“犠牲の聖女”の能力がどのような“三念”かと言われるのを防ぐため、である。
「ま、聖人会では二つの“三念”の所持はできんよ。」
キャッツがイレギュラーだっただけじゃからのう。そう呟くバグーリダを見て、シーヌは再び口を閉ざした。
「な、どうしてだよ!」
エーデロイセが全員を代表して叫ぶ。彼女は聖人会+αの第8席……一番最後尾に座っていた。
「簡単じゃ。聖人会が持つ“三念”は、聖人会が行った思考統制によるものゆえに。伝統という名で縛りに縛った価値観で、多くのものが得られるわけがなかろう?」
(思考統制。なるほど、聖人会伝統の“三念”を得るために行う修行がある、とレポートには書いてあった。それならば一つに特化した“三念”くらい作れるかもしれない。
というより、アプローチはもしかしたらクロウの“奇跡”実験と変わらないのだろう、とシーヌがは思う。
違うのは、レールがあるかないか。クロウの奇跡実験は、あくまで精神を鍛えて、その先にある魔法威力を引き出そうというもの。
対して、聖人会の“三念”は違う。価値観を決定づけて、“三念”の能力以外の生き方をできなくする、“三念”への意思の強化だ。
「私たちを侮辱するのか!」
エーデロイセが怒号をあげる。シーヌは、彼女以外が怒りを見せないことに疑問を感じた。他の聖人、聖女たちは全く動揺した素振りすらをも見せないのだ。まるで耳栓でもしているかのように。
……違う。聖人に対する非難を、聞かないように躾られているのだ、と気づいた。気づけたわけは、錯乱の怒号すらも聞こえないという態度を貫いていたから。錯乱が怒っているのは、それが無意識のうちに躾けられた、「味方に対する侮辱に怒る」という価値観からだ。
「自分を磨く、ではなく自分達を磨く……?まさか、“犠牲の聖女”とは?」
この歪な躾に対する根幹は、そこにあるのだと思った。魔法を扱うものにとって、魔法の定義にしてはいけない大前提。
「そう、よくわかったな、シーヌ。こいつらは“三念”という技術は使うが、魔法は一つも使えないのじゃ。」
それを聞いてティキも驚愕に顔を彩らせる。自己犠牲の精神が一定以上に達したとき、どれかの価値観に染まった“三念”が現れる、ということだ。
これで信念とは、これほど歪んでふざけた話はそうないな、とシーヌは思った。
これで勝てるなどと思っていたことがバカバカしかった。一人は皆のために、皆は一人のためにとかいう、生物の根元から外れた価値観を平然と使用している。
そんなもので、人間は強くなれるはずがなかった。人間は、あくまで、一人だ。
魔法は自分のために使うもの。魔法の基礎論の一頁目に書いてあることを、まるっきり無視した組織が“聖人会”らしかった。
「話を戻しましょう。ルックワーツへの侵入の話でしたよね?」
気を取り直した。前提条件が多少変わっただけで、自分とティキとバグーリダがいれば大抵はなんとかなる、と思ってだ。
「身を潜めた場所の真下に現れた五人の超兵とガレットに、僕は暗殺を強行しました。復讐相手だった隊長は殺しましたが、他は取り逃がし、逃走の途中、殺されるに至りました。」
一端ここで話を切る。シーヌは自分が何日気絶していて今がいつかを知らない。
肝心なのは、彼が気絶して何日たったか、だ。なぜならば。
「彼らは会議でセーゲルへの侵攻を決定しました。理由はネスティア王国のルックワーツへの侵攻の決定。自分達の実力を知らしめてからの滅亡をお望みのようです。」
たった四百の超兵と、倍以上もの精鋭たちにこの街を囲まれて、今までと同じようにこの街を守れるか。
「準備はすぐさま始めるべきでしょう。なにしろ向こうには赤竜までいますから。」
ワデシャもいう。やはり、彼は赤竜の存在を知っていたらしい。
「ルックワーツの超兵は四百人。強さの秘訣は、赤竜の血の摂取です。ゆえに、超兵は一人一人が上位の竜と同等の実力を有します。」
彼が自分の持つ情報を開示しはじめる。最初からずっと知っていて、今の今まで黙ってきていたらしかった。
「そもそもにして、だ。奴の竜殺しの逸話そのものが嘘だ。あれは九十九人を犠牲にした、ただのデモンストレーションだ。やつは赤竜を殺していない、生け捕りにしたんだ。」
うっかりと復讐に燃える鬼の側面が顔を出し、憤怒を漲らせてそう言った。
あいつは、その赤竜に手綱をかけて、上に乗って……
そこまで思考をしたところで、ハッとなって顔を上げた。聖人会から恐怖にまみれた、あるいは信用のおけないものとしての目を向けられている。
恐れられるのは構わない。貶されるのも構わない。彼……シーヌにとって、自身の生き方とはむしろそうされるべきものだ。
しかし、信用のおけないというのは不味かった。特に“錯乱”に負けた以上、実力すらも疑われていて当たり前だ。
彼は少しの溜め息と同時に憂鬱を吐き出した。セーゲルが滅ぼされない方法は一つしかない。
ガレット=ヒルデナ=アリリードを殺すこと。それ以外に活路はない。
「ティキ。聞きたいんだけど、僕は何日寝てた?」
ルックワーツがセーゲルに攻めてくるまでの残り時間。つまりは防衛戦の準備期間。
シーヌの頭のなかにあるいくつかの勝利の道筋をなぞるためには、それを知っておかなくてはいけなかった。
「えっと、1日は、経っていないよ?」
そろそろ1日になるかもしれないけれど。そう、この会議中一言も話さなかった少女はこわごわと告げた。
「ありがとう。」
シーヌはもっとも勝率の高い手を想定した。バグーリダと、カレス将軍と、ティキやワデシャ。すべての戦力を使っていいならば。
「作戦があります。作戦というほどではないですが……聞いていただけますか?」
シーヌは勝率をあげるために発言した。その先に起こるであろうことは完全に予想して、それを飲み込んで。
上位の竜の力をルックワーツという一つの街に呑み込んだ詐欺師を倒すためには、そして同時にシーヌの復讐を果たすためには、必要不可欠な条件がたくさんあった。
「話なさい。ただし、わしはもう歳ゆえに、長くは戦えんぞ?」
シーヌは軽く頷く。
そして、彼は自らの願望を叶えるために、自分のための一手を口に出しはじめた。




