伝統
“犠牲の聖女”。その魔法を見て、美しいと、老婆に奇跡を託された四人は、そう思った。
その光は、強く、優しく、そして人間味に溢れていて。
“犠牲の聖女”が使った魔法は、まさしく奇跡としか呼びようがなく、同時に偉大な何かであるがゆえに、恐怖感を抱いていた。
あれは、人間が行っていいものではない。そう、“授与の聖人”は感じた。
動かなくなった躯は、その血で大地を染め始めている。これが聖人会が持つ奥義だったのだ。そう、彼は認識した。
奇跡。その言葉がふと頭をよぎる。シーヌは昔言った。第三の魔法概念を超えた魔法があるのなら、それはきっと奇跡というんだ、と。
これがその奇跡か、とティキは目に焼き付ける。そして、生き返ったシーヌを抱えあげて抱き締める。
風の力で浮かせて、言った。
「一端セーゲルに帰ります。匿っていただけますか?」
いきなり何を、と思われたかもしれない。それでもいいと、ティキは判断した。
シーヌはまだ目覚めない。一度、死んだのだ。死んだという事実ごと“犠牲の聖女”がもっていったけれど、それでも死んだことには代わりない。
彼を休ませる必要があった。眠らせる必要があった。
こんなところで、彼の目覚めを遅らせるわけにはいかなかった。
“授与の聖人”は、その葛藤に気づいていただろう。気づいた上で、“犠牲の聖女”の意図も読んだ上で、こう言った。
「何を報酬にいただけますか?」
彼は、賢かった。私たちが今、彼らに与えられる報酬など、一つしかない。
シーヌもきっと、文句は言わないだろう。結局、手段は違えど目的は果たせるのだから。
「戦力として、私とシーヌの力を貸しましょう。ただし、単体戦力として扱ってください。」
私が宣言した。シーヌは気絶していてそれを知らない。彼が気にくわないなら、彼なら一人で逃げるだろう。
「……集団行動をしない、という意味か?それは困る、というかそんならいらないぜ?」
まるで現実から目を背けるかのように、“錯乱の聖女”が文句を言う。
彼女のせいで、シーヌは一度死んだのだ。そう思うと怒りがわき上がってくる。すんでのところでそれを押し止めて、言った。
「冒険者組合員という常に単体戦力としてあるものに、集団行動を望みますか?きっと戦列は崩壊しますよ。」
防衛戦において、彼らは強い。しかし、私たちを組み込むと、ほぼ間違いなく弱体化すると言えた。
今までは単体戦力とし
てあるのはカレス将軍だけだったらしい。
それなら、聖人たちも誰に支援をすればいいか、わかりやすかっただろう。ワデシャ=クロイサが増えても、まだ大丈夫かもしれない。
でも、ティキは知っている。シーヌと自分、冒険者組合員という枠組みが、戦時においてどういう感情を沸き起こすのか。
すがられるだろう。例えまだせいぜいカレス将軍たちと同等の戦力しかなくても、それ以上の支援を得られるだろう。
結果、兵士たちへの支援が減る。そうなると、防衛戦は成り立たない。
それに。
(シーヌも私も、自分を強くしないと)
きっとシーヌはそれを思ってエーデロイセと戦ったのだ。結果としてこうなったが、それでも彼の思考はまっとうに冒険者組合員のものだ。
(それに、生存本能を刺激する方が、強くなれるかもしれない。)
それより、早く合意をもらいたい。キャッツの躯を運びたい彼らの意向など全く無視して、シーヌをセーゲルに戻すことばかり、ティキは考えていた。
「……構わない。ただし、軍議に出席することが条件だ。」
“要塞の聖女”が言う。彼女がセーゲルの防衛戦の要であることは、その名称が証明している。
シーヌの復讐を叶えるなら、彼らの動きを知っておくことに損はない。
「……かまいません。ただし、ガレット=ヒルデナ=アリリードを発見したら必ず私に教えてください。」
1つ、1つ。お互いが焦りを抱えながら、それを隠して交渉する。
片やシーヌの容態が取り返しのつかないことになる可能性に怯え。
片や“儀式の聖女”の躯を持ち帰られないことに怯えている。
しかし、ワデシャ=クロイサは別のことに怯えていた。
「早くいきましょう。もうすぐ日が昇る。こうなれば、私たちは彼らに包囲されますよ?」
慌ててティキと聖人会の面々が空を見る。ここはまだ暗いが、それでも白み始めている。
「て、撤退を開始する。ティキ様もシーヌ様を連れて参られよ!」
今はこんなところで無駄な時間を過ごしているのではなかった。
馬に乗って全力で駆け出す。ティキはシーヌを浮かせて操りつつ、自身も馬に合わせて空を飛ぶ。
最後にさっと、ティキはルックワーツを振り返った。4人の影が、城壁の一番上に見えた。
必ず、殺す。彼女を怯えさせた、孤独と死の影を与えたものを、必ず殺す。
そう、彼女は決意して。
魔法概念“信念”。その区分は“恐怖”。冠された名は“我、失うものを恐れる”。
“三念”以上“奇跡”未満の、魔法の才能を、限定的な強さを、彼女は得た。
あぁ、死んだか、我が妻よ。
お前の人生は、セーゲルに捧げてくれたことを、俺は知っている。
そのために彼女は、俺と結婚したのだ。そこに間違いなく愛はあったが、セーゲルのためという政略も間違いなくあった。
あぁ、その死を、シーヌ=ヒンメル=ブラウは理解できるだろうか。奇跡に興味を持つだけだろうか。
あの魔女を紹介してやらねばなるまいな、と思う。しかし、今は。今だけは、泣くことを許せ。我が妻よ。
きっと、10年は待たせぬ。だから、先に天上で待っていろ。
「わしの最後の戦働きかもしれぬ。しっかりと見て、惚れ直せよ、キャッツ。」
老兵は、地平線の彼方の土ぼこりを眺めて、動き出した。
「聖人会が思考操作によって受け継がせ続けた、伝統ある聖女は、もう消える。お前が最後だ、“犠牲の聖女”キャッツ=ネメシア=セーゲル。それが終われば、迎えにこい。」
それを妻が望まないことはわかっている。望まないからこそ、伝統を受け継いだからこそ彼女はあの奇跡を使えたのだから。
わしのエゴに、付き合って滅びろ、聖人会。そう思いつつ。
伝統の聖女の躯を抱きに、門の前へと老兵は歩む。
さあ、“空墜の弓兵”の戦場だ。
今回で『伝統の聖女』編を終了します。
次は明後日、『竜呑の詐欺師』編です。
伏線回収?
……大分先です。




