クロウの亡霊
「そう怒るなよ、ドラッド=ファーべ=アレイ。もう私たちは、この時点で、ほとんど手出しをしないことを決めている。」
最終決戦だ。シーヌもティキも、もう最後の戦いに臨んでいる。チェガは意識を失っているから、『クロウの亡霊』たちはその体から離れている。もう彼が起きることは、戦いが終わるまでないだろう。
“単国の猛虎”にはクロウの亡霊の手助けはいらない。そもそも亡霊たちは、シーヌとかかわる人たちに憑りつけても、シーヌとほとんどかかわりのない人たちには憑りつけない。彼の決断は、彼だけのものだ。そこに亡霊の入る余地はない。
「デリアは自ら僕たちの助力を拒んだ。グラウは僕たちの助力要請を受け入れてくれたから戦っている。アリスはシーヌとのつながりが薄い。ファリナは夫とともにあるだけ。僕らの手助けはすべて、シーヌとシーヌの敵にしか向いていない。」
最初から、そう。シーヌが復讐を始めるよりずっと以前から。
クロウの亡霊たちは、シーヌの友であり、道しるべであり。
シーヌ=アニャーラという少年が幸せを掴むための“基石”だった。
「どこから話し始めればいいんだろうね、アレイティア公爵?……あぁ、ごめん。礼儀はわからないんだ。」
「亡霊に礼儀を求めても意味がなかろう。」
無邪気な少女に代わるかのように、気が回りそうな少年の声に代わる。とはいえ、気が回るというのは6歳にしてはという程度で、それ以上にはどうしてもなりえなかったが。
「そう、助かるよ。で、どこから話せばいい?」
「……そうだな。お前たちがクロウの亡霊だというのなら、その目的は、何だ?」
「目的、目的かぁ……そこからなら、わかった。それより前、最初から順を追って話すべきかな。」
ドラッドの方で、ギュレイが。そしてティキの前で、ビネルが。
かつてのシーヌの友であり、見守るものであり……故人たちが、話し始めた。
そもそも、シーヌに目覚めた“奇跡”は、シーヌのものではないんだ、ということは知っている?知らない?
そう、なら話しておこう。シーヌは別に、“奇跡”を得ていない。もちろん、“奇跡”を得るほど仇たちを憎んでいた。それは間違いないけど、本当の意味でシーヌは“復讐”の奇跡は得られないはずだった。
なんでって、言うまでもない。僕たちが、彼の家族たちが、何よりライバルが、シーヌに臨んだことが復讐じゃなかったからだ。
誰もが口をそろえて『幸せになれ』って願った。みんながみんな、それを心から願って口にしていることを、誰よりもシーヌ自身が、強く強く、理解していた。
驚いた?そうだよね、驚くよね。シーヌは“復讐”の奇跡を手に入れて、“仇に絶望と死を”願って復讐し続けた。そこに嘘偽りはない。
おかしいことじゃない。シーヌに“復讐”の“奇跡”が芽生えたのは、『歯止めなき暴虐事件』以降じゃないだけ。クロウにいた騎士団、“守護神”マルスとその息子ジェームズが死んだ、その時から。シーヌは“復讐”の奇跡を得ていただけだよ。
おかしい?今確かにシーヌは『“奇跡”を持っていない』って?
違う違う。シーヌがえた“奇跡”がシーヌのモノではない、って言ったんだよ。これは、……一人残らず殺された、クロウの自衛軍の“奇跡”だ。息子のジェームズが殺された。同僚が、後輩たちが殺された。何より不意打ちで死んだ。そんなマルスの憎しみが、“奇跡”という形になろうとした。同時に死んだ騎士団たちも、その遺志に引っ付くようについて行った。
それに、争いの種を持ち込んだ研究者たちにも、マルスたちは怒っていたんだ。まだ“洗脳話術”による洗脳は解けていなかった……成仏しても解けていなかったと思う。から、バデルの先代当主にはその恨みは向かわなかったけど、隠れ蓑にされた研究者たちは復讐の対象にされた。
でも問題が……大きすぎる問題があった。彼らは死んでいる。死んでしまっていたから。自らの手で、復讐を果たせない。
その恨みつらみを晴らすには、生きた人間に憑く必要があった。
……そうだな、ドラッド(アレイティア公爵)。お前たちの言うことはもっともだ。確かに、普通は、死ねばただの屍だ。死後に意思が残るなどありえるわけがない。
だが、クロウは“奇跡”の研究をしていた。しかもその研究方法は、ただ『意思』を強くすることによって、きっかけ一つで現れる“軌跡”の発生を促すものだった。
だったら。死ぬ間際に感じた恨みが“軌跡”になっても……死んだ直後に、“軌跡”を思い描いても、おかしくはなかったはずだ。
ようは。もともとあった研究がきっかけで、死後も恨みを持ち続けることが出来た人間たちが、こぞってシーヌに憑りついたのだ。
ほかの人では無理だった。ギュレイはすでに妻がいた。ジェームズの妻も復讐よりは息子への愛が強かった。既に人生が進んでいる人間ではなく、まだ無垢な人間でないと憑りつけなかった。つまり、マルスの身内で条件に合致するのが、シーヌか、エルか。その二人。マルスたちが憑りついた結果、きちんとマルスたちの遺志を継げるのは、シーヌだけ。
シーヌは、マルスたちの恨みを晴らすために、その身に“復讐”の“奇跡”を宿した。だから、“復讐”はシーヌの“奇跡”じゃない。クロウの自衛軍の“奇跡”だ。
……話を戻そう。シーヌは“奇跡”を獲得したのち、『歯止めなき暴虐事件』に遭った。
そう。最初から。順番が逆なんだ。虐殺されたから復讐を決めたんじゃない。復讐を決めてからシーヌ以外のクロウの民……僕らは虐殺されたんだ。
逆恨みとか言っちゃだめだよ?もし虐殺されてなかったら確かに逆恨みだったかもしれないけど……虐殺された事実は変わらない。復讐する相手が『シキノ傭兵団』と“災厄の傭兵”だけだった状態から、一気に数十倍……数百倍かな?まで膨れ上がった。ただ、それだけのことなんだから。
僕たちの目的を聞いたね。わからない?こんなに単純なことなのに?……君たちを殺すことじゃない。復讐することに、僕たちはみじんも価値を置いていないよ。だって僕たちはもう死んでいるから。
僕たちとマルスさんたちの違いは、そこだ。不意打ちで殺されたり、戦争で負けたというマルスさんたちと、純粋に虐殺された僕たち。多分、戦いの場に近かった人たちの方が、礼儀もない殺され方は耐えられなかったんじゃない?
そんなことはどうでもいいんだ。僕たち虐殺された人間たちにとって、復讐は過程でしかないよ。僕たちの望みは最初からただ一つ。クロウのたった一人の生き残り、シーヌ=アニャーラという友人、家族、知人……彼を幸せにすることだけ。
でも、シーヌが誰よりも理解しているように、僕たちもわかりきっていたんだ。シーヌが、ただ一人生き残ってしまったシーヌが、今すぐには幸せになれないことは。
僕たちを忘れて、あるいは押し込めて、幸せになるための道を歩もうとしたとして。あまり考えられないけれど、恋人が出来て、復讐を考えずに歩きだしたとして。
シーヌは必ず、僕たちがいないことを思い返す。彼は優しいから、僕たちも一緒に背一兆した時のこと、叶えるはずだった夢を思い返すに違いないんだ。
そうすればもう、後は転げ落ちるだけ。つかみ取った幸せも、過去の後悔の前では・・・・・・しかも、虐殺されて生き残ってしまったという後悔の前では、掴み取った幸せなんて大きな意味をなくしてしまう。
わかりきっていたんだ。シーヌだけじゃない、僕たちだって、シーヌがそう考えることはわかりきっていた。だったら、シーヌに幸せになってほしいと願う僕たちが出来ることなんて決まっている。
幸せになれる環境を整えてあげなければいけない。幸せになるために、後悔の清算を終わらせなければならない。だから、僕たちは復讐に手を貸した。
幸いにして、シーヌにはマルスや軍のみんなが遺した“復讐”という“奇跡”がある。とんでもない意志力を持った人が、断末魔に望み、多くの軍人たちを引っ張った恨みがある。それに、僕たちは村人の総意という形で食らいついて、乗っ取った。
え?じゃあシーヌに復讐じゃない未来を与えられたのじゃないかって?それは無理だよ、ティキ。さっきも言ったでしょ。シーヌは、後悔を清算しないと幸せになれない。慣れても、それは砂上の楼閣よりももろい代物でしかない。
何かを……そう、幸せを得るには、得るための基盤が必要だ。心構え、幸せを幸せととらえる力と言ってもいい。それは、特に、僕たち過去の後悔を抱えていれば絶対に得られないものだ。だから、復讐に手を貸した。
“次元越えのアスハ”と邂逅させた。冒険者組合に入る決断が出来るよう、情報の入手経路すら弄った。必死に復讐仇たちは死なないよう、シーヌが復讐を果たすまで生き続けられるよう、彼らを護ったことも一度や二度の話じゃない。“黒鉄の天使”なんて、何度暗殺されかけていたか。
確かに彼は強いし、暗殺者に後れを取るようなこともなかったけどさ。そういうことじゃない、何があってもおかしくなかった。他も一緒だよ。死んでもおかしくなかったし、ドラッドなんかほら。ガラフ傭兵団には絶対負けなかっただろうけど、ずっと逃亡生活は続けられない。いつ死んでもおかしくなかった。
だから僕たちは、必死にシーヌの仇たちが死なないように努力してきた。寿命を迎えることすらも阻止してきた。そうして、シーヌは復讐の準備を始めて……君と出会った、ティキ。
最初に言っておくよ、ティキ。君とシーヌが出会ったのは、偶然じゃない。同時に、僕たちにとっては、君である必要はどこにもなかった。
僕たちはシーヌが幸せになればよかった。幸せになろうと思えれば、幸せを掴むために努力して、きちんと塩飽汗が掴み取れれば、それでよかった。
復讐は、シーヌが幸せになろうと、幸せを目指すために絶対に得なければいけない儀式だ。それを捨て去るという選択肢だけはあり得ない。じゃあ、どうするか。
シーヌには、幸せを感じてもらう必要があった。幸せをその身のそばに置いておく必要があった。だから、僕たちは。シーヌに恋人を作る必要があった。
同時に、恋人という関係性は弱い。シーヌが幸せを感じても、信じられなかったり……逃げ出せるような状況だったら意味がない。だから、僕らは、シーヌを義務で縛りたかった。
シーヌの復讐に付き合うことが出来る。可能なら、隣に並び立てるくらい強い。もしもシーヌがその恋人を守りながら復讐するとなったら、復讐が遅くなる可能性もある。そうなったら怖いのは、僕たちの寿命だ。
僕たちはマルスと同じように、自分が死ぬ前の断末魔だ。シーヌに幸せになってほしいという、願いそのものだ。でも、世界は僕らの存在を許しはしない。
いつかは消える。シーヌの幸せを見る前に消えるか。それとも見てから消えるか。……僕らはどちらも選びたくはないけど。でも、シーヌが幸せに向かい始めるまでは全力で後押ししておきたい。
シーヌが幸せになるために必要なのは何だと思う?違うな。復讐を果たした先。人を大量に殺した先で。シーヌは素直に幸せになろうと思えるかな?
僕は、思えないと知っていた。あの日のシーヌと同じなら、シーヌはとても優しいから。殺した彼らのこともまた想うだろう。復讐は正しいことだと言いながら、虐殺した彼らの行為そのものを悪かったと言えないシーヌは、どうしても。
だから、僕たちは望んだ。シーヌと並び立てるくらい強くて、シーヌの復讐に嫌悪を抱くこともなくて、同時に、復讐を終えた後、幸せになるための困難が待っている、そんな子は……恋物語に憧れたアレイティア公爵家の奴隷たる令嬢ティキ=アツーア・アレイティア。君しかいなかった。
君にやったことはただ一つ。僕たちが全霊をもって、とある技術を与えただけ。
その名は、魔法概念“奇跡”。その区分は“憧憬”。冠した名は、“恋物語の主人公”。そうだよ、ティキ。僕は、僕たちは、君の中にくすぶっていた異常なほど大きな感情を、奇跡として形に整えた。でも、それだけ。シーヌのために動いた君の行動は、君だけのものだ。だって僕らは、君が動かなくてもシーヌが復讐できるように準備していた。……君はこの一年間、最初の数か月を除いて、常に僕たちの予想の上を行っていた。それはとても、すごいことだ。
そしてシーヌには。ティキに対する恋心を、植え付けた。本当はそんなことありえなかった。彼に幸せは望めない。幸せになろうと思えない。
復讐を目指し続ける限り、彼はクロウで出来ていた恋心もまた、捨てられない。
それを、押しとおした。やってはいけないこととわかっていても、シーヌに恋心を押し付け、植え付け、しばらくして……。
ティキ。僕らはもうシーヌに恋心を押し付けていない。でも彼は、君と過ごすために、ここまで。天下のアレイティア公爵家まで押し掛けた。決断は、彼がしたものだ。
僕らは、シーヌの決断に合わせて、動きやすくなるように周りの環境を整えていたけれど、彼の決断そのものは誘導しなかった。僕らにも寿命が……使える資源の限界があるからね。あまり強い力を使えなかったんだ。
だから、今の決断はシーヌが自分でしたものだ。……僕らの言葉が信じられないなら。君の感じる、シーヌを信じてほしいと、僕らは思う。
アレイティア公爵。あなたは完全なとばっちりを受けている。恨んでもいい。でも、ごめん。僕たちのシーヌが幸せになるために、あなたを犠牲にするしか、ないんだ。
そしてドラッド。僕らは君を意図的に逃がした。理由がいるかい?……そう。
とても、とても簡単だ。僕らの助力はここで終わる。シーヌはもう、僕たちの助力を、いま生きている人たちの助力を借りてここまで来た。だから、後は。僕たちの手を借りず、最後まで幸せに向けて駆け抜ければいい。
最初の復讐仇ドラッド=ファーベ=アレイ。僕らによって傀儡にされた哀れな犠牲者よ。
マルスが遺した“軌跡”は消えた。もうシーヌは、独力で歩いている。
シーヌは、きっと。あの日“奇跡”に頼って成し遂げた復讐を、己の手のみで成し遂げて、過去の清算を完全に済ますはずだ。そうして欲しいと、僕らは切実に願っている。
……え?君が話すの、シャル?えぇ……。はい。
ティキ。私はもう、シーヌと会えない、これが最後の邂逅で、もうこの世から消えてしまうことになる。
私はあなたにシーヌを渡したくないよ。私たちはずっと一緒だもん。
だからね、ティキ。もしも死後の世界なんてものがあるのなら。それか、もしも生まれ変われるのならば。
絶対に、シーヌは私と一緒にいるんだから!!
「……みん、な。」
「シーヌ。クロウの亡霊はもうすぐ消える。」
それが定めであるかのように、ビネルは呟いた。
「……ありがとう。」
色々と詰まった、ありがとうだった。彼らがシーヌの復讐を望んでいないことは、わかっていた。ここまでやってしまったシーヌは、嫌われていても仕方がないとすら思っていた。
でも、彼らは。死んだ彼らはずっと、シーヌのことを思って、シーヌのために。
「ねえ、シーヌ。」
母さん。母さんが、じっと、僕を見ていた。
「ティキちゃんのこと、好き?」
あぁ、なんだろう。小さいころに、言われたかったセリフかもしれない。もう僕も17だ。堂々と返事を返すには、やっぱり気恥ずかしかったけど。
「うん。好きだよ。……ちゃんと、幸せにする。」
「ダメよ。幸せにする、じゃ。いい夫婦っていうのはね、二人で幸せになるものよ。」
母の、最期の言葉。大事なものだ。亡霊でも、母は母だと、心に刻んで。
「魔法概念“基石”。その区分は“宿願”。冠した名は、“愛する者に幸福を”。……それが、僕たちの名前だ、シーヌ。」
その輪郭がぼやける。その体が薄まっていく。
「僕たちの悲願を叶えてくれ、シーヌ。」
「大好きだよ、シーヌ!!」
ビネルとシャルが、去って行って。
「信じているぜ、シーヌ。」
最期に。ライバルの声を聴いた気が、した。




