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復讐鬼の恋物語  作者: 四守 蓮
恋物語の主人公
309/314

アレイティアの神獣

「もう、流石に、な。お前を殺す方がいい気がしてきたよ。」

最後の、執務室。とっくに逃げ出したアレイティアの長男、使用人たち。最後に残った男は、娘の方を振り返らずに言った。

「そうですね。息子を産んだ時点で……彼がアレイティアとして十分な“竜の因子”を保有しているとわかった時点で、あなたは私を殺すべきでした。」

もしもティキが死んでいたら。その遺体をあの連合軍まで持っていっていたら。


 シーヌは再び自我を失うだろう。一度目はティキがいたから、幸せを望む理由、望める希望があったから、帰ってこられた。次はもう、帰ってこられない。

 シーヌを失い、夫婦を元の鞘に戻すという大義名分を失えば、ケルシュトイルもセーゲル……ネスティアも黙らざるを得なくなる。ムリカムも、オーバスも、ワムクレシアも、バデルも。すべての五神大公が、結末に納得して手を引いて見せるだろう。


 だから、本当は、アレイティアはティキを殺すべきだった。それをしなかったのは、ティレイヌの甘さ、五神大公としてはどこまでも非常になり切れない、凡人ゆえの失態。

「……そう、凡人ゆえ、だ。」

ティレイヌはわずかに上を向いた。凡人。努力して、努力して、努力して。アレイティアの席に着き、アレイティアとして活躍し続けた凡人は、だからこそその限界をよく知っている。

「私はもう、個人が秘める“竜の因子”を観測できない。わからないのだ、お前の息子に宿る“竜の因子”がいかほどか……お前がどれほどアレイティアにふさわしいのか。」

秀才にはなれた。だが、秀才とは、凡人のことを言う。天才と秀才が異なるように、凡人と秀才が異なる……ということはない。


 言ってしまえば、天才に近づくために努力した凡人が秀才であり、近づくために努力した時点で追い抜くことは決してない。

 ティレイヌは凡人だ。天才のことが、わからない。


 ただ、彼は間違ったことはしていなかったと思う。父を見て、祖父を見て、同僚の五神大公を見て、彼は必死に天才を学び、天才と同じような決定を行ってきたはずだ。何が間違いなのか、彼には何もわからない。

「あなたは何も、間違えてはいませんでしたよ、お父様。」

ティキは断言する。ティレイヌの状況で、ティレイヌの立場で動くとき、ティレイヌは何一つとして間違ったことはしていない。ただ、状況が悪かっただけに過ぎないのだ。

「おそらく、あなたの人生で行った最初の失敗は、私を学校に送ったこと。そして二度目の失敗は、子が生まれた時点で私を殺さなかったことです。」

そしてアレイティアの失敗は。ビレッド=アツーア・アレイティアという天才を、アレイティアの外に出したこと。それ以上でもそれ以下でもない……多分、それだけでしかないのだ。


 大きく、わかっていると言わんばかりにティレイヌは項垂れる。ここまで頑張って、アレイティアを維持しようと努力して、その結末が今この状況だ。

 その失態が、起きるべき必然だった……そう言われてあっさり受け入れがたい気持ちは、ティレイヌにとて多い。

「……ゆえに、私は負けられん。」

ただ、環境のせいだった。ティレイヌが行ってきた努力に不備はなく、判断に誤りはなく、ティレイヌが負けた理由が、ただ環境のせいだったというのなら。


 ティレイヌはただ一人、アレイティアではないアレイティアだ。過去アレイティア公爵家において……五神大公において唯一、“竜の因子”を十全に持たない公爵である。

 であるからこそ、ティレイヌは、己の努力が『無駄だった』『むしろ足を引っ張った』ことを認めないためにも、何としてでもティキをアレイティアに縛り付け、アレイティアの子を産むための装置として活用せねばならない。

「悪く思うなよ、ティキ。」

ティレイヌ=ファムーア=アツーア・アレイティア。必死に上り詰めた人間の、凡人に対する挑戦。


「私は勝てないだろうからな……かのお方にお任せする。」

ティレイヌが背中側にあるクローゼットに手をかけて、開く。

 飛び出してきた猫に、ティキは一撃、当てられた。




 ティレイヌ=ファムーア=アツーア。当代のアレイティア公爵。彼が継いだものは、三つ。

 一つは、アレイティアの家督と財産。アレイティアという、二千年以上続く、冒険者組合に監視された名門が保有する財は、どんな商人資産家をも上回る。

 一つは、仕事。通信と諜報の全てを一手に引き受け、それ以外にも冒険者組合とボレスティア王国の雑事を引き受けている。元来はボレスティア王国の宰相の座を継ぐ予定であったが、アレイティアとして役不足だったティレイヌは、一大臣として治まるにとどめた。

 そして最後に、研究だ。アレイティアは神獣の研究を行っている。

「代々アレイティアに受け継がれてきた神獣だ。コンセプトは、何より固く、何より強く、何より速い。」

ティキは反射的に魔法を撃った。剣。まっすぐ突き進んだ長剣を、神獣たる猫は爪であっさりはじき落とした。


「強い。」

ティキが、部屋の中で次々と魔法を放つ。神獣はそれに対し、時には避け、時にははじき落とし、時にはかみ砕きながらティキに攻撃を繰り返す。


「狭い。」

猫がそう言った言葉は聞こえた。次の瞬間、猫が何をしたのか、人十人入れるかどうかという広さだったはずの部屋が一気にその数十倍の広さまで広がった。

「いいの?」


 それは、猫が回避に使える範囲を広げるための魔法だったはずだ。少なくとも、猫側はそう認識していた。

 だが、純魔法使いである少女にとっては、広がった空間など利にしかならない。繰り返し放つ魔法、その威力や速度に緩急をつけながら、着実に猫を追い詰めていく。

「いいさ。」

追い詰めた、はずだ。そう思った瞬間には、猫はティキの目の前に躍り出ていた。

「!!」

慌ててティキは回避する。回避が間に合ったものの、最初に飛び出してこられた一撃よりはるかに強く速い一撃だったことに目を開く。


「お前は、強い。それなりに出さなければ、負ける、ニャ。」

アレイティアは猫の家系なのだろうか。ビレッドを支えていた、ティキの相対した獣もまた、猫だったと記憶している。

「負けません!」

そんな思考とは関係なく戦う手は休めない。猫が予想以上に強かったのなら、それに合わせて攻撃の手を上げればいい。

「無理ニャ。お前は私より弱い。」

神獣は断言する。そんな断言聞き入れる気はないと言わんばかりに、ティキもまた、攻撃の手を速めた。

「ティキ。その神獣は、アレイティアの切り札……何百年と受け継がれてきた研究の成果だ。」

アレイティアの、武力。最高兵器。“災禍の具現”がいない今、アレイティアの誇る最後の砦。


 ティレイヌが話し出したのを見て、神獣が駆ける足を止める。ティキもまた、攻撃の手を止める。

「五神大公が、再び神龍を呼び起こさないための防止措置であることは、話したな?」

ティキが頷く。聞いた。五神大公の数が減るということは、即ち人間の手にある“竜の因子”が減るということ。龍の手にある“竜の因子”が増えるということ。

「だから、五神大公は互いに勢力争いを起こすことはあっても、当主と長男を殺すことはない。家を取り潰すこともない。」

また、別の五神大公家が滅ぼされそうになった時、どういう形でかはさておいて、必ず五神大公を守るために介入される。どんなことがあっても、五神大公の一角が崩れ去ることはない。


「だが、世の中は万全ではない。人間が管理できている“竜の因子”もまた、何かの理由で欠損することもある。」

ビレッド=ファムーア・アレイティアが出奔し、アレイティアが落ちぶれかけているように。どれだけ徹底的に監視と管理の体制を敷いたところで、絶対はない。連絡と諜報のアレイティアは、そのことを歴史的事実からよく理解している。


 それは、アレイティアに限らない。五神大公はいずれの家も必ず理解していて、野心を持って互いを殺しあう五神大公が出る警戒を、必ずしていた。

「五神大公の中で、身を守る手段がない……殺されるときに真っ先に殺される家は、アレイティアとバデルだ。」

“眷属作成”のアレイティア。それは、“眷属”がいなければ中位の上、あるいは上位相当の龍と同じような身体能力しか保持しない、という意味だ。とても頭の回転は速く、人外の動きが出来、魔法を使っても一般的な魔法使いを楽々凌駕出来るが、それだけでしかないという意味だ。


 “洗脳話術”のバデルも同様。“洗脳”はおなじ五神大公には効かない。ほとんど同じ数の“竜の因子”を保持する……同格存在である五神大公に、五神大公の話術は効かない。

 ティキが“洗脳の聖女”ユミル=ファリナの話術が効かなかったのは、意思や下地以上に、“竜の因子”の総数で当時のユミルを超えていたからだ。ティキの方がユミルより格上である以上、最初から効くはずがなかった。

 同様に、“洗脳話術”は同じ五神大公には効かない……身を守るすべがない。


「アレイティアは考えた。もしも、己が滅ぼされる、あるいは己が神龍になるようなことがあれば、どうすれば止められるか。冒険者組合という抑止力だけで、本当に足りるのかどうか。」

戦士の質は常に変わる。今代は“小現の神子”という化け物がいるから、神龍を気にする必要は全くないが……あれは突然変異だ。同じことが出来る人間が現れるまで、少なくとも百年はかかるだろう。

「そうして出したアレイティアの結論が、神獣の作成だ。神龍を独力で討伐できる獣がいれば、神龍を恐れ続ける必要もまた、減ると。」

まだ、そんな獣は完成していない。何より速く、何より固く、何より強く、そして何よりも人類に忠実で、寿命を持たない。そんな獣の作成は、天才アレイティアの血脈をもってしても、まだ二千年近く完成されていない、究極の命題だ。


「だが、とんでもなく速く、とんでもなく固く、とんでもなく強く、アレイティアに忠実で、人よりも寿命の長い猫。そういうものは、完成した。」

それが、この神獣であり。


 冒険者組合第8位“災禍の具現”をもってして、『我には勝てぬ』と言わしめた、化け猫である。




 実のところティキも、勝てないことは察し始めていた。

 拮抗は出来る。猫が手を抜いているのはわかるが、ティキとてまだ戦える。

 だが、この神獣を相手している間にもしシーヌが来たら、シーヌは一瞬で肉塊に変わってしまうだろう。

「私は……。」

いつの間にこれほど強くなったのだろうか、とティキは思う。今ならわかる、“単国の猛虎”が己の感情以外でティキを拘束だけでもしなかったのは、ティキに勝てない……いや、負けるとわかっていたからだ、と。


 ティキは、五神大公アレイティアの末裔にして、今代のアレイティアの天才だ。即ち、ティキこそが、中位の龍の中でも上位、もうすぐ上位の龍になるほどの“竜の因子”を秘めた、五神大公だ。

 その実力は、“災禍の具現”に匹敵、あるいは凌駕する。


 それでも、目の前の神獣には勝てない。負けないだろうが、勝てない。八方ふさがりの現実を、まざまざと見せつけられている。

(そんなことはないよ、ティキ=アツーア=ブラウ・アレイティア。)

光り輝く光球が、いつの間にかティキの隣で囁いていた。いつの間に、そこに。いや、そもそもこれは。


 ティキがそう思考するより早く、ティレイヌがやはり、と呟いたのがわかった。やはり。これについて、ティレイヌは何かの回答を得ているらしい。

 獣は新たな乱入者に攻撃を当てようと、突貫した。ティキの、目の前。獣との直線距離。


 獣が動き出す直前、光球はティキにこう言った。

「あなたが神獣を倒す必要はないよ。あなたは、今代のアレイティアだもん。それを示せば、あの神獣はティレイヌの味方をしなくなる。」

無邪気な声。ティキは、全ての変化に置いて行かれながら、しかし体は正直に動いて。


「“従属化”。」

ただ、それだけでよかった。




 神獣が、執務室の大きさを元に戻す。神獣は、再びクローゼットの中へと帰っていく。

「そうなるだろうと思っていた。」

諦めたような、いや、それ以上にどうしようもないような笑みを浮かべて、ティレイヌは言った。最悪、ティキを相手に時間を稼げばよかったのだろう。ティキがアレイティアの外に出るために戦うならば……シーヌと一緒に過ごすことを願うのならば、ティレイヌは時間を稼ぐだけでよかった。


 ティキを殺すことはもうできない。ティキは今代のアレイティアの資質を示した。正直なところ五神大公の使命を考えた時点で、ティレイヌにティキを殺すことは出来なくなっていた。

 ではどうして、ティレイヌは神獣を出してまでティキと戦ったのか……時間だ。


 シーヌ=ヒンメル=ブラウ。あるいはその一行。彼らは、時間を稼げば稼ぐだけ追い詰められる。ティキがこの場に一分長くとどまれば、それだけシーヌたちは追い詰められる。

 ティキがアレイティアに留まるにはどうすればいいか。簡単なことだ。ティキが、アレイティアから出たい理由を排除すればいい。シーヌさえ死ねば。『ブラウ』さえ死ねば、ティキの家としての帰属は『アツーア』だ。最悪、アレイティア公爵家にとどまらずとも、ティレイヌの手元に残ればそれで十分すぎた。

「実のところ、こうなることも読めていた。」

シーヌ=ヒンメル=ブラウの実力はわかっていた。アスハ=ミネル=ニーバスが、『普通であればシーヌは復讐を成し遂げられない』としていた資料を、ティレイヌは読んでいた。


 そうでなくとも、世界中ありとあらゆるところがアレイティアの『目』だ。世界の人間たちの実力など、おそらく誰よりもアレイティアが知っている。

「シーヌに“奇跡”がある……それだけではありえない事象が多すぎた。特に、“洗脳の聖女”の侵攻と“神の住み給う山”の戦争だ。」

少なくとも、あのレベルまでシーヌに有利な状況が整うはずがない。ティキが政治家として覚醒するにしても、指揮官として覚醒していたとしても……どう考えても、復讐に都合のいい状況が、整いすぎていた。


「お前たちがこの絵を描いていることは、薄々感づいていたのだ。それでも、私はアレイティアとして向き合わざるを得なかった。……が。やりすぎではないか、クロウの亡霊。シーヌ=アニャーラのために現世に留まる“基石”よ。」

光は、まるで笑っているかのように、瞬いた。


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