単国の猛虎
似ている、と思った。
アレイティアの本邸で監禁されているときに見た彼女は、本当にティーネの娘かと疑うくらいに似ていなかったはずだ。
だが、今の彼女は驚くほど彼女に似ていた。覚悟を決めた顔、あるいは人生に厚みが出たが故の顔。目標を決めて邁進する彼女は、間違いなくティーネ=オルティリアの娘だと思った。
「後悔はあるんだ。」
ティーネは己の名を騙られて、呼び寄せられた。己のせいで、彼女はアレイティアに捕まった。
アレイティアに捕まったティーネ。父が殺されたティーネ。自由が許されなかったティーネ。その重要な要所要所には、必ず、アディール=エノクの失態が含まれている。
じっと、手を見つめた。自分は今、第65位の組合員だ。“単国の猛虎”と呼ばれ、一人で国に匹敵する猛者とされている。
その自負は、ある。自分は強い。戦闘において、一対一の戦闘において、アディールに勝る人間はもうほとんどいなくなってしまった。
「行くか。」
シーヌとティキ。二人にとっての最後の門。その直前にいる、最後の護衛軍の兵士たちを見まわす。
「ティキを幸せに出来るのか。答えて見せろ、シーヌ=ヒンメル=ブラウ。」
小声でつぶやかれた声を、兵士たちは誰も拾えなかった。
人影が見えた。そう思った瞬間には、シーヌは魔法を放っていた。炎の槍。単調でもいい、単純でもいい。とにかく敵が攻撃してこないこと。先を駆け抜けること。ティキと合流すること。それだけを考えて、無差別に無思考に、徹底的に魔法を撃った。
「止まれ!!」
その全てが。兵士たちよりも数メートル分先んじた個人に叩き消されることも、予想はしていた。
「“空白の魔法士”シーヌ=ヒンメル=ブラウだな?」
「お前が、“単国の猛虎”アディール=エノクか。」
片や、アレイティアの最後の砦。片や、アレイティア最大の仇敵。
その二人が、静かに、邂逅した。
「全軍,黙っているように。」
アディールは敵を前にしてそう命令した。ざわりと、全軍がわずかにざわめくのが聞こえる。
「俺がここで負けると思うのなら違反してもいい。」
アディールの静かな威圧。兵士たちは一瞬、“災禍の具現”を思いだしかけたが……目の前にいる男が負けるところを、兵士たちは見たことがない。だから、決して兵士たちは違反しようとしなかった。
実際のところ、“単国の猛虎”の威厳は高すぎる。アレイティア公爵の命令違反が最も恐ろしいゆえに兵士たちはここにいるが、同時に“災禍の具現”と“単国の猛虎”の命令を違反するのも恐ろしい。どんな報復が待っているかわからないが、この二人の英名は、世界全土に広まっている。恐れるのも道理だ。
「いえ、我ら一同、アディール様の武勇は信頼しております。」
何より、彼がアレイティアに従って長い。彼がやることは、もしかしたらアレイティアの望みかもしれない、そう思うのも無理はなかった。
「ティキ=アツーアに対する、お前の感情を、教えろ。」
アディールが知りたいのはただ一つ。シーヌがティキを幸せに出来るか。これでよかったと、彼女が満足できるのか。
「……好きだよ、彼女のことは。」
何を言うか、迷った。悩んだ。その上で、シーヌは。たったその一言に、万感の想いを込めた。
読み取れないアディールではない。彼はもう40年以上生きて、恋に生きた友人たちも何人か見ている。本当に幸せそうに妻を、想い人を愛する人たちの姿と、今のシーヌは被って見える。
「好きだというのなら……ティキは、アレイティアにいた方が贅沢な生活が出来る。自由がないかもしれないが、それ以外は何でも手に入れられる。食事も、子供も、銭石も、立場も……安全も。どうして、ティキを連れ出そうとする?」
「ティキは自由を望んで家を出た。彼女は恋に憧れて、冒険者組合に逃げた。」
魔法概念“奇跡”、その区分は“憧憬”。冠された名は、“恋物語の主人公”。それは、ティキ=アツーアという、血脈婚のために育てられ、奴隷のように生きた少女が得た、“奇跡”。
「憧れで“奇跡”を得るのは難しい。他の何物とも違って、過程も結果もあいまいなものだからだ。」
わざわざシーヌに言われなくとも、アディールはよく知っている。そんな『憧れ』で“奇跡”が得られるというのなら、世の中“奇跡”の使い手だらけだ。英雄願望は少年の必ず通る道、お姫様願望は少女の必ず通る道。そんなもので“奇跡”が得られるはずがない。
それなのに、ティキは得た。ティキが非常に多くの“竜の因子”保有者で、憧れを妄想する思考を深めていくのにはとても重要だった面は、あるかもしれない。だが、それでも、それだけで“奇跡”を得るほどではない。
ティキがどれだけ“恋”を望んだか。囚われのお姫様が、どれほど『王子様』を望んだか。
シーヌは、“復讐”を望んだ“奇跡”の持ち主だったからこそ、その執念、その狂気を理解できる。
「ティキが、望む。だから、僕は、ティキの王子様になるよ。ティキを幸せにする。……ティキは、今の僕の生きる理由だ。」
断言。自分より格上の存在“単国の猛虎”に、偽りは言えない。もし偽りを言って、嘘だとバレたら、シーヌは瞬殺されるとわかっている。だから、シーヌは嘘を言わず……胸中を正直に吐露した。
「なら、最後に問おう。お前が俺に勝てないのはわかっているはずだ。……どうやって、ここを切り抜ける?」
アディールの突きつける、絶対的な事実。“災禍の具現”に対してシーヌは、条件さえ整えば必勝できる方法を持っていた。だが、アディールに対してはそうではない。
“単国の猛虎”の攻撃を、シーヌは無効化できない。出来てもほんの一瞬だけだ。その一瞬を超えれば、隙をついてアディールは確実にシーヌの顔を粉砕するだろう。
実のところ、“奇跡”持ちと“奇跡”を持たないモノなら、汎用的な実力なら“奇跡”を持たない方が勝つ。もちろん、“永久の魔女”のように、絶対的な実力を持ったうえで“奇跡”を獲得した場合は話が別だが。
“奇跡”は基本的に運命を捻じ曲げるような権能だ。シーヌの“復讐”は、それを果たすための未来への道筋がシーヌ自身を呼び寄せるものだったし、ティキのモノは、ティキの望む状況……恋物語を起こすためのプロローグを強制的に押し付けるものだった。
チェガの“友愛”、ケイ=アルスタン=ネモンの“忠誠”、あるいはアフィータ=クシャ―タ=バレットの“願望”。それらが発生するときは、己の手ではどうにもならないような状況に直面した、かなえられない目標をそれでも叶えようとしたときに現れる。
言ってしまえば“奇跡”とは。実力が足りない時に起きる、実力不足を埋める『ナニカ』のことでしか、ないのだ。
つまり、“奇跡”を持たずに強いということは、実力不足を痛感する必要がないほど強かったか、実力不足でもなんとかできたか、諦めてきたか……実力不足を痛感するほどの望みがなかったかのどれかになる。
もともと強い。実力で、望みが叶えられる。なのに、“奇跡”を得る必要はない。“奇跡”を得るほどの願いや信念がわく理由がない。
もともと強い。それでも実力不足はあっただろうが……人脈一つ、名声一つあれば他の人間の力で叶ってしまう望みもある。
強いがゆえに、実力不足を理解して……身の程を知って、諦める。“奇跡”が起きるはずがない。
強いがゆえに、何でも出来る。何でもできるのに、心から達成したい何かがある……そんな奴、そうそういない。
そう。言ってしまえば、“奇跡”という魔法概念は、願望を叶えるためには最高の補助具であるが。弱者の特権だ。
「俺じゃ、お前に勝てない。……確かに、その通りだと思う。」
シーヌ=ヒンメル=ブラウという人間では、目の前の男に勝てない。でも、どうしてだろう。
ティキと『結婚する』と決めたように、こうすればいいと直感が囁いた。
「俺はティキを幸せにする。だから、俺に助力しろ、“単国の猛虎”。」
「いいだろう。」
最初から決められていたかのように、返事はあっさりだった。
罪の意識があった。師を殺したのは自分だ。妹弟子の将来を殺したのは自分だ。妹弟子の自由を奪ったのは自分だ。
“単国の猛虎”アディール=エノク。彼はずっと、ずっとずっと。もう17年もの間、ずっと罪の意識に囚われてきた。
「我が名は“単国の猛虎”アディール=エノク。“怠惰の豪鬼”の弟子にして、その娘“自在の魔女”ティーネ=オルティリアの兄弟子!」
兵士たちに拳を向ける。妹弟子が、家族を守る力が、大切なものを護る力が欲しいと思っていたことは知っていた。だからこそ、彼女に報いるために力をつけた。
ティキがティーネに似ていないと思っていた。だが、それでもティーネの娘だと知っていた。
後悔ばかりをしてきたのだ。一度くらい、悔いなく、師匠とその家族のために拳を振るおうと決めている。
「ティキ=アツーア=ブラウが夫と生きるための自由を欲し、シーヌ=ヒンメル=ブラウが妻を幸せにするというのならば!我はただ一人遺されたモノとして、故人のために力を振るおう!」
そう。それこそが、“単国の猛虎”がアレイティアに仕え続けてきた理由。
妹弟子の最後の家族を、妹弟子の代わりに、守り続けるためだった。
ただ一人遺されたモノ。グッと、息をのみこんだ。
シーヌは誰より、その言葉の重みを知っている。誰より、自分が背負ってきたその重みを。
だから、信じた。
「お願いします。」
「必ず、ティキを幸せにしろ、小僧。」
「はい、叔父さん。」
誰が叔父さんだ、だが、身内の代わりというのは悪くない。
ティーネには悪いと思うが。師も妹弟子も家族同様大事に思っていたアディールにとって、これ以上なく嬉しい言葉だった。




