災禍の具現
“災禍の具現”グレー=キャンベル=アルス。彼は、アリスと似たような、教本通りの魔法を徹底的に覚えこむことで、実力を、名を挙げた魔法使いだった。
アリスと違う点は2つ。グレーが行った教本通りは、数多の戦いを行った経験則が大いに含まれていること。
アリスはアテスロイの街から出ることがない人間だったが、グレーは冒険者組合の両親から生まれた、血統書付きの冒険者組合員だ。冒険者組合の支部の中で生まれ、冒険者組合の支部の中で育ち、遊びと戦闘訓練を混同して過ごした幼少期という過去を持っている。戦闘経験だけなら誰よりも多かった。
誰よりも期待され、誰よりも望まれ……より基本に忠実に、より正確な魔法を扱えるように。たった18の若さで冒険者組合百位台の順位に乗ったのは、10年に2人もいれば多いくらいである。その、たった2人の枠にグレーは入り……冒険者組合の深奥を知った。
五神大公の存在。神龍、“竜の因子”。そして“奇跡”。実のところ、それそのものには大して興味を覚えなかった。あまり関わるべきではない、という警鐘が、本能の方でなっていたくらいだろうか。
だが、グレーは五神大公そのものではなく、その能力には関心を覚えていた、当時、グレーはこれ以上強くなろうにも、壁を感じ取っていたからである。
何より速く、何より正確な魔法。そこに意思を乗せて、その人生をかける。その魔法の扱い方こそ、グレーは優れていたものの。彼は即興で魔法を構築できる、彼のみしか扱えない絶対の魔法なんてものが存在しなかったためである。
このころに、“次元越えのアスハ”と出会った。その特異な才能で、攻防共にスキのない魔法を使い熟すアスハは、しかし発動速度には難があり……
だが、グレーはこれ以上なくこいつが羨ましいと思っていた。
勝てる。百回やれば百回勝てる自信がある。“転移”やそれが織りなす魔法は、確かに厄介だろうと思うが、発動される前に勝てばいいのだからグレーとしては何の問題もない。
だが、“転移”という、彼のみの使えるオリジナルの魔法。そんなものはなく……グレーは、万能であるがゆえに、才能の限界を感じていた。
魔法には、2つの種類がある。“竜の摂理”と“心の摂理”……では、ない。
厳密に言えば三種類、ともいえるその種類は、2分類に分ける限りでは『世界を塗り替えるもの』と『因果を逆転させるもの』だ。
“竜の摂理”による魔法の半分、“自然呼応”及び“地殻変動”は『世界を塗り替える』魔法だ。派手で、力強い。自然災害を巻き起こす魔法。“自然呼応”は嵐を呼び、雷鳴を轟かせ、雨を降らせ竜巻で一掃する。そして、“地殻変動”は地震を呼び、津波を、噴火を、溶岩を呼び寄せて一帯を破壊する。
この派手な魔法に、当時18歳だったグレーはとても惹かれた。自分も再現して見せると息巻き、努力を重ね……本物以上に本物らしい“災禍”を具現化することに成功した。これが、彼のオリジナル……五神大公より学んだ、五神大公の能力を超える、一。
「貴様が我と一騎打ちを望むとは思わなかった、が。」
アリスに、シーヌは庇われた。魔法の発動速度なら、同年代の中なら秀でている程度の力量しかないということは、理解した。
「“幻想、展開”。」
“災禍の具現”の本質。絶対的な災禍の想像と、具現。
「“溶岩”!」
一帯が、火山地帯の中、落ちてくる溶岩のように……紅く、染まった。
“災禍の具現”は“幻想展開”を駆使する、世界で最も強力な『魔法』使いである。“小現の神子”は魔法使いの中でも、最も巧い『魔法』使いであるが、最も魔法規模が大きく、最も魔法威力が高いのは“災禍の具現”であることは、誰でも知っている。
シーヌはその“災禍の具現”に、勝てると思っていた。勝機があった。同じ“幻想展開”を使うことが出来るシーヌとグレーでは、どうすればどういった勝機を得られるのか、熟知していた。
ところで、である。シーヌの“達成”“空虚”はどういう理屈で、魔法を無効化しているのだろうか。魔法とは攻撃意思そのものである。『そこに存在を認識』している相手に『攻撃をする』という行為の結果が、魔法を使った結果相手が傷ついたという『結末』になるのだ。
では、防御側はどうだろう。言ってしまえば“空虚”は、自分の『存在』を誤魔化す魔法だ。たとえ攻撃側がシーヌの存在を認識していたとして、世界がシーヌの存在を認識していないのなら意味がない。意味がないというよりかは、厳格に魔法を撃っているのと変わりがない。
では、魔法攻撃があったとして、それが自分を傷つけるものになりえないと知っていたら?それが、どうあがいても本物になりえないと、防御側が体で知っていたらどうだろうか。
そこにあるのは、魔法などではなく……ただの、幻覚では、ないだろうか?
当たらない。当たるはずがない。
グレー=キャンベル=アルスの幻想は、あくまで彼の作り出した架空の幻想でしかない。実物を見たわけでもない、その身で溶岩に身を焼かれたこともない、あくまで彼の頭の中にある、架空の溶岩の再現に過ぎない。
シーヌは違う。魔法を作り出すために、『幻想』を『展開』するために、本物の溶岩の元を訪れ、防御魔法に身を包みながらとはいえその身を溶岩に焼かれる狂気によって得た、“幻想展開”の使い手である。
「本物よりも本物らしい。あなたの“幻想展開”はそういうものだと伺っています。」
それは、本物ではないというものだ。本物の溶岩は、ここまで恐怖を感じることはない……意図的に恐怖を感じさせようという気がくみ取れてしまうような、そんな溶岩ではない。
「本物は、もっと自然で、もっと世界にありきたりに見えて、そこにあって不自然ではなくて……人の手の入っていない、もっと神秘的な恐怖があるものです。」
だから。それを見て、それに触れて、その恐怖を味わったシーヌだからこそ……グレー=キャンベル=アルスが作り出した、空想の溶岩を偽物だと断じられる。当たっても、それに飲まれても、本物ではないから、痛くもかゆくもない。
「これが、本物の溶岩です。“災禍の具現”。」
幻想展開。頭の中で抽象化された、幻想を展開する魔法。世界で最も大規模な、世界を塗り替える魔法。
シーヌ=ヒンメル=ブラウ、“空白の魔法士”は、その幻想を、体験したうえで再現する。
「“溶岩”!」
空想で世界を塗り替え、自分の意思で世界を欺く技術を魔法と称するのであれば、シーヌのそれは、魔法とは言えない代物だ。
“竜の因子”がもたらす世界への干渉とも違う、“奇跡”のもたらす世界(運命)の書き換えとも異なる。
そう、それは。
「“現実展開”と呼ぶべき代物ではあるけれど!」
だから、だからこそ。嘘偽りのない、願望も空想もない、どこまでも泥臭い現実であるからこそ。
「お前の幻想には負けない、グレー=キャンベル=アルス!!」
シーヌは、同じ“災禍”の撃ち合い、幻想展開の勝負に持ち込んだときのみ、勝機があった。
実際のところ、グレーはとある行為をすれば今すぐにシーヌに勝つことが出来る。というのも、今すぐ“幻想展開”の撃ち合いをやめればいい。普通の魔法を普通に放つ、魔法使いの戦いをすれば、グレーはシーヌと勝負することすら必要ないだろう。
だが、それはグレーにとっては逃亡を意味した。グレーは“災禍の具現”である。世界で最も優れた大規模魔法の使い手である。
“幻想展開”で有名になり、冒険者組合の中でも8位の地位を確立した彼にとって、“幻想展開”を用いて敗北するということはあり得てはならない。それは老兵といえど、ここまで歩み続けてきた彼自身への侮辱、あるいは否定に他ならない。
「「“凍土”!」」
両者打つ手は同じ。発動速度は明確にグレーの方が早いにもかかわらず……そして、シーヌが防御魔法を使っている様子がないにもかかわらず、シーヌはグレーの攻撃が通用していない。
グレーが怒り狂うのも当然だ。それが幻想で、幻覚で、本当は存在しないとわかっていても恐れるのが人間というもの。存在しないものでも、本物だと信じ込んでしまうほどにリアリティあふれる幻想を展開しているグレーからすれば、なぜシーヌがこの幻想に呑まれていないのか、理解できない。
シーヌはアスハの弟子だったはずだ。アスハは実にあっさりと、この幻想に呑まれて死んだ。なのに、シーヌが平然としていられるのがなぜか、わからない。
近くを、シーヌに上書きされた“凍土”がもたらす雹が過ぎていく。いや、その多くはぶつかっている。しかし、殺傷能力がない。
「なぜだ?」
グレーの雹は、その一弾一弾がわずかばかりの殺傷能力を持っている。数発に一発くらいは、その雹に氷柱を混ぜることもある。
グレーにとって、“幻想展開”は攻撃手段だ。大きく塗り替えた世界の中、大きく変化された風景の中に、グレーは己の攻撃魔法を潜ませる。
だが、シーヌの“幻想展開”にはそれがない。先ほどの“溶岩”にしても、溶岩が流れる方向は、自分の方以外にも向かっていた。あまりに自然に、何物の意思も感じられないほど自然に。
「だからだよ、グレー。お前は、僕に勝てない。」
絶対的な、空想。グレー=キャンベル=アルスという一個人が持つ、最強クラスの魔法に対して。
この世でおそらく、シーヌのみが対等異常に渡り合える。
凍土によって多くの熱が奪われたグレーは、このままでは生命の危機に関わると、シーヌの“凍土”……現実に体験された“凍土”を乗り越えることを諦めた。
シーヌは凍土の展開に力を入れている。ならば、別の幻想に切り替えれば上書きが成功する。グレーはそう判断して、その通りに魔法を切り替えた。
「「“砂丘”!」」
グレーが、想像上の砂漠を再現して見せる。何もない、砂しかない荒野。いくつかの地域は砂地獄になっていて、風が砂を巻き上げて視界を遮り、カンカンに照る太陽が人間たちに牙をむく。
作り上げた環境に、二秒ほど遅れてシーヌが同じものを再現した。いきなり上書きされたことに、グレーは焦る。
「な、これ、は?」
皮膚が焼ける感覚がする。水分が持っていかれる心地がする。喉が渇いて仕方がない。
これをしてのけた少年を見ると、いつの間に着たのか布の多い服を着て、日光から、乾燥から身を守っている。
このままでは干からびて死ぬ。そんな感覚を、グレーは得て。
「まずい、“嵐”!」
雲を呼んで、雨を降らせる。干からびそうな感覚を得ていたグレーとしてはとてもありがたい、救いの雨。その雨の一粒一粒が体に降り注ぎ、先ほどの砂丘で浴びた地獄をまるで払拭するように、
「“嵐”。」
続けられた一言に、それが巻き起こした現象に、唖然とした。
家が、町が。嵐に直撃された港町が見える。
木製の船が空を飛ぶ、木の屋根が、看板が。壊れた武器屋からは抜身の剣が宙を舞い、シーヌとグレーの両方を、容赦なく襲いにかかる。雨が強い、雷が鳴り響く。
シーヌのそばに落雷が降り注ぎ、かろうじてシーヌは回避したものの、強烈な音があたり一帯に響き渡る。
警戒していたシーヌは耳を守っていた、警戒していないグレーはその爆音に守りのない耳をさらした。
「ぐ、ぐう!。」
そして。ようやく、グレーは気づいた。シーヌの言っていた“現実展開”という単語の意味に。“幻想”を喚ぶために“現実”を体験しに行ったシーヌの狂気に。
なぜ、シーヌがこの場で、グレーと“幻想展開”の撃ち合いに持ち込んだのか。なぜグレーの“幻想”……いや、“妄想”はがシーヌを傷つけることが叶わないのか。
「“幻想”を展開する我の、人としての意思の展開……!」
それがある限り、シーヌにグレーの幻想は効かない。シーヌは自然と向き合い、自然をその通りに再現してのける魔法使いだ。山から流れる溶岩も、降り続ける雪雹も、照り続ける日差しも、実際に体験し、死にかけたことで再現できることだ。
気づいて、ほんの1秒ほど、立ち止まった。新たな幻想を展開することも、今の幻想を自分の者に上書きすることも忘れ、完全に棒立ちになって立ち止まった。
そのほんのわずかな一瞬は。シーヌの持つ、最強にして最悪、人間の扱える限界点の幻想を行使するには、十分な一瞬だった。
「“幻想、展開”。」
シーヌ=ヒンメル=ブラウの持っている、人生唯一にして最大の、最悪の魔法。
「“地獄”。」
感情の行きつく果てが、顕現する。




