自然呼応の大公爵
「……オーバスがバデルの先代当主の研究について責め、バデル公爵は足止め、か。」
当代のアレイティア、ティレイヌはじっと資料を眺めていた。
「オーバスはアレイティアを責める気はなさそうだ。通信と情報を司るのがアレイティアである以上、バデルの先代公爵が“奇跡”研究の関係者であったことを黙認していた責めを負うかと思っていたが……。」
アレイティア公爵は、バデルの先代当主がクロウ、そして今回と“奇跡”研究を行っていたことを『知った上』で『黙認』していた。
「とはいえ、情報を知っていたかどうか、などをオーバスが知る手段はない。」
その上、“奇跡”の研究を行っているという報告は、しっかりと上げている。アレイティア公爵が黙っていたのは、その『時期』と『研究者』のみである。
「ネスティアとケルシュトイルが軍を出し、セーゲルもまた一軍を持って同行し始めた。向かう先はブロッセ。ムリカムめ、シーヌとやらの目的もわかった上で、受け入れる気でおるな。」
ティキを救出し、ティキと暮らす。シーヌの目的がそれ以上でもそれ以下でもないことは、シーヌという人間の境遇を見ればなんとなく理解できる。
彼は過剰な幸せを望まない。彼は目的のためにのみ奔走し、自分が理解できないものを受け入れない。
復讐に駆られるだけあって、人に関しては多くのモノを理解できるようになっているシーヌだが、だからこそ彼は『富』『名声』……それどころか、『幸せ』をあまり理解できない。一度手に入れた『家族』というつながりさえあれば、十分だと言えるだろう。
「だからこそ、ムリカムはティキをアレイティアから出すことを求めるはずだ。」
住む場所を指定するだろう。動ける範囲を指定するだろう。交友範囲を狭めるだろう。子供たちの未来の選択肢を、出来る限り排除するだろう。
しかし確信できる。それは間違いなく、ティキがアレイティアに留まるよりも、よっぽど自由の利く身になれる。
「世界を考えると最善手ではないが、両者の妥協を考えると最善の手、だ。」
だからこそ、アレイティアとしては動かれると面倒くさい。ムリカムの手勢が関わってくる以上、五神大公とは関係のない冒険者組合を容易に動かすわけにもいかなくなるためだ。
「こちらの動かせる手駒は多くないな。」
“災禍の具現”と“単国の猛虎”は絶対に動かせない。および、アレイティアの軍も動かせない。
いずれ攻めて来るとわかっている敵に、手の中でも最も優れた駒を動かすわけにもいかない。
「“隻脚”を動かしてもいい、が。」
今動かすのも、という気はしている。奴のシーヌに対する執念は異常だ。だったら、シーヌに向けた方が足止めとして大きく価値が出る。
「いや、むしろ先手を打って蹴散らすか?」
ケルシュトイルとネスティアはさておき、ついでにアゲーティル=グラウ=スティーティアとその妻を脇においても、シーヌ、デリア、アリスという三人、そしてセーゲル聖人会が冒険者組合の内部に深く踏み込みすぎている。
オーバスとムリカムが囲い込む動きを見せるかもしれないが、セーゲル聖人会は少なくとも消さなくてはならないだろう。
「元来の聖人会と袂を分かった以上、多くの情報を保持したままでいられるのはまずい。」
五神大公、冒険者組合、“竜の因子”。それらを、人を教育し、幼少の頃より価値観を埋め込むことで“三念”を生み出す『聖人会』という組織が握っていることはまずいことしかない。
「……“災禍の具現”を出すか。」
あまりに早い幕引きになる。過剰戦力ではないかと思う。
だが、万全を期すのであれば、現時点で“災禍の具現”を動かし、シーヌとティキを殺させるというのが、一番手っ取り早い案だった。
「初めまして、シーヌ=ヒンメル=ブラウ、“空白の魔法士”。私の名はジャッケル=グラウ=デハーニ。“学園長”ジャッケルだ。」
差し出された手を、シーヌは握り返さない。その目はジャッケルの後方、見たことのある光景に釘付けになっている。
「……そうか。オーバスも似たようなことをやっているんだったな。」
ジャッケルはポツリと呟いた後、その簾の先に声をかけた。
「ムリカム公爵。これが、シーヌ=ヒンメル=ブラウです。」
簾の先で、わずかに何かがうごめいた気がして、
「ッ!」
突風が吹いた。シーヌは慌てて防御魔法を使おうとするが、アリスの発動の方が早かった。
「何の真似ですか?」
アリスの、問い。シーヌより魔法の発動速度、魔法の強度共に勝るアリスが、声を荒げて問いかけた。
その視線の先には、簾が、ない。じっとシーヌたちを上座から見下ろす、蒼い髪の男がいた。
「何の真似も。お前たちがアレイティアに挑むなら、この程度は反応できないとまずいだろう?」
今の攻撃は、ムリカム公爵のいる場から放たれていた。つまり、結構な距離から放たれた魔法。それに、間に合うような反応が出来たのは、アリス一人。
「……話にならん、摘み出せ。そう言いたい私の気持ちが、貴様らにわかるか?」
話にならない。それは、他でもないシーヌたちが、嫌というほどよくわかっている。
シーヌは、デリアは、チェガは。これまでシーヌとともに、友として、味方として、あるいは敵として立ちはだかったこのメンバーは、非常に弱い。正直なところを言ってしまえるならば、ここにいるメンバーだけなら、どうあがいてもアレイティアに勝てないことなどわかりきっている。
「それでも、私はティキを取り戻す。」
じっと頭上を見上げて、シーヌは断言した。たとえ世界にとって困ることであっても、たとえその身が朽ちるとしても、ティキを取り戻すために戦いに赴くと。
「それが、僕の託された、幸せのための道筋です。」
断言。それに頷くようなしぐさを、ムリカムは見せた。
「そなたの決意に応えるとは、言えぬ。だが、仮に貴様がティキを救い出せたとして、その過程でアレイティアが滅ぶようなことになったとしても、ティキ=アツーア=ブラウ・アレイティアが生きている限りにおいては、お前を殺さないことを約束してやろう。」
十分だと言わんばかりにシーヌは頷く。恐ろしいのは、ティキを助け出した直後に、指名手配を受けること……そして指名手配を出す大本が冒険者組合であることだ。
冒険者組合からは逃げられない。シーヌより強い人間がおおよそ三千以上いる組織から逃げ続けるなんてこと、出来るはずがない。ゆえに、指名手配されないというだけで、十分以上の価値があった。
「とはいえ、条件付きだ。」
条件。ティキがアレイティアとムリカムの混血児に近い以上、下手に自由にするわけにもいかない。彼女の持つ竜の因子の数は、現アレイティア当主、あるいは時期アレイティア当主よりも多い。
「魔女の森からティキ=アツーア=ブラウ・アレイティアが出ることを禁止。および、ティキ=アツーア=ブラウ・アレイティアの子の定期的なムリカムへの出向。」
驚いたように、シーヌは体を硬直させる。ティキの監禁は予想していた。魔女の森に、ということは、“永久の魔女”の住んでいたあばら屋に押し込めたいということだろう。予想よりもはるかに広い行動範囲に、シーヌは最初安堵したが、子供たちのムリカムへの出向とはどういうことか。
「これは、ケルシュトイルに配慮した命令だ。ケルシュトイルの王配殿は、ティキを手助けするために、『自由のために出奔した人間を救う』ことを口実として用いるらしいからな。『アレイティア』に連なるものとはいえ、自由を許さないわけにもいくまい。」
何のことを言っているのかわからない。そういうようにシーヌはムリカムの方を見つめる。
「元来であれば、アレイティアと同様、子供たちを取り上げ、監禁するのがまず手っ取り早い。続いて、最初から婚約しておき、一定の年齢になったらムリカムの家へ迎え入れるのが楽だ。」
シーヌとティキの子供の処遇の話だ。最初から、自由がない方がいい。成人したら五神大公家へ……『五神大公』として、徹底的な管理体制を作り上げるのが、ムリカムとしては最もやりやすい。しかし、それをするとどうやってもケルシュトイルやネスティアから文句が出てくるのがわかっている。
だから。ムリカムは、定期的にシーヌとティキの子をムリカムに呼び寄せ、子供同士の交流を持たせることで、自分から結婚意思を持たせるという、回りくどい方法を用いなければならない。だからこそ、ムリカムはこんなわけのわからない条件を出している。
「最後に、シーヌ=ヒンメル=ブラウは定期的に竜を狩り、妻子に嫌われようと、その血を飲ませる義務を与える。その条件を飲むならば、ムリカムはアレイティアの現在位置及びその護衛部隊、麾下組合員の情報を開示しよう。」
その条件に、問題はなさそうだと思えた。ある一点を除くならば、シーヌに文句を言う理由はないように見えた。
「ティキ=アツーア=ブラウ・アレイティア自身の意思は?」
「奴は『アレイティア』だ。彼女自身の意思を聞く必要性がどこにある?」
ムリカムも、根っこから五神大公だ。アレイティアに、意思を求めることが間違いであると、信じて疑わない。
「貴様と結婚させ、二人で夫婦として生きる自由を与える。与えすぎであると我は思うが。」
「……それを当たり前だと思うことからも、ティキは逃げた。どうも公爵は、そのことを忘れておられるようだ。」
シーヌはじっと睨み返す。実際のところ、ムリカムはそのことを忘れてはいない……忘れていないからこそ、ティキにも、ティキの子供にも、精いっぱい配慮した条件を出している。
それがわかるのは、この場にはただ二人。ムリカム公爵と、チェガ=ディーダの二人のみ。ゆえに、シーヌは怒りを込めた目線で上を見上げ……
「では、ムリカム公爵。」
シーヌをなだめるように声を上げられるのは、チェガしかいない。
「あなたは武力で恫喝しようが何をしようがかまいません。その上で、ティキに条件をのむかどうか問いかけるということでどうでしょう?」
ティキが嫌だと言えば、殺したいなら殺せばいい。だが、ティキに真意を問うという形だけ整えるとどうか。チェガはムリカムにそういう意味で問いかけ、ムリカムもそういう意味だと納得した。
「……そうであるな。必要なのは納得、そういうことか。」
あまりに違う価値観に『面倒くさい』という一念のみを感じ、しかしムリカムは納得した。
「では、ジャッケルから資料をもらえ。……シーヌ=ヒンメル=ブラウ。」
最後に、ムリカムは一言だけ。
「お前が幸せを知ること、願っておく。」
五神大公の失敗から生み出されたクロウの亡霊。その生涯に、少しだけ。ムリカム公爵は同情していた。




