為政者の物語
オーバスから、バデルの足止めの約束を得た。
最古の英雄の物語は、オーバスの協力の動機を突き止めるには非常に有用だったが。あくまでシーヌの目的の蛇足でしかない。
シーヌは馬車に戻り、飛び乗り、空を駆けて……
「ブロッセに、戻る。」
時間は、あまりない。だが、きちんと話し合うべき相手もいた。
「チェガ、不満そうだな。」
「そりゃあ、まぁ。ティキを助ければ、お前の自由がなくなるって言われているわけだ。俺が何のために戦っているのか、わからなくなるだろうが。」
怒っていた。シーヌの幸せを目指して戦おうとしているチェガが、戦ってシーヌの幸せを掴むころには、シーヌは完全に鳥かごの中だ。むしろ怒らない方が難しい。
「降りるか?」
「……。」
答えない。降りたい。だが、シーヌが戦うなら、“友愛”を誓った身としては降りれない。チェガ=ディーダとして、どうするか非常に悩んでいる。
「チェガ=ディーダとして、ではなくて、ケルシュトイルとしてはどうするのが正しいんだ?」
グッと、チェガが息をのむのが分かった。こいつはとても分かりやすい。どちらが正しいか、何が正しいのか、こいつははっきりとわかったうえで悩んでいるのかもしれないとシーヌは思う。
「オーバスの意見は、間違っていない。五神大公オーバス公爵として物事を見たとき、オーバス公爵は何も間違ったことはしていないんだ、シーヌ。」
言動も、行動も、考えも。オーバス公爵としてはやらなければならないこと……いや、間違いであってはならないことだけを主張している。それがわからないチェガではない。
「俺はお前が幸せになってくれと願って戦っている。チェガ=ディーダとしては、お前の隣で戦うことが目的で、動いている。」
復讐に目を血走らせ、恋焦がれるように狂っていたあの頃のシーヌと比べれば、ここで終わってもいいのではないかとチェガは思う。
とはいえ、シーヌにはティキが必要だ。たとえそれが袋小路への道だとしても、シーヌの幸せのため……いや、生存のためには、何としてでもシーヌを助けなければならない。
「ケルシュトイルとして、とシーヌは言った、が……それも少し、悩ましい。」
ケルシュトイル。神龍討伐時の英雄の中で、冒険者組合に入らなかった、英雄。ケルシュトイル以外にも、ネスティアを含め何百人という名前があるが……
「長男長女的な扱い……きちんとした子孫として残っているのは、この二千年で十数まで減った。」
ケルシュトイルはそのうちの一つ。群雄の中でも、大国にならず、一貴族として生き残っただけであるからこそ生き残った一族。それも、“神の愛し子”による混乱で再び中国の国主くらいに治まりなおしてしまうだろう。
「冒険者組合と離反した、英雄ケルシュトイルの末裔としては、ティキの自由が失われることに抗議しなければならない。」
義務のように言っているが、どちらかと言えば権利なのだろうとシーヌは思う。でなければ、オーバスはチェガを呼び止めてあの話をすることはなかった……ティキをアレイティアと呼んで見せる必要は、どこにも。
「同時に、神龍を討伐した英雄ケルシュトイルの裔としては、ティキの自由を拘束することに異論はない。その経緯としても、文句を言えないのがケルシュトイルだ。」
立ち位置の問題だ。神龍を討伐したことを重視するのか、冒険者組合という組織に縛られることを嫌い、五神大公の監視の役を嫌って離反したことを重視するのか。その判断は、当代のケルシュトイルに委ねられる。
「ティキが、アレイティアになるということは。ティキから自由を奪うということだ。……当代のケルシュトイルは嫌がるだろう。」
当代のケルシュトイルは、チェガではない。ミラ=ククルだ。そのミラは、おそらくティキから自由が失われることを許さない。
だが、チェガは見逃していた。いや、見ないようにしようとしていた。だから、シーヌは、その現実をチェガへと突きつけるしかない。
「チェガ。……僕たちが助けに行かなかったとして、ティキに取れる手段は4つだけだ。」
チェガが、息をのむ。ティキからしてみれば、シーヌたちがティキを助けに行く保証は出来ない。相手はアレイティアだ、尋常ではいかないことなど、おそらく今のティキなら十分にわかっている。
「一つ、血脈婚を受け入れる。一生、アレイティアの奴隷に戻る。二つ、血脈婚を受け入れず、アレイティアの次期当主として台頭する。その場合、ティキはアレイティアの説得を必要とするね。」
あるいは、長男の殺害。ティキなら容易にできるだろうとも、見張り次第では出来ないだろうとも思う。
「三つ、誰かを殺すでもなく、逃亡。……ティキには子供がいるから、難しい。」
自分の子か、と思う。聞いた時も思ったが、やっぱりシーヌには、実感がわかない。
「四つ、アレイティアを殺して、アレイティアになる。次期当主として君臨するのは2つ目と同じだけど、この場合、殺すのは時期アレイティアじゃなくアレイティア公爵家全員だ。」
つまり、どこまで行っても逃げ道がない。ティキには、無謀な賭けをして逃げだすか、アレイティアになるしか、選択肢はない。シーヌがどう足掻いたところで、シーヌが共にいるかいないのかの違いしか残らない。
「だったら、僕は行くべきだと思う。ティキの夫として、僕はティキの望みを聞きに行く。」
どちらにしても、ティキはもうアレイティアの血脈だと知られてしまった。もう、ティキに与えられた自由など、ほとんどない。
「……だから、ムリカムなんだ、チェガ。」
オーバスではない。ムリカムに、これからシーヌは助力を求める。それが、義父の遺したアドバイスだから、ムリカムへ行くのだ。
「多分、“自在の魔女”のことは、他の五神大公は知らない。五神大公として必要なのは、誰の血を引いているか……ティキがアレイティアの血を引いているかだけだったはずだ。」
竜の因子による能力が、環境依存のモノだったかもしれないというのは、シーヌたちの仮説。常に親から子へと能力を引き継いできた五神大公に、環境だったかもしれないということを、気付けるはずがない。
「ティキの子は、ムリカムの力を発現する可能性がある、それを知っているのはムリカムだけ。」
ムリカムの“自然呼応”を発現させたティキの子を、アレイティアに置くわけにはいかない。ティキの子がアレイティアにふさわしくない可能性があることを、まだムリカムしか知らないのだ。
「そしてムリカムはそれを知っている。知っているからこそ、ティキをアレイティアには出来ない。出来るはずがない。」
ティキを救える可能性があるのは。ティキをアレイティアにしない選択が出来るのは、ムリカムだけ。だからこうして、馬車を走らせている。
「アレイティアの血を引き、ムリカムの力を発現させられるティキが自由の身に慣れることは絶対にない。」
これからシーヌが戦っても同じこと。ティキが自由に……誰とでも好きな時に会い、誰とでも好きなところに行け、どんなことをしても咎められない。最も模範的な『冒険者組合員』にティキが戻ることは、決してない。
「でも、ティキがアレイティアにならないことも、僕と一緒に生きることも、ムリカムならば、選択させられる。」
チェガはうなる。その通りだ、シーヌの自由は失われるし、ティキの自由などもっと消えるかもしれないが、代わりに。
好きな人と、幸せにお暗示場所で過ごす権利くらいは、ムリカムが知る事情だけ見れば、与えられるのだ。
「僕は、ティキを救う。そうすれば、僕は幸せになれると、知っている。」
そう言われると、チェガは何も言えない。
呆れたように、ため息を一つ。
「俺もケルシュトイルになる身だからな……文句も言えねぇか。」
貴族になる。王族になる。それは、自由行動の権利を失うのと、等価でしかない。
「わかった、シーヌ。最後まで手伝う。」
チェガは、ようやく。シーヌが覚悟を決めて、幸せになるために戦っていると、心から認めることが出来た。




