最古の英雄
「最古の英雄の物語をきちんと聞いたのは、初めてですね。」
チェガの呟き。それにシーヌは同意するように、軽く頷いた。
「あぁ、口封じをしているからな。おそらくケルシュトイルなら知っているのだろうが……」チェガはケルシュトイルに内定してからまだ3ヵ月経ったくらいだ。すべての資料に目を通し、すべてを覚える時間には明らかに足りない。
「……最古の英雄の物語は、“奇跡”にたどり着く最も重要な伝承だ。それも、一定数存在する“軌跡”としての“奇跡”ではなく、“基石”としての“奇跡”に。」
それは確かに、口封じをするしかない。冒険者組合としては、神龍討伐時に彼が語った『惑星衝突』を再度起こすわけにはいかない。
それは、世界を滅ぼすことと同義だ。だが、惑星衝突以外でも、世界を滅ぼすことは、出来る。
「“奇跡”……大衆による、世界の終末を祈る気持ち。それが起きれば、世界は滅ぶ。」
チェガは、最古の英雄の物語を封印されている理由に納得がいったらしい。しかし、同時に、なぜ公表しないのか、完全に納得したわけでもないらしい。
「それだけで、世界が滅ぶものでしょうか?」
たとえ多くの人間が同時に『世界が滅ぶ』ことを望んだとしても、本当に滅んでしまう気がしない。チェガにとっては、世界は明日も平穏に続くものだ。世界がそう容易に滅ぶようなものではないはずだ。
「滅びる。正確には、明日も世界が存続していることを訝しむ人間が増える中で、世界が滅ぶことを望む輩が同時に同じことを望めば、滅びる。」
無知とはすばらしいものだ。たとえば、世界の常識がいきなり変わり、魔法なんてもの世界にはないと信じ込めば、おそらく今この瞬間、世界から魔法は消える。
多くの人間が魔法を使うようになって、人間たちの日常に、魔法は欠かせないものとなった。結果として、だが。
「二千年前。それ以前。比較したとき、現代は誰もが魔法を使えるようになっている。使いやすくなっている。それは、魔法が『あって当たり前』のモノになったからだ。」
たとえば世界規模で戦争が起き、明日には戦争で蹂躙されるかもしれないと思った村人たちが、明日この世にいることを諦めたら、どうだろう。
「もしも戦争で勝ったとしても負けたとしても、その人々は明日自分が生きていることを、疑えるようになってしまう。」
たとえ“軌跡”の持ち主が今この瞬間に世界が滅ぶことを望んでも、叶うことはない。なぜなら、世界の人間たちが無意識に信じている『世界は明日も普通に続く』という信念にかなうことはさすがにないためだ。
だが、もしもその『世界は明日も普通に続く』ことを信じられなくなったとしたら?もしも“軌跡”の望みが世界の終焉で、同じような人が複数人いて、同時に“基石”による世界の運営能力が落ちていたら。
「冒険者組合や五神大公が教育を禁止、制限し続けている理由とも重なる。人が、世界に、現状に疑問を覚えない。覚えても少数でなければならない。そうでなければ、世界の滅ぶ可能性は日々高まるのだ。」
同時に、災害や大規模の戦争によって人々の不安が大きくなりそうなら、冒険者組合員がその力量を誇示するような働きをする。
冒険者組合員は畏怖されている。同時に、致命的なところで、憧憬されている。
彼らがいれば、少なくとも。
明日、世界が滅びることなどありえない、と。
「……。」
チェガは黙り込む。あくまで可能性の話だと笑い飛ばすことは、出来ない。なぜならチェガもシーヌも、惑星衝突の話を聞いている。人間たちが望めば、この星を動かし、世界を壊すことが出来ると、少なくともその前例があるということを知っていた。
疑問は賢くなければ湧き出ない。明日への不安は明日を不安視する状況になるまでは覚えない。
冒険者組合は、徹底的に、将来の破滅の芽を摘むように動いていた。
「最古の英雄は。」
オーバスが話し始める。最古の英雄の話を伝えない理由、“奇跡”を広めたくない以外の理由。
「英雄のまま没した。老兵になることなく、致命的な失敗をするでもなく、英雄のまま死んだ。」
それは、英雄になって、人々に憧れ、支持されて以降の話だ。
中位の龍を殺した英雄の話は、人類の間で派手な希望となった。誰に聞いても興奮して彼について語り、誰に聞いても彼をたたえる。身の丈に合わぬ重荷を背負わされた青年は、しかし、『彼に任せておけば大丈夫だ』と思う人たちが何十倍何百倍に増えたことで、その力量を絶対のものにしていた。
いつしか、とある噂が流れるようになる。
『彼は、危険な地域があれば、すぐさまそこへと駆け付ける。』
そんな噂が人類の間を駆け巡り……魔獣に襲われている場所には、常に彼がいるようになった。
「理屈としては簡単だ。青年が望むのではなく、魔獣に襲われている人々が、英雄の出現を願う。そうすれば、英雄は、その大勢の望みに引っ張られるように、強制的に“転移”させられる。」
そこに、青年自身の意思が介在する余地はない。人々が望んだから、彼は人々のために戦った。
「おそらく、戦ったのは自身の命のためだろう。魔獣に襲われている地域に呼び出されるということは、そこは戦場だということだ。何もしなければ、青年は死んでしまう。」
だから、戦いに出る。戦い始めれば、青年は人間の英雄として、崇め憧れられる存在として力を発揮する。そうして、英雄として新たな功績が増える。
そうしてどんどん、青年は英雄として人に求められ、答え続ける日々が続いた。
「とはいえ、英雄一人がどうあがいたところで、人々の生活が大きく変わったわけではない。」
食糧確保のために狩りに出た狩人が、魔獣に殺されるのまでは止められない。食糧の栽培中に、害獣が食い荒らすのまでは止められない。知恵をつけた魔獣が、竜が、人類の把握できるよりも遠くから攻撃するのまでは止められない。
英雄一人にはどうしてもできないことの方が多く……しかし、一日一日を必死に生きるというだけならば、ほんのわずかに楽になっていた。
「ねえねえ、英雄様!どうやったら英雄様みたいに強くなれる?」
ある日、無邪気な少年が英雄に聞いた。その言葉に青年は少し悩み、多くの人が耳を傾けているのを見ると。
「魔法を使えればいいんだよ。」
夢を壊さないよう、自分が人々の夢に踊らされているのだという事実を誤魔化して、言った。
「魔法?」
「そう、魔法。こうやって、火を出したり。」
ボッと、掌から炎を見せる。
「形を変えたり。」
剣の形に、変えて見せる。
「これを、投げたり。」
投げる動作をして見せる。集落の中なので本当に投げたりはしなかったが、青年は子供たちに、魔法という夢を見せた。
「ねぇ、どうやってやるの?」
説明を、求められる。でも、青年は、どうやってできるのか、どうやってやったのかは、わからない。
生きるために、必死だった。必死に戦って、恐怖におびえて、そうやって生きているうちに、どうやってか使えるようになっていた、魔法。どうやって魔法を使うのか、なんて、青年にわかるはずもない。
「理屈じゃちょっと説明できない、かな?」
残念そうな顔をした子供たち。やはり英雄は言うことが違うと、感心するように眺める大人たち。
天才だと思われていた。あくまで、人々の希望に踊らされた凡人だというのに。
「でも、きっと。魔法は、理屈では説明できない様な、奇跡なんだよ。」
この言葉だけは、間違いなく。
青年では倒せないはずの中位の龍を撃破できた。
今もずっと、人々に、英雄として崇められ、戦い続けられている。
大勢が望めば、その場に呼び出されるようになる。
それはきっと、“奇跡”と呼ぶしかないようなありえない出来事で。
「今なお子供たちも知っている、『魔法』の定義だ。」
そう、オーバスは呟いた。
ちなみに、英雄の死に様は、ある意味哀れで、そしてある意味、どこまでも教訓だったらしい。
「おそらくは、二か所で同時に襲撃があったのだ。」
そして、その二か所で同時に、人々は英雄を願った。
「人々が願えば、英雄は呼び出される。だが、英雄の体は一つしかない。」
「え?」
その言葉が意味することが何か、流石にシーヌも理解した。一つしかない英雄の体が、二か所で同時に現れる方法。同じ人が二人にはなれない。“夢幻の死神”のように分身を操る力を持っていたとしても、分身を操作するには本体が分身や目標、地形を補足している必要がある……二か所では使えない。
「そう、体が二つに裂けた……そして、裂けたまま生きられるはずもなく、死んだ。」
実にあっけない最期だ、とシーヌは思う。とどのつまりその青年は。
「英雄としてたたえられ、英雄として祭り上げられ、結果として、人々の願いによって、死んだ。」
一人に重荷を背負わせた結果、一人ではどうにもならずに死んだ。
「当然だが、英雄が二人いればよかったというものではない。英雄が二人いれば、人々の希望を一身に集めるのは二人になり……その分、一人一人の力は減衰しただろう。」
それが、“基石”による“奇跡”の末路。人々の願いというのは、想いというのは、ここまでに残酷になれる。
「だから冒険者組合は、人々に“基石”を起こさせる基盤を、徹底的に排除している。」
希望が人を殺す。最古の英雄の物語は、そんな意味合いをも帯びていた。




