復讐鬼の決断
実にあっさりと抵抗をやめた研究者は、シーヌたちの馬車に乗って運ばれている。
「おい、シーヌ。これ、必要なのか?」
両手足は縛っている。そして、猿轡も噛ませている。ここまでおとなしく、素直に運ばれている研究者に対しての扱いではなさそうに、デリアは呟く。
「最悪、両手足の拘束は外しても問題ないとは思う。でも、猿轡だけは外せない。」
シーヌの返答は一言で、簡潔だ。その答えに怪訝な顔をしつつ、さらに問い詰めようとグッと距離を詰めようとしたデリアを、グラウが押しとどめた。
「やめとき。あのシーヌは多分言わへん。おまえが復讐を止めようとしたときにお前を否定した、おんなじ目をしとる。」
グラウにそう言われて、デリアはじっとシーヌを見つめた。
シーヌの、決して意志を曲げない目。あの時、この目に気圧されず必死にシーヌを説得しようと頑張ったデリアは、しかし意思を変えることが出来なかった。それと同じ目をしていると言われたら、確かにそうだ。
シーヌは、何があっても、自分になぜ猿轡を外さないか、言うつもりがない……それは、言えないというのと、同義ではないかとデリアは思い、
「お前は、弱い。」
シーヌのポツリとした呟きに、デリアの脳が一瞬で沸騰する。
「ここでは、みんな、弱い。」
続く言葉に、一瞬思考の空白が出来た。ここにいるメンバーは総勢9名。研究者を除いても、8名。
しかも、5人は冒険者組合員であるというこのメンバーを見て……シーヌは、弱いと言った。
「ここにいる全員は、本気を出した“次元越えのアスハ”と戦えば、瞬殺されるだろう。おそらく、8人がかりでも。」
シーヌの呟き。それは、まるで他人事のようで、しかしどこまでも真剣みを帯びているようにデリアには聞こえる。
「アスハは僕の師だ。だから、僕は彼の実力をなんとなく知っている。彼はついぞ僕に本気を見せたことはなかったけど……高すぎる壁であったことも、頂がまだ見えていないことも、感じていた。」
それはまごうことなき事実。シーヌは、これから何十年と研鑽を磨いたとしても、“次元越え”アスハ=ミネル=ニーバスにはたどり着けない。冒険者組合上位百名の中に食い込むのが限界だったアスハの足元に……数十年かけて、かろうじて足元に手が伸びる程度だ。
「もしおまえが冒険者組合の深みに入り込もうと思うなら、死を覚悟しろ。師匠ですら殺される場所だ。」
その位置に届きえないシーヌたちが手を伸ばしたところで、決してたどり着けない場所だ。デリアは、シーヌが話さない理由……そして、考えることをやめさせようとする理由を理解した。
もしもデリアが、この研究者の猿轡を外してはいけない理由を知れば。そして、勘づいてしまえば、デリアは後戻りが出来ないのだ。
「了解、考えないようにしよう。」
思考を、強引にデリアは……グラウ、ファリナ、アリス、ワデシャ、アフィータも、切り捨てて忘れた。
オーバス公爵は一日で帰ってこれたシーヌたちには驚いたようで、わずかに目を見開いた。
「死んだのか?」
虐殺か、という意味での問い。それに対して副官“銀閃の剣聖”はいや、というように首を振った。
「恐ろしい怨念を感じました。あれはおそらく、“幻想展開”、しかも……おそらく、“奇跡”に該当する怨念の塊です。」
人間に出せるものではない。心の壊れたものが、心の壊れるほどの絶望を、正気のままで放たなければならない魔法だった。
「シーヌ=アニャーラが起こしたものでしょう。彼の魔法の才能は致命的にないですが……その代わり以上の才を得たようですね。」
心の、異常。
常人なら発狂するべきところ、そうすることで自分を守るための心の抑制装置が作用せず、発狂しない。
「とはいえ、憐れむべきことです。発狂するべき場面で発狂できないということは、自分を守るべき場面で自分を守れないということですから。」
祝福というより呪いというべきだと、執事装の男は言った。
「オルガ。」
呟きを遮るように、オーバスは一言。
「奴が彼女を手にすることを厭わないならば、これから奴のことはシーヌ=ヒンメル=ブラウとして取り扱え。」
それは、シーヌがティキと結婚しているということを、五神大公の名において認めるということ。その決定を受けて、今後の流れをすべて理解した、“銀閃の剣聖”は……
「承知いたしました。」
ただ慇懃に、返答を返した。
研究者をオーバス公爵に明け渡し、その確認のために彼が渡ってから30分。シーヌたちは、貴族館の待合室でじっと待っていた。
多少正装の持ち合わせがあると言っても、シーヌたちはあくまで冒険者組合員、無頼者だ。貴族たちの目に映るシーヌたちは、若い野蛮人にしか見えず、礼服を着たサルにしか見えない。
しかし、シーヌたちにわざわざ難癖をつけるものも皆無だった。冒険者組合員は化け物だ。サルにしか見えなくとも、その実態は竜に等しい。わざわざ死地に赴こうとする者はいない。
「居心地が悪い。」
デリアのポツリとした呟きに、グラウが頷く。
「確かにこれはなぁ。俺らの方があんたらよりはこういう場に来ることあるけど、どうしても慣れへんねんよな。」
「デリア、お前将軍家の嫡男だろう。」
グラウの慰めと、チェガのツッコみが被る。グラウの言葉にはアリスとファリナが何度も頷き、チェガの言葉にはデリアが顔を背けて対応した。
「アゲーティル様、ファリナ様。オーバス公爵がお呼びです。」
執事が一礼して告げる。呼ばれたのが二人だけか、という言葉を言うまでもなく、二人は立ち上がって執事の後をついていく。
チェガはその後姿を見て、何か察したのだろう。デリアとアリスを一瞬憐れむように見た。
デリアたちはその視線に気づかない。気づいたのは、シーヌと、遠目で彼らの姿を見ている貴族たちだけだ。
「デリア、アリス。行こか。」
少しして、グラウが二人に声をかける。シーヌはやはりという諦念とともに、チェガは嫌なものを見る目とともにグラウを見、グラウはわずかに笑ってデリアの腕をつかんだ。
「え、あの、俺たちは?」
「今からティキさんにまつわる話をするんやと。おまえさんらの分の報酬はちゃんともらっといたったから、さっさと行くで。」
遠回しに、お前たちはあくまで付録だと告げられたデリアは頬が引き攣った。確かに、おまけであることは否定しない。が、貴族館という公共の場でそういう扱いを受けるとは思わなかった。
「悪いな。オーバス公爵もちょっと後味は悪そうやってんけど……こういっちゃなんやけど、どうしようもないわ、これ。」
グラウの言葉に、愕然とした表情を浮かべ、デリアは腕をつかんで引っ張られていく。あまりの哀れさに、シーヌとチェガは引き攣った笑みを浮かべ……
「では、行きましょう。シーヌ=アニャーラ、チェガ=ディーダ=グリュン・ケルシュトイル。」
執事の声で、我に返って動き始めた。
簾の奥では、オーバス公爵がじっとシーヌを見つめていた。シーヌは、俯いて、目を瞑って、じっとしている。
「答えは出たか、シーヌ?」
ティキを取り戻すために、世界で最も力ある公爵の一人と、戦う。その価値を、嫌でも理解させられている。
鳥を使っていた。おそらく、この世にいる多くの獣たちは、アレイティアの眷属だ。アレイティアの至上命題は『神獣の作成』だが、神獣ではない眷属を扱う分には問題ないということなのだろう。
あれと、戦う。もしも万全なバックアップが付いた状態で戦っても、シーヌに勝てる可能性はずいぶんと低い、それだけはよく伝わっている。
「僕、いや、私、は……。」
ティキを諦める、という言葉も頭に過っている。昨日一日で何度考えただろうか、クロウのことを思い出して、未来のことを考えて。
「幸せになれと、言われたんです。」
「それは、アレイティアに喧嘩を売って、ティキを手にしなければ叶わぬ願いか?」
言葉に詰まる。それほどの……世界を敵に回すほどのモノか。復讐は、世界がバックアップについていた。冒険者組合という組織に、アスハという個人に、シーヌが守られていたからできたことだった。
「発言をお許しください。」
行き詰ったシーヌを見て、チェガはオーバス公爵に許可を求めた。その言葉に、公爵は頷き、空気で許されたことを察したチェガはシーヌに向き直った。
「シーヌ、思い出せ。お前は幸せを願われながら、どうして復讐をした?」
そんなの、決まっていた。必要だからだ、復讐しなければ幸せになれないことを、シーヌは理解していたからだ。
そう言われて、ハッとする。復讐せずにいることで、シーヌは幸せになれなかった。だったら、それが復讐でなくなっても、同じだ。
すでに始めたティキを取り戻すための戦い。ティキがいなければ幸せになれないと思ったから始めた、これ。
(大丈夫だよ。シーヌはきっと、幸せになれる。)
何か懐かしい声が聞こえた気がした。幸せになることを願う誰かが、シーヌを救おうとしているような、そんな声。
「はい。ティキがいなければ、僕は僕の過去に報いることが出来ない。必ず、ティキを取り返しに行きます。」
決意表明。どれだけ困難なことかは理解した。その上で、絶対にティキを助けに行くと、ようやくはっきりと決断できた。
シーヌは復讐しなければ幸せになろうと思えなかった。幸せになるためには、どうしても過去の恨みは消さなければ、永遠に引きずることになっていた。
その助けをしたのは、まぎれもなくティキだ。そして、過去の恨みを消すだけでなく、明るい未来を夢想し、望むことが出来るようになった理由もまた、ティキだ。
ティキがいなければ、シーヌという人間は,もう幸せを得られない。
何度もかみしめたことだった。それを、アレイティアという家への恐怖で、忘れかけていた。
「そうか。承知した。シーヌ=ヒンメル=ブラウ。今回の“奇跡”研究の研究者と、それに伴う我々の方針についてい話そう。」
シーヌの決意を受けて。オーバス公爵は、本題に入った。




