五神大公の仕事
よく考えたら、本当に偉い人に謁見するような出来事は初めてではないかとシーヌは思う。少なくとも、部屋に案内されて、こうして公式の対面を行うのは初めてだ。
「アゲーティル=グラウ=スティーティア。」
グラウが跪く。合わせるように、シーヌたちも跪いた。
「よい。冒険者組合とは、基本無礼者の集まり。彼ら五神大公でもない限り、礼儀を心得ていなくとも必然。楽にせよ。」
彼ら、という言に首を傾げ、前を向く。そこには、簾がかかった奥に見える人影と、簾の手前でまるで代弁するかのように話す男。
(これが、五神大公……?)
チェガはその規模に呆れ果てる。ケルシュトイル大公でもこうではなかった。第一、ここまでするほど大仰な貴族なら、“神の愛し子”アギャンが生まれるような土壌は出来はすまいと、半ば他との違いに違和感すら覚える。
「おかしいと思うか?」
簾の先から声が聞こえた。表情に出ていたかとチェガは身構え、しかし見回すとほとんど全員が呆けた表情をしているのに失笑する。
「えぇ。我らは小市民なもので、これ程の貴族に出会ったことはないのです。」
「それは異なことを言うな、チェガ=ディーダ=グリュン・ケルシュトイル。昔はさておき、今の貴様はこれほどの貴族であろう。」
グッと喉を鳴らす。文句は言えない、おかしいことでもない。チェガは確かに、将来的にはそれほどの貴族である。
沈黙で返答したチェガをスルーし、その五神大公は、その場にいる面々の面構えを覚えんとばかりにじろりとにらむ。チェガの顔と名前を知っていた時点ですべて理解しているのだろう、面構えを覚えるというよりは、威圧しているのかもしれない。
「まず、“戦場の影刃”。」
「は。」
お前には我が領土で発覚した“奇跡”研究の阻止を命じる。ことによっては、虐殺も止むなしと心得よ。」
虐殺と聞いて、シーヌの体がピクリと震えたのを、チェガは見た。その反応だけでよく抑えつけたと、チェガは親友に感心する。
「チェガ=ディーダ=グリュン・ケルシュトイル。」
「ハッ。」
反射的に返事を返す。反射的と言わざるを得ないが、そうするだけの何かを、この公爵は持っていた。
「貴様の結婚を祝福する。遥か過去、祖の時代とは言え、ケルシュトイルとオーバスは友であった。その友の子孫が愛する者と結ばれる。自由を求めた彼も、心より祝福するだろう。」
五神大公は己らの選択によって自由を失った。しかし、ケルシュトイルはそれを是とはしなかった。
自由を求め袂を分かった者たちの子孫が、自由に恋愛をし、結婚ができる。十分に慶事だと、オーバスは言っているのだ。
「そして、シーヌ=アニャーラ。」
ヒンメルではなく、アニャーラ。ブラウという婚姻姓すら使わずに、オーバスは言った。
「五神大公の娘を奪うことの意味を、理解しているか。」
それは、上位者として、そして五神大公の当主としての、問だった。
虐殺もやむなし。それに是と答えるグラウ。
腐っている、とシーヌは思う。やられてはいけない実験が存在することは認める、それに制限をつける大義も認められる。だが、虐殺だけは、認めたくなかった。
だが、文句を言うのはあとでいい。虐殺されそうだったら止めればいい。だから、いま反応することはない。
シーヌは強引に、己の心を納得させた。
「五神大公の娘を奪うことの意味を、理解しているか。」
その言葉は、シーヌのためにではなく、世界にとってという意味であると、シーヌは直感的に理解できた。
冒険者組合は。強者が自由に好き勝手生きるために存在する組織の本質は。
「世界の維持と管理、崩壊を未然に阻止するための機関。」
そのトップであり、二千年も世界を守り続けている家の娘を奪うことは。
「その世界を守るための努力に、唾を吐きかける行為に等しい。」
言ってしまえば。洪水にならないよう作り上げたダムの、重要な土台を引っこ抜く行為。シーヌがいま行おうとしているのは、そういうものだ。
「わかっているではないか。貴様は、自分の恋のために世界に死ねといっている行為だと理解したうえで、恋を優先させるというのだな?」
そこまで言われても、シーヌ的には困るのだ。確かに、行為だけ見ればシーヌのやっていることはそういうことなのだろうと思う、
だが、そういうことではないのだろう。シーヌ自身の意思で助けに行くだけの覚悟は、五神大公とぶつけ合えばおそらく負ける。五神大公は二千年も世界を守り続けるだけの覚悟を証明し続けた一族であり、継承し続けた一族だ。
五神大公はおそらく、正当性を持つのはアレイティア公爵家だと理解している。たとえティキがムリカム公爵家として迎え入れられるといっても、本当の正当性はアレイティアに……父親がティレイヌ=ファムーア=アツーアであるという一点にすべて持っていかれているだろう。
「それに、アレイティア公爵家は、冒険者組合に欠かせない要素を持っている。」
アレイティアに積極的に反旗を翻すのがまずい理由があると、オーバスははっきりといった。
「なんですか?」
シーヌではなく、デリアが聞く。“地殻変動”オーバス公爵家は、圧倒的なその“竜の因子”の特権を持つ。“自然呼応”ムリカム公爵家が嵐や竜巻、雷や雪を呼べるのと同じく、“地殻変動”は地震や津波、地割れに噴火といった災害を起こすことができる。
だが、そんなことではないと公爵は御簾の先から言った。
「五神大公は世界に仕事を持っている。一国の公爵などというちっぽけな役柄ではなく、世界的な公爵である以上、世界に働きかけるような仕事を持つ。」
一般民は五神大公は仕事を持っていないと思いがちだが、違う。仕事の規模が大きすぎるがゆえに、彼らの名前まで行きつかないだけである。
「例えば、われらオーバス家では、“地殻変動”を用いた銭石の作成、および修復が仕事だ。」
自由に噴火ができる。それは、自由に宝石を作れるということ。世界に働きかけて土の質を弄れる以上、オーバスの作り上げる銭石は、魔法で作り上げた紛い物ではなく、唯一無二の実体持つ石を作れるということだ。
銭石を魔法で作って億万長者になろうとした人間たちは、その石を完璧に再現することはできなかった。当然だ、元来天変地異でしかできない天然の品物を、人工的に天変地異を起こして作り上げるオーバス家の所業など、誰かに出来ることではない。想像力で補えるようなものでもない。
「ワムクレシアは産業の元締めだ。オーバスの用いた銭石を通貨として流通させ、相場を制定し、同時に産業分野の発展を制限し、同時に発展させる。世界中皆に知識が行きわたるのを抑えつつ、同時に暮らしがよくなるように改良し続ける塩梅は、もはやワムクレシアの専属となった。」
おそらく。『心の摂理』の惑星が滅ぶきっかけとなった、惑星の大移動。人間たち皆が魔法を、“奇跡”を用いられる世になったのかもしれない世界。
それを止めるためには知識の発展をある程度制限するしかない。その塩梅を考え続けることが、ワムクレシアの仕事なのだろう。
「ムリカムは学業と人事。世界を維持するための努力を、新たな人材の抑制を。ムリカムは二千年行っている。」
そして、バデルは司法。“洗脳話術”という概念は、ある意味で何よりも使いやすい。
例えば、知りすぎた者に忘れさせたり。“洗脳”の力を使って、『話せない』ようにしてしまったり。そういう意味で、バデルは世界に貢献している。
「アレイティアが司るのは、通信。お前たちが用いる、連絡用の鳥がいるだろう?あれはアレイティアが“眷属作成”で作り上げたものだ。そういった、動物を使った連絡網と情報網のすべては、アレイティアが握っている。
愕然とした。例えばグラウが兄に「任務を終えた」と伝えたとする。それを、直接ではなく鳥を使って連絡すれば、少なくともグラウが兄に連絡をしたということはアレイティアに伝わるのだ。
中身を見るかどうかは別だが……少なくともこれから敵対してくるかもしれない相手、その情報くらいは覗くだろう。
「うっ、」
「五神大公は仕事と、それに見合った権力……力を持っている。通信と連絡網を握る相手と戦う意義を、しっかり持っているのか?」
勝算とは聞いてこなかった。少なくとも魔法がある以上、勝算などはひっくり返る可能性すらあるのだろう。
「とりあえず、アゲーティル=グラウ=スティーティアに付いていき、問題を解決しろ。全て終われば、再び面会して同じことを問うてやろう。」
そうして、オーバス公爵の面会は一時的に終わった。




