退場する剣士
そうと決まれば、動きだしは早かった。アラセア王国に向かうのなら、そしてアレイティアの屋敷に攻撃をかけるのなら、時間が勝負どころになる。
「親父の家に行くぞ。」
チェガの言葉に、全員が頷く。“凍傷の魔剣士”は戦士としては非常に心もとない強さだが、傭兵として各地を転戦したその経験は誰よりも勝る。彼はおそらく、次の移動に向けて準備を整えているはずだとチェガは言った。
馬車を出す。四頭のペガサスに手綱を繋ぎ、馬車につなげ、動けと指示を出す。
「一ヵ月ほどかけた、が。」
神の住み給う山へ向かった時。セーゲルからそこまで、魔女の森の滞在期間を抜いて、ほぼ一月かけた。
今回はそんなにゆっくりと進めない。新生グディネ竜帝国の奥まで、およそ倍近い距離を、長くても半月で進まなくてはならない。
五神大公の内2公がいつまでいるかわからない、というのもあるし、“奇跡”研究がいつまでつぶされずに残るかがわからない。
何より、アゲーティルがいつブロッセを発ったのかがわからない以上、時間は敵だ。早く着かなければ、そしてその場でやれる全てのことを終わらせなければ、シーヌはティキを取り返せなくなる可能性が高い。
急ぐ彼らの目に、火に包まれた、オデイアの家が見えた。
全ての糧食の用意は終え、今日来るであろう彼らの夕食も作り終えた。
地下の唯一の扉を閉める。すべては完全密閉した木の箱に入れて、水に漬け、瞬間で冷凍した。
「これでいいんだな?」
(あぁ。そうした方がいい。火事になったとしても、家一つ分の水で冷凍保存したら、何があってもそうそう燃えつきはしないだろう。)
オデイアの頭に響く声。おそらく、シーヌとティキの行く末を見守る何かの、声。
その声からのとても重要なお告げだった。敵が、シーヌの動きを止めに来るという、お告げだ。
「オデイア=ゴノリック=ディーダ、“凍傷の魔剣士”だな?」
背後から声がかかる。あまりに自然な、殺意のない声だった。だから、つい反射的に答えた。
「そうだ。お前は?」
無視するか、別人だと言えばよかったのかもしれない。だが、答えた方がよかったのかもしれない。
本当の答えは、わからない。だが、それは。今はともかく、自分の後ろに、立っていた。
「私は……名乗らずとも、わかるでしょう?」
ゾッとした。知っていた。生きていることは知っていた。シーヌには伝えていない。なぜか、伝えようという気にならなかった。いや、思い出すことがなかったのだと、今、思い出した。
「アヅール=イレイ……?」
声は、そうだ。姿形も、そうだ。だが、中身は決定的に、“隻脚の魔法士”ドラッド=ファーべ=アレイのモノだ。
「あぁ。今の雇い主からの命令で。お前を殺せと。」
前へと跳んだ。服が斬れた音がするのを、全力で無視する。
「殺されて……やるか!」
ドラッドとオデイア。かつてなら、オデイアが一歩劣る程度だった。“無傷”に傷一つ負わせることが出来なかったのは確かだが、魔法技術では、そして剣の、戦闘の技術ではわずかに一歩劣る程度だった。
氷の剣を作り上げ、狙いも定めず振り返りざまに投擲する。狙う必要はない。牽制程度でいい。それをドラッドは、回避もせず、素直に“無傷”の肉体で受け止めて、一歩前進して剣を振る。
「んな!」
剣に氷をまとわせて、即席の盾にする。振りぬかれた剣の衝撃で体は飛ばされ、壁にぶつかりこそしたが……剣は折れず、身体硬化魔法をかけていたから骨は折れていない。
「その、大剣は。」
「お前の知らない“天使”の剣ですよ。」
ふと、剣が消えたのを目視した、次。
ほほを殴られる感触を、感じ取れた。いつの間にそこにいたのか、わからない。
ただ、これは。ドラッド本来の能力でないことだけは、本能的に理解した。
「何、だ、それは?」
「“黒鉄の天使”からは剣術を。“夢幻の死神”からは暗殺を。私は“強奪”の“三念”を得ました。。」
それ以上は言ってこない、が。いう必要がないと判断しているのか、それともこれ以上手を明らかにするのを拒んだか。
とにかく拳が飛んでくる。それを、かろうじて回避した。
「あぁもう!冒険者組合っていうのは強いのが多すぎて困るんだ!俺が弱者だと嫌でも突き付けられちまう!」
オデイアはそう叫びつつ、振り降ろされる拳を回避する。即座にドラッドは弓を取り出し、つがえ、放った。弓。ドラッドの活動動機は、シーヌへの復讐。おそらく奴は、非復讐者たちの代弁者。その中で弓を使う能力者は二人、“災厄の巫女”かあるいは……
「“赤竜殺しの英雄”……またの名を“熔解の弓矢”。」
当たれば致命傷。剣を地につけ、氷……は間に合わない。熱波を広げ、空気の膨張圧を用いて強引に矢を弾く。
「随分と強くなりましたね、オデイア!」
「えぇ、シーヌさんへの贖罪にね!」
叫ぶ。お前たちがやったことの尻拭いをしてやったぞと、まるでドラッドを見下すかのように。
そうしてドラッドが怒ることを願った。頭に血が上れば判断力が落ちる。判断力が落ちれば、オデイアが生き残れる可能性も上がる。
しかし。その行動が最適なものであろうとも、その言葉は最適なものではなかった。
「贖罪?」
一瞬、ドラッドが固まる。あたかも「何のことだろう」と言わんばかりの惑いは、しかしすぐに「気にしなくていい」という答えを導き出す。
デリアなら、オデイアと同じ手を取っていた。チェガなら雇い主の予想を告げて意表を突いた。シーヌなら力押しで抜けようともがいただろう。
「贖罪をせねばと思わないのか!」
今の硬直で、ドラッドの答えはわかりきっていてなお。オデイアは叫び……
「罪を犯していないのに、贖う必要がどこにある。」
マルスの用いた、魔法を剣に纏わす高火力攻撃。それで、オデイアは吹き飛ばされ……纏わせた魔法が炎だったせいで、家が燃え上がった。
ドラッドは、シーヌに贖罪する理由などない。なぜなら、ドラッドは何も罪を犯していないからだ。
あの日の虐殺劇、まだ見ぬ強者との戦いの場。自分が強いと喧伝して回ったあの日の高揚は、今でも忘れておらず。
「私はあの日、私の人生を全力で楽しんでいました。」
そこに罪はない。そこに悪はない。ドラッドはただ、虐殺という行為をしただけで。
「虐殺は罪じゃないですよ。悪でも、悪い行いですらありません。」
それは。人間が生命である以上、否定してはならない摂理だ。それを『悪』と語ることが許されているのは、神と、心と生命のない何者かのみ。
「お前が勝手に罪と思うのは知らねぇ。人が悪いことだと思うのは勝手だ。だがな。」
虐殺を、罪であり、悪であり、悪い行いだと宣言するのは。
「人間は、やっちゃいけないんですよ。」
シーヌなら同意した。チェガは、同意はしないものの否定できなかった。デリアは全霊で否定しただろう。
結局のところ。オデイアの敗因は、ドラッドという人物と、『生物』であることの意味を間違えていたと。その一点に、限るのだ。
もうオデイアは動くだけの体力がないと、ドラッドは理解していた。
もうこの火の手は消えないと、ドラッドはわかっていた。
この火の中でじっとしていれば、オデイアは焼け死ぬという確証があった。
「あなたのことは、買っていたので。」
妹を嫁がせた男だ。見所も多かったし、将来に期待していたし、愛着もあった。
「今回は、見逃しましょう。これだけ燃えれば、シーヌたちも簡単には旅に出られません。」
指示は、シーヌたちの旅を止めろ。いずれ来る戦闘に、余計な横槍とシーヌを守る盾を増やすな。
「それは、達成出来たでしょう。」
甘い一面が、顔を覗かせ。
ドラッドは、黒い翼をはためかせて、闇夜に紛れた。
「親父!おい、親父!」
チェガが叫んでいる。涙を流し、回りに人がいることも気にせずに、泣き叫んでいる。
「……チ、ェガ。」
わずかに、オデイアが目を開ける。
「大丈夫、死なない……が、俺はもう、ここまでだ。」
手傷を負いすぎた。そうでなくとも、オデイアは弱い。
これ以上は、足手まといにしかならないことはわかっていた。だから、これ以上は、旅に同行できない。
「チェガ。シーヌを、任せた。」
力なく、オデイアの手が落ちる。全身の痛みが麻痺し、動けなくなった肉体が、オデイアに休養を命じる。
オデイアは一命をとりとめた。全治4ヶ月ほどの大ケガを負って。
「……シーヌ、行こう。」
チェガは頭を振って、切り替えたようにそう告げる。
「時間はない。悲しんでいる余裕はない。親父は生き残った、なら、治った親父にいい報告を告げられるように。」
シーヌの目を見て、チェガは言う。その言葉に、重い責務と、覚悟を見てとって。
「わかった。」
シーヌは、即断した。




