バデルの刺客
新年もよろしくお願いいたします。
学園都市ブロッセ。かつて、冒険者組合加入試験が行われた土地。
基本的に冒険者組合の加入試験は、ブロッセで行われる。『新しい風を受け入れる』ことが目的の試験、かつ上層陣の意向がふんだんに詰め込まれた試験は、学園都市で行う方が効率的だ。なぜなら、才能ある人物の囲い込みをしておくなら、若いころから才能を監視した方が楽だからだ。
確かに個人で鍛える中から、特別優れた人物が出てくることもある。魔法とは人生の結末である以上、どうあっても経過からの成長というのは見過ごせない。
だが、同時に。己の人生を早期に見定めた人間の魔法が強いのは、誰の目にも明らかだ。その信念は、途中で誰かが強引に手折らぬ限り、日々成長し続ける魔法威力そのものだ。早期に己を見定めた者ほど、いずれ五神大公に対する抑止力として成長してくれるだろうという期待がある。
だから、自分たちを抑止する学園の建設を、五神大公は決定した。学園都市ブロッセ。これは、神龍を恐れた五神大公たちの、神龍再誕を何としても阻止しようという意志の塊だ。
「だからといって、冒険者組合員と学生しかいない、というわけでもなく。」
かつてティキと二人で泊まった宿。かつてデリアとアリスが泊まった宿。シーヌ=ヒンメル=ブラウという復讐鬼が世に産声を上げた試験に使われた、ムリカム家所有の、何もない家である。
「本当に、何もないな。」
布団が二つ。大きな窓が一つ。密談にはもってこいの、広い部屋。……ムリカム家の人間が、密談をするために使う場所。
「全く、財力があるっていうのは嫌になるな。」
チェガが布団に倒れこみながら呆れたようにそう言った。家の規模から見ても、ここは別荘にもなりえない仮住まいではあるが……ただ密談のためだけの仮住まいを作れるだけの金持ちというのは、確かに思考を放棄したくなるほどの何かがある。
「さて、と。シーヌ、行こうぜ。」
少し休んで満足したのか、チェガは立ち上がった。まだ一年も経っていないが、シーヌはやっておくべきことが一つだけ。
「先生に会いに行こう。」
せめて、試験に合格したという報告くらいは、届けておくべきだとチェガに言われたのだ。
だから。シーヌとチェガは、デイニール魔法学校に向けて走り始めた。
学園都市ブロッセは、ムリカム公爵家が主導して建てた都市である。なぜなら、ムリカム家は五神大公の中でも、学問の管理と政治の調整を行っている。
冒険者組合は、知識ある人の存在を極力制限しておきたい。なぜなら、『心の摂理』で“奇跡”を行使できる人間は、冒険者組合で管理、管理できなくとも居場所の特定はしておきたいからだ。
五神大公は世界の管理者だ。彼ら自身は自称していないが、実質のところ管理者と言って差し支えないほどの権力を持っている。
神龍討伐に貢献した一族の末裔は、多かれ少なかれ世界に影響を与えるようになった。それは、五神大公であれば、なおさら。
冒険者組合は、世界に対して五つの仕事を持っている。学問・通信・経済・人事・産業。ムリカムが受け持つのは、さっきの通り学問である。
政治の調整はそこまでの仕事ではない。冒険者組合という絶対王者の強権の使いどころのカギを預かっているだけだからだ。
では。学問をムリカムが保持しているからといって、他の大公が学問分野に関与しないのか……答えは否だ。
例えばリュット魔法学園は、アレイティアの手が大いに入っている。でなければムリカムの支配地にムリカムが最も欲するティキを送り込めるはずがない。
「では、デイニールは?答えはな、シーヌ……ワムクレシアだ。だから、お前はアスハ様の手引きでこの学園に入れた。」
工業都市ミッセン。ミッセンの権力者は、ワムクレシア。ワムクレシアから権力を預かっていたアスハは、ワムクレシア系列の学園に人を送り込むことくらいは出来た。
そっと、杖が向けられる。デイニール魔法学校で、シーヌとチェガの担任だった男。彼が、シーヌに敵意を見せている。
「学園都市に、バデルが関与することだけは許されていない。なぜなら、“洗脳話術”の力は、将来有望な人間の囲い込みという点においては利点だが……。」
「冒険者組合の……神龍討伐のために動いた戦士たちの理念に違反する。」
チェガが割って入る。敵対意思を向ける以上、チェガやシーヌが取れる手段は一つしかない。
だが。シーヌはまだ、わからない。なぜ、担任に会いに行ったらいきなり戦闘になっているのかが、わからない。
「シーヌ。バデルは教育に参入できないが、かといって何もしないままだと他より人員確保の面で他より劣る。だから、こうして手の者を学校に送り込んでいるんだ。……そうですね、先生?」
チェガの問いに、よくできましたとでも言わんばかりに教師の笑みが深まる。バデルの手の者、と聞けば、教師がシーヌにこうして殺気を見せている理由も、わかる。
「バデル公爵家は、ユミル=ファリナを殺したあなたを、許さない。あなたを殺すように、バデルに繋がった人間たちはみな指示されています。」
先生の言葉に、シーヌは無言で続きを促す。殺意があっても敵意がない。シーヌはそんなちぐはぐさを感じている。
「おかえりなさい、シーヌ=ヒンメル。あなたが一つの目標を成し遂げたことは、私もあなたの担任として誇らしい。……しかし。私はバデル公爵家につかえる一個人として、あなたを殺さないわけにはいきません。」
さっと、杖を向けられる。その動きに、チェガがシーヌを守るように前へ出る。
「殺させねぇよ。俺は、シーヌの幸せを掴ませると決めてんだ。」
「チェガはシーヌの保護者ですか?」
最優先でシーヌを守ろうとするチェガに、教師は呆れと、同時に危機感を覚える。
チェガに、ではない。チェガと戦う己の力量に、だ。デイニール魔法学校。一世と出会った頃のチェガは、他の生徒たちと比べて頭一つ抜けていたが、あくまで訓練を受けた兵士くらいの強さしかなかった。教師よりも、遥かに、弱かった。
だが、今のチェガは己の力量をわずかに超える。己の信念を得たチェガは、その若さと、信念を確立してから時間が短いこともあって、己に疑問を抱いていない。価値観や意思の変遷が、起きるかもしれないだけの時間が経っていないチェガは、すでに己の人生を定め、歩むたびに壁にぶつかってきた教師より、強い。
今日、最初から教師はシーヌを殺すつもりだった。シーヌだけと戦うつもりだった。
「私はシーヌを殺すよう、指示されています。あなたと戦うつもりはないんですけどね。」
「知らねぇよ。今のシーヌは“復讐”を終えた。ここからは、こいつに戦わせることはしたくねぇ。」
嘘だ。嘘だと、チェガも教師もわかっている。
シーヌは“復讐”を終えた。戦う意味を、終えた。“奇跡”を、“軌跡”を失った。
戦う意志があっても芯のないシーヌなら、どれだけ魔法技術で劣ろうが、教師が勝つ。教師もチェガもそれを理解しているからこそ、シーヌと戦おうとし、シーヌに戦わせまいとする。
竜とは違う、シーヌは人だ。『竜の摂理』を使いこなせない中位の竜相手なら、シーヌでも圧倒できる。魔法技術で、圧倒できる。しかし、対人戦となれば、話は違う。意志の強い方が勝つ以上、シーヌでは教師に勝てない。
「チェガ。」
誤算は、ただ一つ。
「僕が戦う。」
“復讐”を持たないシーヌは、ティキを取り戻すために心を取り戻した。“過去”を清算したシーヌは、“未来”の“軌跡”を探しに出た。そのシーヌが、新たな芯を全く持っていないわけが、ない。
「まだ僕の幸せはわからないけれど。」
杖を手に。チェガより前へ。
「彼らは、僕に幸せになれと願った。なら、それを見つけるまで、僕は死ねない。」
それが、シーヌ=アニャーラ=ブラウの答えだった。




