学園都市へ向けて
馬車が走る。ティキが連れ去られたとき、拉致者は馬車を奪っていったわけではないらしい。
幸いだったな、とシーヌは思う。ペガサスたちは言うことを聞こうとしなかったが、「ティキを助けるため」と言うとまずはトライが首を垂れた。
トップが言うことを聞いてくれると話が早い。スレイアとニニスも従うようになった。
「まさか、この道をまた走ることになるとは思っていませんでした。」
「私もです。竜の谷。懐かしいですね。」
ワデシャとシーヌが馬車に乗って走っていた。もう1年は前の話だ。あの日、ティキはアレイティアとしての才能の片鱗を見せた。
「私、思うんですよ。『竜の因子』によって発現する能力は、環境で決まるのではないかと。」
「環境ですか?」
そう、環境だとワデシャは言った。
「資料を見て、ティーネ様が“自然呼応”の能力を持っていると知ったとき、ティキ様の“眷属作成”はあまりにも不思議でした。」
“因子遺伝”。それがある以上、ティキは“眷属作成”よりも“自然呼応”に目覚めるほうが自然だ。なのに、ティキは“眷属作成”に目覚めた。
「ティーネ様が飲んでいた龍の血に、“眷属作成”のものが多かった。その可能性も考えられたのですが……。」
おそらく、『竜の因子』そのものに、属性はない。それが、ワデシャの出した結論だったらしい。
竜の谷をガラガラと進む。途中。何度か下位、あるいは中位の竜に遭遇したが、あっさりと倒して突き進んだ。
「竜は、群れで生活します。上位の龍か中位の龍に付き従う形で、竜たちは各地に散らばっている。その生息地ごとに、竜の用いる能力は特色があります。」
多くの場合。一番上の龍の力と似た力を、竜たちは使うのだという。例えば、この竜の谷では。
「一番上は、上位の龍バンデレシア。彼は雷と竜巻を主に用いる龍ですが、その配下、ここに住まう龍たちは、確かに自然現象を多く用います。」
炎、水、雷、風。土を用いる個体はいない。これまでは、『竜の因子』が“自然呼応”の力を宿しているのではないかと思われてきた。だが。
「逆だったのですよ。おそらく、ここのトップが“自然呼応”の力を使うから、皆が“自然呼応”の力を使っているのです。」
真似をした結果、自分の属性を確定させただけ。それだけなのだろうと、ワデシャは言った。
ティキの生まれは特殊だ。特殊というだけではまかり通らない五神大公、アレイティア公爵家にあって、さらに特殊な生活をしてきたのがティキという人間だ。
「おそらく、“眷属作成”の話はされずに育ったでしょう。母のことも知っているか怪しい。だから、『竜の因子』が生む能力を、ティキさんは知らなかった。」
だから、とワデシャは言った。
「彼女が竜の因子の力に目覚めたのは、アレイティア家を出て、シーヌさんと旅をするようになってからです。確か、シーヌさんがちょっと油断した時でしたか?」
「えぇ。従属化の魔法を使ったのを見て、初めてティキが相当高位の……本物のアレイティアであることを知りました。」
従属化の魔法は、たまに高位の貴族が持っている。なぜなら、世にある多くの貴族は、五神大公の末裔だからだ。
分化しすぎて先祖返りしないとわからないクラスの分家もいる。が、五神大公の末裔でない限り『竜の因子』にまつわる魔法は使えないし、五神大公の末裔が貴族でなくなることもまたない。
次男以下はさておき、長男は……『竜の因子』の管理のために、徹底的に貴族籍として管理される義務を持っていた。
「まったく……冒険者組合とは。」
重い。二千年の時と、神龍討伐で背負った責務が、重すぎる。冒険者組合は、五神大公は、それを二千年間、背負い続けている。
「それはまぁ、今はいいでしょう。もしかしたら、竜の因子の能力発現は環境で決まるのではないか、と考えている。それを、覚えていてほしいと思っています。」
ワデシャの発言。シーヌは黙って頷く。ワデシャの発言がムリカムにとってどれほど価値があるのか、シーヌはわかっていた。
「シーヌ!」
馬車の上で座っていたチェガが叫んだ。襲撃。シーヌが立ち上がると、遠くから走ってくる翼竜が一頭。
「あれは……上位の竜か。」
そこまで脅威ではないな、とシーヌが思った時、ワデシャが慌てたように弓を構える。
「スゥゥゥ。」
狙いを定めて、光の太い矢の魔法をつがえて、
「はぁ!」
目算にして三キロ。視力と身体能力を強化して、矢の軌道を完全に魔法で制御しているとはいえ、そこまで矢を届かせられるワデシャは強い。が。
そんな遠距離から矢を撃ったとして、避けないモノはいないだろう。
なぜわざわざそんな距離から弓を放ったのかがわからない。シーヌがワデシャを見ると、ワデシャは方で大きく息をしていた。
「私の実力は、この程度ですよ。……赤竜クトリスを、私は妻とティキさんの力を借りて倒しました。私一人で上位の竜を相手取るのは、いささか厳しい。」
なるほど、とシーヌは思う。世界的には明らかに強者であるワデシャ。一年前であれば、シーヌと互角だったワデシャ。
「なるほど。これ以上は厳しいですか。」
ワデシャ=クロイサ=バレット。齢25ほど。さすがに、才能の限界のようだ。技術が上がることはあっても、彼がここで自分の限界を定めてしまった以上、魔法の威力が上がることはもうない。
「私はもう、父親ですから。強さを求めるより、家を守る力を求めるようになりました。」
すなわち、権力と、居場所。なら、ワデシャは軍を相手取る指揮官にはなれても、戦士にはならないのだろう。
それならそれでいいじゃないかと、今のシーヌなら思える。
ティキと会う前。復讐仇たちと戦う前は、こうではなかった。個人の能力の高さ、己が信念の強さを重視していた。だが、その信念の強さは、個人の戦闘に限ったものではないと、戦争を経験し、数多の指揮官を殺したシーヌはわかっている。
“救道の勇者”に、シーヌは言った。『誰一人間違ったことはしていない。誰一人悪人ではない。ただ、その人生を貫いただけだ』と。同じようなことを、言った。
である以上。シーヌはもう、聖人会やワデシャの決断を貶すつもりはない。聖人会の成り立ちを知った以上、貶す必要性すらもない。
「いいじゃないですか。アレイティアとの戦いでは、期待しています。」
“忘恩の商人”ワデシャ。その決意は、竜に通じずともシーヌは納得できた。
「まあ、大丈夫です。上位の竜くらいなら、僕で倒せます。」
実際に首と胴を切り離すのに、シーヌは一分かけなかった。




