魔女と聖女
“永久の魔女”に言われた通り、ティーネはルックワーツに向かうことにした。いつもであれば、最寄りの冒険者組合の支部にでも寄って、地図や警備情報などを得てから動く。だが、今回はそんなことをしなかった。
行き当たりばったり、なんていうのは、冒険者組合に入ろうとしたとき以来だ。とはいえ、ティーネは35位の組合員。世界で35番目に強いということで、何か失敗したとして、逃げるだけなら容易だろうから、あまり気にしてはいなかった。
魔女の森を超えて、2週間。のんびり馬で駆けながら、風景だけが切り替わる中を見続けている。
その先で、剣戟の音が聞こえた。ごく少数の精鋭に、多量の兵士が物量でぶつかり合っている。少数の兵士たちは全く衰えを知らぬかのように戦っているし、多量の兵士たちは連携が非常に上手い。
「うーん、……よし、攻めるか。」
氷柱を用意する。それを、いかにも両者に放とうとしているように見せつつ、実際に両方共を殺すつもりでチラつかせながら。
「争いを止めろ、殲滅されたくないならば。」
目的はルックワーツ。どちらがどちらの軍かは知らないが、停戦させてから口を割らせればいいだろう。
そう考えて、威圧感たっぷりに宣言する。戦場はまるで森の中のような静寂に包まれ……
「撤退ぃぃぃ!!」
片一方の将が声を上げる。それに合わせて、すべての兵士たちが足を揃えて転身を始めた。
その速度、切り替えの早さはティーネの意表を突くもので、驚いて、焦って……
「あぁ、争いを止めろ、とは言ったけど、動くなとは言ってなかったね……。」
そう呟けたのは、逃走者たちがすでに豆粒程度にしか見えなくなってから。追いかけて捕まえるのは容易だが、ここにはもう一団の集まりがいた。
「さて。君たちの所属を教えてもらえるかな?」
「……。」
返答は沈黙で。見も知りもしない相手に何かを教えてやる義理はないと言わんばかり。
「僕は冒険者組合、“自在の魔女”ティーネ=オルティリア。改めて問おう、君たちは、何だ?」
名乗った。この名乗りには、二つの意味がある。
『私は名乗った、お前も名乗れ』と『冒険者組合に逆らうのか?』だ。
「聖人会所属、“要塞の聖女”ナミサ=ハイル。」
聖人会。そうか、聖人会か、とティーネは軽く息を吐いた。ルックワーツの隣都市。どうやら戦争をしているらしい。
これを、面倒くさいと言わずしてなんと言うか。だがまぁ、開き直るしかないまま、ティーネはとりあえず言った。
「ご飯。食べたい。」
行動食は、飽きていた。
なぜか、大歓迎された。やはりというかなんというか、ルックワーツと聖人会の戦力差には大きな開きがあるらしい。そんな中で、“聖人”や“聖女”たちが支援することで拮抗を維持しているのが、『セーゲル聖人会』の現状らしかった。
「で、あんたは何をしに来たんだい?」
街の中心に聳え立つ、白い塔。その中、執務室と思われる場所で老婆手前の女性が問う。
「ルックワーツの強さの秘密を知りに。」
「そうかい。ここはセーゲルだよ。ルックワーツは、ここだ。」
地図を広げて、老婆が示す。その位置を確認して、ティーネは立ち上がった。
「ありがとう。感謝する。」
「終わったら、一度帰ってきてほしい。ナミサを救ってくれた礼がしたい。」
「救った訳じゃないんだよ、“護りの聖女”。……でも、そうだね。民たちへの手前があるか。」
ティーネは、貴族の生まれである。冒険者組合加入に伴って貴族の義務を失っているが、貴族教育は受けている。
例え事実でなかろうと、一度民たちに浸透してしまった認識は、徹底的に覆すか、従うしかないと理解していて。
「まぁ……それほど忙しいわけでもないし。わかったよ。」
魔女はそうして、ルックワーツへと駆けていった。
実にあっさり、ルックワーツへは忍び込めた。セーゲルで大歓迎されて気がついたが、正々堂々と街へ訪問すると、とてもじゃないが知りたいことは知れない。
たった一日、されど一日。ほとんど監視されるような形で生活したのだ。真っ正面から入り込めば、“永久の魔女”が『ルックワーツへ行け』といった理由を知れるとは思えなかった。
こっそりと、地下へと降りる。こっそりと先へ進み、唸り声が聞こえる部屋へと入っていった。
「赤竜クトリス……?」
そこにいたのは、竜。上位の竜だ。そして、あれは“溶解の弓矢”ガレット=ヒルデナ=アリリード。
「何をしている?」
ガレットが竜の腕に傷をつけた。ドクドクと流れる血が、瓶の中に注ぎ込まれる。
「飲め。」
彼の言う先には、見るからに弱そうな男。非戦闘員、というだけではない。あれは、多分商人だ。
「これを飲めれば、お前の借金は帳消しにしてやる。ほら、飲め。」
そう言って差し出される赤い血を、ゴクリと喉をならして、わずかに呻いた男が口にする。
「うっ、うっ。」
男が涙ながらに血を飲んだ。直後、喀血した。
「カハッ、ゴホッ、ウッ、ウアアァ!」
死ぬ間際のような、いや、実際に死ぬ間際なのだろう声が上がり……やがて、声が聞こえなくなった。
「やはり……戦士でないとダメか?」
「それも、とびきり心の強い戦士でなければ。竜の血を飲めば超人のごとくなれるとはいえ、やはり条件なしとは言えないようですね。」
それは、冒険者組合の持つ情報よりも、さらに一歩踏み込んだ実験。
冒険者組合は、そもそも『竜の因子』を持つ人間を制約している上に、最初から持っているのはほんの一部の人間のみだ。
遺伝で得られる『竜の因子』がある以上、『竜の因子』を管理したい冒険者組合はそれ以上実験する意味がなく……そもそも、神龍の血を飲んだのは、五人。全員が見事に生き残り、子孫たちも『竜の因子』を摂取したところで死ななかったものだから、無条件で飲めるものと思われていた。
「竜の血に、呑まれない戦士を育てる。なるほど、これは一大事業になりそうだ。」
ガレット=ヒルデナ=アリリードは、そう言って、嗤った。
セーゲルへ、戻った。探知魔法を持たない警備の穴を抜けるなど、ティーネにとっては造作もない。
だが、受けた衝撃は、大きかった。『竜の因子』は、体か心が竜の因子に呑まれないほど強くなければならない。それを知って、遺伝で多量の竜の因子を得ていた自分が、どれほど人外なのかを、知った。
「その様子じゃ、知ったみたいだね?」
キャッツ=ネメシア=セーゲル。“護りの聖女”。彼女が、深い笑みをたたえながら言う。
「あぁ、知った。セーゲルが戦争を仕掛けた理由は、あれか?」
そう。セーゲル=ルックワーツ間抗争は、何かがおかしいと思っていた。
ネスティア王国、一州一都の法則。ルックワーツが都市に任命され、セーゲルそれに異を唱えたと聞いていたが、どうも、おかしいとは思っていた。それに同意するように、キャッツは頷きを返し。
「あんた、聖人会の誕生理由については、知っているかい?」
ティーネが知らない情報を、問いかけた。
それは、冒険者組合の知る情報だと言う。それは、聖人会には残っていない情報だと言う。
バグーリダ=フェディア=セーゲル。彼が妻……キャッツの所属する聖人会について調べた情報が、夫婦間で共有された結果、キャッツは知っているらしかった。
「冒険者組合の存在理由は、二つ。一つは、五神大公が神龍の力を手に入れないように、抑止力となること。一つは、五神大公を止められる強者を相互監視させること。」
人の敵にならないよう、大枠では人を守るために、冒険者組合は存在する。
「だが、『心の摂理』には大きな問題があった。……強くなるには、心の強さが、戦いの意思が必要なこと。」
人を守る。人を救う。人のためになる。
もしも、その価値観を貫くことが出来るなら、その人はとても強い心を持っていることになる。あるいは、“奇跡”にまで昇華させられるほどに。
だが、その価値観は、同時に強大な矛盾を生む……人のためにという生き方は、支援する力にはいくらでもなるが、戦うための力にはならないのだ。
人類のために、強くなろう。そう言って戦いの経験を積み、強くなる人間は少ない。そんな少ない人間が定期的に産み出される奇跡は、世界には願えない。
結果として。冒険者組合は、強い人間を集めるしかなかった。強くなる人間……名誉、金、あるいは、力。欲望のために生きる彼らを囲うのが、強い人間を集めるための最適解だ。
「だが、知っての通り、そうなると、どうしても人類を守るという根本的な望みから遠ざかる。ゆえに、我らはこうしたのだ。」
五神大公を抑え込むのは、冒険者組合がやる。だが、人を守るのは、別の組織でやればいい。
「冒険者組合から分かたれた半身、人のために生きられる奴隷の量産組織……それが、聖人会の存在理由だ。」
あるいは、聖女は。夫以外の誰かに、この懺悔を聞いてほしかったのかも知れず。
「ゆえに、竜の因子を取り込むルックワーツを、聖人会は認めるわけにはいかぬ。じゃから、我らは戦うのじゃな。」
協力しろ、と、聖女は言わなかった。ただ、聖女はティーネに、この後どうするのか問いかけてきて。
「……冒険者組合に、帰ります。」
そう返すので、精一杯だった。
今話に際し、過去話『竜呑の詐欺師編』と盛大な矛盾を発見したので、過去話を修正しました。
世界観設定一貫してて、物語の結末までも一貫させてるのに、なぜこうも時系列はズボラなのか?




