ムリカムの傍系
その女は、控えめに言って強すぎた。そして、控えめに言って、天才だった。
アレイティアやワムクレシア等、五神大公家の長子というのは、生まれながらにして天才であることを確約されている天才たちだ。だが、その女は、少しばかり違った。
“自然呼応”のムリカム家。その『竜の因子』を持つ家系の人間は多かれ少なかれ自然に愛される。
その女もまた、例に漏れず自然にとても愛されていた……ただ一点、ムリカム家の直系の娘ではない、という点において、彼女は非常に稀な生まれ方をしていたと言えるだろう。
彼女はムリカムの傍系だった。とはいえ、その血は非常に薄い。いくら“因子遺伝”による因子の譲渡によってムリカムの血族が必ず『竜の因子』を宿すとは言え、直系の長子以下は連鎖的に減っていく。傍系となればなおさらだ。
ムリカムの傍系に生まれた彼女が生まれた瞬間その身に宿す『竜の因子』は、下位の竜かが10宿しているとすれば、2か3、“因子吸合”が起きたとしても、一生の間にせいぜい2~30程度にしかならない予定であったのだ。
だが、予定が変わったのは彼女の父が優秀な冒険者組合員であったことが理由だった。
冒険者組合には、力がある。優秀という証明でもある。竜という脅威があり、魔獣という存在があり、何よりも冒険者組合が文明の発達を是としない世界で、優秀な人間の遺伝子というものは、貴族にとって何よりも手に入れておきたいものであり……手に入れた冒険者組合員、彼女の父は、非常に愛妻家でもあった。
子を産まんとする妻のために、日銭を稼ぎ、獲物を狩る。当たり前と言えば当たり前のことであるが……当時にして、冒険者組合第150位前後、“怠惰の豪鬼”にしては珍しい事だった。
自分で生きる分には全く働こうとしない。危険があれば戦い、生きるための銭石が無くなれば適当な竜を狩り、適当に生きていた彼は……自分の子が生まれるという段階になって初めて、真っ当に生活を始めたのだ。
そして、真っ当に生き始めた彼は、己の妻にしっかりと食べ物を与え、しっかりと健康な子供を産んでもらおうと奮起した。……奮起、してしまった。
「帰ったぞぉぉ!!」
背中に中位の龍を一頭背負って、彼は家に帰宅した。中位の龍である。竜の因子の塊である。
それを、妻は。『竜の因子』を最初から体内に持つ、ムリカムの傍系の女が口にした。
『竜の因子』は、人の体を作り替える。だが、それにも条件がある。
例えばである。神龍の血を飲んだ、五人。五神大公の、祖。彼らが無条件に最高品質の『竜の因子』を摂取できたのは、彼らが人間として非常に優れていたからである。
わかりやすい例で言うと。神龍の亡骸の近くにたまたまいた、野生の獅子がいた。その獅子は、魔獣ではなく、全くもって普通の獅子であった。
戦士たちがいなくなった後、神龍の肉を食った獅子は、その、最高品質からは時間が経ち、劣化した竜の因子を食って、何の変化も起きなかった。なぜなら、竜の因子は劣化品であったこと、何より、獅子では神龍の竜の因子を受け入れる下地がなかったためである。
ムリカムの傍系には、どれだけ血が薄くなろうとも、竜の因子を受け入れる下地はある。なぜなら、必ずその身には竜の因子が遺伝されているためだ。
だが、同時にどこまで行っても限界があった。過去、神龍と相対した戦士たちとは違う、ほとんど一般人である貴族女性に、竜の因子は強すぎたのだ。だが、彼女は、かつての獅子とはある意味条件が違った。妊娠していたのである。
竜の因子を受け継ぐ定めを持った子、その母体に大量の竜の因子、しかも、中位の龍相当のものが流れ込む。それは、人外の登場の先触れ、冒険者組合が望まない、『管理外の竜の因子所有者の作成』に該当する出来事だった。
竜は、人より強い。下位の竜ですら、訓練された兵士30人分に相当する。では、竜の因子を取り込んだ人ならどうなのか。肉体は、人間の姿を保ったまま、しかして竜に近くなる。
肉体の強度は非常に高く、頭脳は人間離れして賢く。そう言った人物が生まれることになる。そもそもにして、五神大公の長子が『天才であることが確約されている』のは、そういう理由だ。
彼女……“自在の魔女”は、ムリカムの傍系として、しかし偶然、大量の竜の因子を受け継いで、生まれてきた。
「我が娘は、天才という言葉がこれ以上なく似合うのだ、アディール。」
「ここに来るたびにそうおっしゃられているではありませんか、師匠。確かに、彼女の魔法の覚えは素晴らしいと思いますが、少し私は空恐ろしいと感じるのです。」
“怠惰の豪鬼”には弟子がいた。名をアディール=エノク。現在において“単国の猛虎”と呼ばれている、当時10歳の少年だ。
「うむ、お前のその懸念は当たっておろう!ゆえに我は、今こうして娘をビシバシ鍛えておるのだからな!!」
当時、“自在の魔女”6歳。既に魔法において頭角を現し、容易に覚えることが出来ない身体能力強化魔法の習得に王手をかけていた。
「いや、鍛えるのをやめた方がいいのではないかと思うのですが……。」
「いいや、そんなことはないぞ、アディール。力があれば、何か起きても立ち向かえるし、逃げることが出来るではないか。だが、力がなければ、立ち向かうことも逃げることも出来ぬのだ。」
それは、冒険者組合で生きてきた人間としては非常に真っ当な思考。それは、“怠惰の豪鬼”という、特に仕事もせず、しなくてもいい冒険者組合という組織にいる男にとっては、当然の思考。
だが、だからこそ。彼は人間というものは、すべからく思うがままになるものだと思っていたし……彼が42歳でその生涯を終えるまで、ずっと続いていた価値観だった。
“自在の魔女”、16歳。
父が、死んだ。
「ティーネ、よく聞きなさい。」
父が死んだ日、彼女は母に、真剣そうな顔で話しかけられた。
彼女はお父さんっ子だった。だから、母と共にいることはあって、親子の愛情を持つことはあっても、父ほど濃密な時間を過ごしたわけではなかった。
その母が、深刻な顔をして、彼女を……“自在の魔女”ティーネ=オルティリアを見たのは、おそらくそれが初めてのことだった。
「冒険者組合に入りなさい。」
父が、死んだのは、唐突だった。特に病気であったこともなく、酒の不摂生はあったかもしれないが、言ってしまえばそれだけの。不自然な、死だった。
「あなたの父の死因は、なんとなく私にはわかります。だから、冒険者組合に入りなさい。」
それは、はっきりと、父が冒険者組合員に殺されたと言っていると同義だった。そして、父を殺した組織に頼れ、と言っていることと。
「簡単です。冒険者組合にあなたが入れば、冒険者組合はあなたを殺すことはありません。」
ティーネの母は、『貴族』だ。『貴族』であり、それ以上に、『ムリカムの傍系』だ。
“怠惰の豪鬼”が殺された理由も、誰が殺したのかも。貴族としての最低限の知識と、ムリカムに伝わる伝承から、おそらく推測がついていて。だからこそ、冒険者組合が何を求めているのか、理解していた。
「しかし!!」
「ティーネ!!」
母が娘を一喝する。父を殺されたこと、その怨念が何よりティーネには大事なことで、しかし、母にはそれ以上に大事なことがあった。
「お願いよ。……お願いだから、これ以上私の家族を殺さないで。」
夫が死んだ母の、娘は一人。その意味を、汲み取れないティーネではない。
「……わかったよ、母さん。」
そうして、“自在の魔女”は冒険者組合に入ることを、許容した。
冒険者組合に入る方法は三つある。
一つは、世間で噂になるほどの実力を持ち、実際に噂と同等の実力を見せること。そうすることで、冒険者組合はその実力者を勧誘することが出来る。
一つは、冒険者組合の試験に臨み、合格すること。これは何度でも挑戦できるが、実はあまり推奨できる手段ではない。なぜなら、試験官だけではなく、冒険者組合上層陣の意向がふんだんに含まれるこの試験は、実質学生からの初期卒業者以外が採用されないためだ。
そして、最後の一つ。それが、
「たのもう!!」
冒険者組合本部への、殴り込みである。
「冒険者組合への所属希望、ティーネ=オルティリアだ!」
彼女はそう言って名乗りを上げた。
「所属条件である決闘を申し込む!名乗り出る者はあるか!」
冒険者組合の本部には、常に、それなりに格の高いものが在籍している。そして、その日そこいいる、最も格の低いものと戦い、勝てば冒険者組合に所属することが出来る、というルールがあった。
「冒険者組合第243位、“爆砕の猛虎”アディール=エノクだ。……久しぶりだな、ティーネ。」
「兄弟子……。」
もう四年近く会っていなかった兄弟子と、戦うことになった。
「お前がどこまで強くなったのか、師匠が『天才』と言い続けたその潜在能力はいかほどなのか……見せてくれ。」
演武場に出ると、アディールは、そう言って突撃した。
“怠惰の豪鬼”を殺したのは“小現の神子”です。
ちょうどいいので“小現の神子”について少し話しておきましょう。
彼の使う魔法はたった二つです。『探知魔法』と『血流操作』。しかし、その魔法範囲は惑星ひとつを覆えるほどになります。
冒険者組合という組織の規模、歴史上、惑星は丸いということは、例え中世レベルの文明しかなくても上層陣は知っているんですよね。
惑星1つをすっかり覆える探知をかけ、目的の人物をピンポイントで『血流操作』することで、一瞬で人を殺せる。文字通りの人外が“小現の神子”になります。インフレ過ぎる上に下手に物語に関わらせると物語にならないので、出せない人物の代表です。




