英雄たちの決断
神龍は死んだ。戦士たちは、この世が、己らの祖先かもしれない者たちが為した悪行を、その耳で聞いた。
だが、目下のところの問題は、人間が行った悪行ではない。人の世が繁栄していくための、必須の要素を確保することだった。そして、そのために最も大事な要素は、目のまえに転がっている。
「神龍は、竜を殺しすぎると再び神龍が生まれると言った。……必要なのは、竜の因子とやらを人間で管理することではないだろうか?」
ムリカムが呟く。それに、多くの人たちが同意するように首を振った。
「あぁ、私はそういうのに関わるつもりはない。勝手にやってくれ。」
魔女が告げる。アレイティアが、ばッと、驚いたように魔女を見た。
「なんだい、アレイティア。私は戦うことに疲れたし、人が死んでいくことにも疲れた。私は楽隠居でもするさ。屍になり損ねたことだしね。」
「……本当に栄誉に興味がなかったのか。それは済まなかった。」
アレイティアはあっさりとそう言った。口ではあっさりしているが、何かとても残念なものを見る目である。
「また会おう、戦友たち。まだ神龍が作った魔獣たちはいっぱいいそうだからね。もうしばらく、人々の平穏のために働くとするさ。」
そういって、下山しようと魔女が一歩踏み出す。とはいえ、山ももう山というより平地だし、木々も焼け焦げている。この一帯はもはや戦いに来た時の姿の影も形もない。
「魔女!」
バデルが叫んだ。行ってもいいが、まだ行くな、という様に。
「なんだい、バデル?」
「……神龍の言葉が事実だとして。どうして、世には神龍以外の竜もいたのだ?」
「神龍は言ったじゃないか。神龍ってのは、『竜の摂理』においては神なんだ。神龍になるためには、上位の龍五頭分の竜の因子が必要で、でも竜の因子の総量は七頭と少し分の数がある。分与して、竜を作ればいいんだ。」
言うまでもない。上位の龍がいかほどな化け物かは知らないが、神龍は『竜の摂理』の生命たちに全てを託されて生きてきた。竜を再び作り出すなど、当たり前にやってのけただろう。
ならば、とバデルは呟く。我らが神龍を倒したのは過ちだったのか、と。
「そんなわけないだろう?私たちは『心の摂理』の存在だ。『竜の摂理』の神なんて、倒す以外の選択なんてなかった。それに、これ以上神龍に怯えて暮らしたくはなかったんだ。」
そう。魔女が戦ったのは、どこまで行ってもそんな理由で。だからこそ、バデルはわかった上で次の言葉を紡いだ。
「神龍を再び生み出さぬ方法を、考えてくれ。」
グ、と魔女はのどを鳴らす。再び神龍が生み出されるなら、魔女たちが戦った意味などなくなってしまう。そんなこと、魔女自身が最もよく理解していた。
魔女が座り込む。それに合わせるように、生き残った者たちの大半が座り込んだ。
腰を据えて考えるという意味と、もう一つ。全員がすでに疲労困憊だったためだ。
「“因子遺伝”、“因子還元”、“因子吸合”。重要なのはこの三つであろう。」
ケルシュトイルが呟く。それに同意するように、ネスティアが続けた。
「獣が竜の血を飲むと、竜の特性を引き継いだり、強化される。人にも適用されるのではないか?」
竜の因子は、経口接種で手に入るのではないかというネスティアの言に……
「出来るであろうな。そこの死体から血を飲めば、それなりの竜の因子を体に取り込むことが出来るだろう。そうすれば、それだけ、神龍になるための竜の因子は減る。」
竜の因子は遺伝する。おそらく、親の竜の因子の半分を、子は継承することになる。
竜の因子を所有していると、竜が死んだとき、因子は転移する。竜が死ねば一定数は人間へ、所有する人が死んでも、一定数は人間へ。
「だが、『竜の因子』は元々人間にはない機能だ。所有したとして、本当に望み通りになるかはわからんぞ?」
魔女の言葉に、多くの戦士たちが大きく頷き……竜の血を、飲もうとして。
「全員で飲むな、馬鹿者!」
ワムクレシアが叫んで止めた。
「もし飲んだ奴に何かあったらどうする!まだ完全に世が治まったわけではないのだ!我ら自信の手で、争乱の種を増やすつもりか!」
魔獣と同じように暴走する可能性も、人が竜の因子を受け入れる過程での変化も、予想がつかない。
だから、ワムクレシアは「五人だ」と言った。
「生き残っているうちの、五人。五人だけが、血を飲もう。」
その決断に、戦士たちからの異論はなく。
「……決まった?じゃあ私は抜けさせてもらうよ。」
「いいのか、魔女よ。竜の因子を飲む権利を……」
「いらない。……私はもう降りる。あとは勝手にしてくれ。」
魔女は、そう言って下山していく。彼女に釣られるように、神龍さえ倒せればいい戦士たちが降りていく。
残った者は、栄誉を望む者たちか、野次馬たち。彼らの目の前で、五人が、神龍の血を啜った。
「うっ、ぐっ、」
五人がその場に崩れ落ちる。『竜の因子』は、摂取した者の肉体を、竜へと近づけていく。
死んでから、多少の時間が絶っていた。多くの竜の因子は空へ舞い、他の龍や竜へと吸合されていて。
そんな中でも、戦士たちは竜の因子を摂取した。神龍の肉体に宿る、膨大な量の、圧倒的な質の竜の因子を。
体が変質する。人間よりも優れた竜の肉体の頑丈さへ。竜の頭脳の回転率へ。
視力が上がる。聴力が、嗅覚が鋭くなり、逆に、触覚は鈍っていく。
竜の因子を摂取した戦士たちは、姿形こそ人間ながら、時を追うごとに中身が人間離れしていく。
そして、呻き暴れていた戦士たちが立ち上がったとき……彼らは、中位の龍に匹敵するほどの、あるいはそれを上回るほどの竜の因子をその身に宿していた。
「…………。」
アレイティアが己の手を見下ろす。感じられるは全能感。自分たちが使う魔法も、使いこなせば確かに全能感を感じられるような代物だったが、これは違う。
生命として、上位に立った高揚が、全身に巡りめぐっている。
「……これは、まずいな?」
ムリカムが、“自然呼応”の力を得た男がぼやく。それに、バデル、“洗脳話術”の力を得た戦士が頷きを返した。
「まずい。だが、おそらく、我々がこの竜の因子を遺伝させ続ければ、神龍が再誕することはない。」
ワムクレシア、アレイティア、オーバスが頷く。神龍が再度現れるのを防ぐため、人間が竜の因子を管理する……その目的自体は、ある程度叶った。
ならば。あとやらねばならぬのは、『竜の因子』保有者達の動きを制約することである。
「組織を作ろう。『竜の因子』保有者たちが世界の敵になったとき、即座に我らを殺せるものたちを集めた。」
ネスティアが、嫌だと言うように首を振る。
「自由がなくなる。我らは何のために戦ったのだ?神龍から解放され、自由に生きるためだ。お前達の監視に一生を費やす気はない。」
「構わないさ。在野に下るも人を統べるも、お前達の好きにしたらいい。自由に生きろ。だが、人が神龍になろうとしたら、止めるための人間を集めた組織を作ろう、というだけだ。」
その言葉に、戦士たちは同意した。
普段は好きなことをしていい。彼らは人間で、何より自由を愛するゆえにこうして戦ったのだ。
だが、だからこそ。自由を愛するものたちが自由に生きられるよう、『竜の因子』保有者たちに枷を嵌める必要があった。
「冒険者組合。力ある者の責任を背負い、力ある者たち同士の抑止力となる組織。それを、結成しよう。」
それが。神龍を討伐した戦士達の結論だった。
話を聞き終えたティキは、静かに目を閉じた。冒険者組合。かつて、神龍と戦った戦士達の結論と結末。
重い。だが、だからこそ、軽い。
今の、目の前の男は。『神龍』から継いだものが、少ない。あるいは、自分よりも。
「続きを、話なさい。なぜ、私でなければならないのか。」
アレイティア公爵。こうして、ティキに執着し、ティキに子供を生ませようとする男。
神龍の再誕を防ぐためには、今すぐに竜の因子を人間が握らねばならない。それは、わかる。
今はおそらく。人の世に、多くの竜の因子は存在しない。竜たちが互いに争えば、神龍は誕生するかもしれない。
だから、ティキなのだというのはわかっている。ティキは竜の因子を宿している。今のアレイティア公爵の息子も、少しなら竜の因子を宿しているのだろう。
だが。それなら。
例えば、“洗脳の聖女”ユミル=ファリナ。例えば、“災厄の巫女”ピオーネ=グディー。彼女たちでも、よかったはずで。
「お前の母の、話をしよう。」
だからこそ、大事なのは、そこからだった。
さて。ルックワーツの超兵に関わる伏線が読み取れたのではないかな、と思います。ルックワーツの超兵は、上位の竜クトリスの血を摂取し、わずかばかりの竜の因子を身に宿していました。
それはあくまで、ちょっと超人になる程度でしかなく、五神大公ほど歴とした龍の力は使えません。
では、先祖帰りとはなんぞ、ってことなんですが、“因子吸合”ってありましたよね?幼少の頃に、竜の因子を宿した肉体の人が、大量の竜の因子を手に入れたら。当然、肉体は竜に寄るわけです。
先祖がえりっていうのは幼少の頃にその身に余る竜の因子を摂取した人のことを言います。それが、肉体の成長過程で大きく影響した人です。
ユミル、及びピオーネは、成長過程で大きな龍の討伐と吸合がありました。“黒鉄の天使”による、中位の龍の討伐です。
それによって彼らは非常に強い人物になり……しかし、マルスはそこまで竜の因子を手に入れませんでした。
その辺の話は次話で。
感想等お待ちしています。




