空白の復讐鬼
復讐を、果たした。
それは、ただ一人生き残ってしまった自分の、未来を目指すために必要な、第一歩のはずだった。
いいや、第一歩ではあったのだと思う。誰が何と言おうと、自分にとって復讐は、絶対必要な工程だった。それをしなければ、自分は未来に希望を抱けなかった。それがおかしなことだとも、間違ったことだとも思わない。
だが、問題自体はあったのだ。大きすぎた目標、時間のかかりすぎた一歩。
気付いた時には十年の月日が経っていた。本来ならもっと時間がかかるはずだった、高すぎる目標だと知っていた。
あぁ、そうだ。復讐を果たして初めて幸せを目指そうと出来る、そんな人間だったシーヌにとって。
復讐を果たした先の幸せとは一体何か。まったく、理解が出来なかった。
「よかったのか、これほどの虚無感を……。」
「いいの、必要なことだもの。」
「いや、しかしお前さんよ。シーヌが起きている起きていないに関わらず、ティキはアレイティアと関わらなければならない。シーヌとティキが肩を並べる方がよかったのじゃないか?」
「ううん、ダメ。それじゃ、私が許せないもの。私だって、いられるならシーヌとずっといたかったんだから。」
その言葉に、老齢の女の方が口を噤む。女が黙ったのをいいことに、6歳の少女はまくしたてるように話し続けた。
「ティキ=アツーアに与えた“奇跡”は“憧憬”“恋物語の主人公”よ。捕らわれのお姫様を皇子様が助け出すシチュエーションなんて、やっぱり燃えるじゃない。」
「完全に趣味ではないか。」
「そうよ。でもシーヌには、必要よ。シチュエーションが、じゃなくて、自分が幸せになるものを、自分の手でつかみ取る経験が。」
今までは、過去の清算。清算を終え、未来が見えるようになれば、自分の大切な者……欲しいものを取りに行かなければならない。
「シーヌは生き残ってしまった後悔を抱えて生きた。そして、復讐をきちんと果たして見せた。」
生き残ってしまった、後悔。それ自体は消えないとしても、シーヌは復讐を果たすことで、ただ一人生き残った自分を許すことが出来るだろう。
ならば、自分を許したのなら。幸せになってもいいと、未来に歩いていいと思えたのなら、次は。
「未来を掴みに、行かなきゃ。」
その背中は押せなくとも、彼女たちは状況を整えた。
その背中を、彼女たちは押すことが出来ない。
出来るのは、その背中を押すように、押せるように。
彼らの言葉を、シーヌの耳に届くように、シーヌの心に干渉することしか、彼女たちには、出来ない。
ティキの笑顔を、見ていた。これまでの人生で見てきたような、何か膜がかかったような視界ではない。手を伸ばせば届くような視界である。
なのに、色が、ない。
これまで自分の目には、何もかもが他人事のように見えていた。自分のことのようには見えなかった。
今は違う。自分のことのように見えていて、ティキの笑顔がきちんと自分に向けられたものだと理解することが出来ていて。
でも、白黒にしか見えないのだ。
考えられる理由はある。これまで、この素敵な笑顔ですら自分に向けられていると感じられなかった理由。
それは、過去に『一人だけ生き残ってしまった』後悔があったから。それを清算しない限り前に進めない、という、自分の想いがあったから。
今この瞬間を、生きてこなかったからに他ならない。
では、今この瞬間を生きようとしている自分が、風景、大事なもの、自分自身すらをも白黒にしか見えない理由は?簡単だ、シーヌが、未来に向けて歩けていないからだ。
今でも、この空虚な空っぽな、何とも言えない心の中で、シーヌはずっと探している。
自分が生きる意味ではない、もっと根本的な、生きようとする本能を。
“奇跡”とはすなわち“人生”だ。一度“奇跡”を達成するということは、すなわち一度“人生”を終えるということで。
それでも、シーヌは生きていた。死ねないと、死んではいけないと、過去の、死んでしまったみんなの分まで生きなければと思って、生きていた。
だが、“奇跡”を終える前のシーヌはわかっていなかったのだ。“復讐”を、“執念”を胸に生き続けてきたシーヌという人間、その肉体を動かし続けてきたのは紛れもない、『何としてでも復讐を果たす』という、強い強い感情で。
それを失った空っぽの胸に、どれだけ『ティキと、子供と、幸せに生きる』という漠然とした希望をともそうとしたところで。
そんな漠然とした希望では体も心も動かせないほど、シーヌにとって“復讐”にかける熱意は大きく、体はそれに完全に慣れきってきたと、知らなかったのだ。
そんな熱意では、失われてしまった復讐の熱、圧倒的な喪失感に抗うことが出来なかった。
ただ、今のシーヌは白黒にしかモノが映らない視界の中で、喪失感だけを感じている。
それが、復讐鬼の世界の全てで……
それでも、傍にティキがいた。
だから、それでもいいかと、思っていたのだ。
視界に映ったのは、『待ってる』と告げる妻の後ろ姿。身重の身で、誘拐されていく最愛の背。
あ……と腕が微かに動き、体が僅に浮き上がる。
だが、熱が消えた体は言うことが効かない。動かしたい、止めたい、動きを阻みたいという想いを燃やしてなお、喪失感が体を締め付け押し潰す。
「あ……。」
ゆえに、シーヌはティキが連れていかれるのを眺めているしか出来ず。
シーヌは、呆然と、体から力を抜いた。




