商人の嘆息
「どうしたものですかね……?」
私はエスティナの言葉を聞いて大きく息を吐いた。
「工業都市ミッセンが滅び、“次元越えのアスハ”が死んだ。それはまぁ、冒険者組合ですから、私が関知する事柄ではないのです。」
だからといって、関係ない話でもない。私はカレス将軍に次ぐこの街の将軍だ、世界の情勢は理解しておく必要があるし、何より匿っている人物情報的に、決して無視できるようなことではない。
だが、私が悩ましいと感じることは、そこではない。それは、セーゲルが都市として当たることではない。どちらかというと、ネスティア王国が国として当たることだ。
それに、ここにはティキ=ブラウが逗留している。私としては、冒険者組合のことは冒険者組合で当たってもらえばいいわけで、セーゲルとしては何の問題もない。
問題は、エスティナが連れてきた、チェガ=ディーダという男だ。彼の扱いが問題だ。
「あなたが、シーヌ=ヒンメル=ブラウの親友で、ティキ=アツーア=ブラウの知り合いである。その主張は理解しました、が……。」
会わせていいものか、話をさせていいものかが問題だ。今のシーヌは控えめに言って廃人だ、会って幻滅でもされたら面倒くさい。
そもそもとして、だ。
「あなたが本物のチェガ=ディーダだと証明する方法はありますか?」
「ティキを連れてきてください、ワデシャさん。彼女が俺は本物だと証明してくれますよ。」
それが何より不味いのだ、と私は喉元まで出かかった。今、ミッセンが三人の“単国”の手にかかって死んだと言った以上、(それが真実だとして)、ティキが不用意に誰かと会うことが危険以外の何だというのか。
「ティキ=アツーア=ブラウはこれからの戦禍の中心人物です。身元不明の人物を会わせるわけにはいきません。」
それに、と私は軽く、息を整えるように言った。
「ティキ=アツーア=ブラウは妊娠中です。ただでさえシーヌ=ヒンメル=ブラウという荷物を抱えているのに、彼女起点で戦争が起きそうである、などと伝えるわけにもいきません。」
五神大公は冒険者組合と何かしらの関わりがある、それはほんの一部の政治家たちに伝わる暗黙の了解だ。
ミッセンが滅びた……というよりアスハが殺されたというなら、殺された理由は彼の人間関係にあったはずだ。彼が死んで嬉しい勢力……知識の条件さえ整っていれば、誰でも想像がつく。
危険をティキに伝えるべきか?いや、妊婦への過剰なストレスの押し付けは禁物だ。ただでさえ自失し碌に一人で動けないシーヌというストレスがあるのに、更にそんな環境を見せるわけにはいかない。流産してしまいかねないためだ。
「ティキさんの出産が終わるまで、彼女に会わせるわけにはいきません。しかし、出産が終われば許しましょう。」
これから約4~5か月ほどである。そう聞いて、チェガは焦ったような、止めてくれと言ったような表情を隠しもしない。
「そんなに待っていたら状況が一気に変わってしまう!シーヌにだけでもいい、会わせてくれ!!」
「いいえ、たったそれだけの時間で大きく情勢が変わることはありません、安心して待ってください。」
チェガという男はとても必死な様子だったが、こちらもティキとシーヌには恩があるし、匿うと約束した身だ。
何かあってからでは遅いのだ、ティキを守らなければならない。
「シーヌは一年満たずに仇を討った、冒険者組合にとって4ヵ月っていうのは長い時間ではないんだ!」
怒ったようにチェガが叫ぶ、その声に、私は理解を示すように頷いた。
「確かに、冒険者組合員にとってはそうかもしれません。ですが、組織の『冒険者組合』にとっては、長い時間ではないかと思いますよ。」
大きく動くことは、冒険者組合たちには出来ないだろう。ましてやミッセンの大物が一人消えた、その対処で、冒険者組合は大きな時間を取られるはずだ。
そう私は思っていて……
「いいや、ワデシャ。冒険者組合は時間がかかるかもしれんが、『冒険者組合員』はすぐに動ける。そして問題のアレイティア公爵が『冒険者組合員』である以上、4ヵ月は状況を動かすのには十分すぎる時間だ。」
エスティナの言葉に、驚いて目を見開いた。
実際のところ、ワデシャがシーヌとティキに怪しい人物と会わせまいとしていた、涙ぐましい努力は間違いではない。むしろ正しい努力だ。
だが、エスティナと同行……“粛清の聖王”と同行してきた少年の身元を怪しむ必要まではなかったし、それは彼自身も理解していた。
問題だとワデシャが捉えていたことは、チェガの存在でも、身元が不明なことでもなく……彼が持ってきた情報だ。
「ただでさえ、セーゲルは聖人会と縁を切られ、弱体化しています。」
事実だ。これまでセーゲルが行ってきた、聖人会的な行い……人間の人生に、教育という形で影響を与え、“三念”を作り出す行為はこれ以上できない。十二分に弱体化していると言える。
とはいえ、それは未来軸の話。今に限るなら、聖人会がセーゲルに攻めてくるかもしれない、という一点が大きな障害になっている。
「シーヌ君とティキさんを匿う。現状これ以上案件を増やしたくない中、あなたの持つ情報……義父が死んだという話をシーヌ君に持ち込まれ、シーヌ君が絶望の果てに自殺することを私は恐れています。」
素直に、私は吐露した。シーヌ君の自失具合は、私の目から見て、なぜ死んでいないのかと言えるものだ。
シーヌという人物が、復讐のために燃やし続けた人生という炎。それが絶たれればあれほど無味な、哀れな人物になるとは……予想できなかった。
「シーヌ君が死ねばティキさんもまた死ぬかもしれません。女性というのは繊細なものですが、妊婦というのはそれ以上です……愛する人の死を、今のティキさんに体験させるわけにはいきません。」
それは、あくまで私の憶測でしかない。だが、今のシーヌ君はそうなってもおかしくない状態なのは間違いない。
だが。チェガ=ディーダ……シーヌ君の親友だと名乗る男は、怒ったように気炎を上げた。
「ふざけるな、ワデシャってったか。」
ドスの効いた、とても重い声だった。
「シーヌが自失の果てに死ぬ?ふん、それが出来るなら、シーヌは今生きてない……それが出来ないからあいつは今生きているんだ。」
出来ない。自失は出来ても自死は出来ないとチェガは叫ぶ。
「あいつを舐めるな、あいつの背負う人生を舐めるな!あいつは、クロウの全未練を背負っている……約束を果たせなかったこと、まだまだ生きられたはずなこと、まだ生きていたかったこと!それらを背負うシーヌが、簡単に死ねるはずがないだろう!」
随分とシーヌ君を信頼している。いや、シーヌ君にまとわりつく、巨大な呪いを信頼している。
「あいつは死ねないし死なせない。老衰か、他殺か、事故か、それはわからないけど、天寿を全うするまであいつは死ねないんだ。」
だから、会わせろ。そう強い瞳を向けて圧をかける少年に、私は押し負けて、息を大きく吐いて。
「……わかりました、ですが、ティキさんには今の話はしないように。」
シーヌ君は、ここまで『死ねない』と言うなら構わない。だが、ティキは別……余計なストレスを与えたくない。
「承知した。」
チェガは、そう受け入れた。ゆえに、私は彼とエスティナをシーヌの元へと案内し……
「どういう、ことですか?」
倒れた車椅子から転げ落ちたシーヌ、無惨にボロボロになった部屋、気絶させられたアリスとデリアを見て……
守るべき女がいないことに、気がついた。




