騎士の恋愛
ゴロゴロ、ゴロゴロと馬車は行く。時たま大きな街を通り、ときには何もない村を通る。王女殿下の護衛は大規模で、私はその中の近衛といった立ち位置であった。
「騎士様!魔獣と戦った時のお話をお聞きしたいです!」
「王女殿下。お願いですから、敬語と様付けはお控えください。あなたは王女です、対外的に大問題なのはおわかりでしょう?」
私の懇願に、むすっとした笑みをマリーは浮かべた。王女殿下というよりも、年頃の少女と言われた方がしっくりくる仕草だ。
「わかりました、ウォルニア。ですがあなたも、私のことは王女殿下などという他人行儀な呼び方ではなく、マリーと呼びなさい。」
無茶を言う、と私は思った。マリーはあくまで王女殿下であって、私の恋人でもなんでもなかったからだ。
「では、マリー殿下と。それで許しては頂けませんか?」
私の精一杯を伝える。それに、殿下はいい笑顔で答えた。
「今はそれで我慢するわ!で、魔獣退治のことを教えてくださる?」
殿下の言葉に苦笑いしながら、私は最初の魔獣討伐について語り始めた。
話し終えた。とはいえ、何も語るべきことが、なかった。私は戦っている間の記憶などない。つまり、頭が、思考が起きている間、今は亡き副団長や同僚が亡くなった時のことまでしか、話せない。
「かくして、私は魔獣と戦い、勝ちました。戦時のことは、申し訳ありません。記憶にないのです。」
馬車に揺られて、周囲の警戒を維持しながら私は話し。まるで悲しんでいるような顔で、私の方を凝視するマリーに、驚いた。
「なぜ、泣いて、いるのです?」
私の中に、今の話で、彼女が泣くような要素はない。ないはずだ。いや、多くの騎士が死に、私だけが生き延びてしまった偶然を考えると、幻滅させてしまったから、だろうか?
だが、マリーの涙は、そんなもののために流されては、いなかった。
「だって、騎士様は、大事なご友人を亡くされたのでしょう?」
目が点になるような思いだった。私は、あの同僚や副団長のことを、それほど想っているように見えるのだろうか?そのような話し方を、したのだろうか?
「騎士様にとって、騎士様に色々と教えてくれた副団長は、かけがえのない師だったはずです。騎士様を色々と気遣ってくれた同僚は、かけがえのない友だったはずです。……違うのですか?」
違う、はずだ。私の目的は英雄になること。大衆の英雄になることだ。副団長や同僚のように、誰か個人に感情を向けることなど、私は行ってこなかったはずだ。
「ううん、そんなこと、ない。あなたは、誰かを救いたいって想いに、共感してくれる人を大事にする人。だから……友達を、あなたは失ったはず。でしょう?」
ふと、同僚の顔が頭に浮かぶ。友と呼ぶには、私は彼の名前を憶えていない。覚えようとも、しなかった。
「死んだ騎士への同情は侮辱だと、ウォルニアが感じているのでしょう?」
だが、同僚は同僚で、
「他の騎士と仲が良くないと聞きました。同僚に遠慮して、仲良くなろうとしなかったのだと思いますよ?」
事実なら、私は。何もしなかった、何も返せなかったことを、どう詫びれば。
「あなたは。英雄に、なるのでしょう?」
マリーは、花のような笑顔で笑った。私の心の奥に巣食った何かを解きほぐすように、私の想いを分析して。
「ウォルニア。あなたは、私が憧れていたより子供だったのですね。……等身大のあなたを見れて、嬉しく思います。」
その瞬間。私は、恋に、堕ちた。それが、わかった。
「急に魔獣が出るようになった?」
私は、隣国バルルデンシア国境に近い村で、その報告を聞いた。
「どんな魔獣なのだ?」
「はい。獅子の魔獣で、風と炎を使い、人が少ないところへ出没します。防衛線の中でも特に警戒していないところへと現れ、兵士を殺していくのです。」
そう聞いて、これから為そうとしていること、これから止めたいと願っていることを思い出す。
「隣国の陰謀か?」
「いえ、その線はないはずです。隣国からも被害の問い合わせが来ていること、何より、魔獣を操れる者など、アレイティアのみです。」
そう言われればそうだと思う。アレイティアの家がどういう家かは、私が騎士になる直前で、家から聞いた。あれがこんなくだらない紛争に手を出す理由はない。
そしておそらくではあるが。それは、隣国バルルデンシアも、知っているだろう。もし、ここで私が魔獣を討伐したら。そういう考えが頭によぎる。だが、それ以上に、被害が出ているということが問題だった。兵士たちは確かに命の覚悟をしているだろうが、騎士のように個人の武が優れているわけではない。
群として強くとも、個として弱い……それが兵士の特徴であり、言い換えるなら、数が少ないところから狙われている兵士たちを救うことは、弱者を救うことと直結するのだ。
「殿下。」
「ええ。あなたならそう言うと思っていました。ですが、許しません。」
まだ、何も言っていなかった。それでも、マリーは何を言おうとしているか察し、その上で、拒絶した。
「まずは、バルルデンシアに行きます。その上で、バルルデンシア国王に、あなたが魔獣を殺す許可を得ましょう。両国に被害が出ている以上、これは我が国の問題ではありません。」
マリーは王女だった。マリーは、凛として、兵士たちよりも国益を取ると宣言した。
「魔獣の件でといえば、バルルデンシア国王は私たちを拒めません。戦争阻止の大使としての立場は、魔獣討伐許可のついでに行います。そうすることで、戦争すら、止められる可能性が上がるでしょう。」
胸を張って、私の方を向いて、マリーは言った。
「国境沿いの全兵士に通達。魔獣への警戒を最大に、各警戒所へは、それぞれ増援を送ります。それなら、ウォルニアも罪悪感は小さいでしょう?」
全部自分で背負うなと、そんなことを言われた気がした。
「もし戦争が起きれば、魔獣で出る被害の何十倍もの人が死にます。それは止めねばなりません。」
もっともなセリフを、言う。それが私に対する説得であることは、考えるまでもなく明らかだ。
「ゆえに私は、バルルデンシアへ赴かねばなりません。私が無事隣国に行くためには、とても頼もしい護衛が必要です。」
わかり切ったことを、マリーは言う。そして、きっと、その結末も、わかりきったことだ。
「あなたは私の護衛です。万一魔獣に襲われた時は、私を全霊で守ってください、私の騎士様?」
言葉が頭に入ってこない。とても嬉しいことを言われた気がして、とても幸せなことを言われた気がして。
「もちろん。私はあなたをお守りします、姫。」
ついつい。物語の勇者のように、答えていた。
ガラガラガラと、車輪の音が響いている。国境は、この崖の横を通過しなければ超えられない。
崖の上を眺める。崖の上から落石がないか、この道を通る以上、注意し続けなければならない。
「ウォルニア、大丈夫ですか?」
不眠不休で警戒に当たる私を見かねて、マリーが聞いた。
「はい、問題ありません。」
「あ、いえ……休まなくて大丈夫ですか?」
マリーが心配しているのはわかっていた。だが、今、私が休むわけにはいかなかった。進めば進むほど、何か危険な予感がしている。いや、予感ではない。これはほとんど、確信だ。
だが、同時に。それは、修羅場をくぐり続けてきた私にしかわからない、危機感で。
「王女殿下に申し上げます!前方にて、はぐれたと思わしき上位の竜の亡骸アリ。肉食獣に食われたと思しき痕跡も見つかりました!」
「上位の竜だと?」
マリーより先に、私が答えていた。上位の竜自体は、問題ない。もし生きていても、障害くらいにしかならなかった。
問題は、食われた後という部分。
「竜の死骸は、どんな死に方をしている!!」
「えっと、その。炎に焼かれたと、思われます。」
竜は自然に近づけば近づくほど、龍に近い特性を得るようになっていく。おそらく、その竜は、超常再生と自然肉体以外の竜の因子を持っていたのだろうと推測できる。
誰が、何が上位の竜を殺したか。考える間でもない、魔獣だ。
「魔獣が、竜の因子を取り込んだ……?」
まずい、と警鐘が鳴る。危険すぎると頭に声が響き渡る。
だが。逃げろ、と私が声を上げる前に。
「ぐごぉぉぉぉぁぁぁ!!」
獅子の魔獣は、その姿を現していた。
野放しにするわけにはいかないという、危険性。
王女を護送せねばならないという、任務。
王女を守りながら戦えるかわからない、という不安。
そして、そうでなくとも逃げられないという、本能的な、察知。
「王女殿下。護衛の影にお隠れください。」
そうして、なぜか恋愛喜劇として語られている獅子との魔獣の戦闘は、幕を開けたのである。
剣を振った。炎で弾かれた。剣を振った。皮膚を堅くして護られた。剣を振った。腕を振るって迎撃された。
いつもこんなのばかりだ、と思う。戦っている間に、戦いに集中していく。戦っている。勝たねば。倒さなければ。
徐々に徐々に、体から力が抜けていく。この魔獣が竜の肉を喰らって得た竜の力は、おそらく眷属作成だ。
吠えても、自然現象はそれの言葉に答えない。吠えても、私たちはその言葉に従おうとは思えない。
斬っても斬っても再生するような肉体ではないことを、再生しない尻尾は如実に語っている。戦っている最中、2時間が経過してもなお、不自然な地形変化は起こらない。
なら、竜の因子が作り出す最後の能力はただ一つ。眷属を作り上げ、従属させる力である。
そうとわかったところで、私の体が限界に近いことは変わらない。魔獣とは元々知性を持つ獣、人よりも強い。竜の因子を得た獣は、竜の因子に基づく力だけでなく、肉体能力も飛躍的に向上する。
あぁ。勝てないだろう。薄く、ぼやけ始めた頭でそう感じた。
「ウォルニア!勝ちなさい!!あなたが敗ければ、多くの人が死ぬと知りなさい!!」
マリーの声が、聞こえた。その声に、ハッとする。
勝たなければ、後ろにいる彼女は死ぬだろう。戦争が起こることは止められなくなるだろう。
勝たなければ、この魔獣は世界に解き放たれることになるだろう。私より強い誰かがこれを止めるとはいえ、動き出すまでに時間がかかるだろう。
「私は!民を救う、英雄である!!」
叫んだ。英雄になりたい、ではない。英雄になるという宣言でもない。
自分は、これを止められるほどの英雄なのだと。これを止めて、民たちを救うのだと、叫びを挙げて。
(魔法概念“奇跡”。その区分は“結実”。冠された名は、“我、名もなき民を救う者”。)
信じられないほどの力が身に宿る。勝ち筋が見える、勝てると確信する。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
剣は、無我夢中の戦闘の果てに、獅子の首を引きさいた。




