騎士の遠征
そうして私は騎士になった。
剣術を学び、槍術を学び、魔法を覚え、経験を積んで。
私は、有事の際に最も危険なところへ派遣される、帝国騎士団の一員となったのだ。
「私は英雄になりたい。」
私は口癖のようにその言葉を呟き、剣を振り、槍を振るった。
「英雄もいいけどよ、お前、どんな英雄になりたいんだ?」
「どんな、英雄?」
同僚に問いかけられて、私は一瞬、鍛錬の手を止めた。
「だってよ、英雄って言ってもよ、色々あるだろ。10万人でも人を殺してみろ。殺人鬼として、お前は立派な英雄だ。」
「それは英雄などではない!!」
私の叫びに、同僚はにやにやとした笑みを崩さなかった。そう返すとわかっていたという様に。
「で?どんな英雄になりたいんだ、ウォリー?」
「ウォリー?」
「愛称さ、愛称。毎回毎回『ウォルニア』なんて……呼びにくいわけでもないけど。」
どっちなのだ、と呟くのをグッと堪えた。彼とて悪意あって話しているわけではない。むしろ好意的に話をしているのだろうということは、よくわかっていた。
「騎士になる時に誓ったことと同じだ。清廉に生き、民を守る。弱きを守り、障害を超えて打ち砕く。まさしく騎士のような英雄に、私はなりたい。」
「そりゃあまた、子どもの夢みてえな話だな。」
「笑うか?」
「いいや、お前の純粋さに尊敬してるところだよ。」
皮肉を言われた。そんな気がしてならなかったが、同時に、悪い気もしなかった。
剣の鍛錬を終え、槍の鍛錬を始めながら同僚と語る。
「お前、鍛錬以外に趣味とかねぇの?」
「趣味?」
なんだそれは、と、聞いたことのない言葉を聞いた気がした。いや、知ってはいても、自分に充てて考えたことはなかった。
鍛錬をして、鍛錬をして、鍛錬をして。
それ以外のことなど、基本やらない。
「お前、雨の日は何をしているんだ?」
「基本的には勉学だな。領地経営と軍学を学んでいる。」
「じゃあ、好きな酒の名前は?」
「嗜む程度には飲むが、好き嫌いを感じたことはないな。」
「なら、飯は?この料理が旨いんだ、とかないのか?」
「うまい不味いはわかるが……飯は楽しむものではあるまい?」
かぁ、と同僚が頭を上向ける。こいつは趣味という感覚がわからないのではない、と理解した。
「お前、楽しむって、わからねぇんだろ。」
私は何の話かわからずに首を傾げる。その仕草だけで、同僚はみなまで言うなという様に言葉を止めて。
「とりあえずウォリー、今夜は食事に行こうぜ。」
家族以外と食べる食事は、きっとそれが初めてだった。
馬車がガラガラと進む。今回の遠征は10人。
騎士団の副団長と、彼が選んだ9人の騎士が、駆り出された。
「今回の遠征は、緊急性が高い。」
「へえ、そうなのですか?」
「あぁ、魔獣が出ていると思われている。問題は、誰も魔獣を見たことがないという点だ。」
「魔獣、ですか?」
同僚や、多くの他の騎士たちが質問する。敵を知る必要が、あるためだ。
「これまで戦ってきた反社会的組織や暗殺者とは違う。魔獣は、無辜の民を襲う、人類の敵だ。」
恥ずかしながら、正直に言う。私はこの時、『やっときた』と思った。
王を騎士として守るのは、いい。侵攻してくる敵国相手に、戦場で剣を振るうのも構わない。
国が善政を敷いている限り、それは民のためになる行為だ。民を守る英雄になるためには、確かに必要だと、私はずっと考えてきた。
だが。英雄になるには、活躍が必要だ。騎士としてではない、民のための英雄に、私はなりたいと願っていて……その機会は、存外早く、与えられた。
「魔獣は知っての通り、魔法を扱える獣のことを言う。……最近人を襲わぬ『神獣』とやらがいるらしいが、『魔獣』は人を襲う。」
それは、わざわざ確認する必要のない常識だ。魔法を使う獣。まるで、それそのものが問題であるかのように、副団長は語る。
「魔法を扱える、というのは。それだけの知性があるということだ。人間なら造作のないことであっても、それがヒトではないものが扱うとそれだけで脅威だ。」
副団長はそれほど魔獣を恐れているというのか。魔法を獣が扱う事実は、そこまで恐れるほどのものなのか……。
私は悩んだ。どうして、彼はそこまで、魔獣を、
「今回、私は魔獣が出たと仮定して話をしている。被害者は、村と月に一度の連絡を取る伝令。そして、それが帰ってこないことに疑問を抱いた地方領主の軍。」
そこまで言われると、嫌でも意味がわかる。伝令一人なら、そこまで恐れる必要はなかっただろう、が。地方領主の軍が被害者で、加害者が魔獣だと『仮定』されている。
「軍が全滅した、ということですね?」
「その通りだ。」
ただの一人の生き残りもいない。それなら、副団長が恐れる理由も理解できる。
危険極まりない。一兵残らず始末できる力といい、逃がさないだけの判断および周到さといい。一介の獣風情が得られるものではないはず……。
「魔獣とは即ち、魔法を使える獣だ。魔法を使えるということは即ち、それだけの知性があるということだ。」
獣が、周到に、魔法を使って、人を襲う。背中がぞくりと粟立つのを感じた。危険極まりなく、そして何より、恐ろしく。
同時に私は、こう考えていた。
「それだけ危険なものは、人の世にとって脅威だな。」
倒せば英雄だ、とまでは口にしないほど、私は分別はあった。が、常々の言動もあったのだろう。副団長はチラリと私を見て、軽く息を吐いた。
「ウォルニア。思う分には構わん、信念を曲げずに頑張るのも、構わん。」
否定する言葉が出なかったことに、私は驚いた。本当に清廉な人間は、英雄願望など持ちはしない。ゆえに、その願いは騎士として間違いかもしれないと常々感じてきたからだ。
「英雄願望は構わん。騎士団とて、みんなが騎士として立派なわけではない。生きるために騎士になっているものとているのだから。」
戦場で戦果を挙げた村人が、家族を守るため、食い扶持を得るために騎士になる例もある。副団長はそういうことを言っているのだろうと私は思った。
「だがしかし、だ。決して、面白がるな。英雄の道に、楽なものなどない。」
ハッとした。それはそうだと頷いた。
楽な道なら、英雄など世界にゴロゴロいる。英傑と英雄は違う……騎士と英雄は、全くの別物だ。
「慢心は超えたな?……なら、ここでテントを張る。最初の見張りはお前だ、ウォルニア。」
騎士団がたった10人で行動する理由は、2つ。軍を殲滅させるような敵に軍で挑んでも、勝てない可能性が高いからだ。大勢で動いて気取られることを避け、少数で動いて先手を仕掛ける。そのための少数だ。
そしてもう一つ。騎士団は、エリトック帝国において最後の盾であり、最後の矛だからだ。一人で軍に匹敵すると謳われ得る者たちが、騎士団となる。その数は少なく、そしてその責任は重い。
多くの人間が帝都を開けることは出来ない。多くの騎士が帝都を開けるということはつまり、皇帝の周囲の軍が減るということだ。ゆえに、一度に帝都から出られる騎士の数は10人と決まっている。
その制約を、今ほど恨んだことがあっただろうか。私は問いかけ、そして否定する。剣は摩耗し、しかし隙を見つけんと魔獣と相対する先で。
騎士団のテントも、馬車も、轟々と燃えさかっていた。
魔獣はゴリラ。最初から木の上に潜伏し、テントを張るところ、食事をするところ、眠るところまですべて監視されていた、らしい。
「お、おい、嘘だろ?」
たまたま、用を足しに外にいただけだった。見張り以外の全員がテントの中に入った瞬間、だった。
私がテントに戻った時。テントは既に大岩に潰され、その上で獣皮は念入りに焼かれ、見張りに立っていた同僚が吹き飛ばされたところだった。
「副、団長?」
生きているわけがないと理解していた。あれほどの大岩を、瞬時に魔法で用意したとは考え難い。というより、魔法を発動させたのなら私も、それ以外の騎士でも、把握できる。
つまり、最初から樹上に用意していたということ。そしておそらく、最初からここで野宿すると踏み、ここで待機し、樹上で岩を支える魔法を使い続けていたということ。
「変化があれば、気付く。気付かなかったということは、変化がなかったということだ。」
それ以外に言いようがないと、断言する。その上で、剣を引き抜いた。
「私一人しか生き残っていないのなら、私が敵を討つ!」
ゴリラの魔獣に向けて、一歩前へと、踏み出した。
死闘というのは、往々にして記憶に残らないものだ。
必死に戦った。傷を負い、傷を与え。斬り裂き、殴られ。ただ、最後。全霊で跳躍しながら首を飛ばしたことだけは、覚えている。
「はぁ、はぁ。」
肩で息をして、整える。時間にして数分。だが、死闘の時間は、半日を過ぎていたらしい。太陽が昇ってくるのが、わずかに見えた。
「おめ、でとう。」
微かに、声が聞こえて振り返る。そこには、虫の息というにはあまりにも生きている様子のない、同僚の姿が見えている。
「お前は、騎士9人の犠牲を糧に、魔獣を、討った。」
もう話さない方がいい。そう言おうとして……やめた。話すのをやめたところで、死ぬ運命に変わりはない。なら、彼の言葉を最後まで話させるべきだと、私は思った。
「お前は、たまたま、生き残った。だが、騎士の仕事を、全うした。」
同僚の声が小さくなっていく。私は彼に駆け寄って……まだ、彼の名前を知らないことに愕然として。
「英雄に、なれ。お前は、弱者を守る、英雄になれ。……決して、弱者を斬らぬ、勇者と、なれ。」
彼の手を、握る。彼はゆっくりと笑みを浮かべて。
「じゃあな、ウォリー。楽し、かった、ぜ。」
死んだ彼を見下ろしながら、ウォルニアは、誓った。
「あぁ。……私は、英雄に、なろう。」
その誓いの数十分後。魔獣が餌にするために養殖されている人間の村に辿り着き……彼らを、解き放った。
大歓声は、とても、味気ないものだった。




