トップの出迎え
アテスロイの門をくぐる。門には、大きな文字で、『堕ちた者出るべからず』と描かれている。堕ちた者、というのは、ウォルニアのことだろう、とシーヌは思う。
彼は“救道の勇者”から“殺戮将軍”へと堕ちた。理由を考えれば憐れむことさえ出来るが、同時に思う。
やつが堕ちなければ、もしかしたらあの日、もう少し多くの人が助けられていたのではないか。少なくとも……と、思いに沈みかけて浮き上がる。
これまでの道中以上に、ここは敵地だ。何しろ、ウォルニア=アデス=シャルラッハ自身がここにいるのだから。
周囲を全力で警戒している。門をくぐるより少し前から、シーヌの五感は半径30メートル先までを警戒範囲として、全力で探知している。
敵は、いない。ただ、人と、町と、そして館があるだけで、
「親父だ。」
デリアの家の前。このアテスロイで最も大きな館の前で、彼は驚いたように立ち止まる。
「シーヌ=ヒンメル=ブラウ様。お待ちしておりました。」
シーヌの目がスッと狭まる。杖を握る手には強い力が、何も持たない手は懐の中の短剣へ。
「……シーヌ。」
デリアが、止めた。その前でいかにも剣を抜こうという姿勢を見せ、約束を守れと突きつけるように。
約束は、もうこれまでも破り続けてきたのだ。今更一つや二つ破ったところで、自信の人でなしさは変わらないとシーヌは思う。とはいえ。
「最後の復讐だ。少しくらい、いいだろう。」
シーヌは、杖を持つ手から力は抜かず。
「戦友デリア=シャルラッハ=ロートの望みにより、一日だけ世話になる。よろしく頼む。」
ウォルニアに、告げた。
ウォルニア、そしてその横にいる“覇道参謀”フェニ=ビニーデ=ミクシリアが驚いたようにシーヌを見る。
デリアは、その表情を引き出すだけの功績を出したのだ、とシーヌは思う。同時に、チラリとデリアを見た。デリアは、シーヌを怒りを込めた視線で見つめている。まるで、射殺さんばかりだ。
シーヌはさっきの発言で、こう告げたのだ。お前の言う事は聞いてやる、ただし、一日こっきりだ……と。
デリアとしては、シーヌの気が変わるまでは時間稼ぎがしたかったのだろう。あるいは、まず話し合いの場を設け、適当に誤魔化しながら、出来れば一週間の時間を稼ごうと思っていたはずだ……シーヌなら、そう計画する。
だから、シーヌはその狙いに対して、先に手を打ったのだ。一日だけだとウォルニアに宣言してしまった。ウォルニアは、デリアとのやり取りも、デリアの目論見も知らない。この剣呑な雰囲気から、おおよその内容も目的も、察してはいるだろう、が……。
「では明日、ですな。旅でお疲れでしょう。ささ、上がってくだされ。」
復讐される覚悟が決まっている男が、復讐されてほしくない息子の気持ちを汲むこともまた、ない。
デリアが作り上げた父を存命させるための措置は、急激に、父と箆わあ彼を覚悟させるための措置に成り代わる。
それが、デリアと『父と話す時間を作る』という約束をしたシーヌの、約束の守り方だった。
「きさ、」
「デリア。」
ウォルニアが、死を一日後に控えているとは思えないほど、優しい声で息子を呼ぶ。デリアはシーヌに向けているそのままの視線を父に向け、
「あ……」
その目が、信じられないほど優しさと、諦念に満ちているのを見た。
それは、これまでも見続けた父の目だ。十年間、『歯止めなき暴虐事件』、あるいは『歯止めなき虐殺事件』と呼ばれた惨劇から帰ってきた父が見せ続けてきた、目だ。
「かわ、らない?」
父にとっての死神が目の前に現れている。それが、誰の目にも明らかだというのに、父は恐怖すら覚えていないようだ。
「どうして、ですか。」
わからなくて、デリアは呟き……叫んだ。
「どうして、死を受け入れられえるのですか!父上!!」
父を殺されないために動いた。しかし、当の父が死地に赴こうとしているなら、デリアに出来ることはない。
おそらく。この話し合いの場を設けても……どれだけ長く続けようとも父自身が、己を生かそうとすることはなかったのだとデリアは悟る。どこで歯車が狂ったのか、デリアはわからずに頭を抱える。
そんなデリアの心情を知っていて、ウォルニアは、無視するようにシーヌをチラリと見る。しかし、無視しきれなかったのだろう。デリアの方もまた、同時に、悲しみを帯びたような瞳で見つめ、
「シーヌ殿。あなたの目に、私は、殺す価値を見て取っておりますか?」
「うん。……正直なところを言うと、あなただけはそうではないかと予想してはおりました。」
これまでの復讐敵には見せなかった、憐れみと悲哀の目。それを正面から堂々と、素直に受け止めてウォルニアは笑う。
「そうでしょうね。私のこれは、あなたにも望み通りの展開になるはずだ。」
デリアには、わからない。親子は、致命的なところで大きくすれ違っている。
だが。復讐鬼と勇者は本質的なところで同質で、同一で。
何より、二人は同じものだった。立場も想いも違ってなお、互いが互いを理解し合える……“奇跡”を持つ二人だった。
「ウォルニア様、デリアが困っとるわ。お話して差し上げい……そうしゃんと、あんたは死ぬまで息子に理解されることはあらへん。」
「構わん、と私は思っているが。」
「そう思うのは勝手だが。」
ウォルニアの想い。シーヌはここにいる誰よりもそれを理解していると、今なら自負できてしまっている。
二人は会った瞬間に、互いを知った。互いのことを、誰より、何より知っていてなお、シーヌには、自分しか言えないことがあることもまた、理解した。
「残すものに想いを告げておく必要は、あるんじゃないか?」
シーヌが、ウォルニアの諦念に待ったをかける。ウォルニアもまた、それをシーヌが言ったことに、大きな意味を感じ取る。
「……そう、だな。」
逡巡は、一瞬だった。ウォルニアはデリア、アリスに瞳を向けると、
「家に入れ。……シーヌ殿と共に、わが想いを語ろう。……シーヌ君の復讐心と、共に。」
話したところで、わからないだろう。内心ではそう、気付いていた。




