時は動かず
馬車が、内側から燃えた。馬車はオデイアが降り立ったところからかなり遠かった分、魔法の発動は十分ではなかったのだろう。
そんなことは、どうでもいい。問題は、その馬車の中身である。
「ビネル、シャル、アデク……。」
シャルロットが繊細で緻密な魔法を放つ。ビネルが火力に任せた大魔法を放つ。それらに背中を押されるように。身体強化をしたアデクが走る。
アデクの位置は、シーヌがいるはずだった場所だ。あるいは、みんなでともにいれたはずの場所だ。
共に騎士になる。ずっと一緒にいる。あの日の思い出の約束が、果たせなかった現実としてシーヌの目の前に躍り出る。
「あぁぁぁぁ!!」
アデクの剣を払い落とし、ビネルの魔法を相殺し、シャルの魔法を結界で弾き飛ばす。その目には、悲しみと、怒りと、憎悪で染まった涙が落ちる。
それは、過日の日常だった。それは、過日の約束だった。それは、過日の思い出だ。
「ふざ、けるなぁぁ!!」
アデクに剣が向けられることはなく、シャルロットに魔法が放たれることはなく、ビネルに戦意を向けることはない。ぞろぞろと馬車から出てくる母に、父に、祖父に、シーヌが戦いを挑むことはない。
ただ、“歴代の人形師”に向けて、シーヌはひた走っている。当然だ。それが当然だ。
「お前さえ死ねば!終わりなんだから!!」
近づいてくる人形を、シーヌは人形として処理できない。そこにあるのは、シーヌのかつての友で、幼馴染で、家族で、師だ。そこにあるのは、今のシーヌを形成する、“復讐鬼”シーヌ=アニャーラそのものだ。
ゆえに、それを敵として向けてくる敵めがけてひたすら走る。シーヌはまだ、自分の過去を斬り裂く力は欠片もない。
「俺は“復讐鬼”だ!自分の手で、“復讐”を断てるはずがない!」
ギュレイ=ヒンメル=アクレイが寄ってくる。地面から蔦を育て上げ、地面に全力で拘束する。
マルス=ノガ=アルデルが近づいてくる。その体を一秒と待たずに鎖で括り、はるか遠くへ投げ飛ばす。
ジェームズ=アルデル=アニャーラが駆けてくる。足払いを入れて、転げたところを半分地面に埋め込んだ。
「父さんたちは!こんな手に引っかからない!!」
一度死に、人形となった生前の技術も劣化しているが、それ以上に思考が鈍い、遅い。死者蘇生ではなく屍を自律的に動かしているからこその限界だ。
走る、走る、走る。アデクの友人たちが道を阻む。跳躍、回避、前進。
アデク自身が追い付いてくる。彼らの時間は10年前で止まっている。6歳の頃の身体能力なら、今のシーヌでも楽に弾き返せる。前進。
ビネルの高火力の魔法が、シャルロットの大量に創造された魔法が、シーヌの首めがけて飛んでくる。とはいえ昔より一段弱く、一段少ない。
わざわざ対処するまでもなく、前進。当たっても、傷一つ負うことはない。
剣を握る、杖を握る。“歴代の人形師”は、ひたすら走り回って人形の側へ駆け寄り続ける。人形の側へシーヌが行けば、人形はシーヌを迎撃する。ほんの一秒の差、しかし、その間に“歴代の人形師”はシーヌとの距離を稼いでいる。
純粋な身体能力では、間違いなくシーヌの方が上だろう。だが、“歴代の人形師”の方が、手駒が多い。
純粋な戦闘能力では、間違いなくシーヌの方が上だろう。だが、“歴代の人形師”の手駒にシーヌが攻撃することはまったく出来ない。
「諦めたらどうだ、貴様は私の兵隊たちに攻撃できない!勝ち目がないとわかっているだろう!」
「それでも俺は、お前を殺す!!」
炎を放つ。それを人形師は、マルディナの人形を盾に守ろうとし、シーヌは寸前で炎を消す。
鬱陶しい戦いだ。シーヌが過去を殺せないことをいいことに、人形師は過去を盾に逃げられる。シーヌの甘さに、人形師は助けられている。あと一時間も人形師が時間を稼げば、人形師の価値は揺らがなくなるだろう。
チェガ=ディーダはアゲーティル=グラウ=スティーティアと厳しい戦いを繰り広げている。チェガが敗ければ、アゲーティルはデリアを援ける。その時点で、勝負の趨勢は決するだろう。
オデイア=ゴノリック=ディーダはデリア=シャルラッハ=ロートを相手に善戦を続けている。防衛線、時間稼ぎを続けるだけなら、ギリギリ一時間は続くだろう……一時間以上は続かないだろう。
エル=ミリーナとフェル=アデクトはアリス=ククロニャ=ロートと拮抗している。とはいえ、エルとフェルが圧倒的に不利、拮抗という言葉も、かなり良く言って、というレベルだ。普通に力負けしてはいる。
どれかの戦列が崩れるまで、人形師は逃げ続けていればいい。それだけで、人形師の勝ちは揺らがない。
それは。現状戦力が、現状戦力のままであればの話。
そして、シーヌの隣には。
常に彼を助ける、碧い少女がついている。
流産の可能性を、考えられないわけではない。
それでも、ティキは行かなければいけないとわかっていた。
シーヌがもしも、過去と対面して、それを殺せるならば、シーヌの勝ちは揺らがない。だが、シーヌにそれが出来ないこともわかっていた。
シーヌが『復讐』を行っている限り、シーヌは過去を殺せない。他の誰かがやるのは良くても、シーヌ自身では行えない。
ならば。シーヌの勝機は一つ。『過去』のいない場で、“歴代の人形師”と向き合えばいい。シーヌが“転移”を扱うだけの時間、『過去』がシーヌの邪魔をしなければいい。
「トライ。」
「承知しました、我が主。」
自分で魔法を使い、空を飛ぶのは些か不味い。途中で体調が悪くなった時、魔法制御が失敗して落ちてしまえば、お腹の子だけでなくティキも死ぬ。
それを防ぐための答えは簡単だ。空を飛べるものに、運んでもらってしまえばいい―――。
「ミラには、お礼を言わないと。」
ミラは、ファリナを抑えに残った。ティキが飛んでいくまでの時間を稼ぐ、ほんの一分間だけならと、ミラは断言した。
ファリナはアゲーティルが“歴代の人形師”と共に戦っていると知れば、その味方をするだろう。シーヌを追い詰める要因を増やせない。
上空から、戦場を俯瞰する。トライの鬣にしがみついて、ティキは、魔法を放った。
「跪け!!」
と。
重力が、急に強くなる。人形たちは次々と倒れ、動くだけの力はない。
上空に、天馬が一頭。その意味を、シーヌは嫌というほど理解する。
「ありがとう、ティキ……!」
駆ける。駆けて、駆けて。
“転移”を開くことも考えた。だが、その必要はないように感じる。
もう復讐敵は“殺戮将軍”ウォルニア=アデス=シャルラッハのみ。デリアの態度を見るに、彼はシーヌの復讐を迎え撃つ気でいるようだ。
「“仇に絶望と死を”はどこに行ったという話だが……。」
おそらく。絶望は、ウォルニアには今は与えられないのだろう。シーヌは薄々、そんな予感をしてしまっていた。
「“これ”を出し惜しむ必要はない。」
追いついた。その瞬間に、シーヌは極小範囲に狭め、自分と彼しか入らない世界を作り出す。
「“幻想展開・地獄”!!」
それは。想い出を冒涜するものへの、天罰だ。
何かが流れ込んでくる。
友の死を目の前で見た、友の家族を目の前で殺させるしかなかった、友が死んだ場に居合わせられなかった。
家族が死んだ。看取ることもできなかった。自分を助けるために全力を尽くした。喪った、失った、喪った……!
体が、震える。まるで極寒の地に来たように、体がブルブルと震え続ける。
その寒さの原因は、体でも環境でもなく、心だ。心が痛みを発し、何もない寂しさを、喪った苦しみを、何もできなかった無念を伝え、その身を、その皮膚を、その臓腑を蝕んでいく。
「ま、まさかこれは……!」
この意味を、“歴代の人形師”は理解した。これは、過去の思い出ではない。過去の無念では、通り過ぎた過日のものでは全くない。
これは、今を生きるシーヌ=アニャーラの現実だ。
「あの日から、時計の針がどれだけ進んだと!」
その問いかけに応える者はない。だが、答えられるまでもなく、多くの物語を演じた名役者は、“歴代人形師”メルクリック=グリデアロウ・バッドネイ子爵は理解していた。
シーヌ=アニャーラの心の時間は。あの日、クロウが壊滅した日から、一秒たりとも進んでいない、と。
次の瞬間、彼の心は、永遠の眠りに落ちた。




