グディネ最後の悪あがき
新生グディネ竜帝国、竜帝は悠然とした態度を崩さないよう、必死になって演技していた。
弟、ビデール=ノア=グリデイ・グディネ大公の死。息子、エルフィン=ティオーネの死。竜帝アルルシャン=ノア=ティオーネはその情報よりも、その結果がもたらす自国の弱体化の方を問題視した。
「次の英雄を作らねばならんな。」
間に合うだろうか、とアルルシャンは首を傾げる。長男は非常に優秀だが、一人で国は立ち行かない。ケルシュトイル公国は属国化する気配がない。裏切ったのだから当然だ。
そうなると、次は兵士の質になるが、これもまた、一つの大きな問題だ。何しろ、最も強い彼の手駒たちは、ビデールの死と共に暴走した竜たちや、小国たちに蹂躙されてほとんど死んでいる。今から立て直す余裕はほとんどない。
「時間はあるはずだ。」
ワルテリーも、ケルシュトイルも。攻め込むだけの戦力はあるかもしれないが、統治するには人手が足りない。しかし、それもあるいは個人の働き次第で覆すこともできてしまう。
「ベリンディスをケルシュトイルは併合するはずだ。クロム=ガデラン=ネリシャス・アリナスがいる国を、エムラス=ニカロス=キッティーがいるケルシュトイル公国が併合する。」
人手がある。連合七国の中ではおそらく最も人手がある。
それだけではない、おそらく軍事力も高い。ベリンディスは国として軍は滅びた、しかしブレディは残っている。戦闘能力はたいして高くはないものの、彼は優れた指揮官だ。あの国は、面積に反して有能な人材が多い。グディネに居れば一地方くらいは一城を与えられるほどの武官文官が揃ってしまう。
「……冒険者組合としては、これ以上武力介入は出来ない。」
おそらく、ティキ=ブラウはこれ以上、国に関わる戦闘は出来ない。冒険者組合が、一国を贔屓しすぎることはない。
「となれば、グディネもケルシュトイルも変わらず、究極の武を持っていない。」
おそらく、アルルシャンの持つ最大の誤解。それは、冒険者組合員は三人いると思っているところ。
シーヌ=ヒンメル=ブラウは、己が目的のためにビデールを討った。ビデールの遺品を検めたときに出てきた手紙から、クロウの亡霊がいると知った時点で、その可能性を考えていた。
ティキ=ブラウは、シーヌの目的の達成と“神の愛し子”殺害の責任、両方を同時に狙った。だが、達成したからこそ、これ以上国に干渉する理由は特にない。その先は、冒険者組合員以外が紡ぐ歴史だろう。
チェガ=ディーダは、おそらくティキ=ブラウが独自に雇った傭兵だ。ティキが手を引けば、おそらく同時に手を引くだろう。
究極の個がいない。ベリンディス国の兵士たちは既に死に絶えた。ベリンディスでは、おそらくディオス=ネロの処刑が行われる。
そして、そんな国にとどめを刺す方法を、新生グディネ竜帝国、竜を愛し、竜に憎まれる国は、持っている。
「ビデールは多くの中位の竜を支配下に置いた。300の兵士を以て全滅覚悟で討伐する中位の竜が複数。奴はそういう、『群』の象徴たる男だった。」
それに対して、アルルシャンの持つ竜。アルルシャンが王位に就いたのは、圧倒的な『個』を配下にしたが故。
「私が下せる手段は、これだ。うまく行けば、戦争に負けたが領土を広げた……ということが出来る。」
“赤竜殺しの英雄”が成し遂げた、上位の竜の調伏。それは、おそらく世界で何十人かは成し遂げられている。
「我が友、黄竜バステルよ。ベリンディス国の央都に赴き、全力でその都市を破壊してきておくれ。」
都市を破壊すれば、クロムやブレディは死ぬだろう。死なずとも、復興作業で忙しくなるだろう。
都市復興は、時間と何よりカネがかかる。何より、ディオスの処刑には多くの人が詰めかけているという話だ。多くの国民が死ぬだろう。
その死んだ国民たちを埋められるほど、ケルシュトイルという国は多くの人を、財を抱えていない。で、あれば、グディネが一人勝ちすることが出来る。
チェガ=ディーダがティキに雇われている、という予想は間違っていない。だが、それは冒険者組合所属という意味ではないことを、アルルシャンは失念していた。
チェガ=ディーダがミラ=ククル・ケルシュトイル公女の王配になるという事実を、彼は知らなかった。それをチェガが飲んだという事実を、知らなかった。
チェガの存在に重きを置いていたなら、アルルシャンはその行動をとらなかっただろう。何しろ、アルルシャンの考える、『究極の個』に該当する人物は、あるいはその個人の武だけで、上位の竜を打ち倒せる。
今のシーヌとティキなら、上位の竜どころか下位の龍でも倒せるだろう。中位の龍を倒せるほどではないだろうが。
チェガにはそこまでの実力はない。ゆえに、彼は冒険者組合試験で、シーヌと共に勝ち抜くということは出来なかった。一次試験で失格した。
チェガはただ、シーヌの背中を追って努力しているだけなのだとは、一介の帝国の皇帝では、理解できなかったのだ。
ディオス=ネロが処刑された翌日。
ティキの演説によって、主権は国民から貴族へと返還された。クロムは、翌日にはベリンディス国をケルシュトイル公国に明け渡すことを宣言、ケルシュトイル公国の一都市ベリンディスと央都の名称を変更した。
昨日は、演説が終わればもう夕方だった。国民たちは村へと帰れず、都で一日宿を取っている。
「ティキ様!」
そんな中、ベリンディスの城に入っていく人影が3つ。ベリンディスで落ち合う約束をしたシーヌ、そして彼がティキに言われて連れてきた、ミラとチェガである。
鉄は熱いうちに打てという。主権が返還されても、王族は既に滅んだベリンディスでは、代表者、国王を決めるのは容易ではない。
なら、過去同じ国であった記録を持つケルシュトイル公国と合併することが最も楽な道である、ケルシュトイル公王は、元々ベリンディス王国ケルシュトイル公爵だ。100年以上前に分かたれた家とはいえ、公爵家は王族、国を継ぐ権利は十二分にある。
主権はケルシュトイル王家に返還された。そういう演出を国民の前で見せることに、意味がある。ゆえに、演説の翌日にはケルシュトイルとベリンディスが合併されることを、ティキは望んでいた。
「ミラ!!」
抱きついてくるミラを、ティキは抱き寄せる。エルフィンの話はティキも聞いていた。グディネの方が立場が強い中、毎日のように己が天幕に男を招かないといけなかったミラの恐怖心は、ティキには計り知れない。
「明日、ケルシュトイルはベリンディスを併合してもらいます。その時、私はその場にいません。」
見ない、ということである。ティキは、今日で小国たちの政治の世界から手を引くのだ。
「ですが、もう3週間ほどはこの地に留まります。また遊びに来てください。」
「はい!もちろんです!」
ミラの笑顔に、ティキはもっと話していたいと思った。だが、それ以上に、気持ち悪い。
「ごめん、ミラ。また後でね?」
鋼の精神力で平然とした態度を装いながら、水場へと移動する。吐き気がする。吐きはしない。横になるのが一番だろう。
眠い。体が重い。
「働き過ぎましたか……シーヌ。」
「ティキ?」
シーヌの体にすがるようにして立つ。ゆっくりとその肩を掴んで、必死に自室へと歩いていく。
「もしかしたら、私は最後の復讐にはついていけないかもしれません。」
「……わかった。」
体調が悪いことは、シーヌの目で見ても明らかだ。病気かもしれない、死ぬのかな。そうシーヌの頭では鳴り響いている。
「だから、2週間たっても私に治る様子がないなら、先に復讐に行って。そして、ちゃんと、帰ってきてね?」
ティキのその覚悟の笑みに、シーヌは頷くしかできない。元より、ティキはシーヌにとって想定外の同行者だ。元に戻っただけに、過ぎないのだ。
「あと3週間は、一緒にいるよ。」
シーヌに、ティキを完全に切り捨てることは、出来なかった。
クロムがベリンディスの象徴である旗を掲げる。その様子を、国民たちがじっと見ている。
誰も声を上げない。静かな広場。昨日ディオスが死んだ場で、ベリンディスの旗がミラの手に渡る。
恭しく、ミラはその旗を受け取った。これからその旗を担う、というわけではない。むしろ逆だ、ベリンディスという象徴を、木っ端みじんにしなければならない。
受け取った旗に火をかける。かけられた火が煌々と壇上を照らし、それを証明代わりに、ケルシュトイルのカーネーションと槍の旗が掲げられる。
「ケルシュトイル公国……いや、ケルシュトイル王国に栄光あれ!!」
チェガが、叫ぶ。
同時に、竜の咆哮が、その地を揺らした。
ティキとシーヌは、巨大な強い気配が近づいてくるのを感じ取っていた。
「そうですか。アルルシャンは、大きな誤解をしているのですね。」
それが上位の竜であることを察して、ティキは言う。
「どうする、行く?」
シーヌが不安そうにティキを見る。ティキの成果が壊されるのを見るのは、シーヌにとっても忍びない事だった。
「いいえ、大丈夫でしょう。」
ティキは一言で言い切る。ティキは何も恐れても、不安に思ってもいなかった。
“神の住み給う山”。今では『神山』とだけ呼ばれる山で、大鷲と行った戦闘。
“奇跡”は確かに、目的を果たすための最適解を、能力の限界を超えるような力を引き出す、そんな錯覚を覚えさせるほど、何もかもがうまく行く。
その経験は、しっかりと経験値として、記憶として、感覚として人間の中に蓄積できる。チェガは、戦った経験を忘れるような人物ではない。
「さすがに、上位の竜は、大丈夫でしょう。」
ティキは、シーヌの親友を、シーヌと同じくらい、信じている。
黄竜バステルは、央都を壊せと言われて、言外の意味をしっかりと読み取っていた。
つまり、『多くの人間、可能な限り重要人物を殺せ』と。
ゆえに、ああして人が集まっている場には、敵が重要人物がいることを理解し、飛び込んだ。
「竜だ~~!!!」
民衆が、怯えて逃げようと右往左往する。それを見て、ミラは大きな音を魔法で鳴らし、鎮静化した。
「静かになさい!ここにいる誰も、死にはしません!!」
その声に、力強さに、国民たちは何か信じられるものを感じ取って目を上げる。
ミラは、槍を掲げた。それは、とても豪華な槍だ。それは、とても高価な槍だ。
装飾は、多い。同時に実用性もまた、高い。
「これは、我が国が持つ宝の槍。ケルシュトイルの力を示すもの。」
竜は、少しずつ近づいている。影が徐々に大きくなる。
上位の竜は、停止しないとブレスを吐けない。ゆえに、影が近づいてきている間は攻撃される心配はない。
「チェガ=ディーダ。我が夫よ。あの竜を打ち倒しなさい。」
その声に、跪いて答える男が一人。
「承知しました、我が妻。我が腕、我が身、我が心。その全ては、妻の思うがままに。」
槍を受け取り、投げる構えを取る。竜が気付いて、空中でホバリングする。
「はぁぁぁぁ!!」
「グギャァァァァ!!」
雷のブレスは、投げられた槍と衝突する。槍はブレスを切り裂きながら直進する。
引き裂かれたブレスは、ミラやクロムの張った防御魔法に相殺された。槍で割かれ、ブレスの威力は減衰している。本職でなくとも、相殺なら辛うじてできた。
黄竜バステルは、己の前に槍が訪れたことを理解した。もはや、逃げ場がないことも。
理解した瞬間には、竜は眉間を槍で貫かれ、絶命していた。
竜の死骸が大地へと落ち、それをチェガが、誰にも被害が出ないよう、都市の外へとはじき出したその瞬間。
圧倒的な英雄の技量に感化されるように、国民たちが絶賛の声を上げた。




