ミスラネイアの攻城戦
四日。それが、アントン以外の2街12村の侵略にかかった時間だった。
一日に3つの村を回り、野営して、次の村へ進む。戦闘はなく、即答で次々と降伏していく村々には、フローラも薄ら寒いものを覚えた。
「負け犬根性というか、諦念が染みついている……。」
確かにその領地に住むということは、人生を諦めているということでもあるのだ。同時に、ミスラネイアに隣接する村々であった以上、その諦念はミスラネイアが神獣をわずかでも抑えられないといった諦念でもある。
フローラとしては非常に言葉にしづらい苦しさがある。ただ生きているといった国民を増やすことに意義があるのか、価値があるのか。彼女にとっては悩みどころでしかない。
「後は、あれ?」
シーヌがフローラに、遠目に見える街について訊ねる。人の肩くらいの高さに揃えられたレンガ造りの壁と、小さな門の先に、石造りの家々が見えている。
「はい。あれがこれから降伏勧告を行う町……アントンです。」
とはいえ、フローラの表情は冴えない。そうだろう、アントンは見るからに防衛機構を備えた町ではない。これまでの侵略と同じことを繰り返す、そう考えると彼女も苦しくなるだろう。
とはいえ、シーヌはそんな楽観はしていなかった。フローラの持つ、『戦わずに降伏してくる』という考えが明確に楽観だとシーヌは確信している。
「アントルークには戦力はあるんだよね?」
「多分、多少脱走兵が出てはいるでしょうが、国境最初の防衛拠点です。ミスラネイア軍を迎え撃つのに足りないということはないでしょう。」
「じゃあ被害が出ずにここまで来れて良かったんじゃない?」
「それはそうですが、今後の統治を考えると……。」
それは、統治する人間が考えるべきことだとシーヌは思う。とはいえ、彼女は侵略する側であり、そもそも張本人であり、何より王女だ。
国のことを考える。それは正しい、彼女としての在り方なのだろう。統治者がそう言ったことを考えることに、シーヌは違和感を覚えることはない。正しいことだからだ。
「まあ、彼らにちゃんと国民になってもらいたいなら、やるべきことは一つなんじゃないかな?」
シーヌの呟きに、フローラは驚いたようにシーヌを見る。
人生を生きることを諦めた、そんな彼らに示せるものを、フローラはわからない。
「人生を生きられることを示せばいい。彼らの命の無事を、君たち国の強さを示せばいい。神獣がいなくなった今、その後は時間の問題だ。……長年の想いは、諦念は、時間じゃないと解決しないよ。」
シーヌの復讐心は、未だ、後二人という状況でも衰えない。それは、為すべき目標としての復讐心であるからだ。
目標も、生きようという意志もない。そうフローラは感じているようだが、実際には大きく異なる。
その村に住むということが、まず捨て駒であるということだったのだ。彼らは、そもそも生まれた瞬間から死ぬために生きている。
それでも子が生まれていたのも、彼らが生き続けていたのも、根本的な生物的性質だ。人間は自殺など、容易に行えるものではない。
「死ぬために生まれ、死ぬために生きた。人間ってのはそういうものだけど、それでもこれまでの環境があまりに露骨すぎただけだ。」
変われば、人が変わる可能性もある、シーヌはとりあえずそう結論付けて。
「行こうか。政略だろ?」
アントンの門を、叩いた。
アントンを治める市長は、白髪が生えかけの老人だった。
おそらく世襲制だろう。理知的な目をして、フローラを見つめている。
「我々アントンはミスラネイア軍に容易に降伏するわけには参りません。」
これまでにない、返答だった。
「戦を望む、と?」
ゆえに、フローラはすぐさま反する手段を問いかけた。
「いえいえ、ここは戦には向かない町、ゆえにこそ、容易にあなたたちに降伏するわけにはいかないのです。」
フローラは、立地条件のことをさしていると判断した。そして、その意味をくみ取らんと必死に頭を捻る。
「降伏するわけには、いかない。」
なら、主題の転換だ。降伏したらどうなるかを考えればいい。
アントンはミスラネイア国境に隣接していた2街の支配範囲に隣接している街だ。また、二キロ先には砦アントルークがあり、神獣たちと戦う際の最初の防衛ラインとして兵が詰められている。
また、周囲にある他の村や町に兵士はいない。多くが、神獣の生贄として捧げられる村々といった形を持っている。
では、ミスラネイアがアントンを占領し、その後アントルークに出兵するとしたら、アントルークはどうするか。アントルークはどうすればミスラネイア軍を撃退できるか。
簡単だ。アントンを、すでに占領した町村を攻撃すればいい。
火を放ち、民を殺し、占領した旨味を殺せばいい。
それだけで、三つの利益がアントルーク……アストラストには与えられる。
一つ。ミスラネイアの退路を断つことが出来ること。
二つ。ミスラネイアの軍隊を振り回すことが出来ること。
三つ。仮にミスラネイアがその戦争で勝ったとして、占領した領土をきちんと守れない国というレッテルを張ることが出来ること。
仮にアントンがミスラネイアに降伏する気があったとして、ミスラネイアの足手まといになるのなら、降伏することに価値はない。ゆえに、降伏しない選択は、ミスラネイアにとって最大の手土産になるということだ。
「我々は、あなた方がアントルークを攻略し、完全に落とすまで、アストラストの旗を振りましょう。しかし、背後からあなた方を襲うようなこともまた、決してしないと誓いましょう。」
それだけ聞ければ、フローラとしては十分である。
「承知した。アントルークにミスラネイアの旗が上がった時、貴殿らが我らの旗を掲げることを許そう。また、掲げていなかったとき、我々はこの街を攻撃する。」
「承知いたしました。ご武運を、お祈りしております。」
アントルーク砦内の地図をフローラに差し出しながら、市長は深々と頭を下げた。
わずかな雰囲気で、シーヌは市長の安堵を感じていた。
一日、野営を行った。あちらに見えているアントルークは、対神獣用の最初の砦である。つまり、最初から落とされないように作っている。
「鋼鉄製の門扉、石材で出来た壁、城壁一面の弩。」
アリ一匹通すまい。そう言った意気込みすら感じることのできる、最上級の砦。
「シーヌ殿。貴殿ならどうする?」
「足場を崩す。土台そのものを破壊して、兵士ごと巻き込むように。」
シーヌなら出来る手を、平然と彼は言った。つまり、戦争で使うなという意味だ。
そもそも、砦を破壊されるのは困るのだ。であれば、という様にフローラは地図をじっと見つめた。
「この抜け穴、どれくらいの大きさだろうか?」
「普通城の抜け道といえば、人一人通るのが限界だろう。それにおそらく、対策は用意されているぞ?」
わかっている、という様にフローラは頷く。正攻法をやるには、砦は邪魔だ。
「中は木製の建物が多いのだな。」
「神獣たちは、あまり火を使わなかった。生物の本能的に、火を使えなかったんだろう。だから、城内に魔法を降らされるとしても、火が降ってくることだけはなかった。」
それしかないか、とフローラは息を吐く。砦の中での司令部と、外側さえ残っていれば、中の建物はいくらでも修復が効く。
「火攻め、か。」
「三方から攻めれば、有効打にはなるだろう。」
破城槌が、二つ。シーヌの“転移”を用いておいてもらう。アストラストから奪った大量の長弓と、対ブランディカ戦で用いられた投石機の修復済みのものを、2つ。
「五十人!ここ一帯に砦への抜け穴があるはずだ!探せ!」
「五百人!いますぐ樽に油を詰めろ!二時間で、出来る限りだ!」
一応、油自体は用意してある。それが投石機用ではないだけだ。それを投石機用に詰め替えるよう、フローラは指示を出している。
「投石機の使用方法を確認しろ!破城槌もだ!特に、馬との接続と切り離し方法は念入りに確認しろ、今回は馬の被害は無視する!」
砦の門に破城槌を当てるとき、馬に繋げて引っ張るように並走する形で用いる。馬は格好の的だ、狙われることを前提で用いる場合……いかにはやく代わりの馬を繋げ直すかが勝利の鍵を握る。
本来であれば、やることが多すぎてやらないであろう、多方面作戦。
油を撒いて火矢を浴びせ、城内を火攻めにする戦法。
地下道を通り、敵の中へ躍り出て将を狙う戦法。
そして、正面突破で敵の門を叩き割る、破城槌を用いた戦法。
「勝てばいい!戦争開始は3時間後!各員、休憩を挟みながら敵を警戒しろ!」
ミスラネイアだけで始める戦争は、これが最初の戦争だった。そして、そのために、フローラほ全く戦争に手を抜く余裕を、持っていなかった。




