竜帝国の第二皇子
エルフィン=ティオーネ。新生グディネ竜帝国第二皇子。
この戦争で、ケルシュトイルが完全にグディネに従属すれば、公女ミラ=ククルと結婚し、公爵領となるケルシュトイルを治めるはずだった男。
警戒心を、ティキですら抱いていなかった。ティキは警戒心を抱く必要性を、欠片も抱いてはいなかった。
理由はいくつかある。一つは、ティキが警戒していたグディネ軍が、ビデールと、グディネ軍という括りであったこと。純粋に、飾り上の指揮官であったエルフィンを意識する必要性はなかった。
そして、調べてみて、エルフィン自身に明確な実績がなかったこと。実績がない=警戒の必要性がない、という短絡な式にはならないが、大国グディネである。明確に警戒する必要があるほどの傑物なら、無名ではいられないだろうとティキは考えていた。
最後に。グディネ軍には、チェガがいた。最悪ティキの知らない傑物がいたとして、ビデールさえシーヌが抑えていれば、残りの強者はティキとチェガが抑え込めばいい。“凍傷の魔剣士”レベルの戦士であれば、二人は10人程度ならまとめて相手できる。
そういう理由から、グディネ軍という総体への調べは徹底的に行っても個人に対する調査を行っていなかったティキたちの、油断の結晶がエルフィンであり……しかし、油断するに足るだけの圧倒的な実力差をも、チェガが証明して見せていた。
エルフィンの見える防御の構え。突きかかったチェガの槍を、穂先で弾く様にいなし、一歩下がりながら構えを戻す。振り下ろされようが、薙ぎ払われようが関係ない。確実に攻撃を逸らし、いなし、槍が大きな動きを見せることを避ける。
その構えは、鉄壁というにふさわしく、同時に実力差が拮抗していれば、即座に突きでカウンターまで繰り出せる構え。
だが、相手はチェガ=ディーダという男で……何より、彼は槍使いというより、魔槍士と呼ぶべき存在だった。
五秒。その間に、十二合。その間に、決め手はあるものの時間がかかりすぎると判断した。
チェガは、チェガたちはこの後に行うべき攻撃がある。何より、彼らを下すことに時間をかけていると、ビデールが異変に気付きかねない。
まだ、ビデールにケルシュトイルの裏切りが知られては困る。ゆえに、チェガは意を決して一歩踏み出した。
「悪いな。」
右手一本で、槍を、振るう。その時、左手は腰の位置の側に置く。チェガが振った槍を、エルフィンが弾く。弾かれた槍は、既にチェガの手元にない。
槍が弾かれたその瞬間には、魔法で作られたその槍は消されていた。突きの姿勢を見せる右手をそのままに、チェガは左手の中に槍を生み出し、エルフィンの懐に突き刺していた。
「あまり時間をかけてはいられないんだ。」
いい使い手だった。あるいは半年前の自分なら、確実に殺されていただろう。そうチェガは息を吐いた。
「エルフィン=ティオーネはケルシュトイル公国軍が討ち取った!我らの指示を聞け!聞かぬなら殺す!!」
チェガの、静かな、しかし強い意志を伺わせる戦士の声が響き渡り、エルフィン指揮下の兵士たちが恐怖に脚をすくませる。
初戦でチェガの実力は見た。エルフィンの兵士はエルフィンの強さを知っていた。
そして、チェガはそれを、軽々と凌駕して見せた。
この場で、チェガが庇護するケルシュトイル軍に攻撃しようとする猛者は、誰一人として存在しない。
「そうか。ならば命じる!出火の原因は、炊事の火の不始末!対処しようとし、慌てて篝火を倒してしまった!そういうこととする!!」
消火を急げと、伝令が来るかもしれない。言い訳を彼らに伝え、チェガは言い放つ。
「消火しようとしている姿勢を見せよ!しかし逆に、火を熾せ!!」
その命令は、グディネ軍の中に響き渡り……
兵士たちは、規則正しく動き出した。
ミラは、命絶えた皇子の姿をじっと見降ろす。
自分が今超えられなかった壁。自分より一回り年の離れた、グディネの皇子。
「私は。」
彼を理解しようとしなかった。情が湧くことを恐れていたし、どうせ裏切るなら理解する必要はないと思っていた。
きっと、その傲慢が。チェガをこの戦場に駆り出すという、あまり望ましくない展開にしてしまったのだろう。
「望ましくない……?」
それは、何にとってか。わかり切った答えを前に、ミラはわずかに笑みを浮かべる。
「軍としては、むしろ望ましい。チェガ様が一人いれば、敵軍一つを迎撃できた。彼が一人で、姫の命を助けるなどという大功を2回もやり遂げた。」
わかっている。ミラは、チェガの前で。
チェガがいなくても戦えると、証明したかっただけなのだ……チェガが、心置きなくシーヌのために戦えるようにするために。
ああ。だが。
「チェガ様。」
「ミラ公女殿下。流石に様付けは不味いと思いますよ?」
「構いません。……もうしばらく、私をお守りくださいな、英雄殿?」
そう言ったミラは……もう、チェガに守られることに、躊躇いをなくしていた。
ベリンディス軍、新生グディネ竜帝国へ、突撃。
夜襲の利は、最初の間だけ、ベリンディスに福音を与えていた。
「蹂躙せよ!!」
火が、つかない。ディオスは、クロムに雨を降らせた判断を、わずかに呪った。しかし、天幕に分け入り、眠りについている兵士たちを既に千は殺している。次に行く頃合いだった。
「進め!!」
次の陣営。無視。さらに次。無視。
ディオスは、勝利の芽がどこにあるかはわかっていた。それを為さなければ、自分たちが敗けることもまた、わかっていた。
「ビデールの陣へ駆けろぉ!」
狙うはただビデールの首。そう決意して、彼らはただ、広い敵陣の中を馬で駆けていた。
はるか前方で。微かに、炎が燃えるような光が視界に入った気がしたが。
ディオスには、それを気にする余裕は、なかった。
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