ディオスの憤怒
ケルシュトイルとの会議は終わった。
ミラにチェガをつけたのは、とてもいいことだったように、ティキは感じていた。
「もう、そろそろでしょうか。」
ベリンディスからの、諜報員。彼がディオスにこのことを伝えていれば、彼は怒りに肩を震わせながら、ここに辿り着くはずだった。
だが、来たのは彼ではなく、クロムだった。
「口止めしました。問題ありませんか?」
「ええ。あなたには、概要を話しておくべきでしょう。」
それだけで、状況確認を済ませた。ティキの意図を、クロムはほとんど正確に汲んでいる。
ディオスに、話が渡らなくてよかった。ティキはそういう表情を微かに見せると、クロムに座るように示し、自分も座った。シーヌは既に、その場から退出している。
「夜襲、包囲、裏切り。意味はわかりますね?」
「ええ。十分です。私から一つ。」
「なんです?」
チェガより話が早い。当たり前だ、まだ17になった頃のチェガと、海千山千のクロムでは、話の調子が全然違う。経験値の差が露骨に出た瞬間である。
「ディオスの護衛です。」
「オデイアを、出しますか?」
「いえ。ブレディを出す許可を。」
ベリンディス元帥、ブレディ=ストール=アデウス・ベリゲル旧伯爵。軍事畑の人間だとは聞いていたが、どうして彼の名が出るのか。
ティキは彼に続きを促す。いくらなんでもその問いだけでは、彼女は判断できない。
「彼でも、アルゴスやブラス程度には戦えます。ディオス一人を逃がすくらいなら、出来るでしょう。」
本当かは、わからなかった。だが、彼の眼に、嘘だけはない。
「信じましょう。彼をディオスの護衛に当てなさい。」
ティキは、しばらく悩んで、そう言った。
エフラムは、ふむ、と会話を聞いて頷いた。ディオスの護衛、というのはつまり、ディオスを殺させないということだ。
「ディオスを殺しても、問題はないのでは?」
「そうすると、民主政治を信仰する国民が残りますよ?」
それは困る、とエフラムはぼやく。
「ディオスだけで批判させられますか?」
「一時的なものでいいのです。そんなもの背負えない、そう国民が思うだけでいい。」
それなら可能か。エフラムは、このあとディオスらベリンディスが壊滅する様を思い浮かべながら、頷いた。
その翌日。何もないまま、日が過ぎた。敵はいない。攻められる気配もない。
ただ、軍が移動した。陣を変えたのだと、ティキはディオスに話した。きっと明後日には、大きく兵を動かすのだろうと。
「どうして明後日なのだ?」
「見てください。どうも、一日で陣替えが終わるような移動ではないようです。」
ティキの発言に、ディオスは納得したように頷いた。ディオスはもう、ティキの指揮を疑っていない。
さらに翌日明朝。ケムニス、ワルテリー、クティック、ニアスが山を下りた。大きく迂回し、グディネのわき腹を抉るべく移動する。
そしてその夜。空は見渡す限りの曇り空だ。
だが、そんなものは関係ない。そう言わんばかりに、ティキは右腕を空へと向ける。
「えっと、今の時間なら月は……。」
月の回りの雲を、取り払う。ベリンディスからだけ、それが見えたら十分だ。
ティキは、空に光る大きく半月の輝きを、白から碧に変化させた。それに呼応するように、ベリンディスの伏兵が、動いた。
「ディオス様、申し上げます!」
始まりは、ベリンディスのスパイ。ティキの回りに紛れ込ませていたものの内、クロムに忠誠を誓うものを選択する。
「先日、ティキ様のもとにこのような手紙が届きました!」
その兵は、わざわざティキが手紙を受け取った日から、ディオスへの連絡を絶たせていた。ディオスも気が気ではなかっただろうが、ティキに『スパイがいたのだがどうした?』とは聞けない。泣き寝入りしていた頃に、これである。
手紙を受けとる前に、ディオスは兵の方へと目をやった。
2日ほどとはいえ、連絡がつかなかった兵である。まずは疑ってかかるのは当然だった。
「この手紙を渡す場面に、偶然遭遇いたしました。気付かれたとしるや、私は監禁されてしまい……。」
言い訳としては上等。しかし、疑問は残る。
ティキが兵士を監禁したのであれば、兵士が自力で出てこられるものではない。なのに、こうして手紙まで盗んで出てきたのだ。おかしい、と疑問に思った。
その疑問に、兵士は一瞬だけ詰まってから。
「どうも、男と会っておられたようです。その男とともに外に出て、一時間もすると、私を拘束していた魔法が切れました。」
な、とディオスが愕然としたように固まる。戦時中に男と逢瀬。将がそれでは、兵士に示しがつかないからだ。
呆然としたまま、ディオスは手紙を受け取った。同じ天幕にはクロムとブレディもいて、ずっとその動きを見ている。
「我が、国への攻撃?だと?」
震えた、声だった。怒りを体現させたような、声だった。
「クロム!」
「私は何も知りません!!」
即答。それに違和感を抱く間もなく、ディオスは今度は兵士の方へと詰め寄る。
「どういうことだ!」
怒声。それに対し、兵士は比較的平然とした声で、言った。
「ティキ様曰く!ベリンディスに攻め入っている間の背後は無防備!そこを突くしか、勝ち目はないと!」
「ふざけるな!!勝利のために民を犠牲にしろというか!!」
山に響き渡るような、大声だった。怒声というだけでは足りない。まるで、火山が噴火したかのような大音だ。
そして、その声を上げた瞬間には。ディオスはティキの存在を、唾棄すべきものとして意識から完全に外していた。
「ベリンディス全軍!起きよ!!我が国を護るぞ!!」
響き渡る声に、ベリンディスの軍が準備を始める。ミスラネイアは、無視。残りの四国に伝令を走らせる間も惜しいとばかりに、ディオスは愛馬に跨っていった。
「雨を!!」
その声に応じて、クロムは天候をいじる。最初から、星空がわずかに見える程度の曇り空。多少の雨が降っても、『山だから』で解決できる。
「全軍!突撃!」
ディオスの命令を受けて、ベリンディス軍が山を下りる。
雨が、降った。敵の篝火は一度消え、ディオスたちの突撃の、馬の蹄鉄の音だけが響いている。
「かかれえ!」
寝静まり、暗くなったグディネの中に、ベリンディス軍は突入した。
次話より一気に話を進めます。楽しみにしていてください!




