ティキの限界
今回もちょっと短いです。
ティキは、実際に人を統率するのはこれが初めてである。
これまでも、どちらかというと人を統率するではなく、方針を示すだけで実際の指揮は各国の指揮官に任せてきた。
もちろん、ティキが人を指揮したことがないという事実は、指揮しなかった理由の一つではある。
……もっとも、国とは関係のない人間が国の軍の指揮をすることそのものにも、問題があるため、純粋に出来ないという理由が大きいのではあるが。
とはいえ、彼女は大局を見て物事を決めている。これから、今、何をやられるのか。何をされると困るのか。
そういう意味で言えば、ベリンディスに『グディネが貴国に攻め込む』ということを言わなかったのは正解だったと断言できる。
「とはいえ、伝えなかったから誰も知らないというわけではなく。」
天幕を守っていた兵士の一人。ベリンディスのスパイである彼は、即座にその情報をクロムの元へと伝えに走り、
「そうですか……まだ、ディオスには言わないように。二日後には公表します、それまでだけは黙っていなさい。」
幸いにして、対象がクロムだった。これが、忠告相手がディオスだったなら、その時点で連合軍の敗走は決まっていただろう。
「烏合の衆ゆえの指揮権の乱立。一時限りの総指揮官だからこそ、ティキさんは信頼されてはいない。」
まして、ベリンディスに至ってはティキ自身、『滅ぼそう』としている国である。疑われていても文句は言えない。
ギリ、とクロムが歯を食いしばる。怒りを示すように拳を握り締め、言った。
「小さく固まっては敵の餌食。全軍で攻めることはない……!」
もはやこの情勢で、ケルシュトイルが小国側につく理由もない。クロムは、ここまで組み立てた勝利への道筋が、崩れていくような音を、聞いた。
アルゴス、ブラス、エル、フェル。戦場から帰還して、休む間がほとんどない間に、彼らはティキの訪問を受けた。
「ティキ様、大丈夫ですか?」
「顔色が優れませんが……。」
限界か、とアルゴスたちは感じた。小国家といえど、正式な軍隊。ほぼ四万人近い軍隊の命の責任が、彼女の双肩にのしかかっている。
崩れるのは、時間の問題だった。一日くらい、しっかり休めと言いたかった。
しかし、その言葉を告げることに、躊躇い。彼女はそれほど、鬼気迫った表情をしていた。
「帰って早々悪いのですが、明後日にはあなたたちにはここを発っていただきます。」
「おいおいおい、そんなすぐに戦争だってか?」
「誰も見ていない場所。どこです?」
内密の話。そう言われて、彼らは渋々立ち上がる。ティキの具合は見るからに危ない。極力早いうちに終わらせることが大切そうに、彼らには見えた。
場所は変わって、指揮官四人の天幕で。
「グディネが、ベリンディスに攻め込むとの書状を持ってきました。」
「は?書状を送る?そういうのは予告なしで……そういうことか。」
なぜベリンディスに攻め込むのかも、何故書状を送ってきたのかも、理解したかのような顔でブラスが頷く。
「ええ。内部分裂を狙っているのでしょう。ついでですので、ベリンディスは切り捨てます。」
タイミングとしては、グディネが反転する直前。反転の準備をしている段階が望ましいと彼女は言った。
唖然と、する。普通なら、完全に反転し、ベリンディスぬ向かい始めたタイミングでの攻撃を仕掛けるだろう。なのに、彼女は反転する直前、準備を進めている途中で攻めると言った。
「理由はあるんですか?」
エルの問いかけ。ティキは堅い表情が崩れないままに、言った。
「この書状を送った時点で、ベリンディスは私たちが追撃を仕掛ける形で攻めるのを理解しています。万全の態勢で、迎え撃とうとするでしょう。」
当然だ。どのタイミングで攻撃するかわかっているなら、その瞬間に合わせて防御の姿勢を整えればいいだけだ。
「ですが、撤退準備をしている間は、どれだけ警戒しても穴が出来ます。例えば、陣の周りの柵を抜いている最中、など。」
それはそうだとエルは頷く。フェルも、他二人も、異論はないようだった。
「あなたたちには騎馬を用い、北側から大回りしてグディネの脇を叩いてもらいます。」
幸いにして、アストラストが置いていった長弓がいくつかある。それを使えば飛竜隊の脅威は多少薄れる。
ティキは、「ゆえに」と続けた。
「明日の夜か明後日の朝。ここにいる四国軍は、グディネへ向けて山を下りてください。」
その時点で、彼らも理解する。騎馬だからこその大回り、明後日の朝に出発という単語。
「明後日、夜襲から、ですか。」
「ええ。飛竜と敵騎馬の戦力を削ぐなら、夜がいい。」
昼行性だから、ではない。翌日全軍で発つために、彼らは馬や竜を眠らせるはずだ。
その瞬間が、最大の好機。仮に大軍であったとして、得意の竜と馬を封じられた彼らなら、辛うじて瞬殺されることだけはない。
兵士たちも、眠っている兵が多いだろう。そういう希望も含め、ティキは地の利を捨てる代わりに天の時を手に入れた。
「お願い、出来ますか?」
地の利を捨てる。これまで極力兵士たちに被害を与えないように、ティキは指示してきた。その前提を、捨てる。
「ティキお姉様。これは戦争です。」
フェルが言う。その顔は、とっくに覚悟が出来た将の貌。
「私たちは、勝っても負けても彼らの死に責任を負います。……ティキ様、責任を負うのは、私たち指揮官です。あなたではありません。」
エルが続けて言う。ティキはその顔に打たれたような顔をわずかに見せる。
「私たちは、行きます。勝利を。」
与えてくださいね、とまでは、二人は言わなかった。言わずとも、ティキなら与えると感じていた。
その期待の重さを想う。彼女が背負うものが。どれほど重いのか、隣で見ているシーヌには知る術がない。
「ティキ。」
「シーヌ。……飛竜隊を。」
「任せて。彼らはエリートだ。……エリートが討たれれば、ボスが出る。」
結局のところ。時間や条件をいくら整えたところで、飛竜隊が危険なのは変わらない。
「休もうか、ティキ。」
結局のところ。シーヌの目的のために、ティキは奔走し、肉体的にも精神的にも疲れているわけで。
「ちょっと、軍も何もないところに行こうか。」
確か南側は、誰もいないただの山だったはずだと、シーヌは“転移”を使って移動して。
ティキに腕枕をしながら、日向ぼっこをするようにゆったりと時間を使う。
「ありがとう、ティキ。」
結局。シーヌの休みの場所がティキの側だけであるように、ティキが休める場所もシーヌの側だけでしかないのだった。




