氷結の魔剣士
あの日。あの虐殺の日からずっと。シーヌは考え続けたことがある。
もしも、ペストリー=ベストナーが、目の前でビネルの家族を殺さなかったなら、彼は最期、ケイ=アルスタンやアグラン=ヴェノールに挑まなかったのではないか。最後の瞬間、冷静さを失うことはなかったのではないか。
もしも、バルデス=エンゲが、目の前でシャルロットの家族を殺さなかったら、彼女は最期、ネスティア王国軍に突撃などしなかったのではないか。最後まで、約束を守ろうとしたのではないか。
そんな考えは、生き残ったシーヌだから、全てを見届けたシーヌだから、言えることだ。考えることが出来ることだ。
そして、既に終わったから考えることが出来る「もしも」だ。だからこそ、本気で恨むことも、憎むこともできるのだから。
「みんなで、一緒に。」
シーヌは踏み出す。向かうは、バルデス=エンゲただ一人。
「生きることが、僕は出来なかったんだ!!」
シーヌの普段の一人称は、僕だ。だが、復讐鬼の仮面が出ている時、彼は自分を『俺』という。
だが、復讐の念のさらに奥。喪失感と向き合ったとき、シーヌの一人称は、再びクロウの『僕』に帰る。シーヌはいまだ、あの日の念を背負っている。
「お前たちが、虐殺なんてしなければ!!」
バルデスをかばう様に、前に出てきた兵士を瞬殺。認識したころには、既に身に着けた模倣の魔法が奔っている。
そのまま、兵士の塊から押し出すように、バルデスを蹴り飛ばし、跳躍。氷の魔法を放ちながら、足元に大量の足場を用意、走るように前へ進む。
兵士たちが、介入しようとこちらへ向かう。シーヌは、それを認識しつつも、無視した。
復讐鬼はただ、敵討ちのため、戦士だけを視界に入れる。
シーヌが空に跳躍した時点で、彼が行う行為は決まっていた。
彼の、いや、彼らの役目は、鬼の道を阻む有象無象の処理である。
「行くぞ。」
寡黙な彼が、指揮のために、一声。それに応えるように、たった数十人の傭兵たちが、二千人の兵士たちの方へと走っていく。
「すまぬ、みな。」
オデイアは、そう呟いて。
「『シキノ傭兵団』、オデイア隊!贖罪は、ここに成る!」
全力で、特攻した。
時は遡り、四国が攻めに転じた直後のことである。
「ブランディカ軍は、奇策を用いないでしょう。彼らの定石どおりに、確実に歩を進めることを選ぶはずです。」
ティキは、それをまず断言した。ブランディカ軍13万人。確実に、山頂目指して、全軍一体で登ってくると。
「私が、迎え撃ちます。山という環境と神獣たちを使えば、13万人を追い詰めることは出来ます。追い詰めれば、メラーゼ=ニスラは“吸命”を使うはずです。物量戦術を維持されると勝てませんが、維持できないようにして戦います。」
ティキがそういうなら、出来るのだろう。シーヌもオデイアたちも、それに納得したように頷いた。
元より、シーヌとティキの目的は復讐敵たちを倒し切ること。全滅させるのは、ただ巻き込んだ小国たちへの、せめてもの餞別と、後始末のためだ。
オデイアに至っては、特別戦争に大きく肩入れする必要すらない。彼らはあくまで、シーヌへの贖罪のためにここにいるのだから、戦争の趨勢など、シーヌの敵討ちと比べるとどうでもいい。
二人にとって重要なのは、第一に、ブランディカ軍本隊がシーヌの復讐を邪魔しないこと。
そして、第二に、ティキが死なないことだった。
「ティキが出来るというなら、信じる。でも、絶対に、ティキが死んだらいけない。」
「わかってるよ、シーヌ。私はあなたについていくから。」
シーヌへ愛にあふれた笑みを浮かべた彼女は、その後を続けるように地図を見下ろす。
「ブランディカには、バルデス=エンゲ率いる軽装騎兵隊がいます。おそらく、彼らは本隊のための露払いとして、神獣を倒すために先に進軍してきます。」
重装歩兵で神獣を倒すより、バルデスが神獣を倒す方が被害が少ない。バルデス=エンゲ、“破魔の戦士”は、そのための戦士なのだから。
「それに、投石機は彼らにとって脅威です。木々が邪魔をして、有効打になる回数がたとえ少なくとも、陣形を崩すための投石は、彼らにとって目障りではあります。」
極力、少ない被害で連合軍を倒したい。そう思っている彼らにとって、投石機は目障りが過ぎる。ゆえに、神獣と出会わない限り、彼らはそれの破壊に向かうだろう。
ティキは一つ呼吸をすると、オデイアたちの方を向いて言った。
「あなたたちへの要求は、2つ。投石機の使用による牽制と、敵が近づいた時点での逃走です。とはいえ、逃走はシーヌが手伝いますから、気にしなくて構いません。」
投石機の破壊には目を瞑る。ゆえに、投石機を破壊させることに苦心しろ……そう言われているような錯覚に傭兵団は陥った。そして、オデイア自身はその意図を、ほとんど正確に理解した。
「兵士たちから体力を奪えと。」
「ええ。投石機を機能不全にするのは、早ければ早いほどいい。バルデス=エンゲは、そう考える。兵士たちを酷使しても、成し遂げようとするでしょう。」
焦りを与えるためには、投石機を実際使い続ければいい。上空を飛翔する大岩は、嫌でも目に入ってくる。なら、それをシンボルに、敵を走り回らせればいいだけのこと。
だが、オデイアには懸念事項もあった。彼は、バルデスの部隊をよく知っている。
「簡単には疲れない。20基の投石機を破壊したところで、疲労が十分になる保証はない。」
「ええ。疲労が溜まってさえいればいいんです。シーヌがバルデスと対峙している間、あなたたちがブランディカの部隊を足止めし続けられるだけの疲労感があれば。」
意味を、理解した。シーヌも、オデイアも。
ティキは今、シキノ傭兵団の残党に、こう言ったのだ。
『シーヌが戦い続ける間、たった数十人で、ほぼ三千人にちかい敵兵の足止めをしろ』と。それはつまり、『死ね』というに等しい行為だ。
オデイアが、承知する前に。言葉を返したのは、シーヌだった。
「それ以外の手は、ないのか?」
ティキが、オデイアが、絶句する。“永久の魔女”が死んだ際、セーゲルで戦争をした際。何も言わなかったシーヌが、初めて、味方の死に関して何かを告げた。
オデイアが、死ぬ。シーヌの頭によぎるのは、ビネルとシャルロットの家族の死。それによって起きた、友たちの悲劇。
「シーヌ、俺たちは、望んで逝くんだ。」
オデイアの一言に、シーヌは激情に駆られたような目で叫ぶ。
「何のために!大切な者があるんだろうが!」
「お前を、そうしてしまった後悔のために。復讐せずには生きられないほど、背負わせてしまった贖罪のために。」
「チェガを残してか?家族を失う喪失感を、俺はあいつに味わせたくはないんだよ!」
「あの子はもう、一人で生きられる。それに、俺たちは、大人なんだ。……果たすべき責任を、果たさせてくれ。」
シーヌは怒りを、オデイアは後悔を、互いの瞳に乗せて見つめ合う。
オデイアは、自分が自分のことを話すべきだと判断した。今のシーヌには、何よりそれが必要だと考えた。
「あの日、俺は逃げた。騎士団を倒した後、ユミルに呼ばれて出て行ったドラッドが、まるで憑かれたかのように虐殺を口にした瞬間に。」
あの日のことを、彼はよく覚えている。得体のしれない恐怖感、人が変わったかのような、狂気の貌。
これから起こることを予想して、彼らは戦争が悪化する前に、逃げた。それ自体を間違った判断だったとは思っていない。完全に狂気に堕ちた戦場に立ち続けたとき、オデイア自身も平然としていられる自信はほとんどない。
とはいえ、後悔していないかと言うと、そうではないのだ。もしも、彼らが戦場に行き、仮に狂気に呑まれなかったとして、その時、シーヌ以外の誰かを生き残らせることは出来たのではないか。
オデイアは、その後悔を拭うことは出来ない。彼は、逃げた。
多くの子供たちが死ぬとわかって、多くの親子が途切れると知って。
「あの時。俺は、6つの子を持つ父だった。……家族を失うこと、子どもがそれをどう受け取るか。傭兵稼業の中で、足を洗うと考えるときに悩み続けていた命題に、目を逸らして逃げた。」
親がいなくても強く生きられると考えていたドラッドとは違う。死ぬことが身分上許されていなかった多くの将たちとは違う。死んでも失うものなどなかった死神とは違う。
「俺は、お前たちを救うことからすら、逃げた。一人の大人として、恥ずべきだと思う。ゆえに、為すべき使命があると、思う。」
それを、オデイアは贖罪と呼ぶ。シーヌの頭に手を置いて。
「俺は、あの日出来なかったことを為す。」
その彼の覚悟に、目に浮かべた光に、オデイアの部下たちもまた、大きく頷く。
それでも、シーヌは納得できない。
父を、母を、祖父を、祖母を。家族を失った人間がどうなるか、その目で見てきた。自分自身でも味わった。
「お前が死んだら!俺はチェガに、どう謝罪すればいい!!」
ティキを除く、最大の理解者。シーヌは彼に、不幸になってほしくはない。悲しむことを、これ以上知ってほしくはない。
「お前が死んでも同じことだ、シーヌ。」
オデイアはその言葉を、真摯に受け止める。既に亡き妻に、息子の最大の友を
自慢したいと思うほど、シーヌはチェガに親愛の情を抱いていることがよくわかる。
死ねないな、と思った。捨て駒のごとき扱いに納得していても、それでも容易に死んではやらんと考えて。
「なら、お前が助けに来い。」
シーヌに、言った。復讐に駆られたこの青年が、他にも大事なものをしっかりと得た。それ自体を、とても喜ばしいことだとオデイアは思う。だが、彼はもう復讐の路を歩んでいる。とっくに引き返すことなど出来はしない。
だったら、彼が復讐できる場を整えることが、後顧の憂いなく彼が復讐できるようにするのが、オデイアのできる贖罪だ。あの日逃げた一人の大人として、オデイアは自分たちの死を重みにさせまいと、言った。
「早く復讐を終わらせて、助けに来い。それまでは、生きていてやる。」
そう、覚悟を決めた。
“凍傷の魔剣士”。冷気を操る、魔剣士。
「おおおおおぉぉぉ!」
最初の一人、だけではなく。剣の一振りで、十メートル先までの兵士を一人一人氷漬ける。これまでに出したことのない威力の魔法剣は、オデイアの部下たちの士気を大きく上げる。
「決して死ぬな!死を恐れるな!!シーヌが復讐を為す時まで、死ぬ気で足止めし、生き残れ!それが我らの贖罪ぞ!!」
己を奮い立たせて、氷漬けにした兵士たちを壁にしながら、残る兵士たちと相対する。
「元『シキノ傭兵団』、“凍傷の魔剣士”改め“氷結の魔剣士”オデイア=ゴノリック=ディーダ!死にたいものから前に出ろ!」
魔法概念“奮起”、その区分は“信頼”。
彼は、シーヌが必ず来ると信じて、剣を振る。
ついに200話に達したみたいです。これからもよろしくお願いいたします。




