破魔の戦士
投石。位置を視認し、そこへと向けて駆け抜ける。
馬に乗っては山を登れない。舗装された道ならまだしも、ここはほぼ手付かずの自然な山だ。
ゆえに、時間をかけてでも駆けるしかない。わずかでも自軍の被害を減らすために、一つでも多くの投石機を破壊する必要が、バルデスにはあった。
これまでは介した投石機は既に20をわずかに超えている。彼の見る限り、次に辿り着く投石機が、最後の一つであるはずだった。
「幸いにして、小競り合いの時に散々位置は見たからなあ!」
とはいえ、彼はずっと『何かがおかしい』と感じていた。投石機に辿り着くと、誰かがいた形跡はあれど、誰もいない。
逃げたのだ、と判断していた。クティック、ニアス、ワルテリー、ケムニス。この四国が攻めに転じた以上、ここの守りは薄いだろう。投石機を死守など、バルデスたちの前では無意味である。
「だから、逃げろと命じられたのは、納得できるが。」
とはいえ、それらのような投石機に、意味がないとは言えない。吹けば飛ぶような守りであろうとも、一瞬バルデスたちの足を止め、投石機を一度放つくらいの時間を稼ぐことは出来るだろう。20余の投石機すべてで行えば、それなりに攻撃の手数を稼ぐことは出来るはずだ。
「それをしないということは、それ以上のメリットが、投石機を破壊させることにあるというのか?」
バルデスの、疑問。しかし、兵士たちに聞こえないように呟いたそれは、自軍以外から回答を返された。
「必要だった。投石機を使うのは、元『シキノ傭兵団』。人員を一人でも多く確保しておく必要があった。」
まだ、若い声だった。そして、どこかで聞き覚えのある声だった。
いつだ。こんな若い声を最近で聞いたか。
そんな思考が頭をよぎり、顔をあげて、彼は驚愕に目を開いた。
「十年、前。」
「それほど、面影が残っているか。」
“災厄の傭兵”や“災厄の巫女”のように、身内を殺した仇ではない。
“竜吞の詐欺師”や“神の愛し子”のように、名も知らぬ町民を殺したわけでも、ない。
どちらかというと、彼の行った行為は、“黒鉄の天使”や“夢幻の死神”のように、『限りなく身近な誰かを殺した手合いである。
彼が、殺したのは。幼馴染、シャルロットの家族だった。
それは、義兄が死んで、しばらくして。ビデルと合流してから、起こった出来事だった。
元より、その日は濃い一日だった。クトリスを操るガレットと邂逅した。
魔の手から逃れ、ペストリーにビデルの家族が殺された。
ビデルを隠して家に飛び込んだ先、義兄が殺され、ドラッド=アレイと戦い、逃げた。
そして、それ以前に祖父と父は戦死していた。この街が戦場になり、シーヌが逃げまどう間に、母と、妹が、死んだ。
ただ、その中の一幕。ガレットのように、ただ出会っただけで、知り合いを殺していない仇なら、もう一人いる。
しかし、目の前の、“破魔の戦士”バルデス=エンゲは違う。
彼はあの日、その戦士が、幼馴染の家族を殺すのを、その目でしっかりと焼きつけた。
シーヌはビデルの手を引いて、必死に走っていた。
「ビデル!どこへ?」
彼は、いつもとてもとても冷静だ。シーヌなどより全然大人っぽかったし、とても理性的。
シーヌの友人は、リーダーのシーヌ、参謀のビデル、秘書のシャルロット、みたいな、大人になってもこんな関係なのだろう、という三人で形成されていた。
家族を殺され、周りでは多くの顔見知りたちの死体がある中で。
ビデルは、シーヌの声にやっと、冷静さを取り戻した。
「シャルの、ところに。みんなで、生きよう。」
その言葉に頷きを返して、シーヌはシャルロットの家まで必死に走った。
たった、百メートルの距離が、とても長く感じた。
そう思いながら、目的地までたどり着き、扉を叩く。
「シャル、シャル!!」
声が、聞こえない。シーヌだけでなくビデルも叫ぶが、帰ってくる声がない。
シーヌたちは嫌な予感を胸に、扉を蹴飛ばし、無理やり開けた。
「ああ、シーヌ、ビデル……。」
そこには、みんなで縮こまり、声を上げることすらできないほど怯え切った、シャルの家族の姿があった。
シーヌはみんなのもとへと駆け寄る。家族を抱き寄せ、涙をこらえながら、
「逃げよう。みんなで、生きよう。」
そう、言った。
怯えていても、始まらない。家の中で震えていても、このままじゃ死んでしまうだけ。
シーヌが見た光景を、遠くから聞こえてくる悲鳴を、いろんなところで燃えさかる炎の、剣戟の音を聞いて、シャルの家族も決意した。
「シーヌ?」
「なに、シャル?」
「きっと、みんなで生きようね!」
「うん!」
目の前で、人が死に続けた。大切な人も、大切でない人も。生き延びるために、その日一日でシーヌは何人か人を殺した。
それでも、この目の前の、無邪気な少女だけは殺させまいと、その笑顔だけは曇らせまいと、そう決意して、城壁に向かって、駆け出して。
シーヌは、恐怖で足を止めた。
一日で戦い続けた強者の数。その分だけ、シーヌの勘は磨かれていた。
「みんな、逃げて!」
シーヌが言うより早く。戦士は、最初の一人、少女の父の体を潰していた。
まるで、流星にでもなった気分だった。“破魔の戦士”は、“神の住み給う山”から時々出てくる神獣を撃退し続けていたら、なぜか与えられた称号だった。
ブランディカでは、“神の住み給う山”に住む神獣を、公式では神獣と呼びながら、裏では魔獣と呼んでいる。山の主アギャン=ディッド=アイは、神獣が一ヵ月で1頭か2頭死んだくらいでは、何も言わない。
群れとは決して戦わなかった。“破魔の戦士”が行ったのは、ただ山から下山した神獣を殺し続けていただけ。
だが、多くの魔獣を破ったから、“破魔の戦士”などという、何のひねりもない二つ名をつけられただけだった。
己が強いことを、知っていた。
久しぶりに出た戦場で、周りにいた強者たちに触発されたのも大きかった。
そして、“清廉な扇動者”が、戦いを扇動したのも、悪かった。
彼は、初めて出せる、本気の勝負に、心底喜んでいて。
「ハハハ、ハハハハハ!」
城壁にあった投石機。それに身を預けて、吹き飛んだ先。
たまたまそこにいた家族連れの男を、蹴り飛ばした。
シーヌが前に出る。もはや疲れ切った、そんな体に鞭を打って、怒りを、憎しみを、そして知り合いを殺されて心に感じた苦痛を込めて、短剣を突き出す。
「おっと。……なんだ、子どもか。子供は趣味じゃないんだ。さっさと行きな。」
何ともなさそうにスラっと回避して、男はシャルロットの母親に近づいて。それを阻むように、シャルロットの祖父が魔法を放つ。
いくら、あれだけ怯えるような家族でも。目で、互いの意志は伝わった。母は走り、娘とその友人の手を引いて走りだす。
シーヌも、その意味はよく分かった。ビデルの家族も、ビデルを逃がすためにそうしたのだ。
「シーヌくん。」
逼迫した声を必死に誤魔化しながら、母は少年に声をかける。
少年は悔いを断ち切るように、覚悟を踏みにじらないように、彼女の後を追った。
「みんなで、生きてね。」
え、とシーヌが声を発する間もなく。
シャルの母はシャルとビデルの背を強く押して反転し。
シャルの祖父を、祖母を瞬殺してのけた戦士に向かって走り出し。
シャルの視界に入らないように位置を調整しながら戦い、首を刎ねられた。
「お、おがあざぁぁぁん!!」
誤算は。シーヌも、シャルロットも、そしてビデルも。
その光景を、完全に目に焼き付けてしまっていたことで。
「……子供に、興味はない。」
戦士として認められていなかった三人は、子どもだからという理由で、バルデスに見逃された。
「みんなで、生きなきゃ。」
シーヌは、辛うじてそう呟くと。
喪失感を必死に誤魔化しながら、幼馴染たちの手を引いて、逃げ始めた。
既に。少年たちの心が、戻り様のないほどに壊れ始めているのは、彼らを見守る誰の目にも明らかだった。
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