傭兵と巫女
ピオーネは、肉体が失せて黒い靄のようになってしまった弟を見る。
「マルス。」
「姉さん。」
声すら生前のものとは違うことを、ピオーネは知らない。
しかし、それがマルスであるということがわかっていれば、ピオーネには十分だった。
「ごめんなさい。私はあなたに、応えてあげられなかった。」
普段とは全く違う、姉としての表情を覗かせながら、ピオーネは謝る。
既に死んで、しかし心だけがこの世に残留しているようなマルスは、微笑むような音を出した。
「姉さんに伝わっていたのなら、いい。今、俺の願いは叶っている。」
「ただ一度しか、叶わないかもしれない。夢を叶えて逝きなさい、マルス。」
ただ一度だけ、姉の隣へ、姉のために戦う。
それが出来るような“奇跡”を得ていた、最強のシスコンは、歓声を上げるように……シーヌへ、斬りこむ。
殺す相手が一人から二人へ。一人ずつ相手していた復讐相手を二人同時に。
それくらい、“復讐”の奇跡を持つシーヌであれば余裕だと考え、迎撃し……
「あれ?」
シーヌがずっと戦いの際に見ていた、『運命』の線を見ることが、出来なかった。
「なんで?いや、なんで?」
それでも、戦い続けた経験が体を動かし、マルスの剣を弾き飛ばして胴体に蹴りを入れた。
追撃するように氷の槍を飛ばし、更に逃げられないように周囲に炎の矢を飛ばす。
マルスは着地するや否や槍を剣で弾き飛ばし、ピオーネが炎の矢を撃ち落とす。
「“奇跡”の導きがないのが、驚きか?」
マルスは嗤うように声をあげて、再び前進した。
「あぁ。でも……やることは、同じだ。」
「お前じゃ俺には勝てねぇよ。姉の隣で、姉のために戦うという“奇跡”を、俺は果たしてここにいる。」
魔法の中でも唯一無二、人それぞれの人生の結晶とも呼ぶべき“奇跡”……マルスは今、それだけの存在だ。
言い換えるなら、全く混じりけのない、マルスの人生そのものが、今シーヌと相対しているものの存在。世界の全ての人間の無意識を、ほんの一瞬騙すような意志の強さ。それそのものと戦うということがどういうことか、シーヌはほんの数合戦って、理解する。
「“三念”や魔法技術で“奇跡”所持者を圧倒できる人間は、ほんの一握り。」
それが、冒険者組合の最上位陣。シーヌの師、アスハなどよりも倍以上、あるいは数倍規模で実力差がある者たち。
当然ながら、シーヌはその枠の中にいない。
シーヌは苦虫をかみつぶしたような表情をした。その表情の意味は、『絶望的に不利』である。
「姉さんに、手出しはさせない。」
言うが早いか、マルスは剣を振り下ろした。短剣が奔り、遠心力の乗った長剣を逸らす。シーヌは己が死なないようにすることで精一杯で、まともに攻撃する隙が無い。
それだけではない。後方から的確に、ピオーネが放つ矢が飛んでくる。
「どこが“巫女”だ、ただの駄々っ子じゃないか!!」
そこに込められた想い、その質を感じてシーヌは呻いた。
恨みだ。アニャーラに対する、恨みだ。
「お前の母を、恨んでいる!!」
放たれた矢は鋭くシーヌの胸へと走り、魔法で弾き返したときにはマルスが剣を振り上げ降ってくる。
「長く会っていなかったんじゃないのか!」
「愛さえあれば!そこに時間は必要ない!!」
転がって、避ける。そのままシーヌはピオーネに向けて魔法を放ちつつ疾走する。
悉くの魔法が、ピオーネの矢によって迎撃された。そして、ピオーネに辿り着く前に、マルスに乱入された。
「やりにくい!」
大きく跳躍してマルスの剣から逃れつつ、じり貧な戦いに活路を見出だそうと、シーヌはマルスを凝視した。
マルスは、“奇跡”だけの存在だ。マルスは、“想い”が生んだ幻だ。
だが、問題はそこではない、とシーヌは思う。
マルス=グディーとピオーネ=グディー。この姉弟は紛れもなく、シーヌの敵であり、シーヌの仇だ。どちらも、“復讐”の対象だ。
なのに、ピオーネに見える“奇跡”の……殺すための運命の線が、マルスには見ることが出来ない。なぜか。なぜだ。
「違いは、実体か、幻か……いや、その前か。」
生きているか、死んでいるか。それでもないな、とシーヌは首を振って。
「殺したか、殺していないか。」
そう、答えを、呟いた。
正解だ。正解だという確信がシーヌにはあった。生まれてしまった。
「復讐はただ一度。そういうことだ、シーヌ=アニャーラ。」
呟くように、マルスは。いつの間にかシーヌの右手に来て、言った。
ドラッドの“無傷”を展開できたのは、ほとんど反射的な行動だったと言える。それでも、体勢的な防御は全く間に合わなかったし、首を落とさんと振るわれた剣の威力をそのまま首の膜に受け、シーヌは盛大に吹っ飛んだ。
何本かの木が盛大な音を立てて倒れる。背中から大樹にぶつかり続けたシーヌは、衝撃に頭を揺らされながらも立ち上がった。
「勝て、ない……。」
とはいえ、敗けない。マルスの持つ“奇跡”は、シーヌを殺すことを目的としていない。ピオーネを殺すことを目的とし、その工程まで操作するシーヌの“奇跡”ほど、目的意識の固まった信念ではない。
それがゆえに、厄介だった。『ピオーネを殺す』ための“奇跡”は、『ピオーネの力になる』“奇跡”にとって許し難い存在だ。だが、ピオーネの力になるための“奇跡”は、シーヌを殺す必要までを持たない。ただそれだけの理由で、シーヌは未だ、戦場に立てていた。
「マルス。」
ピオーネの矢と、マルスの剣。その拮抗から、ピオーネは何をする必要があるかを理解して。
「そいつを、殺せ。」
姉のためになる“奇跡”。姉の望みを叶える“奇跡”。
姉の望みが今、マルスの耳に、しっかりと届いた。
シーヌは、満身創痍だった。既に全身に傷がある。衝撃で頭がクラクラしている。
とはいえ。シーヌはまだ、敗北を認めてはいなかった。
憎む。憎い。母を殺したピオーネが憎い。祖父を殺したマルスが憎い。
“復讐”はまだ、残っている。シーヌはまだ、諦められない理由があった。
その理由は。マルスがシーヌに向けて駆けだそうとした瞬間に、狼に乗ってやってきて。
「シーヌ!」
ああ。そうだ、とシーヌは思う。
ドラッド=ファーベを討った瞬間から。シーヌの復讐の旅路では常に。
「ティキ!」
「マルス=グディーは私が持つ!ピオーネを討ったら消えるんでしょ!」
「頼んだ!3分だけ耐えて!!」
ティキ=ブラウが、シーヌの妻が、傍らにいた。
ピオーネは大きく舌打ちを一つ、する。
ティキがこの場に乱入してきたということは、部下たちがティキを捉え損ねたということだ。
ピオーネの体感で、シーヌとの戦いはピオーネ不利に進んでいた。これはただ、それがもう少し露骨な形で表に出ただけに過ぎない。過ぎないはずだ。
「マルス!」
「無理だ。……いや、ダメだ!」
ピオーネの呼びかけは、シーヌを抑えろ、という意味。それに対する「無理だ」は、ティキがマルスに襲い掛かったために、シーヌを抑えられないという意味。
そして、その後の「ダメだ」は。ピオーネがシーヌと戦ってはならない、という意味の、「ダメだ」。
だが、しかし。マルスの想いは。声は。
シーヌの脚を止めることも、復讐の念を鈍らせることも、なかった。
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